契約の朝に
「私と同じものでいいでしょ」
「うん。こちらから押し掛けたんだし文句ないわ。食べさせてくれるだけ十分。あれ、家事ロボット新型にしたの?」
「そうそう。紫たちのところの新型だよ。前のは部屋とかで使うことが多くてさ。リビングとキッチン専用が欲しいなって」
「お買い上げありがとうございます。これは自分で作らないんだ? あ、カップはいつものでいい?」
「既製品に不満ないからね。カップはいつものでいいよ。違うの使いたいなら使ってもいいけど」
「馴染んでるものでいいわ。夢華は自分のカップにこだわりあるし」
二人を部屋に挙げた後判明したけど、二人とも朝ごはんもまだだった。どうも本当に朝一、起きて着替えてすぐ出発だったらしい。紫がこの顔じゃ出られないと訴えたから、洗顔や化粧くらいはさせてもらえたみたいだけど。むしろ軽く顔を洗っただけで出ていこうとする夢華が異常だ。私でも化粧はともかく、最低限スキンケアとかはしたい。夢華も気にしないわけではないんだけど、その辺大雑把だからね。それでも可愛いという自負からくるものだけど。
そのうえでいつもより早起きだったようである。さっきまで人の家を探索してあれこれ文句つけてた発起人は、人の部屋を漁った後で私のベッドに飛び込んだ。体温が残ってる、とか言いながら、動物みたいにもぞもぞ匂いを嗅ぎまわっていたが今は沈黙している。どうも力尽きたらしい。小さな寝息が枕と顔の隙間から聞こえていた。子供みたいな寝落ちしてるな。
まあ大人しくなっている分にはいいか。
昨日一般的な動物繊維系のベッドで寝ててよかった。浮遊ベッドの方だと寝かしつけ力が低いから、きっとまだはしゃいでいた。浮遊の方はあれで重力から開放されるから肩こりや腰痛の時にはいいんだけど、私は重みのある掛布団としっかりしたマットで寝る方が好き。液体式やカプセル型なんかも一通り揃えて気分で寝るベッドを変えているけど、割合は伝統的なベッドが一番多い。
とにかく静かになったから良しとして、残りの二人で朝食の準備にかかった。紫もしょっちゅう来てる家なので迷いなく支度してくれるから助かる。迷いなくというか、食器の類は紫や夢華が選んだものの方が実は多いからね。私はそんなにこだわりないから全部お任せにした。二人は自分が普段使うわけでもないのに、きゃいきゃい騒ぎながら楽しくお買い物してた。今も時折衝動買いした物を置いていく。
「フレンチトーストの硬さどうする? スープとサラダの変更は認めないけど」
「硬さって何。フレンチトーストって柔らかいものじゃない?」
「いや、私はデフォルトより液に浸した柔い状態のが好きなのよ」
キッチンマスターは調理の仕上がり具合の調整も可能だ。自分好みに味や触感、温度などの要素を調整し登録することで、いつでも自分の好きな味が楽しめる。私はフレンチトーストはやわやわのひたひた、といった感じが好きなのでそう調整しているけど、しっかりしている方が好きという人もいるだろう。
本土に行った際に国を代表するらしい、えらく立派なホテルでもてなしを受けた時に出たのは表面がカリカリだった。まさにトースト。でも中身はふんわり柔らかで、さすがに国賓へのおもてなしとかするシェフは違うと思わされた。普通のとは違う、なんかお上品で巧みな技を感じさせる一品だった。今でも味を細部まで思い出せる。あのパリッとした外を嚙み破った後の、とろりとこぼれ出る中身の甘さときたら素晴らしい味だった。
でも普段食べるなら、表面まで柔らかいのがいいんです。誰だってそうでしょ。ごちそうはごちそうの時だけでいい。普段には普段の味があるっていうか。基本的に、パンを牛乳に浸したり水で蒸したりとふやかす系統の食べ方が好きなのよ。水で少し蒸しただけのパンとかも好き。それだけでも甘みが増して、柔らかでおいしい。
なので私のは柔らかくするけど一流ホテルはカリカリにするように、人には好みがあるからね。そのくらいならさほどの手間でもないし、聞いておこうというわけ。でもスープとサラダの変更は違う材料を使うっていう話になるから、面倒なので許可しない。できないわけではないけど、好きなの食べたきゃ家に帰って食べてねって話だ。それか自分でセットするか。フードカートリッジを使ったサラダでいいなら変更してもいいけど、私今それほどカートリッジの備蓄がないからやっぱりダメ。
「あー……私は硬めかな。夢華はたぶん柔らかいのだと思う」
違っても寝ている方が悪いからね。設定を入力して調理開始を押す。軽やかな音を立てて入力が完了する。ようやく押せたよ。この音を聞くまでが今日はやたら長かったなあ。
「私がテーブルの準備しておくから、夢華を起こしてきて」
「はいはい。あ、見たかったらテレビでもネットでも見てていいよ」
私はあまりテレビ見ないけど、いつでもなんかやっているからBGM代わりに時々つけている。何故か背景に音が欲しい気分になった時には便利だ。
テーブルセッティングは紫と家事ロボットに任せて、私はお子様の相手をしに向かう。暗い廊下を歩いていくと低い空調の音の中に、かすかな呼吸音が聞こえる。どうもまだ寝てるらしい。結構しっかり寝てるな。
