小林家

 お父さんにどうして乗馬クラブを始めたか聞いたことがあるんだけど、お父さんのお父さん、つまりお祖父ちゃんが馬好きだったらしい。もっとも乗る方じゃなくて賭ける方。


「子どもの頃にお出かけ言うたら競馬場やった」


 そこで見ていた騎手に憧れをもったぐらいかな。


「なんで騎手にならんかったん」

「落ちたんや」


 お父ちゃんは騎手を目指して中央競馬のJRA競馬学校と、地方競馬の地方競馬教養センターを受けたんだけど、


「あれな。JRAで百五十人ぐらい受験して合格するのは七~八人ぐらいやからな。馬なんか乗った事がないオレじゃ合格するはずもないわ」


 もっともお父ちゃんはそれ以前の問題があって、


「とにかく学無いやろ、二次試験さえ進めんかったんや」


 一次が筆記で、二次が実技ぐらいに考えたらイイみたいだけど、一次さえ突破できなかったんだって。そんな時に目についたのが、甲陵倶楽部の厩務員募集。馬関係の仕事やから飛びついたみたい。


「こっちは受かったんや」


 なんと受かったから高校まで中退したって言うのよね。


「エミとえらい違いやで、あははは」


 そこで出会ったのが馬術。


「最初は競馬に較べたら地味やと思ってたんやが、こっちも知れば知るほど奥が深いのがわかったんや」


 甲陵の厩務員も調教助手、調教師とステップアップするみたいで、お父ちゃんも調教のために馬に乗れるようになったで良さそう。ところでだけどお祖父ちゃんは大工でお父ちゃんも子どもの頃から仕込まれたみたいだけど、


「お前には向いとらん」


 こう言われたんだって。でも大工仕事は素人離れしてる。そう下手な大工より下手ぐらいには出来る。このお祖父ちゃんだけど、エミが物心つく前に亡くなってる。


「飲み過ぎやろ」


 ただ実家は小林工務店として今も健在。


「広次郎は器用やったし、康三郎は学あったからな」


 お父ちゃんの兄弟だけど、


 ・孝太郎

 ・広次郎

 ・康三郎


 みんな『こう』が頭に付いてるんだよね。


「それか。親父が呼び間違えんようにそうしたって言うとった」


 広次郎叔父が社長、康三郎叔父が設計士になって、お祖父ちゃんの頃よりずっと繁盛してるってさ。それでだけどお父ちゃんの兄弟は本当に仲がイイんだ。大工に成れなかったお父ちゃんに、


「兄貴、兄貴」


 こうやって立ててるのがわかるもの。これも聞いたことがあるんだけど、


「兄貴にはホンマに世話になってるんや」


 お祖父さんは飲み過ぎて早くに亡くなるぐらいの大酒呑みだったんだけど、かなりの酒乱で飲むと暴れ出して大変だったみたい。酒さえ入らなければ悪い人じゃなかったみたいだけど、とにかく飲むし、飲めば暴れるだったらしい。


 だから何回も事件やトラブルを起こしてるし、愛想尽かされて奥さんにも逃げられてるんよね。お祖父さんは酔うと子どもにも容赦なく手を挙げたそうだけど、お父さんは弟たちが殴られないように、いつも庇ってたんだって。その代り、


「そりゃ、親父の方が強いからボコボコにされてたけど、兄貴が体を張って庇ってくれてなかったら、オレらは殺されてたかもしれん。命の恩人みたいなもんやで」


 どれだけって思うけど、話してくれた叔父ちゃんの目は真剣だったもの。それだけじゃなくて、お祖母ちゃんに逃げられてるから、お父ちゃんが弟たちのお世話を全部やってたし、小学校の頃からバイトして、叔父ちゃんたちの文房具を買ったり、お小遣いあげてたんだって。


「兄貴が高校中退したんかって、オレや康三郎を学校に行かすためやってんよ」

「そうや、オレが建築士目指して大学行くときなんか、兄貴は取っ組み合いの大喧嘩の末に親父に『ウン』ていわせたものな」

「兄貴にはホンマに感謝してる」


 そんなお父ちゃんの娘やから、


「エミちゃん、エミちゃん・・・」


 遊びに行ったら可愛がってくれてる。お父ちゃんの実家はそんな感じなんだけど、お母ちゃんの実家は行ったことがないのよね。お母ちゃんも話したがらないんだけど、お父ちゃんにはちょっと聞いたことがある。


「甲陵のレストランのウエイトレスは、ただのウエイトレスやないんや」


 甲陵倶楽部と言えば神戸のセレブの社交クラブなんだけど、そこのレストランの客も当然セレブだから、ヒョイヒョイと雇ってくれるところじゃないみたい。家庭の身上書まで必要で、その上で高い教養と容姿端麗まで条件になってるんだって。


「まあ会員とロマンスが生まれて玉の輿も無いとは言えんかったから、かなりの競争率やったで」


 だから若い頃のお母ちゃんがあれだけ綺麗だったのもわかったし、お父ちゃんと較べたら可哀想だけど、口ぶりだって上品だもの。


「お母ちゃんの家とは結婚の時にもめてもめて、駆け落ちみたいなものやねん。そやからエミに悪いけど、連れて行ってあげられへん」


 かなりお堅い家らしいのはエミにも雰囲気でわかる気がする。というかお母ちゃんは実はお嬢様だった気がしてる。だってだよ、字を書かせたら達筆だし、レストランに花を飾っても見事だもの。あれは華道の心得があるとしか思えないもの。


 教養は甲陵のウエイトレスになるには必要だけど、エミには大学卒にしか見えないのよね。礼儀だって作法だってちゃんと出来るもの。だから冠婚葬祭の行事ごとがあると、お父ちゃんに付きっきりで教えてる感じ。


「お父ちゃんのどこが良くて結婚したん」


 そしたらお母ちゃんは、


「そんなものすべてよ。結婚してもらえて本当に幸せ」


 でもだよ、若い頃のお父ちゃんの写真を見ても冴えないのよね。それにさ、騎手目指せるぐらいだから、背も低くて、お母ちゃんの方が高いのよね。お母ちゃんには言えないけど、変わった趣味してると思ったもの。

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