アイシャ参戦

就寝中のマリアンナは耳元で騒ぐやかましいキーキー声で目を覚ました。マリアンナは耳元のうるさい何かを掴んで、窓からもれる月明かりに照らした。すると手の中に小憎らしい小さなウィンディーネがいた。小さなウィンディーネはあろう事かマリアンナの手に噛みついた。マリアンナは突然の痛みにウィンディーネを壁に投げつけた。ウィンディーネは怨みがましい目線をマリアンナに向け話し出した。だがその声は先ほどのキーキー声ではなく、憎らしく思う元恋人イアンの声だった。


「マリアンナ、エドモンド王が襲撃されてお怪我をされた。アイシャを連れてすぐに城に来てくれ」


それだけ言うとウィンディーネは再びキーキーとわめきだした。だがマリアンナはうるさいウィンディーネにはもう取り合わず、寝巻きから私服に着替え、召喚士養成学校の校長の部屋に急いだ。アイシャと共に城に行く許可を得るためだ。校長はおだやかな老人だ。もう夜もふけていたが、就寝してはおらず、書物に目を通していた。校長はエドモンド王の危機に、マリアンナにすぐさま城に行く事を許可したが、幼いアイシャを危険な場所に同行させる事には渋った。他に治癒魔法ヒーリングの得意な召喚士の教師を同行させてはどうかと提案されたが、マリアンナは考えを曲げなかった。


アイシャは幼いながら、死ぬほどの怪我を負ったマリアンナの治療を行ったのだ。マリアンナが今まで見てきたどの治癒魔法者ヒーラーよりもアイシャの方が優秀だ。その時、校長の部屋のドアをノックする音が聞こえた。校長が入るように声をかけると、マリアンナがこの後呼びに行こうとしていたアイシャだった。アイシャはパジャマの上にカーディガンをはおっている。何故かアイシャの側には狼になったミナとドロシーもいた。マリアンナはアイシャに、どうして夜中にベッドを抜け出したのか、わけをたずねた。


「メアリーが帰ってこないの」


アイシャは不安げに答えた。詳しく話を聞くと、メアリーはいつになくイライラしていてケンカをしてしまい、部屋を出て行ってしまったというのだ。メアリーが帰ってきたら謝ろうとアイシャたちは寝ないで待っていたのだが、いつまで経ってもメアリーは戻ってこなかった。


そこでミナに狼になってもらい、メアリーの匂いを嗅いでもらった。だがおかしな事にメアリーの匂いは、学校に隣接された教会の中でこつぜんと消えてしまったのだ。まるでその場からメアリーが飛んでいなくなってしまったようなのだ。困ったアイシャはシドたちも起こしてメアリーを探してもらったが、やはりシドたちも教会でメアリーの匂いがわからなくなってしまった。


そのためマリアンナに指示をあおごうと、またミナにマリアンナの匂いを嗅いで探してもらったというのだ。これにはマリアンナも校長も驚いた。生徒が夜中に行方不明になったのだ、マリアンナはすぐさま他の教師を起こし、メアリーを探すように頼んだ。校長は仕方なくマリアンナの同行者にアイシャを連れていく事を許可した。


アイシャは学校に残ってメアリーを一緒に探したそうだったが、城で怪我人が出たと聞いてマリアンナと共に城に行く事にうなずいた。マリアンナはアイシャの他に狼になったシドたち四人も連れて行く事にした。勿論ドロシーもアイシャにくっついて行く。小さなウィンディーネは待ちくたびれたようにマリアンナのまわりを飛び回っていた。





天馬ペガサスの治療に専念していたイアンは、小さなウィンディーネが戻って来た事に気づくと一旦治療の手を止めて、まわりの仲間全員をおおう水防御魔法ウォータードームを発動させた。元恋人のマリアンナの行動パターンの予測ができていたからだ。次の瞬間、外側の廊下の壁に大穴が空いた。大破した壁のがれきが水防御魔法ウォータードームにぶち当たる。大穴からはマリアンナの召喚霊獣のスノードラゴンがニュッと顔を出した。その後からマリアンナがアイシャを抱えて飛び込んで来た。


