第18話 学究祭の夜

 二日目の昼過ぎ、結局レーキとクランは少々遅れて『天法院てんほういん』に戻った。

 仲間たちに「遅い!」と叱られつつ持ち場に入り、その後は小さなトラブルこそ合ったものの、どれもうまく切り抜けることができた。

 三日目もクランの軽食店は繁盛し、昼を二刻(二時間ほど)すぎる頃には売り切れ御免で無事終了した。

 経費を差し引いた売り上げは、全員で等分する。分けてしまえば、苦労に見合うほどとは思えないほど些細ささいな額だった。だが、『楽しかった』という事実には代えがたい価値がある。

 最終的に、レーキは念願の二学年生の研究展示を見に行った。

 成績に関係があると言われているお陰か、展示は力作揃いだった。

 特にアガートの展示は、表題こそ地味で基本に忠実であったが、かと思えば新しい視点も多数盛り込まれて、流石としか言いようのないもので。

 自分は、こんなにしっかりとした研究展示が出来るだろうか?

 いつの間にか、来年の今頃のことを考えている自分。

 この日々が、まだ来年も続いていると確信している自分。

 それを発見して、レーキは驚き安堵あんどした。

「来年は、君が苦労する番だからねー」

 アガートがかけてくるゆるいプレッシャーもなんだか嬉しいくらいだ。

「……はい。がんばります」

「うん。がんばれー」

 ひらひらと手を振って、アガートは気の抜けた激励げきれいを送る。それを苦笑まじりに受け取って、レーキは『天法院』を後にした。クランたち幼馴染三人組と合流するためだ。

「……レーキ! 後は『夜の鐘』を残すのみだぜ!」

「おっと、その顔は知らないって顔っスね~!」

「鐘が凄いんだ。『夜の鐘』は」

「グラーヴォ、それじゃ何が何だかわかんねーよ!」

 三人が代わる代わるに説明してくれた所によると、『学究祭』の最後の夜は必ず『初等校』『中等校ちゅうとうこう』『各専門院』……学究の館にある学校という学校が鐘という鐘を打ち鳴らし、『祭』の開催を喜び祝うとともに、終了を知らせる伝統だという。

「天法院はさ。鐘に合わせて火球飛ばすやつとか治癒水降らすやつとか居てとにかく派手なんだよ。普段は地味だからさーその反動?って感じでさ」

「学生は普段から天法院の外で天法使っちゃいけない決まりだからかもっスね~」

「剣統院だって、院外での戦闘は禁止されてるぞ?」

「それは当然っス!」

「怪我人とか出たら危ないだろ!」

 幼馴染たちから同時にツッコまれて、グラーヴォはしゅんと大人しくなる。

「……とりあえず『夜の鐘』までは暇だからさ、商究院の屋台でも行く?」

「また買い食いならオレっちはパスっス~。ちゃんとした物が食いて~っス」

「うーん。音楽院の公演はもう終わってるだろうしなー『芸術院』の展示はすげーけど入場料高いしなー」

「……はい! 自分は武器とか見に行きたい!」

 グラーヴォの提案は、速やかに黙殺もくさつされた。

「……うーん。レーキはどこか行きたいトコないか?」

「俺は屋台でも構わない。早めに夕飯を済ませてしまいたいし」

「なら屋台より街の飯屋とか行ってみないっスか~? 美味いものも食えるし、酒も飲めるっス~」

 十八で成年と認められるこの国では、未成年は飲酒をなるべく行わないほうがよいとされていた。特例が祭など祝いの席で、それでも浴びるように酒を飲んで泥酔することが、社会通念上許されている訳ではない。

「クランは酒は程々にしておいた方がいいと思うっス~」

「なぜだ?」

 レーキが問うと、オウロは渋い顔で声を潜めた。

「……酒癖が悪いんっスよ~。絡むしおまけにすぐ寝るしっス~」

「ああ、なるほど……」

 砦の盗賊たちにも、酒癖の悪い者は何人かいた。中には始末に負えない者も。

 レーキはこの国ではすでに成年に達する年齢で、酒を飲むことも許されていた。

 だが今まで酒をたしなむ機会はなかった。忌避きひしていた訳ではないが、酒というと盗賊たちの泥酔した姿が脳裏のうりにちらついて、ああはなりたくないような気がした。それで、なんとなく先送りにしていたのだ。

「自分は明日もあるから……酒はいらない」

 体が資本の『剣統院生』としては、二日酔いなどもっての外なのだろう。グラーヴォはきっぱりと言った。

「じゃあいつもどおりグラーヴォは飯だけっスね~」

「レーキも飯屋でいいか?」

「ああ。なんだか腹も減ってきた」

 話がまとまって、四人はオウロおすすめの旨い飯屋、『うみ燕亭つばめてい』に駆け込んだ。

「おじちゃん! 麦エール酒三つ! ……とナランハオレンジの果実水一つっス!」

「あいよ! お、オウロじゃねーか。坊主共、よく来たな!」

『海の燕亭』の主人は壮年の男で、看板娘で歳下の嫁と店を切り盛りしているらしかった。

 忙しそうに働く看板娘が、木製のジョッキになみなみと麦エール酒と果実水を注いで持ってくる。

 それを凸凹四人組が手にして掲げた。

「『学究祭』に乾杯!」

「乾杯っス~」

「乾杯!」

「……乾杯」

 クランの掛け声で、四人は手にしたジョッキを傾けて、ごくごくと喉を鳴らした。

 レーキが初めて飲んだ酒は緩やかに発泡していて、後味は苦いがふくよかな麦の香りがした。喉を通っていく時は爽快感があって、香りが鼻に抜けると香ばしい。これは肉料理と合わせたらうまいだろうな。とレーキはそう思う。

