第4話 後悔先に立たずーその1ー

 



 あの日、あの瞬間。私は自分の目を疑った。

 黒前大学のオープンキャンパス。そこであなたに……日南君に似ている人を見つけたから。


 最後にその姿を見てからもう5年以上は経っていたけど、その顔に残っていた面影。同じテーブルの人と話す仕草、そして優しい笑顔……変わってなかった。あの日からずっと変わっていなかった。


 突然の事で、その日は声なんて掛けられなかったよ。でもね? このまま日南君が黒前大学へ入学したら……その時は絶対に話し掛けようって決心したんだ。

 高校の先生の勧めで足を進めた大学。東京から遠く離れた場所で日南君と再会できたのは、多分神様がくれたチャンス。



 だからね? さっき入学式の会場で……見かけた時は安心した。同じ学部だって知って嬉しかった。

 オリエンテーションで配られた新入生名簿で、あなたの名前を見た時……確信した。


 ちゃんと言わなきゃ。伝えなきゃ。


 あの日みたいに……逃げないで。



 ――――――――――――――――――



 日南太陽。

 初めてあなたと出会ったのは小学校1年生の時。明るくて足も速くて……私とは正反対だったよね。


 小学生の頃の私は、一言で言うと暗かった。

 もちろん誰かとお話はしたかったけど、自分から話す勇気がなかったんだ。でもね? 友達が居なかった訳じゃないよ。隣に座っていた子が良く話し掛けてくれてさ? 皆の会話に自然と入る事が出来た。


 その人の名前は一之瀬いちのせ瑠奈るな。最初に出来た……友達。


 私、楽しかった。友達がちゃんと出来るかって不安もなくなって、授業も面白くて。そんな日々が続くと思ってた。あの日までは。


 確か小学校3年の時かな? その時は日南君とは違うクラスで、結局話らしい話は出来てなかったんだ。私は私で、その頃にはお花の世話が生きがいになっててさ? 昼休みはいつも花壇に居たんだ。校庭で遊ぶ日南君を遠くに眺めながら。


 最初は少し嫌だった。でも誰もやりたがる人が居ないから、結局一之瀬さんと2人でお世話の係になったんだ。

 けど、結局一之瀬さんは水やりも草むしりもしてくれなかった。用事がある・具合が悪いって言ってね? 私は……大切な友達だから、最初に出来た友達だから強く言えなかった。


 でも、そんな日々を過ごす内に段々とお花の事が好きになった。色とりどりの花は綺麗で、まるで私を出迎えてくれるかのように凜と咲き誇っていた。念入りに時間を掛ければ掛けるだけ、私に微笑んでくれる。

 そんな魅力にハマってしまった。


 だから全然キツくなかった。むしろ楽しかったんだ。それに、近くで日南君を見られて嬉しかった。

 そしてある日……サッカーボールがこっちに来た。それを追うように日南君もやって来て……


 初めて会話らしい会話をしたよね?


 ドキドキした。ソワソワした。でも楽しかった。1対1で会話出来るだけでも相当なのに、毎日花の世話してるのを見てたって言われてとても嬉しかった。


 そしてそれから……自然と会話が増えてね? 挨拶はもちろん、廊下ですれ違う度に声を掛けてもらえるようになった。毎日がいつも以上に楽しかった……そう思ってた。でもさ? 丁度その頃からだよ……


 一之瀬さんが急に冷たくなった。

 話しかけても無視される事も多くなって、二木さんや三瓶さんと居る事が多くなった。

 たまに話し掛けられると嬉しかったよ? 掃除変わってとか、給食で嫌いな物食べてとか……そんな事でもさ? 


 でも、


『ねぇ燈子、3組の佐伯さん私の悪口言ってるみたいだから、靴隠して来て?』


 さすがにそのお願いは……聞けなかった。そこからだよね?


 私をイジめるようになったのは。


 誰も居ないところで、酷い言葉を掛けられた。

 宿題もやらされた。

 眼鏡も何度か壊された。


 何度も親や先生に言おうと思った。でも、結局誰にも言えなかった。親には心配掛けたくなくて……日南君になんてもっての外だった。

 一之瀬さんは先生の前ではいい子ぶる。表面上の評価はクラスで目立ちたがり屋で、その評価は高い。


『ねぇ燈子? 私達友達だよね? 友達だから悪い所治してあげようとしてるんだよ? 眼鏡だって、ちょっと似合ってないから直してあげてるんだよ? 良いよね? 良いよね? 友達なんだもん』