スライドしたままの部屋のドアから、私の特製ベッドの上にうつ伏せで転がっているものが目に入る。ベッドの脇まで近づくと寝息がはっきりと聞こえる。小さい体に似合わぬ巨砲が思い切りつぶれているけど、苦しくないのだろうか。私はうつぶせで寝ると結構苦しい。あと胸の形が崩れるからしないよう気を付けてる。
「おーい起きろー」
軽く声をかけて揺さぶってやる。が、ダメ。まるで反応しない。これ完全にガチ寝じゃない。そんなぐっすり寝るくらいに早起きして突撃する必要あったのかな。さっさと起きろとは思うけど、ずいぶん気持ちよさそうに寝ている。手荒なのはちょっとためらわれるなあ。かといって寝かしておいてやる気はない。
さあどうしようか。お、いいものあるじゃん。これでいこう。
「むえぇぇぇぇぇええええ」
私がちょっと操作すると、違和感が強すぎたのか夢華はすぐに起き出した。
「何するんですのぉぉおおおおぉぉおおお」
声が波打っている。というより全身が波打っている。正しくはその下のベッドが波打っている。ベッドについているマッサージ機能だ。だいぶ強めにしてやったから、かなりの勢いで下から押し上げられ、揉み解されたことだろう。背中にならともかく、正面うつぶせからでは気持ちよくないだろうね。揉み玉が夢華のふにゃっとした腹にボディーブローを喰らわせているみたい。
「起きなさい。朝食も抜かして来たあなたの分もご飯用意したんだから」
「え、ご飯があるんで……これは何か甘くていいものですわね!」
「いい鼻してるねえ」
起きたと思えばすぐに匂いを嗅ぎつけたらしい。さっさと起き上がって走っていった。うーんこの幼児。あ、枕によだれついてる。髪も落ちてるし。枕は後で洗濯物置き場に放り込んでおこう。
まったく、これで本当に私たちと同い年なんだろうか。背も低いし実は詐称なのでは?
「まあそれは絶対無理なんだけどさ」
「ん? 何が?」
「いや夢華がさ、実は歳をごまかしてるんじゃないかなって」
「お、喧嘩の時間ですの?」
「落ち着きなさいよ。実は年上かもってことかもよ」
「あ、そうですわね。むしろそちらですわよね」
「いや下だけど?」
「は?」
あの行動とその見た目で年上は無理でしょ。自分のさっきまでの行動を振り返ってからものを言ってほしいね。
三人揃ったところでいただきますをして、ようやく朝食にありついた。寝起きからここまでだいぶ長かった気がする。朝にイベントを詰め込みすぎでしょ。
「むぐっ……んっ、誰がこれからあなたにお給料を出すと思ってますの?」
たっぷりのメープルシロップをかけたフレンチトーストを頬張り、噛み千切りながらの夢華の発言である。ナイフもあるんだし細かく切って食べればいいのに、そうしないから口元はもうシロップでドロドロだ。
信じられないだろうけど、これ最上層に住むおそらくこの都市一のお嬢様なんですよ。普通に一般都立の小学校に通ってたけどね。おかげで私たちは出会えたわけだけど。ただ、正直気持ちはわかる。細かく切って上品に口に運ぶのもいい。でも直接かぶりつく喜びってあるよね。ステーキとかもそうしたくなる。
まあそれはいいとして。
「私まだ詳しい説明受けてないんだけど、やっぱりあなたが今回の依頼者?」
「あ、そうです。こちらの南城院夢華さんがこの度我が社で新たな部を立ち上げることとなりまして、そのメンバーとしてあなたの出向を小倉社長に依頼しました」
「いきなり仕事モードに切り替えるのやめてくださいます?」
他人事みたいな顔で苺ジャムの瓶に手を伸ばすな。メープルの上にさらに苺ジャムって。もう何食べてるのかわからないのでは。私もフレンチトーストにジャム乗せるの好きだけどさ。だから食卓に並んでるわけだし。ただし苺ジャムについては絶対大きい粒、というか果実を残したものがいい。つぶつぶだけで実がないやつって食べ応えがないと思う。ペーストしかないやつとか、実があっても小さいのは好きじゃないな。
「詳しい就業形態だとかについては、今データで送りますね」
紫が手を拭いて端末を操作する。今のうちに私もジャムつけちゃおう。このジャムの中の果実を、切り分けたフレンチトースト一欠けらにつき一個乗せるのが私流。糖分の取りすぎ。おっしゃる通りで。でも今はそんなこと重要じゃないから。女の子の構成物質の一つは甘いものなの。栄養が足りても甘味が足りなきゃ生きていけないのだ。人はパンのみにて生きるにあらず。バターかジャムもセットでつけるべし。両方あるとなお良し。
紫がまとめたデータを指で弾いて送ってくる。端末で受け止めてざっと目を通す。
ほーん。
まあ、こんなものかな。
さすがに小学校からの付き合いだけあって、私が嫌な思いをしないようにという配慮を全体に感じる。ありがたいなあ。自分をわかってもらえるっていうのは嬉しいよね。こんな堅苦しい契約用の文章なのに、なんか胸がじんわりしてくる。
だけど、だからこそわからないんだよねえ。
「どうですの? 一般の契約とはだいぶ違いようですけれど、あなたに合うように整えたつもりですわ。紫が」
知ってる。
