第205話 シャクヤの決意

「ハッ!……わたくし……やってしまいましたわ。殿方を足蹴にするなど……なんとはしたない……!」


馬車から降りたシャクヤは、数メートル先で気絶している体格の良い男を見て、我に返った。よく見ると、男は口から血を吐いている。


人を殴ったこともなければ、これからもそうするつもりはない、とかつて語っていたシャクヤである。しかし、一人の女性として、力ずくで迫る男を本気で拒絶した結果、相手に重傷を負わせてしまったのだ。


すぐに駆け寄って男の容態を診る。


「よかった……鼻と肋骨を折ってしまったようですが、命に別状は無さそうでございます。あやうく人を殺めてしまうところでございました」


ホッとする彼女の後ろからストリクスが声を掛ける。


「ホウホウホウ。さすがは我らが『八部衆』の一人、シャクヤ殿でございますな。中にいる男もあなたがされたのでしょうか?」


彼は、馬車の中で気を失っているリーダー格の男のことを尋ねた。それをシャクヤは否定した。


「いえ。そちらのお方は、とても礼儀正しい方でしたが、こちらの方が殴ってしまわれたのでございます。その……わたくしを襲いたいがために」


「なんと!その者は、あなたを殺そうとしたのでございますか?」


「い、いえ、そういうことではなく……その…………」


男が女を襲う、という言葉に”殺害”という想像しかできないストリクス。彼の間違いを正そうとするシャクヤだが、それを説明すること自体に気恥ずかしさを感じてしまった。


ちょうどこの時、一陣の風のごとく、颯爽と走ってきた女性がいた。

白金百合華である。


「シャクヤちゃん!!!大丈夫!?」


「あ、ユリカお姉様!!はい!このとおり、無事でございます!!」


「ほんと?怪我はない?変なことされなかった?」


「はい。そうなる前に……思わず、やっつけてしまいました」


「あら。ほんとだ」


のびている3人の男たちを見て、百合華は笑顔で納得した。


すると、少し遅れてルプスと、その背中に乗った牡丹が到着した。


百合華は、道に迷わないようルプスに先導されてシャクヤを追跡してきたのだが、気配を感じ取れる距離まで来ると、一人で先行して走ってきたのだ。


これまでの経緯を簡潔に報告するシャクヤ。それを聞いた百合華は、男たちを見ながら呟いた。


「こいつら、ラクティちゃんと間違えてシャクヤちゃんを誘拐したのね。いったい何者かしら?」


まるでそれに答えるかのごとく、携帯端末宝珠の着信音が鳴る。



――それは、僕、白金蓮からの通信だった。


「あ、蓮くん、シャクヤちゃんは無事だったよ。ほらっ」


嫁さんは、僕たちにわかるよう、映像にシャクヤたちを映してくれた。


『よかった。さすがだね。シャクヤ、何ともないかい?』


「はい!レン様!!ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません!」


「シャクヤちゃんにイタズラしようとした男がいたけど、自分でぶっとばしちゃったって!」


元気に明るい顔を見せてくれるシャクヤと、横から追加報告してくれる嫁さん。それを聞いて僕も苦笑しながら賛嘆した。


『それもさすがだ。やっぱりシャクヤだな』


安堵した僕であるが、すぐに嫁さんが真面目な声で意見を求めた。


「蓮くん、この人たち、どうする?とりあえず縄で縛ったけど、連れて帰ろっか?」


『そうだね。騎士団に引き渡すのが一番だろうな』


「この真っ黒いローブって、話に聞いてた『魔王教団』ってヤツじゃない?どこから来たのかな?」


『それについては、こっちに手がかりが残されているよ。こいつらが使った催眠効果のある花。ラクティに聞いたけど、見たことない花だって言うんだ。そこで、王立図書館の全ての図鑑をデータベース化した宝珠システムで検索すると、すぐにヒットした。これは、環聖峰中立地帯の北方、イマーラヤ帝国に近い地域に生息している特殊な花なんだ。日没後に催眠効果のある香りを放つらしい』


「さっすが!仕事が早ぁーーい!てことは北の国から来たんだ」


『そういうこと。ただ、こっちで気絶している男は、黒いローブを着ているんだけど、黒い十字架は持っていないんだ。そっちのヤツらはどう?』


「え、黒い十字架?あったかな?」


嫁さんが振り返って男たちの方を見る。それを察したストリクスがすぐに調べ、答えてくれた。


「ご尊父、こちらのリーダーらしき者のみ、黒い十字架を持っております」


『なるほど。ということは、そいつだけが本当の魔王教団関係者で、他のヤツらはカモフラージュで着ているってことかもね。雇った連中なのかもしれない。いずれにしても、向こうの方から手がかりがやって来てくれたんだ。こんなにありがたいことはない』