 その言葉がどうしようもなく怖くて……私は何も出来なかった。


 あの日でさえ……


『ねぇ燈子? あんた日南の事好きなの?』

『えっ? どうして……』


『気になっただけだって、随分仲良さそうじゃん』

『そっ、それは……』


『んで? どうなの? 好きなの嫌いなの?』


 この時、私は……好きだと答えたら日南君に迷惑が掛かると思った。絶対に矛先が向かうと……だから……


『……好きじゃない……よ』


 嘘をついた。

 でもね? 結局これが引き金だった。思えば……一之瀬さんの思惑通りだったのかもしれない。


『そっか。じゃあ燈子は好きじゃない。でも話し掛けられる。……つまり迷惑なんだよね?』

『えっ? ちっ……』


『そうなんだよねぇ? そういう事だよね? そういう意味だよね? ねっ? 2人もそう思うでしょ?』

『ん? ははーん。そうでしょ? そうなんでしょ? 澄川さん?』

『そうとしか思えないなぁ? ギャハ』


『えっ……』

『じゃあ仕方ない。私達が守ってあげるよ。ねぇ? 燈子? だって私達……』



 



 そして私は、


『キャハハハ』

『ハハッハ』

『ギャハ、ギャハ』


 自分を守る為に……


『マジで言ったよ! こいつ!』

『うけるぅ』

『マジヤバいよね?』


 堕ちた。


『こういう事。なんかいつも話し掛けられて、嫌だったんだってぇ』

『前から相談受けてたんだよねー? ギャハ』

『まっ、そんな感じだから。二度と近付かないでくれるかなー? ねぇ? 燈子?』


 最低な過ちを……



『……はい。もっ、もう近付かないで下さい!』



 犯した。



 夏休みの登校日。

 強い日差しの中、走り去って行く日南君を追えなかった。ただただ、顔を見ない様にする事しか出来なかった。

 部屋に1人で居ると、あの光景がとめどなく浮かんで、胸が痛くて仕方なかった。


 何より……新学期が怖かった。

 親に言えるはずない。だから恐る恐る学校へ向かった。


 3人は相変わらず……日南君の姿もあった。表面上は普通。でも私は……謝りたかった。何とかして話がしたかった。


 だから放課後……後を付けたんだ。ちゃんと話して……謝らないとって。


 けど、その願いは叶わなかった。道すがら……日南君に近付く3人の姿が目に入ったから。

 一之瀬さん、二木さん、三瓶さん。ニヤニヤしながら話しかける姿に……嫌な予感しかしなかった。最悪な事が起こるって思ったよ。


 でもね? 目の前で起こった光景は……ある意味違ってた。


『ねぇ日南ー? フラれてどんな気持ち?』

『あんたのお姉ちゃんめちゃくちゃ可愛いんだって? だからってチヤホヤされ過ぎなんだよ』

『言えてる言えてる』


『まぁ、でも可哀想だし? なんなら一緒に……』



『おい』



『えっ……』

『なんだてめぇら? 話し掛けてくんじゃねぇよ』


『ちょっ』

『へっ……』

『ギャ……ハ……?』


『視界に入るな! 声を出すな! 存在自体が迷惑なんだよ!』


『……』


『その顔、もっと不細工になりたくなかったら……一生俺に関わるなっ!』



 それは聞いた事のない……日南君の声だった。

 見た事のない。怖い……日南君の顔だった。


 その衝撃に、一之瀬さんは地面にへたり込んで……他の2人は固まったまま。私だって暫く動けなかった。

 でも、日南君が怒るのも分かる。むしろその原因は私だって事も理解してた。だから、震える足を引きずって、追いかけた。追いかけた。必死に追いかけた。


 それで、やっと見つけた。追い付いたんだ。だけど、そんな日南君の前に女の人が現れた。


 綺麗で物凄く可愛い人。笑顔で何か話しかけてるみたいだった。

 そしたらさ? 一瞬見えた日南君の横顔は……笑ってた。さっきまでの怖い表情が消えていた。


 その顔は紛れもなく、私に見せていた笑顔。


 それを目の当たりにした私は……悟った。


 もう私は……あの笑顔を見る事は出来ない。

 向けられるのは、あの……鬼の様な形相なんだって。


 それから私は、日南君を避ける様に学校生活を終え……中学生になった。


 日南君は登校距離の関係で学区外の中学校に行ってしまったから、私とは別々。

 それからその姿を見ていない。

 うぅん? 一度だけ駅前でそれらしき姿は見たかもしれない。でも隣に同じ制服の背が小さい女の子が居て……すぐに目を逸らした。


 それが本当に……最後。



 ――――――――――――――――――



 でもね? 今は違う。目の前に居るのは……日南君で間違いないんだ。


「あの……間違っていたらすいません。日南……太陽さんですか?」

「えっ? はっ、はい……そうですけど……」


 良かった。声……男らしくなってる。身長もやっぱり大きい。


「やっ、やっぱり。あっ、あのっ。私の事……覚えてませんか?」

「えっ?」


「そうですよね。ずいぶん経ってるし」


 だよね? そうだよね。

 けど私、自分を変えようと必死だった。勇気出して積極的に話し掛ける様になって、自分から友達も作れるようになったんだよ?