「うん。さすがだね。私の扱いを心得てるっていうか、色々変則的にして、気を使ってくれてるのわかるよ。嬉しい」
「それはもう。あなたが嫌な普通の契約なら、相手が私でも契約してくれないでしょう?」
「しない」
冷たく聞こえるかもしれないけど、嫌なものは嫌だからね。仕方ない。まあそんなことわかってるだろうし、その上でそれを要求してくるということは何かあるんだろうとは考えるけど。その場合によっては、流儀を曲げることもあるかもしれない、二人の為なら。
「知ってた」
「そもそも制御不能な核弾頭……いえ、終末兵器ですわね。そんなものを縛るなんて無茶だと私でもわかりますわ」
「そんなもの」
そんなものて。
朝一に押しかけて飯をたかる人に制御不能呼ばわりはされたくない。それに終末兵器は言いすぎでしょ。別に世界滅ぼしたりしないよ。必要も意味もないもん。経済はちょっと大変なことになったらしいけど、売り買いしてるのは私じゃない。私は発明品を持ち込んだだけ。その売買を取り扱ったのは別人。だから私の責任ではない。はい証明終了。
スープのお代わりはないよ。飲みすぎでしょ。お腹たぷんたぷんになっちゃうよ。
「で、どうでしょう。あなたを連れ込むためにだいぶ法律や規則を漁りましたけど、実りはあります? いいお返事を期待していますけれど」
「連れ込むってなんかいやらしいですわね」
「わかる。……まあこれならいいかな。いいよ、この条件でサインする」
なんか余計な茶々が入ったけど、内容的に不満はない。端末内のヴィクトリアにも確認してもらったけど、法的に不利な事が隠してあるなんてこともない真っ当な契約みたいだ。私が大嫌いな定時出社とか懇親会的なものへの参加もなし。給料も相場がわからないけど、今の職場よりやや高い。今の職場の給料に不満はないけど、今の職場より面倒くさい仕事の分高くもらってもいいだろう。
ただ、よかったとほっとした様子でカフェオレを味わっている紫には悪いんだけど、引っかかることがあるんだよね。あと夢華は我関せずでヨーグルトをジャムのヨーグルトかけにするのをやめなさい。
「でもわからないことがあってさ」
「なに?」
「いや、理由がね」
「理由? あなたに頼む理由はデータに添付したと思うけど」
書いてはある。ただ内容に納得がいかないだけだ。相手が私でなければ問題ないし、私にとっても相手が二人でなければ問題はない。でも私たちの関係を踏まえると、やや疑問が残るところが。
一息にカフェオレを飲み干す。端末をタッチし、画面を空間に広げる。
「情報を整理しよう」
「はい」
「まず、この間の日天堂との合同の仕事はいい出来だったよね」
「ええ。あなたに頼んでよかった。向こうの予想を上回る出来だったわ」
「走り高跳びのハードルを用意したら、宇宙まで飛ばれたくらいの気持ちだったと思いますけれど。流石でしたわ」
「そしてその結果、夢華の所がゲームもすごいぞと期待されている」
「もともとゲームとは関係ない企業が開発に関わる、というだけで話題になりますわ。そのうえで出来た物があれでしたから……」
「あれって何さ。いい出来だったじゃない。私的には自信作だけど」
「でしょうね。自信作すぎて、ゲーム本体もゲーム機も両方話題になっちゃって」
「ですがいい機会だと思いましたの」
「なんの?」
「会社の革新というか、新しい風を入れるのによ。以前から組織の長の一族として、何となく組織や人の硬直を感じてたみたいで」
そうでしょ、と問いかける紫の視線を余所に、カフェオレ一杯の後でさらに牛乳を飲んでる夢華の姿はまさに子供。大き目のカップを両手で持つし。というか茶々はいれるのに大事な所は答えないのか。
「これおいしいですわね。タワーのものですの?」
「さすが。舌が肥えてる。そうそう第三タワーの夜しぼり直送のやつ」
「道理で。あなたってそんなに食事に凝ってたっけ。サラダとかの野菜もタワーの日光栽培のでしょう?」
こちらも舌が肥えてるねえ。まあ夢華のお付き兼専属秘書として、普段の食事や会食も一緒にしてるんだから当然か。よく考えたら仕事もプライベートも常に一緒ってすごいな。しかも同じベッドで寝る日もあるとか、ちょっと私にはわからない世界だ。一緒にお風呂入って同じベッドで寝るくらい私もやるけどさ。流石に毎日はどうかなあ。
「ちょっと先日タワーの人と縁があってさ。割引してくれるっていうから定期購入してみたの。で、どうなの?」
「美味しいですわよ」
「いや、そうじゃなくて」
いや実際美味しいけどね。食事にそこまでのこだわりはないから、今までは多少味は劣るけどカートリッジとかでいいかなと思って生きてきた。本当においしく優れた料理の味を知った後では、そこに至らない料理はまずすぎなければ後は同じように感じてしまってついつい。かと言って毎食ごとに美食を再現するのもね。今時は結構保存食や合成食品でもそれなりにはなるし、ジャンクな味だとジャンルが違うからあれはあれで美味しいと思えるんだよ。まずいからうまい的な感じで。
けどこうして素材だけでもちゃんと美味しい物を使うと、料理って違うものだね。カートリッジも普通においしく感じるようにできているけど、一定品質の域は超えないもの。
