アイシャとメアリー

アイシャはシドとシュラとドロシーに、メアリーから首飾りを外す計画を伝えた。そしてアイシャはドロシーを自身の懐に入れ、シドの背中に乗った。シュラはアイシャの後について行く。マリアンナはスノードラゴンの氷防御魔法アイスシールドからアイシャたちを外に出した。アイシャは氷防御魔法アイスシールドから出て、空中に浮いているメアリーを見上げる。


メアリーは相変わらず炎と氷の攻撃をくり返していた。アイシャはシドとシュラに合図をおくる。シドは走り出し、シュラは咆哮で空気の弾丸を作る。シドは器用にシュラの作る空気の弾丸を足場にし、空中に飛び上がる。そしてちょうどメアリーのいる位置を維持して、メアリーのまわりを跳んでくれた。アイシャはメアリーに声をかける。


「メアリー!」


メアリーはアイシャの声に反応してゆっくりアイシャに顔を向ける。


「あらアイシャ、なによコソコソして、まるでネズミみたいね。目ざわりだわ、早く消えてちょうだい」


メアリーは今まで見たこともないほど怖い顔をしていて、アイシャは思わず笑ってしまった。


「メアリーって本当に嘘が下手ね。メアリー嘘つく時まゆげが寄っちゃうの、気づいてた?」


途端にメアリーの顔が涙にゆがむ。いつものメアリーの顔だ。


「アイシャ、あなたを傷つけたくないの、お願い逃げて。シド私を殺して」


メアリーの哀願にシドは答える事ができなかった。シドにとってもメアリーは大切な仲間なのだ。アイシャはメアリーに笑いかける。


「メアリー、必ず助けるわ。目をつぶって」


メアリーはアイシャの言葉にしたがって目を閉じる。閉じた瞳からは涙がこぼれた。アイシャはシドに合図する、シドはシュラの作った空気の弾丸を踏んでメアリーの首すじに食らいつき、メアリーの皮膚にめり込んだ首飾りをかじり取る。メアリーは浮力を失い、重力に従い落下する。ドロシーはすかさずスフィア球体ウィンドウでメアリーを包み込み、おだやかに地面に降ろす。


アイシャはメアリーの傷の具合をつぶさに確認し、治癒魔法ヒーリングを開始する。シドは上手にメアリーの皮膚から首飾りをかじりとってくれたらしく、気道と食道は傷ついておらず、鎖骨と胸骨体が砕けていた。


アイシャはまず傷口を素早くふさぎ、その後砕けた骨が飛び散らないように修復していった。そこでアイシャはおかしな事に気づいた。メアリーは十五歳の女の子だ。心臓は魚のように元気よく脈打っているはずなのに、メアリーの心臓はまるで老婆のように弱くはかなげなのだ。


アイシャが町にいた頃、九十歳の老婆がベッドから落ちて大腿骨を骨折してしまい、治療に呼ばれた事があった。アイシャは老婆の大腿部に触れ、治癒魔法ヒーリングを開始する。時間がかかったが老婆の骨折を治す事に成功した。その時アイシャは老婆の身体に触れて感じたのだ。老婆を形作る細胞の一つ一つが死に近づいている事を。その後まもなく老婆は老衰で死んだ。


メアリーに触れた時、アイシャはその老婆を思い出したのだ。メアリーはまるで百歳の老婆のような身体になっていた。優秀な治癒魔法者ヒーラーであるアイシャは理解してしまったのだ。このままではメアリーは死んでしまう事に。つい数時間前までメアリーは元気だったのだ、何故こんな事になってしまったのだろうか。


そこでアイシャは、シドがメアリーからかじり取った首飾りに思いいたった。あの魔法具の首飾りはメアリーを操るだけではなく、メアリーの命をもおびやかしてしまったのではないのだろうか。アイシャは治癒魔法ヒーリングをメアリーの身体全体に広げた。メアリーの身体全体の細胞の活性化を図った。


だが結果ははかばかしくなかった。アイシャはふとメアリーから顔を上げた、アイシャと横たわったメアリーのまわりには人々が集まっていた。マリアンナは目を真っ赤にして、鼻水を垂らしてすごい顔だ。そして今にもくずおれそうなマリアンナを支えているイアンは何故かずぶ濡れだった。エドモンド王は天馬ペガサスによりかかりながら立っている。


