夏・第10話 ゆしかは真心に恋をする⑥わぁかってんのかこぉんにゃろう! 襲うぞ!
「……好き」
「え?」
思わず漏れただけだった。
そして漏れて初めて、そうかと気付いた。
「わたし、あなたが好きだ」
気付いて色々なことが腑に落ちた。
あの男にTHさんをロリコン呼ばわりされてキレたのも、尊敬だけじゃなかったからだ。
暴力の現場を見られて逃げたのも、何時間話したってもっと話したいと思ったのも……全部、全部好きだから。
(いつの間にか……もしかしたら会う前から、わたしはこのひとに恋をしてたんだ)
真っ直ぐ逸らさないゆしかの視線に、THさんは大口を開けている。
驚くのも無理はない。
(だけどきっと、このひとなら……結果がどちらだとしても、しっかり受け止めてくれる)
ゆしかが期待してそのまま見つめていると、
「…………ぇぇええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
予想外の大声で、引きつけを起こしたような驚愕の表情をしてTHさんは後ずさり、後ろ走り気味に壁へぶつかり、へたり込んだ。
「……えぇ?」
なにこの三流のアメリカンコメディみたいな反応?
ゆしかはたった今まで流れていたなんとなくいい雰囲気が、一瞬で霧散するのを感じた。
「す! す、すっ、好きって、えっと、それは、あの、恋愛的なあれで?」
「……そうだけど」
狼狽し過ぎだろ。予想外過ぎて思わずムッとした言い方になる。
「で、でも……」驚愕からなにかに思い至ったような顔に変わる。「そうか……だから君は」
「なに?」
「君が初めて俺の書いたレビューにコメントしたのは、熊沢と柊の物語だったよな」
「……そうだけど」
「そうか。そういうことだったのか……」
「あの、ひとりで納得しないでくれる?」
THさんは膝を立てて座り直すと、折り目正しく姿勢を正し、真っ直ぐゆしかを見返した。
「すまない。俺は君の気持ちに応えられない。俺は『柊と同じ』なんだ。だけど君を尊敬する気持ちは変わらない。身勝手だけど……もし、君が望んでくれるなら、これからも」
(んんん?)
聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、ゆしかは真剣な眼差しのTHさんを手で制する。
「ちょっと待った」
「……うん?」
「あり得ないと思うけど一応質問していい?」
「え……ああ」
「あなたのなにが『柊と同じ』なの?」
「なにって、そりゃ……恋愛対象の、性別が」
「うん解ったじゃあもうひとつ質問。よぉーく、よぉぉぉーく考えてね!」
ゆしかはできる限りで一番冷ややかな声を出す。
「わたしの、性別は?」
「……おと」
言いかけた口のまま、THさんが固まった。顔中汗、みたいな表情で。
どうやら気付いたらしい。
しかしゆしかはもうおさまらない。おもむろに立ち上がって、
「女だばかやろぉおおおおおおおおおおおっ!!」
盛大に渾身のかかと落としを繰り出す。
まともに受けたTHさんは、十倍の重力を受けたかのように額から床に落ちた。
肩で息をしながら、ゆしかは半泣きになって叫ぶ。
「お前なんて、大っ嫌いだぁ!」
▽
ひととおり思い返すと、ゆしかは胸の辺りから不快感がせり上がるのを感じた。
「あ……なんかムカついてきた」
布団にうつぶせになっていた顔を起こし、両手を床についた。
THさんことトゥルーハート(True Heart)→真心は、あの日ずっとゆしかを中学生男子だと思っていた。それが女、しかも大学生だと解った途端、
「すまん! 男だと思ってたから家に誘ったんだ、親御さんに無断だから心苦しかったけど!」
となりふり構わず土下座しながら、必死に弁解した。
「下心があって連れ込んだとかじゃない、天地に誓って! エロいことは欠片も考えてない!」
当然ゆしかにとってその謝罪は逆効果である。この時点で、口調から一切の遠慮を失った。
「てゆーかお前は女と気付かなかったのを詫びろよ。一人称ずっと『わたし』だったろ」
「ちょっと中二病入ってクールぶってるのかと……あ、でも、俺そういう奴嫌いじゃないから」
「だからわたしは中二病でもクールぶってもいない、酒も飲める女・子・大・生、だ!」
結局深夜に至るまでゆしかは真心をなじり、真心は怒られながらしまいには笑っていた。
そしてとてつもなく悔しいことに、それでもゆしかの、真心に対する好意はなくならなかった。女だと解った後も、口では色々言うものの、真心の態度は基本的に変わらなかった。
それはつまり、女として意識されていない可能性が高い、ということでもあるのだが。
開き直ったゆしかは、「もうこれは逆に利用してやるしかない」と決めた。
そしてその日からしょっちゅう真心の家に入り浸ることになる。
「お、お前な。ひとり暮らしの男の家に無防備に来るんじゃねえよ」
当初は真心もそう言って帰らせようとしたのだが、
「エ? ワタシ大人ブッテルコジラセ中二病男子ダヨ?」
とかなんとか言いつつ、真心を黙らせ続けた。慣れというのは恐ろしく、徐々に真心もゆしかが家にいるのが当たり前になってきて、今では勝手に泊まっていくのすら、文句を言いながらも許容している有様である。当然、色気のある話はなにもない。
それでもゆしかは未だ、本気でこの出会いを運命だと信じている。
その理由のひとつが、住所だ。
初めて来たとき、真心が一軒家にひとりで暮らしていること以上に、ゆしかには驚きの事実があった。そこがゆしかの単身住むアパートの、道を挟んだ向かいの三軒隣だったことである。
腹立たしいことを含め、ゆしかにとって真心は、数え切れないほどの「こんなことあるんだ」をくれる相手で居続けている。
酔いにふらつき一階へ下りると、真心はまだリビングでひとり、残った酒をあおっていた。
「おぉい真心ぉ」
「あれ。お前寝たんじゃなかったの?」
「わたしはぁ、女子大生だ!」
「いや……知ってるけど」
ゆしかは真心の正面に腰掛け、テーブルを叩く。
「わぁかってんのかこぉんにゃろう! 襲うぞ!」
「……やめてください」
呆れ声を聞きながら、ゆしかは眠気に瞼が負けてふらつき、テーブルに倒れ込む。うわごとのような声が続いた。
「……なんで」
「あん?」
「なんで、返事くれないの……」半分意識のない状態で漏らす。「キープするような性格じゃないでしょ……なのにさ……振りもしないしさぁ……」
真心は声が出ない。口を開くが、そのまま固まる。
しかしゆしかはそれ以上追求できなかった。真心の耳に、安心しきった寝息が聞こえる。
真心は罪悪感を噛み殺すような苦笑いを浮かべながら、ゆしかの髪をひと束軽く撫でた。
「まったく……とんでもねえのに出会っちまったな」
そして、残りの酒を一気に飲み干す。
「俺も、お前も」
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