1-5 僕の姉の死は誰にも観測できない。

 呼び出しから五分と経たずに、男はコインパーキングに現れた。


 ……冷たい風が、強く吹き付けている。


 僕は長い髪が顔にかかるのを手でおさえ、もう片方の手をブレザーのポケットに入れたまま、彼が車のないコインパーキングへ入ってくるのをじっと見つめた。


 呼び出されたそいつは、僕の格好を見て足を止め、半歩退いた。


 しかし、それが僕に――というよりも、僕の姉に対する失礼にあたると知っているのだろう。

 反省するような、自嘲するような笑みを浮かべたあと、僕に近寄ってくる。


「ええと、一応聞くけど、どっちだ・・・・?」


「僕だよ」


「……ええ⁉︎」


 うわずった驚きの声があがった。


 そいつは僕の全体像を見るために一歩引いて、


「いや、だって、なあ? お前のアカウントからのメッセージだったけど、立ってるのがどう見たって姉の方で――」


「姉さんは死んだよ」


「――は?」


「死んだんだ。もう、ここにいない」


 僕は、


 自分の胸を叩いた。



 誰も姉の死を観測できない。

 だって、姉には肉体がないから。


 僕は半身を失った。

 肉体を共有していたもう一つの人格は、未来を求めて消え去ってしまった。


「ど、どうして……?」


 男が問う。


 僕は、冷静に、客観的に、答える。


「それは、僕の体が男だから。お前が姉さんを女性として見ることができないと言って、姉さんはずっと、お前のあとに現れる人も、そうなんだろうなと確信したから。だから、自分の人格に合った、自分だけの体を持つ願いを抱いて、未来に旅立ったんだ」


「……俺のせい、なのか?」


「僕はそう定義した」


「……いや、でも……でもさあ……」


 ――


 目の前の男は、その言葉をすんでのところで呑み込んだようだった。


 ……本当に、いいやつだ。

 本当に、世界に二人といないぐらいに、いいやつだ。


 僕らの大事な親友。


 でも、


「嘘だろ?」


 そいつは、ひきつった笑いを浮かべながら、そう言った。

 ……しょうがないじゃん、は我慢できても、嘘だろ、は、我慢できなかった。


「だ、だって、なあ? お前は、そこに立ってるだろ? からかってるんだろ、俺を? それともなにか――中身まで男のはずの弟の方が、スカートなんかはいてるのかよ?」


 肉体を共有している僕らだけれど、服は共有していない。

 姉の人格が表に出ている時には女性の服を着るし、僕の人格が表に出ている時には、男ものの服を着る。


「……わかってはいたんだけど、やっぱり、そうなんだよね」


「え?」


「お前にとって、僕の姉は、スカートであり、タイツだった。姉さんは死んだのに、僕がこうして姉さんみたいな格好をすれば、生きているのだと思い込む」


「それは……それは、でもさ」


「ああ。だと、思うよ」


 主観的に、姉の存在をきちんと認識してほしい――姉の人格の実在を、なにもなくとも確信し、姉か僕かというのをただ立っているだけでもわかってほしいという思いは、もちろん、ある。


 でも、客観的に、どうしようもないのも、わかる。


 たとえば一卵性の双子だって、付き合いの浅い者にとって、見分けるのは至難だろう。

 こちらは肉体が一卵性どころではない。一つなのだ。

 付き合いの深い者だって、肉の体の中にどちらの心があるかを見分けるのは、完璧とはいかないだろう。


 理屈はわかる。理解はできる。


 ただ、理解は必ずしも納得ではない。


 僕らは……

 いや。姉さんの深層にあった気持ちは今となってはもう、僕にさえわからないけれど少なくとも僕は……


 あいつにぐらいは、姉さんの実在を信じて、姉さんの不在を確信してほしかった。

 だってあいつは、姉さんが愛した男なんだから。


 ……やっぱり、その願いを、叶える方法は、一つしかないようだ。


 内ポケットからカッターを取り出す。

 チキチキと刃を伸ばしていく。


「お、おい」


 戸惑うような声。


 あいつの困った姿を見て、自然と浮かび上がる笑みは、僕のものなのか、それとも、姉の残滓ざんしなのか。


「誰にも姉さんの死は観測できない。僕以外には」


 あるいは、僕のことを、プロフィールから思考・感想にいたるまで知った、魔女以外には。



 伸ばし切ったカッターの刃は、想像していたより長かった。

 僕はその切先を落ちそうな夕日にかざしてから、自分の首へと運ぶ。


「おい!」


 慌てふためく彼を見ているのは、本当に、なぜだろう、笑ってしまうほど、うきうきとした気持ちだった。


 姉の残滓なのか。

 僕の意思なのか。


 僕が自殺を企てても無理のない精神状態にあったことは、きっと、多くの目撃者や監視カメラが証言してくれるだろう。

 最後の最後で魔女に出遭ってしまって計算が狂ったけれど、まあ、きっと、充分だろうと思うことにする。


 これで、あいつがまかり間違って、『僕を殺した』などと勘違いされることはないだろう。

 きっと。たぶん。まあ、八割ぐらいは、そういう勘違いを避けられるはずだ。


 でも、怯えてほしい。慌てふためいてほしい。焦燥して、後悔してほしい。


 姉のような格好をした僕が、姉のように死んでいくから。


 人を殺したと、自覚してほしい――


 でも、その前に……


「……すいません、ちょっといいですか」


 今まさに、あいつに見せつけるように、首筋の刃物を引こうという時だ。


 僕とあいつのあいだを横切る、髪の長い女性の姿があった。


「ん? ああ、おおむね終わってるから。どうぞ続けて?」


 魔女。


 魔女探偵。


 ……いや、さっきから、視界の端をちらちらと横切ったり、消え去ったり、現れたり、うざったいことこの上なかったのだけれど。


 あいつが気付いていない(気付かないわけがないので、直視できていなかっただけなのだろうけれど)ので、無視して話を進めていたのだが……


 さすがに今まさに自殺をしようという瞬間に目の前を横切られると、一言告げてやらないといけない気分になってくる。


「魔女さん」


 と、僕が呼びかけた瞬間、目の前のあいつは、この異様な女性の存在に初めて気付いたかのように、目を丸くした。


 魔女は虹色の瞳を細めながら、こてんと首をかしげる。


「なあに?」


「いや、『なあに』ではなくてですね。その……空気とか、読まれないんですか? 僕は今、大事な話をしている最中だったんですけど」


「君が私を定義しなければ、彼に私は直視できなかったよ。彼には資格がないからね。でも――よりにもよって、君は私を『魔女』と定義した。お陰で、これからやろうとしていることが、うまくいきそうだ」


「なにをするつもりですか」


 問いかけた瞬間、魔女のやろうとしていることについて、閃きがあった。


 もちろん詳しい方法はわからないけれど、なにを目指しての行動なのかはわかった。

 ……わかってしまった。

 わかりたくなかった。


 魔女は、僕の質問に答える。


「君の依頼を達成しようと思ってね」


 僕の、依頼。

 それはすなわち――


「君の姉を殺した犯人を指し示してみせよう。もちろん、依頼人にご満足いただけるかたちでね」

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