 じっと手にしたジョッキを見つめるレーキに気づいたオウロは「どうしたっスか~?」と気遣きづかわしげに聞いてくる。

「ああ、いや……初めて酒を飲んだな、と思って」

「え、あ、そうっスか~レーキも酒はやらないってくちっスか?」

「いや……ただ飲む機会がなかっただけだ。苦いが悪くない。腹が減る味だ」

「おお、いけそうっスね~じゃあ、旨い飯も頼むっス~」

 看板娘に聞いた、今日のおすすめ料理は鶏のぱりぱり揚げ。名物料理、海の魚介のバター焼きと、酒のあてになりそうなものを数品、ヴァローナ風の白いパンもついでに頼んで。

 四人は『夜の鐘』間近までささやかな宴会を続けた。


「おーれーのー酒が飲めないっていうのかよぉぉおお……!」

 二杯目の果実酒を飲み干して早々に酔ってしまったクランが、グラーヴォの背中で寝言めいたクダを巻く。

 それを、レーキもどこかふわりと空に飛び立つ前のような心地で追いかける。

 初めて飲んだ酒は心地よい暖かさを全身にもたらして、ここが街中の雑踏でなければ今にも飛び立って空を飛び回りたいような。そんな開放感がある。

 ──これは、もっと沢山の酒を飲んだら自制心が効かなくなるような気がする。この先も酒は飲みすぎないほうがいいだろう。レーキはそう肝に銘じる。

 四人は祭の喧騒けんそうの中を『天法院』を目指して歩く。もう祭は終盤しゅうばんで、家路につくもの、宿に向かうもの、『夜の鐘』を待ってそぞろ歩くもの、通りを歩く人々はみなそれぞれに満ち足りた顔をして。

「祭も、もう終わりなんだな……」

 レーキの呟きに、一番酒を飲んでいたはずなのに一番正気に見えるオウロが振り返った。

「そうっスね~なんだか寂しいっス~」

 けど。とオウロは言葉を継いで。

「この時間が祭で一番好きかもっス~みんな楽しそうで、みんなしあわせそうで。ああ、今年も元気でこの時間を迎えられたな~ってそう思うっス~」

「……そうだな。俺も、『こんな時間がずっと続けばいいのに』と思う」

 それは偽りのないレーキの本心だった。誰も苦しむ者のない素晴らしい瞬間。

 えと暴力でなく、略奪りゃくだつ嘲笑ちょうしょうでなく、ただ平和で穏やかな時間だけが満ちる日々。レーキにとってその象徴が『祭』であった。

「まあ毎日が祭だとそれはそれで大変そうっスけどね~」

「そうだな」

 のんびりと後ろ向きに歩を進めていたオウロがおどけて笑う。レーキも微笑み返した。


 四人が揃って『天法院』にたどり着いて間もなく。遠く、街のどこかで。鐘が聞こえだした。あれは時を告げる鐘。今日に限っては『夜の鐘』の先触れだった。

「……さあ~そろそろ始まるっスよ~」

 オウロは耳を手でおおう。グラーヴォはクランをそのあたりに放置してやはり耳を手で隠した。レーキも慌ててそれにならう。

 ごぉおおおおんっ。『天法院』の鐘が鳴り出した。聞き慣れた鐘が今日はやけに重々しく腹に響く。

 同時に、どこからともなく。鐘の音は近く遠く。『学究の館』中の大小たくさんの鐘が響きだす。

 鐘は軽やかなものも重く響くものも、すべてがちょうど二十五たび打ち鳴らされる。

 その音は大音量と言う言葉だけでは言い表せない凄まじさで、耳を震わし内蔵を波打たせ、まともに聞いていると耳がおかしくなりそうだ。音の威力は強力だった。

「……うあっ?!」

 その音で道に放り出され、半分眠っていたクランが奇声を上げて飛び起きた。そのまま反射的に耳をふさいでいる。

 鐘の音とともに。『天法院』のどこかから火球が上がった。続いて光球、また火球。

 夜空を彩る綺羅星きらぼしのように、打ち上げられた火球と光球は尾を引いて流れ、咲いて散り、辺りを明るく照らし出した。そのさまは無秩序であったが、たしかに美しく。見物に集まった人々が感嘆のため息を漏らすのに、十分な迫力を持っていた。

 もう鐘が鳴り終わってしまう。『天法院』の周囲に集まっていた人々から口々に歓声が上がった。誰からともなく、拍手をし始める者が現れて。その辺りは、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。

 かくして。『学究祭』はつつがなく全日程を終了した。

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