「あ、はい……。紫の言葉に間違いはありませんわ。四季のおかげで振れ幅はありますけれど、根本的に我が社は少々体が重く動きが鈍い気がいたしますの」
「重い体……余分な重さ……うっ」
なんかダメージ受けてる人がいますね……。別に太ってるようには見えないけど。
むしろ紫のスレンダーな体は、薄着したり水着着るとその曲線美がくっきりでうらやましい。華奢で儚く、でも細いだけじゃない女性特有の柔らかさを感じさせる、みたいな。なんかエッチじゃない美しさというか、触りたいような触れないような神秘的な美がある気がする。細いながら滑らかで、柔らかい女性特有の素敵な曲線だ。
私は職業柄どうしても筋肉がついてマッシブな感じになっちゃってるからなあ。腕とか出してると、なんかスポーツやってるんですか、とか聞かれちゃうことある。仕事で重量挙げとかしているようなものだから仕方ないけどさ。
「そこのぷにぷにお腹の子みたいに、立場が安定したせいで組織全体の動きが硬直して、構成人員の質も低下しつつあるのです」
「あばっ」
ああ、お腹回りがぷにってきたのね。スカートを止める位置が変わったりしたかな。後でこっそり測ってやろ。
「夢華の言いたいことなんとなくわかるよ。うちの社長からも似たような話聞いたし」
私は商業や組織論には何の興味もないけど、組織にせよ人にせよ大きくなるのはいいことばかりではないよね。
川の水と池の水みたいに、安定というのはある種の停滞でもある。止まれば清水も濁りに代わるのが自然の節理。そのことに気が付くのって、その水の中にいると難しいもの、らしい。何かの開発に熱中していて気が付くと当初の予定とはまるで違うものになっていることがたまにあるけど、あの熱中の最中に違和感に気づくようなものかな。そんな難しいことにこそ気が付かないといけないんだから、経営者っていうのは誰でも色々大変そう。私は絶対やりたくない。
同い年か疑いたくなる時も多いけど、ちゃんとしてると夢華はすごいよ。やっぱりそういう上に立つ者としての教育を、生まれついてずっと受けてきただけのことはある。
「以前の日天堂さんとの仕事を通して、多くの面で差を痛感しましたわ。心底恥ずかしく思いました。知らずの内に、驕っていたのでしょう」
比べる相手が悪い気もするけどね。日天堂ってゲームそんなにしない私でも一般常識として知ってるもの。日本どころか世界でも常識レベルで知られてるゲームメーカーだよ。今でいう間接型ゲーム機の誕生期からゲームを出し続け、娯楽が圧倒的進化を遂げた今でも最先端とかはっきり言って異常。
そこと比べるとさすがに夢華の所でも見劣りするだろう。歴史と経歴に差がありすぎるわ。むしろそこを相手にそういう感想なあたり、上を見てるなあ。あるいはそれが驕りなのか。
「あそこがおかしい気もするけどね。大企業の癖にフットワーク軽すぎでしょ。いきなり社長通して連絡きた時には、流石にびっくりしたよ」
「え、いつ来たの。聞いてない。引き抜き? 受けてないわよね?」
うわっ紫の食いつきがすごい。
「別に話すことじゃないし……。当然、お断りしたよ。興味ないし」
「あ、そう……。ふーん……」
なんか含みある態度だな。なんか考え事し出したし。私にはわからないけど、さっきのことみたいに経営側には色々あるんだろう。
実際私への誘い文句や契約内容は、普通のじゃ絶対ありえない内容だった。私だって一般的な雇用契約くらいは知ってるからね。あれは裏でだいぶ私について調べたんだろうな。いいなと思ったら即座に調べて、柔軟に非常識な内容の契約まで準備して即勧誘。あの動きの速さは流石だわ。組織としての能力の高さはすごい感じた。
だからと言ってあそこで働くことは、現状では絶対にないので諦めてほしい。待遇には相談の余地があったみたいだけど、私お金には困ってないし。あなたたちに興味ないからさ。深入りして不幸になる前に辞めて頂戴ね。
「コーヒーのお替りいる?」
「私にも下さる? 砂糖も。はい、ありがとう。……でもね、お陰様で目指すべき明日を見つけた気がするんですの。私のやるべきことを」
いい顔してる。背は低いし顔は童顔だし行動も子供なんだけど、こういう所かっこいいんなあ。
素敵。
でもなんか誇らしげに話し切ったところで悪いけど、私の疑問はまだ解消されないのだろうか。
「それで?」
「はい、なんですの?」
「それって私を雇う理由にはならないよね?」
友達にいい変化があったのはいいことなんだけどね。それはそれ、これはこれだから。
「ああ、そういえばそんな話でしたわね」
やっぱ幼児だわ。カフェオレも砂糖味の牛乳、コーヒー添えみたいになってるし。角砂糖だと入れやすいからつい数入れるっていうのはわかるけど。私も以前は砂糖入れてたけど、今はミルクとコーヒーの入れる順番や量の調整で好みの味にできたからいれてない。でも久しぶりに入れようかな。見てたらなんか甘くしたの飲みたくなってきた。
「二度と物忘れしない体にしてあげよっか?」
「やめてくださいませ! ……しませんわよね?」
「しないよ」
してって言われない分にはね。
「あなたが言うと洒落にならないのよね」
