広次郎叔父ちゃんの家にて

「おう珍しいな」

「エミちゃん、いらっしゃい」


 今日は広次郎叔父ちゃんのところにお使いに。たいした用事じゃないんだけど、ちょっとお休みをもらったようなもの。出迎えてくれたのは叔父ちゃんと奥さんの初音叔母ちゃん。二人は高校の時から付き合ってて、二十歳で結婚してるんだよね。


 同級生結婚になるけど、今でも友だち感覚が抜けないみたいなところがある仲の良い夫婦。子どもは息子さんが二人だけどエミより年上。二人とも大工目指して頑張ってる。


「ゆっくりしていきや」

「晩御飯も食べて行ってね。御馳走するわよ」


 いつも大歓迎してくれるし、お小遣いもくれるんだ。もっとも、


「兄貴と美千代姉さんには内緒やで」


 若い職人さんも多くていつも活気に溢れてるんだけど、


「エミが来るっていうたら、若い奴らがエエとこ見せよ思てやたらと張り切るんや。そやからエミがおらん時はお通夜みたいや」


 そんな冗談がポンポン出てくるところ。やがて夕食になって、


「美千代姉さんがついに言うてもたんか。棺桶まで持って行くんやないかと思とったが」

「どこかで、ひょんなところからエミちゃんの耳に入るより良いと考えたんだろうけど・・・」


 エミが聞きたかったのはお父ちゃんとお母ちゃんの馴れ初め。もちろん飛び降り自殺をしようとした母ちゃんを抱き止めた話は聞いたけど、どこか引っかかるんだ。なにか隠してる気がどうしてもするんだよね。最初は、


「それだけやで」

「これ以上のドラマがあるのは考え過ぎよ」


 こんな感じだったんだけど広次郎叔父ちゃんが、


「それだけで十分やで」

「なにが十分?」

「いや、あの、その・・・」


 広次郎叔父ちゃんはウソが苦手。ここから問い詰めたら、叔父ちゃんと叔母ちゃんが顔合わせてちょっと困った顔をしてた。


「聞いた通りで、ほとんど合ってるんやけど。お前なんか聞いたことがあるか?」

「そうよね、だいたいは合ってるんだけど」


 なんか奥歯に物が挟まっているから問い詰めたんだ。


「兄貴が美千代姉さんに惚れたんは間違いない。美千代姉さんが飛び降り自殺しかけたんも間違いない。それを兄貴が止めたんが結婚に進んだんも間違いない」


 いつもズバッと話す叔父ちゃんの物の言いようがやはりおかしい。叔母ちゃんが思い切ったように、


「美千代姉さんが本当に変わったのは」

「初音、それは・・・」


 なにか隠してる。ちょっと気まずい空気になったんだけど、広次郎叔父ちゃんが意を決したように、


「先に言っとくで。今の兄貴のとこはラブラブや。それは間違わんといてな」


 それは良く知ってるけど、


「オレは兄貴の結婚に反対やってんや」

「広ちゃん!」


 止めようとする初音叔母ちゃんを押しとどめるように、


「美千代姉さんは黒田に捨てられて、飛び降り自殺寸前まで行って兄貴が止めて結婚したやろ。そういう場合に普通はどうする」

「広ちゃん、エミちゃんの前で」

「他の奴から聞くよりマシや」


 どうって、えっと、えっと、子どもが出来たことがないからわかんないし、自分に直接関わっちゃうから言いにくいけど、


「やっぱり墜ろしてから結婚?」

「生まれとったら殺すわけにはいかへんけど、あの時は墜ろせたんや。今から結婚する相手に、捨てられた男の子どもを押し付けるか」

「でも、捨てられた男であっても子どもは可愛いからってお母ちゃんは・・・」


 広次郎叔父ちゃんはビールをグイッと飲んで、


「だったらどうして飛び降り自殺をやろうとしたんや」


 あっ、そうなったらエミも死んでた。えっ、どういうこと。どうなってたの。


「結婚の話が出た時に子どもは当然墜ろすと思てたんや」

「悪いけど叔母ちゃんもそうだった」


 そうかもしれない。これはこれで心に傷が残りそうだけど、普通はたぶんそうしそうな気がする。


「そやけど兄貴は即答で快諾したんや」


 そう聞いたけど、


「でもな、条件はそれだけやあらへんかった」

「あれも聞いて、結婚はやめた方が良いと思ったもの」


 お母ちゃんが持ちだした条件は安らかな妊娠っていうけど、それって、


「モロで悪いけど子どもが産まれるまでエッチなしや」


 あれっ、妊娠中って出来なかったっけ。


「せなアカンもんでもないけど、したらアカンもんでもないんや。ましてや新婚やで。いくら妊娠中でもな」

「そうなのよ」


 お父ちゃんはその条件も即答で快諾したそうだけど、


「思うんやが、美千代姉さんは結婚までOKしとったけど」

「私もそう思ってる」


 ここは叔母ちゃんが引き継いで話してくれたけど。自殺って勇気がいるから、あの時にお父ちゃんが抱き止めたから出来なくなったんだろうって。でも自殺するぐらいの捨て鉢な気持ちは残っていて、お父ちゃんのプロポーズについ『うん』と言ったんじゃないかって。


