第73話 激情と理性 side フィリップス

「………………ス!……フ…………プス!……フ………ップス!……フィリップス!!」


 呼ばれているのが自身の名前だと分かった瞬間、急激に意識が覚醒していく。ガバッと勢いよく起き上がるが、クラリと目の前が歪み、また柔らかなベッドの上に逆戻りする。


「無理をするな、と言いたい所だが。そうは言ってられないんだ、フィリップス。目覚めてすぐに酷な事だとは思うが、何が起きたのか状況を説明してくれ。現状を把握したい」


 レオナード殿下の声は、今にも切れそうに張り詰めた糸を連想させるような、そんな切羽詰まったものだった。現状?一体俺に何が……そう思った所で、切り取られた絵のように、先程の場面が次から次へと脳裏に浮かぶ。


「ツェツィ!!レオナード殿下、ツェツィ、ツェツィは無事なのですか!?」


「現段階では、ツェリは見つかっていない。だからこそ!フィリップス、ツェリが無事かどうかはお前の話にかかっている、頼む、早く説明してくれ……!」


 俺は、混乱している頭を無理やり稼働させると、順を追って、だが簡潔に話し始める。


「王太后陛下の屋敷に案内してくれたというシスターが、王太后陛下の手紙を持って『助けて欲しい』と駆け込んできた。シスターは動揺した様子で、話を聞いても要領を得なかったから、俺達で王太后陛下の元に向かった方が早いと思い、馬車にシスターも同乗させて、王太后陛下の元へ向かった。そこで……」


 そこまで話して、頭にツキンとした痛みが走る。まだ頭は混乱しているらしい、だが!一刻も早く伝えなくてはツェツィの身の安全が!

 俺は拳をキツく握り、手のひらに走る痛みで頭痛を誤魔化した。


「あぁ、そうだ、思い出した。教会へ向かう道すがら、突然シスターが何か瓶のような物を馬車の床に叩きつけた。すると目の前が白い煙で覆われたように見えなくなって、これは罠だと気がついた。慌ててツェツィに外に出るように伝えたのだが、どうやら間に合わなかったらしい」


「なるほど、な。状況は分かった。お前自身も大変だと言うのに、無理を言ってすまなかった。後は任せてゆっくり休め」


 そう言うと、立ち去ろうとするレオナード殿下。殿下のそばに控えていた2人の側近の姿は、既にない。


「お待ちください、レオナード殿下!私の気の緩みが招いたこの事態。どうか挽回させてください!」


「ダメだ」


「なっ!」


「気が付いているかは分からんが、その瓶に入っていたのは【楽園】という名の揮発性の薬物。1回使用吸った程度なら、薬が抜けた後の脱力感くらいしか副作用はないが、繰り返し使う事で快感と万能感が得られる違法薬物だ。フィリップスはそれを吸い込んだ、しばらくは安静にしてろ」


「はい、俺のせいでツェツィを危険に晒してしまい、申し訳ありません」


「いや、考えればツェリの安全に対する負担のしわ寄せが、フィリップス、お前に全ていっていたんだな。私も気が付かずすまなかった。ツェリは、無事だ。だからお前はツェリが帰ってきた時に元気な姿で迎えられるよう、体調を整えておけ」


 レオナード殿下は、ツェツィは無事だと自身に言い聞かせるように、力強く宣言すると、私にそう言い残して退出していった。

 あぁ、ツェツィ。必ず守ると誓ったのに、不甲斐ない養父ですまない。情けなくて涙が出そうだ。


 ふと、俯いた拍子に床に点々と何かが落ちているのが見て取れた。何だ?気になってよく見ると、それは血痕だった。

 一体誰の……?そう思った後、すぐ思い出した。レオナード殿下が拳を白くなるまで握り締めていた姿を。そうか、そうだよな。


 見ているこちらが恥ずかしくなる程、相思相愛であるレオナード殿下とツェツィ。ツェツィが拐われたと知って、レオナード殿下が冷静でいられる訳がないではないか。レオナード殿下は、激しく身の内で暴れ回る気持ちを、その強靭な理性でもって抑え付けていただけに過ぎないのに。

 レオナード殿下が悟られないようにしていたとはいえ、そんな当たり前の事に今まで気が付かず、己のことばかりだった自分が恥ずかしい。


 ツェツィ。レオナード殿下の為にも、どうか無事でいてくれ。余りに無力な俺は、そう祈ることしかできなかった。

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