人を何だと思ってるんだ。人畜無害の天才美人発明家やぞ。
「そんな気軽に人体改造しないよ。それに私そういうことは他人にやらせる主義だから」
「ヒェッ」
金と権力と人員と場所と道具に被検体の確保等々、人体実験をするにはするだけの手間がかかっちゃうんだよなあ。したくないわけじゃないけどその手間を思えば、できる人にぶん投げた方が楽なんだよね。現状は人体組成とか反応のデータからシミュレーションするだけで十分だし。
どうしても実際に検証したくなったら、論文とかを知り合いに投げておけば後は向こうがやってくれる。そういった事情を踏まえると、国や大企業のお墨付きで専門チームとか組んでやってくれる方が結局効率がいい。
「できないとは言わないのが怖いんだけど」
「できるよ?」
完璧に物忘れを防げるかっていうと微妙だけど。物忘れって記憶だけじゃなくて、意識とか注意の問題もあるからね。記憶はしてても意識が余所に向いていて、そのことに意識が向かなければいわゆる忘れてた、という状態にはなる。
一時的に記憶力を高め、その間に覚えたことならかなり長く記憶を保持できるようにするとかならできる。映像記憶能力を一時的に与えたりとかね。テスト期間に限り、教科書を眺めれば全部暗記できる程度の能力なら難しくない。完全に改造していいなら、一生完全記憶のままにもできる。しかも都合よく嫌な記憶とかは忘れられるようにもできる。これはサンプルや観測データがたっぷりあるからむしろやりやすいかもしれない。したことないから実際どうかは知らんけど。
「あ、うん……。私たちは何も聞かなかったから」
そんな怖い話を聞いたような態度しないでよ。今時そこまでじゃないけど、記憶力をあげる薬くらい市販してるじゃない。脳の働きを高める薬とかさ。この辺りは結構悪くない。すごい効果があるわけじゃないけど、依存性とか副作用もだいぶ低い。気軽でお手軽だ。試験前によく売れる。
ヘッドセットを通じて電気刺激で脳を活性化、とかいうしょぼい機械も売ってる。効果があるのは確かだけど、実感するほど効くかなあの程度で。なんであんなに粗悪な物を市販してるんだろう。まあ人権がーとか、人体への危険がーとかうるさいのが騒いだせいだろうけど。その手の妨害がなければもう少しマシな性能の物が販売されてたと思うともったいないね。
「えーっと……それでですね、先ほどの言ったとおり私には目指すところができましたの」
「うん。よかったねえ」
「ありがとう。そこで今回、外部への広報や新しい分野の人員の獲得、組織内部への刺激等を目的としてゲーム事業部の立ち上げに至りましたの」
胸を張って自慢気な夢華。
「うん。それで?」
「え?」
「いや、それはゲーム事業部の話でしょ。私を雇う根本的な理由にはならないよね?」
「ああ、その、それは……事業のトップは私ですの。ならばトップとして事業成功のために最高のメンバーを集めるのもの仕事の内ですわ」
「それで私と。でもそれなら前と同じでいいでしょ、出向とかしなくてもさ。委託や外部協力者としてで」
今までもずっとそうだったんだから。出向なんて形で身柄が一時的にでも夢華の会社に移ったことはこれまで一度もなかったし、それを要求されることもなかったのに。
「……ぐぅ」
ありゃ。文字通りのぐうの音が。
「ちょっと。その辺で勘弁してあげて」
「別にいじめてるわけじゃないんだけどなあ」
いや本当に。そんなふくれっ面されてもなあ。困ってるのは私なんだけど。いい年してむくれているのに可愛いのずるくない?そうやって甘えられると甘やかしちゃうのが私なんで、やめてくれないかな。卑怯だぞ。
「そうなんだけどね。あなたの意図はわかるわよ? こんな手間をかけて無理に出向にしなくてもいいのにっていうのは」
「うん。だから引っかかってるの。今までこんなこと一度もなかったしさ」
なんかあったのか、あるいはこれからあるのかなあって。ほら、ねえ。思うじゃない。
私はこれまでもちょろちょろと発明しては、夢華の所に押し付けて発売してもらってる。逆に夢華に頼まれて意見を出したり、興味が出てきたら自分で開発設計して押し付けたりもしてきた。問題はあるやり方なんだろうけど、互いにこれで長年うまく回ってる。それを崩すほどの何かがあったのかなって。
「でもこれまでのやり方ではあなたはあくまで外部の、余所の人でしょう?」
「それじゃダメなほどの理由なの?」
「こういう言い方で察して欲しいけど……無理か」
「そういう察して文化、私きらーい」
あるいは空気を読むとか。わかってほしいことこそ言わなきゃダメでしょ。言いにくいのはわかるけど。
仕方ない。模範を示さなきゃダメかな、ここは。
「……あのさ、ようは心配なの。何かあるから、急に出向だとか言い出したんじゃないのかなって。言ってくれたら絶対力になるよ。私たち、親友でしょ」
つまりそういうことなんだよ。今までなかったことだから不安なんだ。いや、そこまで深刻に悪いことや不安に思うようなことがないっていうのは感じとっているんだけどさ。