「王よ、ご無事ですか?!」


マリアンナは大声で言った。イアンは、今君が入って来た事でエドモンド王がお怪我する所だったんだぞ。と、喉元まで出かかったが、ケンカになりそうなので黙っていた。マリアンナはエドモンド王の無事を確認すると、一旦契約霊獣のスノードラゴンを帰らせ、刺客に対して防御魔法をしているザックとファイヤーライオンの側に行ってしまった。アイシャがイアンの側にやってくる。何故か黒猫と二頭の狼もアイシャの側にピタリとくっついている。


「イアン、怪我した人たちは?」


イアンは天馬ペガサスの怪我が一番ひどい事と、兵士も深傷を負っている事を説明した。アイシャは天馬ペガサスの状況をつぶさに確認する。イアンは当初アイシャの事を、ずいぶんぼんやりとした少女だなと感じていたが、怪我人を前にしたアイシャはきぜんとしていて立派な治癒魔法者ヒーラーの目をしていた。


「さすがイアンとウィンディーネね、傷口に水の膜をはってかさぶたを作っているのね」

「ああ、僕とウィンディーネの治癒魔法ヒーリングはあまり早く治す事ができないからね」

「そんな事ないわ。この水の膜があれば感染症も防げるし、たくさんの怪我人の応急処置ができるわ」


イアンはアイシャの合図と共に天馬ペガサスに施していた水の膜を取りさる。すかさずアイシャが天馬ペガサスの大きな火傷の傷の上に手をかざす。アイシャの手がまばゆく光り出す。イアンはアイシャの治癒魔法ヒーリングの正確さと速さに舌を巻いた。イアンとウィンディーネが長時間かけて少しずつふさいでいた傷口が瞬時に治癒してしまったのだ。


エドモンド王は急に現れたアイシャのする事をハラハラしながら見守っていた。天馬ペガサスは傷の痛みが無くなった事に驚いたように横たえていた大きな身体を起こした。そして助けてくれたアイシャに気づくとブルルと鼻を鳴らして感謝をのべた。アイシャは嬉しそうに天馬ペガサスの頬を撫でた。


エドモンド王は自身の契約霊獣の怪我が一瞬で完治した事に驚き、そして天馬ペガサスの首に抱きついて喜んでいた。天馬ペガサスも嬉しそうに鼻を鳴らしている。そんなエドモンド王の背中をアイシャがトントンと叩く。エドモンド王が気づいてアイシャに向き直る。アイシャはエドモンド王に声をかける。


「次はおじさんの番だよ、怪我を見せて?」

「余はいい、頼むケインを助けてくれ!」

「ケイン?あの倒れていた人の事?もう治したよ」


エドモンド王がケインに視線をうつすと、ケインの傷口はすでにふさがっていた。アイシャはエドモンド王の右肩に手をそえて治癒魔法ヒーリングをほどこした。エドモンド王の怪我は瞬時に治ってしまった。エドモンド王はアイシャに礼を言った。


「ありがとう。娘、そなたの名は何と言うのだ?」

「おじさんは?何て名前なの?人に名前を聞くときにはまずは自分から名乗らなきゃいけないのよ」


イアンはアイシャのシンドリア国王に対する不敬な態度に叫び声をあげそうになった。イアンの焦った視線に気づいたエドモンド王は柔らかく笑ってからアイシャに視線をうつした。