「じゃあ、じゃあ、お母ちゃんは結婚を断るために」

「普通はそんな条件呑んで結婚する奴はおらんやろ」


 たしかにいる気がしない。他人の子どもを産むから育ててくれって無茶だよね。そのうえエッチもお預け。言ったら悪いけど、そんな無理難題を受け入れるより、他のを探すよね。


「美千代姉さんは兄貴の思いがけない返答にかえって追い詰められた気がしてるわ」

「結婚式の時もあんまり嬉しそうな顔してなかったし」


 これも気になったからお母ちゃんの実家のことも聞いたんだけど。


「あれもあったな」

「あれも兄さんはOKしちゃったのよね」


 お母ちゃんの実家は想像以上の超お堅い家。お父ちゃんは結婚の許しをもらいに行ったのだけど、お母ちゃんとの約束で、子どもはお父ちゃんが作った事にしたそうなんだ。それはもう罵倒されて、叩き出されたんだって。


「結婚してからもお姉さんは・・・」


 そういう経緯の結婚だから、籍まで入れてもお母ちゃんはお父ちゃんを愛してなかったんじゃないかって。


「そりゃ、兄貴は美千代姉さんにベタ惚れやったからお姫様扱いやったけど」

「あれをよく我慢できたと思ったもの」


 叔母ちゃんも、叔父ちゃんもチラッと見ただけと言ってたけど、お母ちゃんは結婚してからもかなりワガママ放題だったみたい。そのワガママを全部笑顔でお父ちゃんは応えてたって。


「美千代姉さんは妊娠中にお兄さんに本当に惚れた気がしてる。変な言い方だけど、結婚してからやっとお兄さんの真心がわかったんじゃないかしら」


 これは臨月に近い頃に初音叔母ちゃんが聞いた話だそうだけど、


『失敗した、間違いだった。そんなわたしにお似合いの宿命だわ。でも、やり直せるって思ってる。この子を産んだら本当の夫婦になれる』


 こんな感じの話をお母ちゃんがしたんだって。


「たぶんだけど、黒田の娘を結果的に産むのを後悔してた気がするの。だから次は必ず兄さんの子を産んでやり直そうぐらいだったと思ってる」


 エミの出産は難産で、お母ちゃんは子どもが産めない体になったんだけど、


「凄かったのよ。美千代姉さん。悔やんで、悔やんで、手が付けられないぐらいだったの」

「ああそうだったな。ああいうのを半狂乱って言うのやろ」


 結婚してお父ちゃんの真っ直ぐすぎる愛を知り、これを受け止めたんだけど、出産の結果として残されたのは黒田の娘だけ。エエ加減な気持ちでお父ちゃんに接した天罰が下ったぐらいに受け取ったんじゃないかって。


「それだけやなく、諸悪の根源が黒田だと恨みを募らせた気がしてる」


 諸悪の根源が黒田なのはそうだけど、


「兄貴はな、そんなに執念深い性格やないんや。どっちか言わんでも、時間が経てばトットと忘れてまう方や」


 言われてみれば。とにかく失敗を引きずらない性格で、アカンかったらサッサとやり直すものね。お父ちゃんの口ぐせは、


『済んだものをクヨクヨするだけ時間の無駄や』


 ちょっとは気にしろよと思った事もあるぐらい。まあ、そんな性格だから貧乏暮らしが続いても、あれだけ明るく前向きに暮らせるとも言えるけど。


「黒田が小学校の時の喧嘩相手やったんはそうやけど、甲陵で再会した時にはすっかり忘れとったそうや」


 えっ、えっ、じゃあお父ちゃんと黒田の長年の因縁って、


「あれは黒田の方が意識しすぎとったぐらいや。兄貴は思い出すのに往生しとった」


 だったら今はなぜあれだけ、


「兄貴はとにかく美千代姉さん命やろ。美千代姉さんの望むこと、願う事を叶えるためだったら、なんでもするねんよ。姉さんが黒田を恨むなら、兄貴も恨むぐらいや」


 だから『見返す、見返す』と言いながら、やることが妙にこじんまりしてるのよね。あれはお父ちゃんがそうしたいんじゃなく、お母ちゃんがそうして欲しいの反映なんだ。


「あの馬だけど乗ってたら勝てたの」

「黒田には勝ったかもしれんが・・・」


 エミもよく知ってるけどお父ちゃんの馬術はイマイチ、


「兄貴によると、黒田は身長が伸びすぎて馬術をやるには無理がある言うとったわ」


 黒田は一八〇センチぐらいあるらしくて、体重もそれに比例、いや当時からやや肥満気味だったんだって。要するに重いってこと。その分のハンデを考えるとチョボチョボでイイ勝負じゃないかって。