私は二人やその周辺の人間関係については当然常に監視しているけど、それによると何か良くないことがあったという報告や印象はない。それに夢華たちから受ける感情にも悪いものはないから、本気で心配しないといけない様な何かはなさそうだとも思う。夢華から感じる一番の色は羞恥だし、紫は楽、つまりそんな夢華を見て楽しんでいる様子だ。割とお気楽そう。
でもね、それでも二人は私にはわからないこと、色々あるんだろうから。夢華は最上層の生まれついてのお嬢様で、この都市を実質支配している家の跡継ぎ。紫はそんな立場を心配して、単純な興味もあったらしいけど、その使用人兼秘書になって公私ともに支えてる。根本的に世話焼きだしね。夢華がいなかったらダメ男に捕まるタイプだよ。あの人には私がいなきゃ、みたいな。いや夢華じゃなかったら私が対象だったかも。
一方私は最下層の工場で、毎日機械修理や製作。夢華たちが今も着てる様な高価で綺麗な服なんかほぼ持ってない。まったくではないけどね。どうしても出てくれって頼まれることもあるから。集会とかパーティーとか。でも基本はもっぱら一日中作業着で、汗と煤と油にまみれてる。別にそのことに不満はない。私この仕事大好きだしね。朝から晩まで機械いじりしてよくて、しかもそれでお金が出るとか最高かな。最高だわ。だから転職も引き抜きもお断りしてる。地位を得たり名声を得ることもだ。
ただ、だからこそだ。住んでる世界が文字通り天と地の差があって、おまけに私は人の心とか機微には疎いから。わかろうとも別段してこなかった。二人以外には。
でもこの二人は特別だから。
「だから、ちゃんと言ってくれたらなって」
どうだ。模範として、はっきり言ってやったぞ。あなたたちが心配なんですって。こういうことはやっぱりちゃんと伝えるに限るね。質問の意図がわからないから答えてもらえなかったのかも。
言うだけ言って黙っていると、紫がはあっとため息をついた。人がいい感じのこと言った後にそれはひどくない?
「なるほどね。確かにいきなりだったから、私たち、というか夢華に何か不都合なことがあったのかと思われたのか。実際そういう世界だしね」
「んん?」
あれ、やっぱり心配しすぎだったかな。
「ごめん、心配するような事情はないのよ。でも私たちのこと心配してくれたのね、ありがとう」
「当たり前でしょ」
むしろ心配しないと思われてたんだろうか。どれだけ薄情だ。確かに私は人付き合い嫌いだけど、そんな私にとっても二人は特別なんだけどなあ。伝わってなかったのかな。
「二人のこと、愛してるからね」
「あ、ありがとう」
「うぐっ」
伝わってないのなら、これもはっきり伝えようと思っただけなのに。なんで胸を押さえてダメージ受けてるの夢華。紫みたいに軽く流した風を装いつつ、顔の赤みが隠せないで落ち着かないから空のカップで飲んでるふりでもしなよ。動揺を隠しきれないのは未熟なのかもしれないけど、だがそれがいい。
「……ふぅ。ねえ夢華。ここまで言われたんだから、ちゃんとあなたも言いなさいよ」
「そうだよ」
「むむむ……」
別に心配するようなことじゃないなら教えてくれればいいのに。何をそんなに躊躇うんだろう。私の不思議そうな顔に気が付いたのか、夢華がジト目で睨みつけてくる。何故だ。
「……私のこと愛してくださっているのに、私の気持ちはわからないんですの?」
「わからん。全然わからん」
わからないから訊いてるんだよなあ。愛はテレパシーを授けてはくれないんだ。いや気持ちはね、わかるんだよ。強い羞恥、悔しさ、喜び、そんな感じの思念だ。でもどういう意図か、何を考えているのかっていう具体的なところまではまだわからない。この辺はあれだよね、大切に思っても大切にできるのとは別物ってことなんだよ。感情が読めても意思が読めないと、何をしてほしいのか悟るのは難しい。
あ、でもそうだわ。
「ごめん。やっぱりわかるかもしれない。ちょっと待ってて」
「待っててと言われましても。なんで席を立つんですの」
逃げようとしているとでも思ったんだろうか。夢華がむっとしているけど、もちろん私にも正当な言い分がある。まだパジャマのままで、通常装備をしてないから忘れてたものがあるのよ。
「いや以前の好感度が見える眼鏡をアップデートしてさ。相手の心を読める機能も付けてみたのよ。それとって来る」
厳密には心が読めるわけではないし、まだいわゆるテレパシー、心の内容を伝達することは難しいけれどね。使っていくうちにデータもたまるし、ゆくゆくはテレパシーの再現をしてみたいよね。理論と感覚的には手が届きそうなんだけど、指先くらいしか掛かってないから登れないんだよ。
お互いの頭を繋いだり相手の頭を一方的に覗くならなんとかできるんだけど、そこから先にどうにも進めてない。私にしては結構足踏み状態だ。それでもいつもより踏み込んだ性能に仕上がったから、素の私よりは夢華の心をわかってあげられるかも。いやどうだろう、意識を集中した方がまだ上かな。
「」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 今恐ろしいことが耳を通り抜けた気がするのですが……」
