慢冥市奇譚
青葉台旭
1.
うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと -江戸川乱歩-
* * *
だから一日という言葉がありません。
だから
寒くもなく、暑くもなく、ずっと
だから一年という言葉がありません。
* * *
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……
気づいたら、慢冥市行きの列車に乗っていた。
暗闇から浮かび上がる僕の意識へ一番に入ってきたのは、線路を走る車体の小さな揺れ。その次に、鉄の車輪が継ぎ目を越えるガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンという音。
三番目に知覚したのは、窓に映る自分の顔だ。
そこに自分の顔があった。
記憶に無い、まったく
(これが、僕の顔、なのか)
その顔から想像するに、僕の年齢は二十代半ばくらいだろうか。
僕は……いったい何者なんだ?
「やあ、どうも」
突然の声に、ドキリとして窓から車内へ視線を移した。
古くさい向かい合わせ四人がけ席の窓側に、僕は座っていた。
斜め向かいに、男が一人座っていた。
灰色の背広を着た、ガッシリした体の、首の太い、イガグリ頭の男だった。
イガグリ頭は、再び「やあ、どうも」と僕に挨拶をした。
僕も仕方なしに「どうも」と返す。
列車の中は
黄色い電灯が薄ぼんやりと板張りの壁と床を照らしていた。
「もうすぐ、ですかね?」イガグリ頭が言った。
なんの事だか分からず黙って見返す僕に、イガグリは重ねて言った。
「もう、そろそろ、到着しますか」
反射的に(どこへですか?)と
……慢冥市……
すべての記憶を喪失し、自分の顔さえ知らないこの僕が、
……慢冥市……まんめい市……まんめい市……
どんな場所かは知らない。ただ、
「はあ……たぶん」僕は曖昧に答えた。「いや……でも、どうでしょうか。良く分かりません」
「そうですか」とイガグリが言った。「まあ、しかし、
彼は立ち上がって、網棚からスーツケースを下ろした。
革を張って四隅を金具で補強した、コゲ茶色の鞄だ。
彼はスーツケースの中から茶色の小さな紙袋を出して隣の席に置き、再びケースを網棚に上げた。
それから席に座り、茶袋を手に持って開け、中から丸いパンを出してパクパク食べ始めた。
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