豆まき

なゆた黎

豆まき

 バスを降りると冷たいからっ風が電線を鳴らしていた。月のない空には薄い雲がかかり、普段なら輝いてみえる数多の星も、ぼんやりと鈍くお父さんの目に映った。

 お父さんはコートの襟を立てて首を竦めると、家路へと急いだ。

 ウーウー

 パトカーのサイレンの音が聞こえる。遠くで違反車両でも追いかけているのだろうか。サイレンの音に混じってマイクで停止を呼び掛けているような声も聞こえる。実際何を言っているのかまでは、まるでわからないのだけれど。

 さっさと帰ろう。

 お父さんは明かりのもれる住宅街の二本目の筋を右に曲がった。三軒目の佐藤さんの家の前に差し掛かったとき。

「おととい来やがれっ、てやんでぃ!」

 激しく開け放たれた玄関の扉の向こうから、炒り豆とともに脱兎の如く飛び出す影と、その影の背に向けて鬼の形相で罵声を浴びせる佐藤さんちのご主人に出くわした。掛け去る影は佐藤さんの家を振り返りながら、お父さんの横を走り抜けていった。

「こんな木枯らしの吹き荒ぶ夜に、こんな格好のまま追い出すたぁ、ひどい奴だ。人でなしっ!鬼ーっ!ハゲーっ!」

 影は悪態を吐きながら走り去っていった。気の毒に、だいぶ薄着である。なにせ虎皮のパンツ一枚である。気の毒以外に何と言おう。

 確かに、佐藤さんちのご主人は、すだれ越しに見る中秋の名月のような風情あるスダレハゲだ。

 お父さんは遠くへ走り去った影の後ろ姿を肩越しに振り返り、苦笑いを浮かべた。

 さあ、早く帰ろう。子供と奥さんが待っている。今日のごはんはシチューって言ってたっけ。ごはんのあとに豆まきしなきゃね。

 ウーウー

 今夜はやけにパトカーが走り回っているようだ。夜中までこの調子じや、眠られないな。

 お父さんはふっと白い息を吐くと、手にしたカバンを持ちかえて、足を早めた。


「あれ、止めましょうかね」

『そこの暴走鬼、止まりなさい』

 助手席のお巡りさんがマイクを手にして、前方を韋駄天のごとく疾走する虎皮のパンツ一枚の鬼さんに向かって停止を求めた。

「今日は節分だからねぇ。家から追い出された鬼が、集会でもやるんだろう。それにしても、虎皮のパンツ一枚じゃ、見ているこっちが寒くなる。あ、信号無視」

『止まりなさい、止まれー止ーまーれー』

「今夜は忙しくなりそうですね。無線もひっきりなしに入ってくる」

「節分だからねぇ。さ、事故には気を付けて市民の平和のために働くぞ」

 パトカーの中のお巡りさんたちは節分の夜の街を走るのだった。

 おしまい。

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