ウソツキとプロンプター
すだちひな
第1話 チーくん、事件だよ!
廊下を颯爽と歩く
誤解のないように言っておくと、僕は先輩が好きだ。この片想いはかれこれ十年近く続いており、まずいことに最近はライバルも出現していた。だからこれから、先輩がこの一年三組の扉を開けて、お定まりの言葉を口にするであろうことを、
「なに、そのおっきいため息。自分が蔵森先輩にチョコレートをもらえるわけがないからって、辛気臭すぎるから、やめてほしいんだけど?」
背後から聞こえてきた特徴的な低さのしゃがれ声に、思わず舌を打ちそうになる。
わざと反応せずにいたら、ぎゅうっと右耳を引っ張られた。
「いてっ。真篠、お前、何すんだよ!」
「ひとのこと無視してるからでしょ。あーあ、ほんとなんで先輩、あんたなんか頼ってくんだろ」
言い終えると真篠は、僕の耳から手を離した。基本的にこいつの行動は、もはや人間のそれではない。いつもこんな風に正々堂々と喧嘩を売ってくるし、そのほとんどが酷く暴力的だ。だから僕はこの女を、脳内でゴリラだと位置づけていた。ゴリラに絡まれたと思えば、仕方ないで済むからである。
「チーくん、助けて事件だよ! チーくんの力が必要なの」
蔵森先輩が扉を開けて、いつもどおりそう言った。すなわち「事件が起きた」という報告だ。そのことに少しだけ胸がちくんとする。真篠の言うように、先輩は僕をそういう目で見ていないとは分かっていたけれど、それでも今日はバレンタインデー。少しは期待していた部分があったのも確かで。先輩は一目散に駆けてきて、興奮気味に胸の前にふたつの握りこぶしを並べると、じっと僕を見つめた。まっすぐで濁りのない眼差しに、本気で頼られているのだと、むしろそれだけなのだと確信する。僕は肩を
「先輩、つい先日、同じこと言ってましたよ」
「え。そうだっけ?」
くりくりとした
「そうです。『サッカー部の部室の鍵が忽然と消えちゃった』って。ほんの一週間前のことです」
「ああ、あったねぇ。ああいうさ、中に人がいるのに気が付かなかったなんていう勘違いは、やめてほしいよね。でもね、安心して、チーくん。今回は違うから」
何を安心するのか、いまいちわからないが、先輩がとんと胸を叩いて口元を引き上げたので、頷いておくことにする。
蔵森先輩は、とにかく一挙手一投足が、たまらなくカワイイ。僕より頭ふたつ分は小さな体が動く度、肩にかかる瞳と同色の髪がふわふわと揺れる。大きな瞳をやわらかく細めると、僕を『チーくん』と呼ぶ。不思議とあざとくない自然なしぐさの数々も、心を掴んで離さない理由のひとつだった。そんな思いはおくびにも出さず、僕は眉をハの字にした。
「それもいつも聞いている気がしますが」
「なんとね、うちのクラスで事件が起こったの!」
「なるほど。三年一組で、ですか?」
「しかもね、体育の時間に。誰もいない教室で」
僕らの高校では、移動教室や体育の時間の時には、教室は施錠して鍵は職員室に一旦返すというきまりになっていた。
「密室ということですか」
「うん、そう。教室にはちゃんと鍵がかかっていたのに、どうしてそんなことになったのか、お昼休みのはじめにみんなで考えたのだけど、まったくわからなくて」
「へえ。ふうん。そうですか……」
僕は、先輩がいつも持ってきていたような事件との違いに、少し動揺し始めていた。つまり事件とも呼べない出来事ではなさそうなことに。
まずい。これは、ひょっとしたら、遂に来るべき時が来たかもしれない――。
「いったい何が起こったんですか?」
後方から横槍が飛んできたので、心臓が跳ねた。先輩はというと「あ、あおいちゃん」なんて無邪気に返していて、別の意味でも心臓が暴れそうになる。
「……お前は、関係ないだろ」
ぼそりとつぶやくが、乱入してきた張本人である真篠には届かない。それもそのはずで、真篠の目に映っているのは、蔵森先輩だけだからだ。頬をうっすらと上気させて、先輩と話せる喜びを顔いっぱいに表している。くっ。何故なんだ。何故先輩なんだ。なんかクラスのイケメンとかにしとけよ。僕は小さく舌打ちをした。
「えっとね、チョコレートがね、みんな溶けちゃったの」
先輩の口から出た言葉に、僕と真篠の目がわずかに大きくなる。
「四限目の体育から帰ってきたらね、クラス中のチョコレートが、溶けてしまっていたの」
先輩は、悲しそうに目を伏せて話してくれた。
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