皆心配そうにアイシャたちを見ている。彼らは待っているのだ、アイシャがメアリーはもう大丈夫だ、と言うのを。アイシャは頭が真っ白にになりそうだった。このままではメアリーが死んでしまう、それなのにどうしたらいいのか、まるで思い浮かばなかった。


アイシャはメアリーと初めて会った時の事を思い出した。アイシャはメアリーと同室になった最初の夜、自分があてがわれたベットに入っても眠る事が出来なかった。アイシャはいつも小さな弟や妹と一緒に寝ていたので、一人で冷たいベッドで寝る事は今夜が初めてだったのだ。


住み慣れた家を離れ、家族と別れ、アイシャはさびしくてさびしくていつしか泣き出していた。となりのベッドではメアリーが寝ている。うるさくしてはいけないと、おえつがもれないようにアイシャは口をふさぎながら泣いていた。すると突然アイシャが頭までかぶっていた毛布がはぎとられた。


そこにはけわしい顔のメアリーが立っていた。怒られる。アイシャは瞬時に思った。だがメアリーは何も言わず、ズイズイとアイシャのベッドに入ってきて、アイシャを押すのだ。どうやら自分をアイシャのベッドに入れろというらしい。


アイシャはベッドのはじに寄って、メアリーの場所を作った。メアリーはアイシャのとなりに横になると、アイシャをギュッと抱きしめて、頭を撫でてくれた。メアリーの優しさにアイシャはさらに泣き出してしまった。


メアリーは自分の肩口にアイシャの顔をうずめて、背中をポンポンとたたいてくれた。それはアイシャが泣き疲れて眠るまで続いた。次の日アイシャは真っ赤に腫れた目でメアリーに謝った。するとメアリーはぶっきらぼうに答えた。


「何のこと?」

「メアリーのネグリジェに鼻水つけた事」

「・・・、それは今後気をつけなさい」

「うん!」


メアリーはそれからアイシャが夜に泣くたびにベッドに入ってアイシャを抱きしめくれたのだ。メアリーはいつもアイシャの側にいてくれた。勉強を教えてくれて、世話を焼いてくれた。教会では一番年上だったアイシャは誰かに世話を焼いてもらったのは初めてだった。アイシャにとってメアリーは姉のような存在になった。


アイシャが孤児だという事で、クラスの生徒たちからイジメを受けた時、アイシャはあまりの悪意の言葉を投げつけられて、足が震えてその場にくずおれてしまいそうになった。そんな時メアリーがアイシャの手をギュッと力強く握ってくれたのだ。


メアリーは何時だってアイシャの味方でいてくれた。メアリーにきっと助けると約束したのに。やっとメアリーに恩返しができると思ったのに。アイシャは自身の血の気が引いていくのが分かった。息が荒くなり、叫び声を上げてしまいそうだった。


となりには黒猫のドロシーが心配そうにメアリーを見ている。アイシャはふと思った、ドロシーの守護霊獣のシロちゃんならメアリーを救ってくれるのではないだろうか。傷つき今にも死にそうなマリアンナを救ってくれたシロちゃんならば。


だが契約霊獣でもないシロちゃんを呼び出す事はできない。シロちゃんが下界に降りてくるのは、養い子のドロシーが危険に陥った時だけだ。だからといって健気にアイシャを守ってくれているドロシーを傷つける事なんて絶対にできない。アイシャはどうしたらいいのかわからなくなった。目からは今まで必死に耐えていた涙が流れる。助けて。アイシャは無意識に口に出していた。


「助けてシロちゃん」


アイシャは泣きながらシロちゃんを呼ぶ。無駄な事だとわかっているのに。すると突然柔らかな声がした。


「やっと呼びおったわい。このまま呼ばれないのではないかとヒヤヒヤしたぞ、アイシャ」


アイシャの側には美しい白虎の霊獣がいた。


「シロちゃああん!メアリーが!メアリーがおばあちゃんに」

「ほれほれ泣くでない。まずは娘の怪我の具合を見るぞ」


シロちゃんはそう言って、横になっているメアリーのおでこを鼻でちょんっとつついた。


「うむ、傷は完璧にふさがっているの。この娘の魔力と生命力がすべてしぼり取られているの、人間の作る魔法具とは何と愚かでおぞましい事よ。どれ、わしの光魔法でこの娘の魔力と生命力を巻き戻してやろう」