そんなテーブルに身を乗り出す勢いで言わなくても。待てっていうなら待つよ。なんか紫は機能停止してるし。というか通り抜けたらだめじゃない。ちゃんと聞いてよ。
「別に怖いことないでしょ。気持ちをわかってほしいっていうから、わかる道具作ったし持ってこようかなって」
「わ、わかる道具ってなんなんですの……?」
「前に作った好感度がわかる眼鏡の改良版だって。あれ結局販売するのに結構手直ししたからさ」
どうせならもっと色々わかるようにしようかなって。販売後の使用データもだいぶ増えたし。やっぱり多種多様なデータが改善の糧だよ。実際にたくさんの人や現場で使用されることで、実用における問題点や改善点なんかが見えてくるからね。
「もちろんこの改良版も夢華の所で販売していいよ。前のもまあまあ売れたみたいだけど、今度はもっといけると思うな」
以前よりキャッチできる思念の幅を広く取ったし、解析能力も元データの量や単純にプロセッサの性能が増強されたことで上がった。さらに装着者や相手の感情や行動、声や体温などの複合的な観測結果も参照して、より個別的な感情判断ができるのだ。また家族と他人とでは装着者に向ける意識にも差が出る。そういった人間関係なども加味できるようにしてみた。今のところ、なかなかの出来と感じている一品だ。
あれ、でもさっきのことを考えたら違うな。
「ごめん。でもこれじゃダメだね」
感情がわかっても、意図はわからないんだった。考えを理解してほしいと夢華は思っているんだろうけど、あの装置では心の声は流石にわからない。どんなふうに思っているか、どんな気分か。そこから複数の要素を加味して、思考を予測する。それが精一杯だ。脳波も覗いているから、そう大きく外れはしないんだけど当たりもしない。
心の声、つまり思考していることを完璧に読み取るのはまだ無理かな。専用の機械を互いに装着してシンクロを行うという手もなくは……いやなしだわ。私はいけるけど夢華は危険だし、今そこまですることでもない。今現在の私の技術ではやっぱりそこまでが限界だな、悔しいけど。
しかしそうなるとお手上げだ。
「そ、そうですわね……ざ、残念ですけど!」
「うん。だから直接言ってほしいな。どうして私を呼ぶのか」
「」
俯いて黙ってちゃわからないよ。紫はなんかぶつぶつ言ってるから助けてくれないぞ。そういえば紫がかけてる眼鏡型サイバーグラスには、好感度測定機能はつけてなかったな。お洒落で邪魔にならないようにっていうから、細めのフレーム眼鏡に近い形状にしてあげたんだけど、そのせいでいくつかの機能は省かざるを得なかった。
当時の私の技術と頭脳の限界だ。悔しいです……腕が未熟だから。
いい機会だし後でアップデートしてあげよう。そうしよう。今の私ならもっと多機能でよりよい着用感のある、さらにお洒落なデザインにもできるはず。あと、人とたくさん会う紫ならいいデータ取れそう。
と、夢華の顔が上がった。これは決意した顔だ。口がふむってしてる。
「ああぁ……もう! そんなこともわからないんですの! 私のことなんか何にもわからないんですのね!」
「えぇ……」
と思ったら逆切れだったかあ。そんなに涙が浮くほど怒らなくてもいいでしょ。顔も真っ赤だし。台詞が面倒くさい女の見本みたいだよ。あああ、と謎の叫び声を上げ夢華が両手を頭上で振り回す。危ないからやめなさい。ああ、紫の頭にとばっちりが。
「そんなガーって怒られても……」
「いいですか、私が面倒な手続きを踏んであなたを手に入れたのはねえ!」
手に入れた?
「そんなものあなた……その、ああ……あなたと一緒にいたいからに決まってるでしょう!」
えっ、それだけっていうかさらっと手に入れるとか言ってるけど出向だから。しいて言うなら借りただけでしょうが。
勢い付けすぎて肩で息してるし。大丈夫かな水飲むかい。
「いただきますわ。……この事業は私が初めて立ち上げた、私だけの事業ですわ。そこにあなたも、外部の協力者じゃなくて仲間として、一緒にいてほしい。一緒に力を合わせて、乗り越えたい。もちろんこんなことしなくてもあなたは協力してくれるでしょうけど、そうではなくて、ただあなたに傍にいてほしい…‥。結局のところ、本音はそれだけですわ」
「そっか、嬉しいよ」
「えっ?」
「えっ?」
何がえっ、だ。夢華が目も口も顔の筋肉まで広げたおまぬけ顔でこっちを見つめている。なんて顔してるんだ、お嬢様なのに、美人なのに……。でもこれはこれで可愛いから良し。
「いえ、その……いいんですの?」
「いいって何が?」
「」
ああっ、夢華の顔が。
顔がなんというか、二度寝して起きたら休日が終わってた時のような虚無感を感じさせる顔に。
何を心配してたんだろう。契約のことなら、するって先に言ったのに。ただ理由が聞きたかっただけだよ。言い渋るから話が長引いただけで。というか渋るような内容でもなかったよね。なんでそんなに頑なになってたんだろう。私は夢華を愛してるって言ったのに、一緒にいたいと言ったら断られるとでも思ってたんだろうか。むしろすごい嬉しいんだけどな。
ああ、でも今もますます強くなっている思念の感じからすると、正直に一緒にいてと言うのが恥ずかしかったのか。
