第45話 遺跡の『使い道』

 狩人たちの本隊が、ポーターたちと坑道を引き返していった。

 遺跡に残ったのは、レーキたち三人だけ。

 この場所が人と魔獣との闘いで騒がしかったことがまるで幻で有ったかのように。

 遺跡はしんと静まりかえって、ただその場に残されたトリルの死骸だけが激闘の残滓ざんしを伝えている。

 ネリネは懸命に壁画のスケッチを続け、レーキはその助手を務めた。ネリネのペンが画帳を滑るカリカリと言う音だけが、遺跡の静寂をおかしている。

 ウィルは初めこそネリネの作業を興味深そうに眺めていたが、今はすっかり退屈して、見回りと称してあちらこちらを見学している。

 さいわいなことに、魔獣も森の獣も不届きな人間も現れる気配はない。遺跡は平穏そのものだ。

「……反対側は何も残ってねぇな。小部屋はどれもすっからかんだ」

 見回りから戻ってきたウィルが、壁画を見上げながら告げる。レーキはカンテラの位置を直しながら頷いた。

「ここは一度調査されているらしいからな。めぼしい遺物は回収されているんだろう」

「お嬢ちゃんはそんな遺跡を調査してどうしようってんだ?」

「……俺にも解らない。本人に聞いてみてくれ。もう少しすれば壁画を写し終わるはずだから」

 スケッチに没頭するネリネは、背後で交わされる会話を気に留めてもいないように見えた。

「……この遺跡はね、『使い道』が解ってないの」

 ネリネは振り返りもせずに唐突に言った。

「遺跡にはね、必ず何らかの『使い道』が有るものなの。例えば『魔法』の儀式の為とか、竜王をまつって託宣を受ける為の聖殿とかね」

 画帳に最後の一線ひとせんを引いて、ネリネは深く息をつく。そして、ゆっくりと二人の男たちを振り返った。

「……さ、壁画は全部写したわ。明日はこれを解読して、この遺跡にどんな『使い道』があるのかを探りましょう」

 そう告げたネリネのひとみはカンテラの灯りに照らされて、眼鏡越しに一際きらきらと輝いて見えた。


 焚き火を囲み、代わる代わる見張りをたてて、三人は小部屋の一つで十分に睡眠を取った。

 三人とも時計などは持っていない。すっかり目覚めた時が朝だ。

 朝食は焼いた腸詰めに、ベーコンと日持ちする堅パン、砂糖を入れた紅茶ホンチヤ。ポットのような洒落た物はないので、紅茶は茶葉を直接カップに散らしてれた。

 二人分を三人で分け合って食べる。腹一杯とは言えないが十分に満足感はある。

 朝食を済ませて、ネリネはホールに向かうと画帳を広げた。

「……この図はあの玉座だと思う。形も類似してる。この人物像は竜人……に見えるわ。この、人物像の上に描かれている図形は多分……星。夜空の星ね。この様式では星はこんな形で描かれるの」

 スケッチと玉座を見比べて、ネリネは首を捻る。

「うーん。でも、ここは地下よ? 天井を見上げても星なんて何処にもないわ」

 確かに天井は高く、暗く、星の気配など微塵もない。慎重に飛べばあそこまで行けるだろうか、と、レーキは天井を見上げた。

「……俺が天井まで飛んでみようか? 近くで良く見れば星が見つかるかも知れない」

「お願いできる? どんな些細ささいなものでもいい。手懸てがかりが欲しい」

 藁にもすがるように、ネリネはレーキを見る。レーキは余計な荷物を全て下ろして、久々に羽を打ち振るった。

 大丈夫。ぎこちない部分はどこにもない。ふと墜落の不安が心によぎる。念のため『治癒水』をネリネに預けて、レーキは床を蹴って飛び上がった。

 天井にぶつからないように慎重に羽ばたいて、目を凝らして『星』を探す。

 天井の材質は、他の壁と変わらないようだ。石を組み合わせて築かれ、近付けばほのかに青白く光っている。

 だが、『星』らしき装飾や図形、その外怪しげな凹凸一つ見つけられなかった。

「……駄目だ。何もない。天井は壁や床と同じ材に見える」

 天井から舞い降りて、レーキは静かに首を振った。

「……そっか……それじゃあ、次は玉座を調べましょう。壁画には玉座らしきモチーフが何度も出てくるの。腰掛けてるのは竜人だけじゃない。王冠を被った人間っぽい人物像とかも居るのよ」

