第67話 さようなら、友よ
イリスが、力強く空を飛ぶ。
レーキをその手の中に隠して、一度屋敷の庭に降り立つ。
そこでは、シーモスと屋敷の使用人たちが待っていた。
「お久しぶりでございますが、ご挨拶は後ほど。まずはこれを」
シーモスが差し出したのは、レーキのための
「もう、使えるのか?」
「もちろんでございます! さあ、装着いたしましょう」
かちりと音がして、魔装具が骨に取り付けた軸にはめ込まれる。それはぴたりと、残った羽に沿い、一体となった。色だけは未塗装の銀色のままで。レーキは羽を広げて違和感が無いかと確かめる。
「痛みはございますか?」
「いや、無い。ありがとう」
「時間がございません。テストは抜きで、ぶっつけ本番で参りましょう。行けますか? イリス様!」
『もちろん!』
まだ、竜の姿のままだったイリスが、身を
『乗って! 二人とも! しっかり掴まってね!』
レーキとシーモスが背中に登ると、イリスは大地を蹴って空に飛び上がった。
次第に遠ざかる屋敷の庭では、使用人たちが口々に「ご無事で良かった!」「お元気で、レーキ様!」「さようならー!!」と手を振って、声を上げている。その中にはシーモスの黒い魔獣もまざっていた。
この一年、彼らにも色々と世話になった。彼らと働く日常は、とても楽しくて。
この『呪われた島』で過ごす日々に、喜びを与えてくれた。
「……ありがとう! みんな!」
レーキは庭が見えなくなるまで、力一杯手を振り返した。
『島』の北方に向かって、イリスは一直線に飛んでいく。
その途上で、シーモスがレーキにこの三週間の間に起こったことをかいつまんで説明した。
レーキが『冷淡公』に連れ去られ、二人は慌てたこと。
レーキと面会するために二人は手を尽くしたが、議会は頑として動かなかったこと。
それで、救出計画を立てたこと。
「……三週間もお待たせいたしましたのは、その時期にこの島がもっとも陸地に近付くから、でございます」
「……? それが、どうしたんだ?」
「レーキ様。魔の王の城から逃れたとあっては、貴方の居場所はこの島の上にはございません」
はっきりとシーモスは言い切った。ではどうすればいいのか。この島に居場所が無いとしたら、俺はどこに行けばいい?
「……」
『レーキ、逃げて。この島から』
静かに空を飛んでいたイリスの言葉が、頭の中に飛び込んでくる。
『僕が、ヒトを捕まえる結界をちょっとだけ壊す。レーキはそこから外に出て』
「壊せる、のか?!」
『……多分。すごく一生懸命やれば、レーキ一人が通れるくらいは一時的に壊せる、と思う』
イリスの言葉は、いつになく自信が無さそうだ。それでも、レーキはイリスの頑張りにかけるしかない。彼を、信じるしかない。
『それでね、外に出たら、レーキは一生懸命飛んで』
「大陸までとは申しませんが、船か島を見つけるまで飛んで下さい。無理でも、なんでも」
「……無茶を言う」
レーキは思わず苦笑を漏らす。
テスト飛行も無く、初めての魔装具を使って、何もない海の上をただ、ひたすらに飛んでいく。
無茶でもなんでもやるしかない。それが、この島から、この危機から逃れる唯一の方法なのだから。
『ホントはね、レーキとお別れするのはつらい。すごくつらいし、もう二度と会えないのは絶対イヤだと思う。……でも、僕はレーキにしあわせでいて欲しい。笑って生きていて欲しい。だから、さよなら、する』
「イリス……」
空を飛ぶイリスは、矢よりもずっと速い。
直ぐに島の北端、人影のない浜辺を通り過ぎ、島と共に空に浮かぶ海の上に到達する。
「さあ、着きましたよ。私が結界を可視化いたします」
シーモスがイリスの背で、両腕を突き出して何かの呪文を唱える。シーモスの周りに、光り輝く文字と図形で出来た陣が浮かび上がった。それと同時に。レーキの眼にも強固な結界が見えるようになった。
それは、淡く輝く青色の壁。少しの隙間もなく敷き詰められて、空を覆い尽くしていた。
結界は、島と共に浮かんでいる海の端にあった。そこから先はすっぱりと海が途切れて、無くなっている。
眼下に、本来の海が広がる。その海はどこまでも広くて果ては見えなかった。
「もうじき、海を
