秋・第20話 ゆしかは真心の前で泣く②人生って奴は、思わぬ角度から思わぬ方法で全てをぶち壊してくる
「おめーよ。如月さんちの子だろ?」
「……うん」
知ってたのか、とは思ったが驚きはなかった。近所の多くは顔見知りだし、なにかがあれば噂はインターネットにも劣らないスピードで伝わっていく。
「おめーのことは聞いてる。が、知ったこっちゃねえ。ただ、笑顔の褒美に、アドバイスだ」
「……なに?」
「そろそろ、泣いてる暇があったら強がれ。悲しみから目を逸らせってわけじゃねえ。むしろしっかり受け止めた上で……いいか、これが重要だぜ? しっかり、しっかり受け止めた上で、笑い飛ばすなり、『こんなん平気だ』って叫ぶなり、ひたすら踊るなり走るなりしろ」
「なんで?」
「ガキのお前が泣いてりゃ、そのうち誰かが同情し、助けてくれるだろう。かわいそうに、ってな。だが同情はお前を強くしちゃくれない。結果、いつまでもかわいそうな奴のままだ」
言葉の意味を、半分も理解できなかったと思う。
けど言葉はきっと重要じゃなかった。大切なのはラオシーの試すような目と、真剣な声なのだと、長い間一緒に舞ったゆしかにはなんとなく解っていた。
「わたしは……強くなれるの?」
「疑うんじゃねーよ」
「え?」
「なりてえと思うなら、なれることを疑うな。儂のほうが僅かばかり長く生きてるが、全く暇なんてねーぞ。人生って奴は、思わぬ角度から思わぬ方法で全てをぶち壊してくる。それがいつかは、誰にも解らん。そのとき、波にさらわれちまうか、なんとか首の皮一枚で繋がれるかは、そのときまでにどれだけ強くなれてるかで決まる。足りなきゃ死ぬか、他人に八つ当たりするようになっちまう。それが嫌なら、強く『なるしかねー』んだ」
ゆしかはその目と声にさらされながら、得体の知れない不安な感情に襲われる。
不意にまた涙が出そうになって、堪えながら無理矢理笑顔を作った。
ラオシーは隠れていた目と歯をはっきり剥き出しにしてにやり、とした。正直その顔は化け物のようで気味が悪く怖かったが、怒られるような気がして言わないでおいた。
「なに。運が良けりゃ我武者羅になった先で、これまた唐突に、プレゼントに出会えるさ」
「プレゼント?」
「鍛えてきた強さは、こいつのためだったと思える相手だ。そいつはお前をさらに強くしてくれるだろうし、同時に、これまで鍛えたのはなんだったんだと思うくらい、弱くもしちまう」
「弱くなっちゃうのに、プレゼント? よく解んない」
「あったりめーだろ! てめーみてーなガキに儂の話が理解できてたまるかよ!」
「じゃなんで話したの!?」
「ま、今は、ってことだ。とにかくうるせーからもう泣くんじゃねーぞ。男がよ」
「わたしは女だよ!」
「女でも同じだよ!」
そんな無茶苦茶なラオシーとは、その後も彼が亡くなるまで会い、その動きを真似し続けた。だがこれほど多くの言葉を交わしたのは、この日が最初で最後だ。
気が塞いだとき、ゆしかはこのときの、怖かったラオシーの笑顔を思い出す。
そして「クソ爺」と呟いて、歯を食いしばる。その頻度は、実のところ未だに日常茶飯事と言っていいくらい多いのだ。
▽
秋が終わりそうな十一月の休日、ゆしかはソファ、真心はダイニングテーブルに座って、『名作一気読みの会』と称し、早朝から全四十二巻の漫画を読み耽っていた。
「真心読むの遅い。早く次、次」
始めて一時間ほどで、ゆしかは立ち上がって真心の傍らに立つ。
「待て待て、俺には俺のペースが……って同じ作品を読んでくのはやっぱり失敗だったな」
「ちょっとさ、その巻先にちょうだいよ。真心はちょっと休憩で」
「やだこの子なんて我が儘! 知ってたけども!」
文句を言いながら真心が読みかけの巻を手渡してくる。
そんなこんなでろくに昼食も取らずに、同じ空間で別々に物語の世界に没頭する。
外が暗くなっても読書会は続き、ゆしかは完結まで読み切った。
「終わったぁーっ!」