 ネリネは全くめげては居ない。天井が駄目なら玉座、玉座が駄目ならホール以外の部屋、調査すべき場所はまだまだ沢山残されている。

 玉座の側には、解体されたトリルの死骸が残されていた。それを迂回して、三人は玉座が据えられた壇上に登った。

 玉座は石造り、大きさは人が一人腰掛けるにはかなり大きい。小柄な女性なら二人は余裕で腰掛けられるほどの座面も、レーキ二人分の背丈よりも少し大きい背凭せもたれも、仄かに青白い石で作られていた。それは壁や天井と同じ材質に見える。

 玉座をひとしきり調べたネリネは、恐る恐るそれに腰掛けた。

 そこから檀の下を眺めても、何も起こらない。遺跡は静まり返ったまま、沈黙に眠ったままだ。

「……駄目ね。ちょっと期待したんだけど。あたしには資格が無いのね」

 落胆した様子のネリネに、ウィルが訊ねる。

「オレも腰掛けてみていいか?」

「いいわよ。多分、性別とか年齢とか関係ないとは思うけどね」

 ネリネが明け渡した玉座に、ウィルがどっかりと腰掛ける。かつてこの座に掛けた者もそうしたのだろうか。ウィルは足を組み、辺りを睥睨へいげいする。

 石造りの肘掛けに腕を載せて、足を組み替えてみたり、肘掛けを叩いてみたり。ウィルがあれやこれやと試してみるものの、玉座も遺跡もなんの反応も返してこない。

「はーっ! やっぱり駄目か……まあ、オレは竜人でも無けりゃ王様でもねぇからなぁ」

 玉座から立ち上がったウィルは、手袋をした手のひらの埃を払った。玉座には、長い間に降り積もった埃が層になっていた。この遺跡に訪れる者が、長らく居なかった証拠だ。

「あんたはどうする? 折角だから座って見るか?」

「……俺か?」

 玉座を指されて、レーキは若干気が引ける。ネリネとウィル、二人が試してだめだったなら自分でも恐らく結果は同じだろう。

「うーん。そうね。亜人種はアナタだけだし、それが資格かもしれないから。一応座ってみてよ」

 ネリネに促され、レーキは渋々玉座に腰掛け、そっと肘掛けに腕を預ける。

「……ほら、やっぱり、なにも……」

 レーキがそう言い掛けた、その、瞬間。

『……オーブを確認。見学者としての認証を開始』

 突然、レーキの頭の中で声がした。

 それは、卒業式の日に竜人、ディヴィナツォーネが自分に語りかけて来た時とそっくり同じ感覚だった。

「レーキ? どうしたの?」

「……待って、くれ! 声がする。頭の中に声が聞こえる!」

 ネリネの問いに、レーキは珍しく慌てて答える。同時に、胸元から紅い光が漏れ出て居ることに気がついた。首から提げていた王珠おうじゆを服の中から取り出すと、五つの王珠は命じても居ないのに、眩いほどの光を放っていた。

「……?! 王珠がひかって、る、の?!」

『……認証。登録者、レーキ・ヴァーミリオン。当館・星間の棺の見学を許可します。閲覧項目は……』

 頭の中の声は、こちらの都合などお構いなしに何かの項目を並べ立ててくる。

「ま、待て! あんたは何者だ?!」

 慌てるレーキに、頭の中の声は一度言葉を切った。

『……項目案内を中断します。私は当館・星間の棺の案内係、ステラ四〇三号と申します。よろしくお願いいたします。レーキ様。命令を入力してください。私が実行します。見学者認証で実行可能な命令をご存知ですか? 一覧を表示しますか?』