「そだね!」


嫁さんが明るく返事をするので、僕は指示を出した。


『てことで、騎士団に渡す前に一度、僕が調べてみたい。王女の屋敷に連れてきてくれるかな』


「りょ!じゃ、この人たち馬車に乗せて帰るね!」


彼女が了解のポーズをした時だった。先程から難しい顔をして黙り込んでいたシャクヤが、意を決したように口を開いた。


「レン様!お待ちくださいませ!わたくし、この方たちに付いて行こうと思うのでございますが!」


『えっ!?』


いったい何を言い出すのかと思い、僕は間の抜けた声を出してしまった。嫁さんも驚きながら彼女に尋ねる。


「なんで?どうしたの、シャクヤちゃん?」


これにシャクヤは決意を込めた眼差しで悠然と答える。


「この方々が『魔王教団』の関係者であるならば、むしろ、わたくしがこのまま連れて行かれた方が、いろいろと調べられると思うのでございます」


あまりにも合理的な考え方に僕は息を呑んだ。確かにその方がより多くの情報を得られるであろう。ただし、それは、彼女の身の安全を考えなければ、の話だ。


僕がその心配を口にするよりも早く、背後から宝珠通話に参加した者がいた。ラクティフローラである。


『ピアニー!なにバカなこと言ってるの!そんな危ないことさせるわけないでしょ!?』


やはりイトコなのだな、と僕は微笑した。しかし、シャクヤという少女は、一度言い出したら聞かない子だ。彼女なりに熟考した末での決断をそう簡単に覆すことはなかった。


「ラクティフローラ、お気持ちはありがたく頂戴しますが、この方法が最適なのです。この方々は、お爺様のことを知った上であなたを誘拐しようとしました。その事実だけでも、何を目的としているのか、想像できませんか?」


『え……まさか”勇者召喚の儀”を実行させたいのかしら?』


「十中八九、そのとおりだと思います」


『まさか、あなたが代役を務めるって言うの?』


「もちろん、わたくしが『勇者召喚の儀』を実行することはありません。しかし、わたくしが王女として、この方々に誘拐されたとなれば、国王陛下も黙って見過ごすことはできないのではございませんか?」


『え、ちょっと待って!あなた、なんて大胆なことを考えるの!』


「つまり、この方々が、北方の帝国イマーラヤから来たのであれば、わたくしが連れ去られたことで、『勇者召喚の儀』の技術が奪われることになります。それに加えて、既にあちらの帝都では勇者様が召喚されているのも確認済み。帝国で何が起こっているのかはわかりませんが、これだけの事実が揃えば、あなたなら国王陛下を焚きつけることができるのでありませんか?」


『あなたの誘拐をダシにして、取り急ぎ、お爺様に会えるよう、お父様に進言しろって言うのね!』


「そのとおりでございます」


『確かにこの上ない交渉材料よ!でも、ちょっと話に無理があるわ!』


「そこは、あなたのお知恵で、いかようにも理由をつけてください。例えば、お爺様なら『勇者召喚の儀』を阻止する方法を知っているかもしれない、など」


『そ、それは……それなら、理屈は通るけど……』


シャクヤの理路整然とした説明に、ラクティフローラは納得しつつも押し黙ってしまった。


僕も嫁さんも同じ思いで沈黙したままだ。


今までもシャクヤの固い決意にタジタジになったことが何度もある。しかし、これほどまでに大胆で、危険を冒す計画を耳にしたことはない。やはり彼女の身を思えば、断固反対だ。僕は、あえてその思いを言葉にした。


『シャクヤ、僕が、心配だから行くな、と言ったら、君はその計画をやめるか?』


「レ、レン様…………」


シャクヤは、頬を赤くして固まった。そのまま視線を地面に移す。ところが、しばらくすると満足そうな笑顔を僕に向けた。


「……そのお言葉だけで、わたくしの心は満ち足りてしまいます。勇気百倍!死地にでも飛び込むことができますわ!」


これを聞いて、僕は深く嘆息した。しばしの間、額に手を当てて考え込む。


もしもこれが本当に死地に飛び込む行為なら、僕は彼女を叱りつけても止めるし、それでも言うことを聞かなかったら、拘束したっていい。たとえ恨まれても、そうするだろう。


しかし、今回の場合は、危険性が非常に高いというだけで、実際にどうなるかは、誘拐犯のアジトまで連行されない限りわからない。彼らはあまりにも謎に包まれているのだ。


そこまで考えて、僕はシャクヤに最後の譲歩をした。


『シャクヤ、君の計画は、彼らが話の通じるヤツらであることが前提条件だ。そのアテはあるのか?』


「はい。こちらのリーダーらしきお方は、わたくしを王女だと思い、とても丁寧な応対をしてくださいました」


『なるほど……』


そこまで考慮した上での決断であれば、彼女の意思を尊重してもよいのかもしれない、と僕は判断した。そして、こう告げた。


『わかった。では、ストリクスを護衛につけよう』


「まぁ!ありがとうございます!」


シャクヤは謝意を述べ、名指しされたフクロウ男は、僕に向かって姿勢を正した。僕は腹心の部下に命じた。


『ストリクス、フクロウの姿でシャクヤに同行し、彼女を全力で守れ。この子は僕の妹も同然の子だ。何があっても傷一つ負わせるな。これは、僕からお前に与える至上命令だ』


「ハッ!仰せのままに!」


深々と一礼した彼に僕はさらに心配事を告げる。


『いいか。守ると言っても、命の危険からだけではないぞ。この子は女の子だ。人間の場合、女性は男から、いろんな意味で狙われる。そういうヤツらからも、しっかりと守るんだ』