「それはすまなかった。おじさんはエドモンドだ。そなたの名を教えてくれるか?」

「あたしはアイシャです。エドモンドさんは優しいのね、自分よりも先に人の治療をしてほしいだなんて」

「ああ、アイシャありがとう。シルフィとケインは余にとって大切な者たちなのだ」


アイシャはエドモンド王の言葉に嬉しそうにうなずいた。イアンはアイシャに先ほどから気になっていた事を質問した。


「アイシャ、君たちは外から城に入って来ただろう?城のまわりに警備の兵士がいなかったかい?この大騒ぎにもかかわらず兵士が一人もここにやってこないんだ」


イアンの言葉にエドモンド王の顔もこわばる。エドモンド王が刺客に襲われたのに城の警備の兵士が来ないのはおかしい。アイシャはキョトンとした顔をしてから答えた。


「城内に沢山兵士の人たちが怪我して倒れてたよ?でも心配ないよ、あたしが皆治療したから。兵士のひとたちは皆、王さまを助けに行きたいって言っていたけど、マリアンナ先生が危ないからここで待っててっていって外にいるよ」

「アイシャ、その、死んでしまった兵士はいなかったか?」


聞きづらそうにエドモンド王が質問すると、アイシャはゆるく首をふって否定した。


「大丈夫。兵士の人たち皆大怪我だったけど急所は外れていたの」


エドモンド王はホッと息を吐いて安心したようだった。イアンはやはりなと思った。あの刺客の少女は誰も殺したくないようだ。だが人を傷つける事も止められようだ。彼女は何らかの魔法で操られているのかもしれない。エドモンド王は言いにくそうにアイシャに切り出した。


「のうアイシャ、この廊下の奥に一つの防御魔法シールドがあるのだが、その防御魔法シールドの中にも怪我人がいるのだ。助けてやってくれぬか?」


イアンはザックとファイヤーライオンの炎壁防御魔法ファイヤーシールドの先の廊下にある小さな防御魔法シールドに目を向ける。エドモンド王直属の三人の魔法使いが騒ぎに気づいて駆けつけたのだ。だが刺客の少女の攻撃魔法に魔法使いの一人が怪我を負ってしまった。一人の魔法使いが防御魔法シールドをはって耐えているが、刺客の少女の止むことのない攻撃魔法に、魔力がつきるのも時間の問題だろう。


精霊や霊獣と契約して魔法を使う召喚士は、精霊たちが膨大な魔力を持つので魔力切れの心配は無いが、人間はそうはいかない。早く助けに行かなければ三人の魔法使いが危険だ。だがエドモンド王の命令で刺客の少女は傷つけられない。そしてイアンはエドモンド王の警護がある。アイシャに行ってもらえば怪我した魔法使いは助かるはずだ。


アイシャは怪我人がいるのであれば助けに行きたいと言ってくれた。エドモンド王はアイシャに深く頭を下げていた。きっとアイシャはエドモンド王を人のいいおじさんだと思っているだろう、これはまずいと思い、イアンはアイシャにエドモンドがシンドリア国王である事を明かした。


「アイシャ、エドモンドさんはただのおじさんじゃないんだよ?このシンドリア国の王さまなんだ」


アイシャは大きな瞳をさらに大きくして驚いたようだった。


「エドモンドさんがこの国の王さまでいてくれて、あたし嬉しいわ」


エドモンド王に対する態度はちっとも変わらないアイシャにイアンはため息をつきながらエドモンド王を見た。エドモンド王は一瞬驚いた顔をして、そして泣き出しそうな笑顔で言った。


「アイシャ、余はそなたにそう言ってもらえてとても嬉しい」

「うん、あの防御魔法シールドの中にいる人たちも王さまの大切な人たちなのね」

「ああ、アイシャ、危険だが行ってくれるか?」

「平気よドロシーがいてくれるから」


アイシャの側にいる二頭の狼が心配そうにアイシャを見上げている。アイシャは二頭の頭を優しく撫でながら言った。


「リク、ミナあたしはドロシーと怪我人の治療に行ってくるわ。二人は王さまを守ってあげて?」


アイシャの言葉に二頭の狼はガウッと返事をする。アイシャは大きくうなずくと、ドロシーと呼んだ黒猫を抱き上げた。イアンは自身の契約精霊の名前を呼んだ。水の精霊ウィンディーネは微笑んでアイシャの頬にキスをした。アイシャとドロシーが水の細かな泡になり、やがてその場から消えた。





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