 案内係と名乗った頭の中の声は、レーキの命令を待つように沈黙する。

 レーキはネリネたちに頭の中の声が何を言っているのかを手早く説明した。

「と、とにかく、その一覧を見せて貰って!」

「……解った……あ、の、ステラ四〇三号。一覧を見せてくれ」

『命令を実行します』

 頭の中のステラの声と共に。レーキの目の前に光で出来た文字の一覧が現れる。それは宙に浮いていて、ネリネやウィルにも見えているようで、二人の口から驚きの声が上がった。

「なんだぁ?! これは?!」

「……これ、古代語だわ! 共通語より前に各地で使われてた言語よ! ええっと、これは『星』『空』……『夏』『星座』……?」

 ネリネは夢中になって、飛び出してきた光の一覧表をたどっている。考古学者のネリネをもってしても、全ての解読は即座に出来ないようだ。

「……なあ、ステラ四〇三号、俺以外の二人にも君の声が聞こえるように出来ないか?」

 レーキは一計を案じて、ステラに提案した。ステラは考え込むように一度沈黙して、それから「了承しました。音声による案内を開始します」と、答えた。どこからとも無く、ざらついた声が聞こえる。それは低く落ち着いた女声のようであった。

「ありがとう」

「どういたしまして。レーキ様、一覧より命令を選んで下さい」

「……ねえ、レーキ。この『星空』何とかって命令を選んでみて。多分それがこの遺跡の『使い道』なんだわ!」

 興奮を隠せないネリネはレーキの腕を引っ張って、一覧表を指差した。

「解った。ステラ四〇三号、一番目の命令を実行してくれ」

「了承しました。『星空投射』を実行します」

 ステラの声と共に。仄青白く光を帯びていた天井が、急に黒く深く色を無くした。次の瞬間。

 星空が、一面の星空が。双子の月が、レーキたち三人の頭上に輝きだした。

 深遠なる空の彼方で星が瞬く。そこはもう、天井とは思えない。空から降って来そうなほど、沢山の星々が。美しい星々が。夜空に散りばめられて。

 三人はそれぞれに嘆息する。言葉も無い、とはこのことだ。それほどまでにその星空は壮麗だった。

「……ねえ、これ、この星空、多分『今日』の星空だわ。月齢も星座の位置も……今の季節の星空なの!」

「ステラ四〇三号、この星空はいつのモノだ?」

 ネリネはもはや喜びも隠せていない。彼女はくるくると壇上を踊りながら、星空を見上げた。

「現在投射中の星空は、現在、当館から見られるナリア地方の星空です。現在の時刻は……」

「……ナリアは古代の地名よ。この国がヴァローナって呼ばれる前の名前」

 ステラが告げる時刻は、昼前の時間だった。流石に星空が見られる時間ではない。ではこの星空は、本物の星々ではないのか?

 レーキは疑問をステラに告げる。

「当館は星空を観測すると同時に、見学者の皆様に擬似的な星空の投射をお楽しみいただく施設です。本物か偽物かの問いには擬似映像であるとお答えします」

「擬似映像……それは法具で映し出した幻、の様なものか?」

「エラー。法具とは? 定義がありません」

 ステラはそれだけ伝えて沈黙する。ネリネがぱちんと指を鳴らして私見を述べた。

「んー。多分だけど……この遺跡が作られた頃には法具は無かったのよ! 天法が確立されてたかどうかも怪しいわ。……ん? じゃあ何で王珠が反応したのかしら?」

 ステラは王珠を『オーブ』と呼んだ。かつてディヴィナツォーネも、王珠をそう呼んでいた。

 ではこの遺跡は、竜人たちが持っている法術と何か関係があるのかもしれない。レーキはそう考えたが、竜人との約束通り、王珠が竜人由来の道具で有ることを、言葉にはしなかった。