「それは……つまり、無理やり交尾を迫る者がいた場合、退けろということでございましょうか?」


首を傾げながら聞き返すストリクス。彼は魔族であるため、人間の情事への理解が乏しいのだ。僕は苦笑しながら、仕方なく具体的に指示を出した。


『あぁ……うん。直接的な表現だと、そうなるんだが……とにかくシャクヤに何の断りもなく、体に触れようとしてくる男がいたら、全部やっつけろ』


「かしこまりました!」


横では、シャクヤが頬をピンク色にしてモジモジしている。


「レン様……それほどまでにわたくしのことを……」


それに呆れながらも、嫁さんが彼女の両肩に手を乗せた。


「シャクヤちゃん、くれぐれも……ほんとーーにくれぐれも気をつけてね。もしもヤバくなったら、計画は中止して帰ってくるのよ。これは絶対に約束ね」


「はい!ご安心くださいませ!無謀なことは決して致しませんので!」


僕の隣にいるラクティフローラもその様子を映像で見ながら、ため息をついていた。


『ピアニーの頑固さには、昔から手を焼いてきましたが、今日ほど呆れたことはありませんわ……』


その後、嫁さんたちは直ちにシャクヤの計画に沿って行動を開始した。


気を失ったままのリーダー格と体格の良い男を馬車に乗せ、小柄の男を御者台に乗せる。僕が遠隔で【世界樹の葉ユグドラシル・リーフ】を発動し、彼らの傷は完治させた。


さらに彼らの破れた服と馬車から吹っ飛んだ扉まで修復魔法で復元した。これで、傍目には、何も起こらなかったように思えるに違いない。


彼らを拘束している縄もほどいてあげたが、体格の良い男だけはシャクヤが制止した。


「ちなみに、こちらの方は、おいたが過ぎますので、このまま縛っておきましょう」


ニコニコしながら、そう言う彼女は、なんとも頼もしく思えた。


また、念のため、シャクヤの持っている携帯端末宝珠に嫁さんのマナをフルチャージしてもらった。これでマナ切れになることは、そうそうないであろう。




――やがて、しばらくすると、小柄な男が最初に意識を取り戻した。彼は、御者台に乗ったまま寝ていたことに気づいた。


しかも、馬車は荒野の街道を自然と前進している。利口な馬が自ら道に沿って走ってくれていたのだ。


ホッとしつつも、先程、魔族らしき存在に出くわしたことを思い出す男。しかし、自分の体に傷一つないことから、きっと悪夢を見たのだろうと独り合点した。


ちなみに馬車が自動的に走っていたのも、僕がシャクヤの携帯端末宝珠を通じて風の魔法を発動し、馬を上手に先導していただけである。


そして、馬車の中ではリーダー格が目を覚ました。


「あっ!あれ!俺は!!王女は!?」


ハッとした彼は、自分が眠っている間に王女がどうなったのかを心配したが、向かいの座席でニコニコしているシャクヤを見て、唖然とした。


「うふふ。おはようございます。まだ夜ですが」


平然としている彼女に度肝を抜かれ、さらにその横には、縄で縛られた体格の良い男がもがいていた。


「ちっきしょう!何がどうなったんだ!!お姫さんの頭突きを食らってから、何も覚えてねぇ!!」


「………………」


レベル32の男があっさりと捕縛されているのを見て、リーダー格は目を丸くし、開いた口が塞がらない。


「お姫さんよ!悪かったから、これをほどいてくれよ!なっ!」


そう言って、彼女に顔を近づけてくる体格の良い男。ところが、その瞬間、見知らぬフクロウが彼の額を蹴りつけた。


「ぐあっ!!いでぇっ!!!」


凄まじい脚力で吹っ飛ばされた彼は、後頭部を反対側の扉に勢いよくぶつけた。そして、馬車の中で羽ばたいているフクロウは、シャクヤの肩に悠然と降り立った。


「この子は、わたくしのかわいいお友達ですの。心配して追いかけて来てくれたのでございます。皆様、仲良くしてくださいね」


得体の知れないフクロウを操り、微笑する彼女を見て、2人の男は愕然とした。特にリーダー格の男は、驚きの連続で先程から言葉も出ない。


そもそも、今までの状況であれば、いつでも逃げられたはずなのに、どうして王女が馬車に残ったままなのか、と疑問に思っている。その心をまるで読んだかのようにシャクヤが告げた。


「さぁ、わたくしを攫うおつもりなら、どこにでもお連れくださいまし。ただし、無礼な言動には断固とした処置を致しますわよ」


威厳のある重い口調で語ったその声には、逆らうことのできない風格があった。

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