田川守の、とある1日。
満月mitsuki
第1話 朝は喧嘩から始まる
「お前、田川守だろ?」
振り返ると、やたら細身な男が立っていた。
鋭い目で、忌々しそうに俺を見つめてくる。
「おいおい朝から辞めてくれよ。こちとら二日酔いなんだからぁ」
俺はコンビニで買ったガリガリ君をかじり続けた。
朝の光は容赦なく、眼球から寝ぼけた脳ミソへと突き刺してくる。お陰で、俺の頭はガンガンしていた。ガリガリ君以外、何も喉を通らない。
コンクリートの冷たい階段に腰を下ろし、何にも考えずに、ただ目の前に広がる海を眺めていたい。
俺と海の平穏な時間。
そっとしておいてくれよ・・・・・・。
細身の輩は、薄ら笑った。
「なるほど、通りでひでぇ顔してるワケだ。おいハゲ、昨日は派手に暴れてくれたらしいじゃねぇか」
「あん?」
俺の手からガリガリ君が滑り落ちた。だけど、もうそんな事はどうでも良くなっていた。
「ハゲじゃねえ。スキンヘッドじゃボケ」
俺はスキンヘッドをハゲ呼ばわりされると、つい声を荒らげてしまう癖があった。
190センチある俺が立ち上がると、大抵の人間は見下せた。
細身の輩は、スカした顔をしながらも2.3歩退いた。
「ど、どっちだって知らねえよ。昨日の落とし前つけてもらおうじゃねえか」
昨日? あーコイツ、あいつらの仲間か。
昨日の帰り道、俺はふらふら歩いてると、耀帝高校の連中がカツアゲしているのを見かけた。
よく見ると、カツアゲされてる奴はうちの高校の制服を着ていた。
学ランの第1ボタンまできちんと閉め、小柄で犬っころみたいな顔した、いかにも気弱そうな奴だった。名前は知らない。
俺はそいつが可哀想になり、カツアゲの輪の中に飛び込んだ。
もちろん、連中の攻撃対象は俺へと移る。
気弱そうなそいつは、チワワのように潤んだ瞳で俺を見つめてきた。
いや、可愛い女の子じゃなければ、そんなのちっとも嬉しくないんだけどね? でもこーなったら、ちゃっちゃと片付けてしまうしかないワケで。
先に言っておくが、俺は痛いのが大嫌いだ。
殴り合いは、極力回避したい。
そこで俺は、襲いかかって来た奴の首根っこを掴んで、次々と橋から川に投げ落とす事にした。
どんなにいきり立った奴でも、脚が地面に付かなくなると睨む事しか出来ず、まるでUFOキャッチャーに掴まれたぬいぐるみのようになる。
1人残らず橋の上から消えると、助けてやった犬ころは、肩を震わせながら俺に尋ねた。
「あ、あの、田川君ですよね?」
「おう」
「ひ、ひぃぃぃー」
夜中に幽霊でも見たかのような形相で、走って逃げていった。
ポツンと、俺は一人取り残された。
あれ? 俺、今助けてやったはずだよね??
そんなこんなが今朝まで尾を引くとは、なんともやるせなかった。
「ほら、人通りも増えてくるし辞めようぜ? 周りの迷惑になるのは避けたいし」
俺は細身の輩をなだめるように、穏やかに微笑んでみせた。
細身の輩は、しゃくれた顎を更にしゃくらせながら言った。
「んだよ、ビビってんのかよ?」
「だからそーゆう事じゃねくてな」
突如、後頭部から強い衝撃が走った。
一瞬酸素が吸えなくなった。
頭に衝撃の余韻がグアングアン響いて、激しい痛みと目眩に襲われた。
細身の輩のニヤついた顔が、ぐにゃりと目の前で回っていく。
どうやら俺の背後に、輩の仲間がいたらしい。
ぼんやりしていたから気付けなかった。
俺は声も出せずに、膝から崩れ落ちた。
「田川守、案外弱えーな」
ぼやけた視界の中で、鉄パイプを手にした男が見えた。
笑い声と共に、2人の男の後ろ姿が遠のいていく。
「おい、兄ちゃんそれでいいのか?」
その声でふと我に返った。
「え?」
視界はもうハッキリしていた。
脚にも力が入り、俺はなんとか立ち上がる事が出来た。
階段の上から、杖をついた白髪の爺さんが俺を見ていた。
身なりもよく、いかにも朝の散歩中って感じだった。
爺さんは、顎で俺のケツを指した。
「財布」
ポケットに手を当てると、入れていたはずの財布が消えていた。
「んぁぁぁぁ!!」
俺は思わず絶叫していた。
フツフツと怒りが込み上げてくる。
「兄ちゃん、やられっぱなしでいいのか?! プライドも財布もそのままでいいのか?!」
「良くねぇ、いいワケがねぇ!!」
このままじゃ、親父にまた叱られんぞ。
俺は自分を奮い立たせた。
「サンキュー、爺さん!」
爺さんは目を細め、ニッコリと笑った。
そして駅の方角を指さした。
俺は急いで輩達を追いかけた。
あいつら、電車に乗って逃げるつもりだろうか。
「待て、ゴラァァァァ!!!」
俺はこのデカい図体を最大限駆使して、全速力で走った。
「はーよー」
「おーい守、なに爆走してんだあ?」
信号の向こう側から、気だるそうな声が響いた。
ブワッと、俺の心に喜びが流れ込んできた。