「……とにかく! この遺跡の『使い道』は解ったわ! それだけでも大きな一歩よ!」

 ぐっとネリネは拳を握って宣言する。

「ここは古代の人たちが星空を観測するために作った施設なのよ! ……どう言う仕組みなんだかはさっぱりだけど……」

 勢い良く断言したネリネの語尾が、もごもごと曖昧に濁っていく。

「……ねえ、レーキ。これは天法、では無いのよね」

「ああ。俺の知っている法ではこんなことは出来ない」

 レーキの知っている天法の中には幻を映し出す術も有るには有った。しかしそれはこんなにも大規模なモノではなく、映し出せる幻も真に迫っているとは言い難い、質感を伴わぬモノだった。

 たった今天井に映し出されている星空は、何より美しく、瞬く様さえ本物に見える。

「そうよね……それに、ここは天法が成立する前の遺跡みたいだし……壁画に竜人が居たってことは竜人の使う法具みたいなモノなのかしら?」

「可能性は有るんじゃないか? 竜人は俺たちには理解出来ない不思議な法術を使うと聞くから。……あるいはこれが『魔法』なのかもしれない」

 レーキが懸念を口にすると、ネリネは首を捻った。

「……となると……この遺跡全体が、『魔具』ってことかしらね?……うーん。多分だけど違う気がする。ここが巨大な『魔具』ならもっと魔獣が蔓延ってるような気がするの。トリルとトリュコスだけだったってことは単純に遺跡が森の中に建ってて雨風がしのげる環境だったからなんじゃない?」

「……はあ……オレには法術のことはよく解らんが……この遺跡がすげーってことだけは解る」

 押し黙ったまま、仮初めの星空に見入っていたウィルが、レーキたち二人の会話に合流した。

「……こんな星空、久しぶりに見たぜ。空気が澄み切った人里離れた雪山の上だとこんな星空が見えるんだ。オレは魔獣退治に出かけた山の上でこんな星空を見た」

 感慨にふけるウィルは、まるで星の光を掴み取ろうとするように天井に手を伸ばした。

「街があると何かと灯りが有るから。星が見えにくくなるんでしょうね。……澄んだ空気の雪山か。いつかこの遺跡の星空と雪山の星空を見比べて見たいわ」

 玉座を挟んで、ウィルの反対側に立ったネリネも天井を見上げる。

 レーキもまた美しい星空を見上げ、盗賊の砦の静かな夜のことを思い出した。


 夜半を過ぎた盗賊の砦で、明かりを灯す者は居ない。燃料を節約するために、盗賊たちは日付が変わる前には床についてしまう。

 レーキも例外ではなかったが、小用のために真夜中に起き出した時、一度だけ降るような星空を見たことがある。

 その日は片満月で、砦の歩廊は柔らかな月の光に照らされていた。ひんやりとした秋の大気が心地良い。レーキは直ぐには寝床に戻らず、砦のてっぺんに向かった。

 砦のてっぺんは長い年月の間に僅かに崩れて下地の石が剥き出しになっている。慎重にその上に立って空を見上げた。

 星は天に有って、微かに瞬ききらめいて、レーキを静かに見下ろしている。

 盗賊に養われるようになって、ようやく鳥目が治ってきたレーキは、生まれて初めて星空を美しいと感じた。ここからなら星に手が届きそうだと、幼いレーキは思った。

 砦中で目覚めて、星空を見上げて居るのは自分ただ一人。孤独と同時に、美しいモノを独り占めしている喜びが心に湧き上がる。

 あの時、冴えた星空を眺めたのは自分一人だった。今は傍らに誰かがいる。友が仲間が。

 ──ああ、俺は今、一人では無い。

 そのことが、とても嬉しかった。

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