それまでが、この二人と過ごせる最後の時間か。
レーキは覚悟を決めて、唇を噛む。
「……疑問があるんだ。『冷淡公』の能力ならここに直接来れるんじゃないか? それに、俺が逃げたと解ったら君たちはどうなる?」
『ナティエちゃんなら大丈夫。ここは海の上で空中でしょ? ナティエちゃんは足場が無ければ『
「我々なら大丈夫でございます。どんな難局も、切り抜けてご覧に入れましょう。……ふふふ。それに、イリス様にはあらかじめ認識阻害の魔具をお渡ししておきましたし。魔の王の城に訪れた方が、イリス様だと見抜ける者は、今あの城におりませんよ」
加えて、イリスは『冷淡公』に変身していた。それで、どれほど議会を誤魔化せるのかは解らないが、シーモスがついていればイリスは大丈夫だろう。
「竜体のイリス様以上に早く飛ぶことの出来る個体はこの島にはおられませんし、仮にいらっしゃったとしても私が撃ち落とさせていただきます。ご安心を」
最後までシーモスは抜かりない。不敵に笑うシーモスに、レーキは初めて安堵と信頼を覚えた。
『あ、ちょっとまって。レーキ、それ、外すね』
イリスが背中のレーキを振り返って、腕を伸ばす。
『僕の指に触ってね。『汝、
イリスの言葉と同時に。この島にやってきて奴隷屋に捕らわれてから、レーキの首にずっとはめられていた首輪がポロリと外れて落ちた。
『もう、それもいらないからね』
「……ありがとう、イリス」
レーキはそっと、イリスの大きな竜の指を撫でた。どんなに礼を言っても、言い尽くせない。だから。レーキはイリスの大きな手をぎゅと抱擁した。
イリスはくすぐったそうに
「……さあ、時間でございます。イリス様」
『解った! この青いのを壊せばいいんだね?』
「左様でございます! 思いっきりぶちかましてくださいませ!!」
『振り落とされないでね!』
イリスは思いきり、息を吸い込んだ。
喉の下あたりが大きく膨らんで、白い鱗がきらきらと陽の光に輝いている。
イリスはかっと眼を見開いて、大きく息を吐き出す。
──これが、
たっぷり数分。イリスは炎を吐き続け、青かった結界の一部が
『はあっ、はあ! ダメだ! 壊れないよ?!』
「もう一度! もう一度です! イリス様!! 思いっきり『力』をぶつけて下さい!!」
『……思いっきり、ぶつける!!』
イリスは一度結界から距離を置いた。そのまま、拳を振りかぶり、勢いをつけてありったけの力で結界を殴りつけた。
ぶうんっ!
竜の拳が唸りを上げて叩きつけられる。その背の上でレーキたちは、ただしがみついていることしか出来ない。
奔流のように。暴風のように。竜のイリスは結界を殴り続ける。
『……でぁああああぁぁぁぁぁ……!!!!』
最後の一撃。とびきり重いその一撃に、結界は耐えきれず小さな穴が開いた。
その穴に指を突っ込んで、イリスは結界の
『うぐ、ああああぁぁぁぁ……っ!!!!』
『はあっ……はあっ……さあ! 今だよ! レーキ!!』
「……解った!」
イリスが、必死の思いで開けてくれた穴。
そこまで、イリスの大きな手が優しく運んでくれる。
レーキが通り抜けるには、十分な大きさのその穴をくぐって、レーキはとうとう結界の外に出た。
『行って、レーキ! 振り返らないで!』
「……ありがとう! イリス、シーモス! 屋敷のみんなにも、ありがとうと!」
レーキはイリスの手のひらで、力強く羽ばたく。
黒と銀と。ヒトと魔のモノと。その羽はとても奇妙で、でも温かくて。
──大丈夫、どんなにちぐはぐな翼でも、飛べる!
ふっと、身体が浮いた。一年ぶりに兆す、飛行の感覚。レーキはそのまま、イリスの手のひらを蹴って飛び上がった。
『……やった!』
一度ふらりとよろめいて、それでもレーキは飛んで行く。
振り向かないで、とイリスは言った。でも。
レーキは一度だけ振り返る。遠く小さくなって行く友と『呪われた島』。
「……さようなら! 友よ!!」
声を限りに。レーキは叫ぶ。
その声は風に乗って、イリスたちに届いたろうか?
『さようなら……レーキ……』
微かに。脳裏に寂しげなイリスの声が聞こえた気がした。
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