達成感と開放感を表すように、大きく伸びをする。
「マジで!? 俺まだ三十三巻なんだけど」
「ゆっくり読み過ぎじゃない?」
「馬鹿お前、漫画ってのは物語を追うだけじゃなくて、絵を楽しむものだろ? あとほら、本筋には関係しなくても、作者の遊び心で別の作品のキャラが混じってるのを探したりよ」
「一気読みのときにそんなことしないもーん。さーて、なにお願い聞いてもらおうかな」
「ん? ちょっと待て、いつから早読み勝負になった?」
「わたしが先に読み終わった瞬間だよ」
「理不尽!」
驚愕しながらも、真心は三十三巻を放り出さない。
「ねえ、そろそろご飯食べようよ」
「お前、自分が読み終えたからって……」
「だって、もう夜ご飯っていうか、夜食の時間だよ?」
「……まあ、解ったからあとちょっとだけ待て。この巻だけでも」
仕方ないな、と溜息をついて、ゆしかは立ち上がる。
一度トイレに行き、戻ってきて真心の背後に立つ。一緒にページを目で追うが、「遅いな、早く早く」と囁いて「うるせえあっち行ってろ」と追い払われた。
手持ちぶさたになってリビングを徘徊する。本棚をなんとなく眺めて、ふと引っかかる。
「あれ?」
どこかで見たことがある背表紙だな、と思った。
ガラス戸を開けて下段の端に入っていたそれをつまみ、引き出す。
(…………うそ)
両手に持って、信じられないものを見た、という視線を表紙に注ぐ。
「なんで……?」
「どうした?」真心が顔を上げ、「お、お前それ!」と椅子から立って取り上げる。
「知ってたの? 真心」
「な、なにがだ?」しまった、という顔で真心はそっぽを向く。
「それ……わたしの作ったフォトブックだって」
学園祭のフリマに、一冊限定で置いていた。
ゆしかが撮り溜めた日常のスナップ写真を厳選したものだが、撮影者の情報もなければ、もちろんゆしか自身や、真心の知るひとが写っているわけでもない。そもそも真心は、あの日ゆしかが『写真』ではなく『フォトブック』を売っていたことは知らないはずだった。
「へ、へえー。そうなんだあ。お、お前の写真だったのかあ。知らなかったなあ」
誤魔化したいならもうちょっと自然に言え、と呆れるほどの大根役者ぶりで真心が狼狽する。
(写真だけ見て、解ったのか。もしくは好きだと思った写真が、わたしのだったのか)
どちらにせよ嬉しくて、可笑しくてたまらないのに、何故か上手く笑顔を作れない。
不意に、学園祭で真心が言っていた台詞がフラッシュバックする。
『その写真が好きだって思った場合、撮った人間の世界の見方が好きってことになるんだよな』
あのときは聞き流していたはずなのに、はっきりと覚えている自分に驚いた。
「……ずるいよ」
「あ?」
「ずるいよぅ、真心」
漏らした声は、ゆしか自身驚くほど輪郭を失っていた。
「なっ……お前。なんで泣く!?」
違う意味で狼狽した真心は、フォトブックを差し出して酷く優しい声を出す。
「と、取り上げちまって悪い。ほら、見たかったのか? それともせっかく作ったのに買っちまったのが俺で気に入らなかったか? とにかく悪かったから、泣くなよ」
「そんなわけないじゃんかぁーっ」
立っていられなくなって、ゆしかはその場にしゃがみ込んで目頭を押さえる。耐える暇もなく、嘘みたいに大粒の涙があとからあとから流れてくる。
『これまで鍛えたのはなんだったんだと思うくらい、弱くもしちまう』
唐突にラオシーの声が頭をかすめた。
ゆしかは口角を無理矢理上げ、ぐしゃぐしゃに濡れた頬を乱暴に拭う。
とめどもなく溢れる涙と共に、これまで感じたことがないほどの激しさが心の底から湧き上がるのを感じ、歯が折れそうなほど食いしばった。
(なんでわたしが泣いてるのかは解らない。けど)
そして念じるように思う。
このひとを苦しめるものを、この世から消したい、と。
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