「もっちゃん!アーサー!」
もっちゃんはファミチキを頬張り、アーサーは煙草をふかせていた。
もっちゃんは、日サロで焼いた肌を黒光りにさせて、金髪をドレッドにしている。
アーサーはすらっと背が高くて、赤髪をモヒカンにしていた。
「あいつらを追いかけろ!! 頼む」
俺は駅に向かう2人の後ろ姿を指さした。
アーサーは煙草を指の間から落とすと、すぐさま駆けていった。
もっちゃんは手にしたファミチキを全て口に突っ込むと、モグモグしながら俺の頭を指さした。
「あへ? お前頭から血垂れてンぞ」
触れてみると、頭のてっぺんの後ろ側がヒリヒリして、指先にぬるい赤い汁がついた。
「あーららー、生きてる証」
俺は笑った。
痛みはもう、どこかに吹っ飛んでいた。
アーサーは、俺達より早く駅の改札を抜けた。
俺ともっちゃんも、その後を追った。
ホームまでの階段を登った所に、奴等はいた。
ホームは通勤ラッシュで混み合っていた。輩達の速度が一気に落ちる。
アーサーは身に纏うちょっとヤバそうな奴の空気感のせいか、通行人達はすーっと離れていき、あっさり奴等に追いついた。
鉄パイプで俺を殴った男の肩を捕まえると、問答無用で顔面を一発ぶん殴った。
殴られた男は呆気に取られ、目を見開いたまま、口からどろっと血を流した。
どうやら歯が折れたみたいだ。
白シャツが赤く染まっていった。
「おい、君!」
喧嘩の仲裁をしようとしたのか、中年のサラリーマンが1人近づいてきたが、アーサーが鋭く睨みつけると、大人しくガヤの群れの中へと戻っていった。
細身の輩の方は人混みに紛れ、しれっと俺達から遠のいていた。
線路ギリギリを走っていく姿が見えた。
「おい! 待ちやがれッッ」
俺が叫ぶと、もっちゃんは動物の鳴き声のような、何やらよく分からない雄叫びを上げて、輩の方へ突進していった。
人を掻き分ける前に人から避けられ、まるでモーセのようにもっちゃんは突き進み、その真後ろを俺は追いかけた。
もっちゃんは、輩の細い身体にそのまま突撃し、下敷きとなったそいつは煎餅のように潰れていた。
「ナイスキャッチだオレ!」
もっちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「おーう、さんきゅーな」
俺は、もっちゃんに手を差し伸べ起き上がらせた。
「わ、悪かったって。もーいいだろ? そもそもお前が・・・・・・」
ぺちゃんこになった輩は浅い息で、やっとの事で口を開いた。
「知るか!俺は卑怯者が、でえ嫌えなんだよっ!!」
俺が輩の腹を蹴り飛ばすと、ズルンと転がり背面から線路に落下した。
そこに、アーサーが口から流血した男を肩に乗せ、ふらふら歩いてきた。
線路に落ちた細身の輩を見つけると、肩に乗せた男を隣に落とした。
頭上の電号掲示板を見ると、電車が来るまであと1分はあった。
「ま、死にはしないだろう。ビビるだけビビれ」
アーサーがボソッと言った。
「誰かしら、非常停止ボタンくらい押すよな」
俺はふと不安になり言った。
「そりゃこんだけ派手にやったしな。とりあえず逃げよーぜ」
走り出したもっちゃんを先頭に、俺達は駆けていった。
もっちゃんとアーサーに、助けてくれたお礼にちょっと早めの昼飯でカツ丼を奢って、学校に着いたのは4限の前だった。
ここに辿り着くまでに、既に1日分の体力を使い果たしたような気がする。
教室のドアを、ガラガラ開けるとリナちゃんの甲高い声が飛んできた。
「チンピラ3人、遅刻だぞ! もぉー、リナ寂しかったーあ」
リナちゃんは、アーサーの彼女だ。
勉強は俺と同じくらい馬鹿だけど、顔は可愛いし胸もデカい。
喧嘩ですぐ怪我するアーサーの為に、救急箱を机の中に常備しているから、俺もよく世話になる存在だった。
リナちゃんは、まずアーサーに怪我がないか確認し、もっちゃんの手には菓子パンがあったので彼はスルーされ、最後に俺の所へきた。
「痛そー! リナしんぱーいっ」
教室の窓辺、1番角っこが俺達の席だった。
リナちゃんは俺を座らせると、早速手当てしてくれた。
頭の切れた所に止血で使ったティッシュが、乾いた血と共に、頭皮に張り付いたままだった。
目の高さに丁度リナちゃんの巨乳があって、俺は思わず顔を緩めた。
「でへへ、リナちゃん今日も可愛えなー」
「おい、頭から血垂らしながら笑うなよ。サイコみてぇだろ」
もっちゃんが、粒あんマーガリンを舌の上に転がしながら笑った。
「もっちゃん、ひでぇ事言うなあ」
「おい。人の女をやらしい目で見んなよ」
アーサーの目が鋭く光り、俺は慌てて謝った。
「す、すんませーん!!」
教室の隅っこに、どっと笑いが起こった。
アーサーともっちゃん、俺の大切な仲間だ。
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