破壊令嬢アヌリウム~伝説の竜と契約した奴隷少女は、己を追放した世界に復讐する~
アオピーナ
第一章 グロリア地下都市脱獄編
頁001 奴隷少女の死
ポツン、と雫が頬を叩く。
その拍子に目を覚ますという事実が、未だ少女の生を実感させる。
もう殆どぼやけてきている視界には、大きな不安に駆られるほどの暗闇と、
――助け、て……――
――死にたくないよ――
――おかあさん、おとうさん……――
数多の、叫び。不気味に、断続的に点くマナの灯りが、少女の姿をおぼろに映す。
少女の赤毛は、本来なら美しく靡くだろうその艶を失くし、所々が黒ずんでいた。
そして、彼女が纏う一枚の灰色のローブにもほつれや傷が目立って――純白の素肌には、無数の擦過傷があった。
黄金色の瞳には、もう光は無い。切り傷や痣、変な方向に曲がっている指。これらをもってしても、少女の意識を本格的に目覚めさせることはもう、叶わない。
少女は、死に際に居た。
ポツン、と雫が頬を叩く。
知らず知らずのうちに意識を失っていた少女は、再び目を覚ます。途端、彼女の瞳に鉄格子が映った。
無機質なそれだけはやけに頑丈で、きちんちと光沢を放っている。恐らく、少女たちを逃がさないようにするためだろう。
「――おい、奴隷たちはどうなっている?」
少し離れた辺りにある松明に照らされた階段から、男の声が聞こえた。それに呼応して、複数の男の声が「はッ!」と張り上げられる。
その、突然の大声に鉄格子の中に囚われた者達は悲鳴を上げたが、揃って声を張り上げた男達に、彼らに構っている余裕は無い。
「……二七五番、二八七番……そして二九六番が、もう少しで処分になるかと」
淡々とした男の声が『二九六番』と発した瞬間、赤毛の少女の肩が大きく震えた。ここ最近で、最も明確な反応であった。
それからも、リストアップされた番号のみが読み上げられ、やがてその報告が終わると、
「分かった分かった。ひとまずはそれで充分だ。屍と化したアレ共には屍らしく、地上の養分にでもなってもらおう。貴様らが読み上げた者達の処分、一時間後に決行とする。いいな? 看守の愚図共」
それなりに若く、低く、冷たい声が、看守と呼ばれた者達により一層の緊張に駆られた返事を上げさせる。
怒号のようにも聞こえるそれは、呻く奴隷たちの恐怖を煽るのには十分なものだった。
『処分』。
『二九六番』。
赤毛の少女は、その二つの単語を頭の中で並べ、
――ああ、わたしは死ぬんだ。
やけに冷静に、達観したようにそう悟ったのだった。もっとも、これまで死んだ方がマシな思いを何度も味わってきた者としては、死ぬこと自体は恐怖でも何でもないのかもしれない。
看守が、カツン、カツン、と靴音を鳴らして近付いてくる。用済みの奴隷を、早く始末するためだろう。力こそ全てであるこの帝国では、弱者は強者によって蹂躙され、ボロ雑巾のように使い潰されて一生を終える。
赤毛の少女――いや、この大地下都市の深部に居る者たちに関しては、実の親すら分からず、孤児院に引き取られることもなく、さも当然であるかのように使い捨ての奴隷として、この地下で生きるしかない。
実に、色褪せた人生だった。読み書きもろくに出来ないが、少女は感覚的にそう思った。
もう、眠ろう。次に目を閉じれば最後、この暗くて怖くて汚い最底辺から逃れることが出来る。
そう思って、少女は目を閉じた。
――今まで見て触れてきた情景が、凄まじい速さで逆流していく。
走馬灯だと、少女は思った。
しかし、
『――お主は、死にたいと思っておるのか?』
真っ白な空間に響く、老人のような声。その場所で、赤毛の少女は自らの赤毛すら見て触れられないぐらい、透明になっていた。
肉体が無いということは、これは死後の世界か。だが、それにしては投げかけられた問いがおかしい。
『志半ばで、まだ歳端もいかない子供だろうに……。まだ、その浅い生に続きがあると分かっていても、お主は死して自らの生を閉ざそうと思っておるのか?』
意味が分からない問い。
だって、仕方が無いではないか。抗う術はなく、その気力すらも無い。諦め切って、何が悪いというのか。
『……では、お主はなにゆえここに居る?』
再三放たれた質問が、少女の意識を動揺させた。「あなたが呼んだんでしょう?」と問い返すのは簡単だが、そういうことではない。
無形の意識は、淡く赤い光を発していた。
刹那、辺り一面に緑が広がっていき、明滅して現れた白い巨竜が少女を中心にとぐろを巻く。
『生きたいから……生き延びて己が望む生を謳歌したいから……違うか?』
気が付けば、少女は「あ……っ」と声を発せていた。
肉体が、あった。
少女は確かめるようにして、その小さな両手を開閉する。しかし、未だ困惑は消えない。
不意に、目の前に獰猛な竜の顔が現れた。
『頼むからそうじゃと言っておくれんか! お主が儂の要求に応じんと、儂もこの世から消えてしまうの! 誇り高き伝統のある儂の伝説が終わってしまうのっ!』
竜は、涙目でそう叫んだのだった。
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