シロちゃんは霊獣光魔法を発動したらしく、メアリーがまぶしい光に包まれた。すると紙のように白かったメアリーのほほがりんごのように赤くなった。アイシャはおそるおそるシロちゃんにたずねる。


「シロちゃん、メアリー助かる?」

「誰にものを言っておるのじゃ、わしが魔法を使うのじゃ、いずれこの娘は目を覚ますじゃろう」


「シロちゃん殿!ありがとうございます!」


固唾を飲んで見守っていたマリアンナは、ころげるようにメアリーの元までくると、メアリーを抱き上げ、強く抱きしめた。アイシャは喜んでシロちゃんの首に抱きつく。シロちゃんはゴロゴロと喉を鳴らす。そしておごそかに言葉を続ける。


「よいかアイシャ、マリアンナよ。わしは世のことわりを曲げる事は好まぬ。だがわしは、この娘の強靭な精神力と、他を傷つけたくないと思う優しさに感服したからこの娘を助けたのだぞ。お主たち人間は、人を操るおぞましい魔法具を作らせないようにらしていくべきじゃぞ。・・・、マリアンナお主ちっとも聞いてないのぉ」


マリアンナはシロちゃんの言葉にうんうんと返事していたが、涙と鼻水だらけの顔をメアリーのほほにおしつけほおずりしていた。それを見てアイシャは、あれはちょっと嫌だなと思った。


「わかったよシロちゃん、もうメアリーみたいに、無理矢理人を操る魔法具は作らせないようにする」


シロちゃんはおだやかにうなずいた。シロちゃんの足元には、黒猫のドロシーがしきりに頭をこすりつけている。シロちゃんは慈愛に満ちた目でドロシーに声をかける。


「おお、小黒シャオヘイまた魔法が上手になったの」


黒猫のドロシーはニャッと白虎の守護者に話しかける。


「何じゃ小黒シャオヘイ、わしがアイシャに頼られたかっただと?うん、まぁそぉかの、頼られれば悪い気はせんのぉ」


シロちゃんは恥ずかしそうに口ごもる。アイシャは笑ってもう一度シロちゃんのふわふわの首筋に顔をうずめてから、心からありがとうと言った。シロちゃんは、それじゃの。と一言いうとパッと姿を消してしまった。アイシャはメアリーをマリアンナとドロシーに任せ、エドモンド王の側に走った。


「おおアイシャ、娘は助かったのだな」


エドモンド王は疲労をにじませた顔で、アイシャに笑いかけた。アイシャはエドモンド王の足元にしゃがみこむと、床に頭をすりつけて話し出した。


「親愛なるシンドリア国王陛下、わたくしのような孤児にもお心使いくださり、感謝します。慈悲深い国王陛下、この度わたくしの友が行った事は許されない悪事です、ですがどうかみずからの意思に背き操られたわたくしの友にどうか寛大な御処置をお願いいたします」


アイシャは頭を床にすりつけてながら必死に訴えた。エドモンド王はアイシャの態度に驚いてひざまずくと、アイシャを抱き起こした。顔を上げたアイシャはボロボロと泣いていた。操られていたとはいえ、メアリーはシンドリア国王に怪我をさせたのだ。死罪は免れないという事は子供のアイシャでもわかっていた。エドモンド王はパジャマのそででアイシャの涙を拭いてやると、アイシャが驚かないようにゆっくりと優しい声で語りかけた。


「アイシャ、そなたは余の事も、余の大事な者たちも救ってくれた。余の命の恩人じゃ。そしてあの娘も、操られていたのに余と余の部下たちの命も必死に奪わないように戦ってくれたのだ。あの娘も余の命の恩人なのだ。だがはた目から見れば、娘が余に危害を及ぼした事は事実だ。のぉアイシャ、アイシャの望むようにはいかないかもしれないが、この件は余に任せてくれぬか?」


アイシャは泣きながらうなずいた。エドモンド王はアイシャの頭を優しく撫でてくれた。



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