え、今更か。
何年の付き合いだと思ってるの。しかも私の家の合鍵は持ってるわ、一緒にお風呂入るし寝るし会えない日でも連絡は欠かさない程度にはべったりじゃない。それで今更一緒にいてというのが恥ずかしいとか、何なんだろう。一緒にいすぎて改まって言うのが恥ずかしいのかな。
「ぅぅぅ~……」
そんな不満げに唸られても困る。紫はもう端末まで開いてなんか別のことしてるしさ。
「紫、知らない顔してないで。ほら、契約書。署名とか諸々済ませたから」
どうしようもないのでいったん放置して、契約書に必要事項をヴィクトリアが入力、私が確認して紫の端末に送り返す。紫が受け取って確認している間に、こちらは食器をまとめて家事ロボットの回収トレイに乗せておく。
食卓を拭いて布巾と食器の洗浄、乾燥、収納を指示してロボットを送り出した。丸っこい卵型ボディが浮遊して滑らかに台所へ消えていく。流石に最新型だけあって、動作の一つ一つが部屋のやつより洗練されている。前のはちょっと不格好なところあったからね。関節周りの構造が悪かったからだろう。それが可愛いとか味があるとかで、あえて旧式のままの人もいるらしいけど。能力差はそれほどでもないから好みだね。
「夢華もそんなむくれてないで」
わざわざ膨らませているのだから、つまんでフニフニしてあげよう。頬っぺたもっちもちだぁ。あー触ってて気持ちいい。赤ちゃんみたいなツル肌にもちもちの掴み心地がいい。私の化粧品とか美容器具の効果がよく出てる。開発した美容関係の物は全て使ってくれているみたいだし、実質この体や肌は私が育てた。
もはや私のものと言っても過言ではないのでは?
「紫、どう。不備とかあった? ざっと目は通したけどこういう契約書って入力箇所が多くて」
「うん、大丈夫ばっちり。無事に契約完了しました。明日からよろしくね」
契約完了の文字が紫の端末上に浮かぶ。数秒で消えたそれを見てると、ああ本当に契約したのかという気になる。後悔ではない。けどこれからしばらくは未知の暮らしになりそうだと思うと、ちょっとわくわくするね。
「はーい。じゃあ今日はこれで解散?」
「私たち今日は泊っていきますわ! 明日は一緒に職場に初出勤しましょうね、ね!」
夢華が椅子から飛び降りて、突撃してくる。しょうがないなぁ。こうやって見つめられると勝てないんだよなー。長年の付き合いのせいで、おねだりの仕方を完全に覚えられてるもんね。同い年のはずなんだけど、私も甘いなー。
この子は年々幼くなっている気すらする。甘やかすせいだと言われればそうなんだけど。人生の大半を三人一緒に過ごしていて、そのうち二人がいつも甘やかしているからね。
「んー……まあいいけど。そういえば今日は何乗って来たの?」
「今日は上層まで家のエレベーターで送っていただいて、そこから表層までは飛行バス。表層から最下層は無人タクシーで来たわ。あと階層エレベーター」
「そりゃまた乗り継ぎだらけで面倒だったね」
紫がでかいため息をつく。中央大エレベーターが閉まっていていっぺんに最下層まで来られなかったらしい。あれは朝や夜の人通りが減る時間帯には閉まるから仕方ない。そのせいで普段来るより大回りした形なぶん、ストレスたまったのかな。もっと楽に来れるの知っていると、遠回りさせられてストレス感じるのわかる。
「本当よ。あんな早く出なかったら、中央エレベーターと無人タクシーで済んだんだけどね」
「うっ、ごめんなさい」
「いいわよ。わかってて私も止めなかったんだし」
「でも楽しめましたわ!」
夢華は町中をそんなに細かく乗り換えて移動すること滅多にないもんね、そりゃ楽しいか。私ら庶民は時間や場所に合わせて結構乗り換えして、自分にとっての最短ルートを構築するけど。猛者は一分も外に出てないで乗り継いでいくからすごいよ。私はそこまで細かく調整する気しないけど、その調整する行為自体が好きらしいね。
「まあ明日は私の車で上層まで一気に行けるから、だいぶ楽だよ」
「楽しみですわ! 四季の運転する車って乗ったことありませんもの」
「あれ、そうだっけ」
紫とは何度もドライブデートしているんだけどな。
夢華は乗せてなかったっけと思って紫を見ると、なんか一生懸命シーって沈黙を強いるジェスチャーをしている。何やら後ろめたいことがあるらしい。まあいいけど。
「楽しみにしてていいよー。ただ私のSG・Haatは別物レベルに改造済みだから、これが一般だと思わないでね」
「楽しくても暴れないでお行儀よく座ってるのよ」
そんなことしませんわ、と叫ぶ声につい顔がほころぶ。
これからしばらく、またにぎやかになりそう。
「……後で、さっき話してた装置について詳しく教えて」
「お、気になる?」
「聞きたくはないわよ、そんな厄介な代物。でもどうせ聞くことになるし」
「えーひどーい」
「それはもう、そうですわよ。当然ですわ」
「夢華まで……四季ちゃん悲しい」
『私もそう思います』
「おのれ裏切者めヴィクトリア……」
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