「優勝争いなんて程遠くて、下位の順位争いがせいぜいや言うて笑とった。美千代姉さんは必死やったけどな」


 馬の件はずっと気になっていたから、これを聞いてホッとした気分。


「じゃあ乗馬クラブは?」

「そりゃ、馬キチガイやからな。それでもやで、どないして甲陵見返すっていうんや」


 言われてみれば・・・経営に余裕がないのもあるけど、お父ちゃんが目指しているのはあくまでも、誰でも乗馬を気楽に楽しむクラブ。エリート養成コースを持つ甲陵に勝てるわけないものね。


「だったらどうして、あそこまで」


 叔父ちゃんと叔母ちゃんはため息を吐きながら、


「美千代姉さんがあの調子やろ、あれだけ付き合ってたら兄貴も影響されるわ」

「だと思うわ。いくらそれがお姉さんを喜ばす事でも、エミちゃんが生まれてからずっとだよ」


 かもしれない。それにしても、あの団体戦の勝負を受けたのは、


「兄貴が姉さんとエミちゃんを大事にしとるんは掛け値なしや」


 それはわかるけど、


「口では笑い飛ばしとるけど、実の父親やないのをゴッツイ気にしてるんや」

「でもお父さんはすぐ忘れるって」

「そうなんだけど、そんなお兄さんでも気にせずにいられない事ぐらいに思ったらイイわ。エミちゃん、気を悪くすると思うけど、他人の子を育てるのはそれぐらい重いのよ。とにかく冗談でも口にしたら、私らでも見る見る顔色変わるぐらいなのよ」


 そこまで・・・


「兄貴が駄馬って言葉を大嫌いなのはエミちゃんも知っとるやろ。あれも半端ないねんよ。オレもうっかり口に出したことがあるけど、情け容赦無しの一発がいきなり飛んできて吹っ飛ばされた。兄貴にとっては最大級の侮辱みたいなもんや」


 お母ちゃんとエミを駄馬に例えたりしたら、


「そういうこっちゃ。兄貴の絶対触れてはならんもんに触れたんや。よう殴り合いの喧嘩にならんかったと思うぐらいやで。あれは黒田やからなおさらの部分はあったかもしれへんけど、黒田やなくともああなった気がする」


 そこで叔父ちゃんは真顔になって、


「今回はなにがなんでも勝って欲しいと思てる。そりゃ、負けたらクソ駄馬クラブになるのが嫌なんもあるけど、エエ加減姉さんから黒田の呪縛を取ったりたいんや。姉さんがあんな状態のままやんか、それに合わせてる兄貴が可哀想で、可哀想で」

「そうなのよね。お兄さんは姉さんを天使とか女神みたいに思い込んでて、結婚してもらってるだけで幸せみたいに言うけど、ずっと苦労のし通しみたいなものじゃない」


 お父ちゃんの幸せか。惚れぬいたお母ちゃんと結婚できたのは幸せだったのかもしれないけど、他人の娘を育てて、お母ちゃんの恨みにつきあって・・・何か良いことあったのかな。


「あははは、今の兄貴は幸せやで。そりゃ、結婚した時は愛されてなかったもしれん。でも今はラブラブや。オレが見ても照れるぐらいや。男と女の仲は単純やない。結婚もそうで、最初は熱烈やっても冷めて離婚する奴はいくらでもおるやないか」

「兄さんとこは色々あり過ぎたけど、それを全部プラスに変えて今があるってこと」


 でもさぁ、でもさぁ、プラスに変えていったのはお父ちゃんじゃ、


「人生なんかエエ事、悪い事の帳尻がどっかで合うとか言うけどな、このままやったら悪いことばっかりで終ってまうやんか。どうして兄貴ばっかり、そんな苦労せんとアカンのや。それを思うと悔しいて、悔しいて」

「だから今回の勝負ぐらいスカッと勝って欲しいのよ」


 でも勝ったら奇跡みたいなものじゃない。黒田の奴、手加減してくれないかな。

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