 一之瀬さん達から何も言われなくなった。彼女に関しては中学に入学してから、なぜか小学校みたいな良い意味で目立ちたがりな部分が消えて、一気に大人しくなってた。二木さんも三瓶さんもそれぞれ別な人達と居る様になってたし。


 それにね? 外見も見直したよ? 長い髪を切って、眼鏡をコンタクトにして……雰囲気も明るくしたよ? 

 性格だって変われた気がする。でも、お花と本は大好きだよ? 勉強だって頑張って……常に学年のトップ5には入ってた。


 だから……


「えっと……とりあえず名前聞いても良いかな?」

「あっ、ごめんなさい。あの私……澄川燈子って言います」


 あの頃の暗くて地味な澄川燈子じゃない。


「やっぱり覚えてないかな? あの……同じ小学校だった……よね?」


青野東あおのひがし小学校で」


「一緒のクラスにもなったりして……お話もしたんだよ? あっ、あの時は髪長くて……眼鏡もしてたから……でも私は覚えてるよ?」


「中学校は別々だったけど……でもまさか同じ大学だなんて驚いたぁ」


「それも東京から離れた場所だよ? ホントっ、偶然って凄いよね」


「日南君も経済学部なんだよね? 私もなんだ」


「あのね? 小学校の時、将来の夢を話したの覚えて……ないかぁ。でも夢は変わってないんだ。あのね? 花屋さんはもちろん、店舗の一角で本も楽しめる。そういうお店を開きたいんだ。花も買える。本も買える。もちろん読めるし、お花に囲まれた場所。そんな空間って最高だなって思って。だから、高校の先生の勧めもあって、ここの経済学部に決めたんだ」


「ふふっ、夢に向かって奮闘中なんだよ?」


 ……ダメだ。なかなか本題に入れない。私が伝えたいのはこんな事じゃない。今までの自分語りじゃないのに。……逃げちゃだめ。あの時みたいにもう逃げちゃだめ。


 ちゃんと……伝えなきゃ。あの日の……事をっ!


「そっ、それでね? 私伝えなきゃって思って……日南君! あの時は……ごめんなさい」


「あの時はその……一之瀬さんに言われて、逆らえなくて!」


「それに二木さんにも強く言われて」


「三瓶さんも一緒になって……でもっ! 1番悪いのは……」



「あのさ」



 その時だった、日南君の表情が変わった。もしかして思い出してくれたのかな? だったら尚更、自分のしてしまった事……ちゃんと謝らないと!


「なっ、なにかな?」


 そんな気持ちに押され、私はもう一度……日南君の目を見た。真っすぐに逸らさないで、私の気持ちを伝えたかったから。だから……だから……


「さっきから色々話してるみたいだけど、あなたは……」



「どちら様?」



 それは一瞬だった。目の前に佇む日南君。その表情は……あの時、一之瀬さんらに向けた鬼の形相。

 この距離で……真正面で……初めて対峙した途端、あられもない寒気が全身を駆け巡る。


 体の隅々が言う事を聞かない。

 足は小刻みに震え、口が上手く開かない。


「どっ、どちら様って……」


 必死になって言葉を零しても、


「あなたは俺の事知ってるみたいだけど、俺にはまるで見覚えがない。記憶がない」

「あっ……あの! 青……」


「えっと、ホント知らないんで良いですか? 急いでるんで、それじゃ」


 その鋭い眼光から繰り出される、辛辣な言葉は休む間もなく体に突き刺さる。


「まっ、まっ……」


 待って……話を……話を……



「あとさ? あんたがどうだったとかさ? これまでの話なんて俺には関係ないし興味もない。けど、二度と近付くな。話し掛けるな。あの時の記憶を蘇らせるな」



「そっ……そんな……」


 少しで良いから、聞いてよ……ねぇ? 日南君……



「あと1つだけ言っとく。お前はどう思ってるか知らないけどな? お前がどうなろうと何をしようと、あの出来事は消えない。事実は変えられない」



 おっ、お願いだから……



「それを忘れんなよ。永遠にな」



 その言葉を最後に、私に背を向け歩いて行く日南君。

 それはまるであの日、走り去って行ってしまった姿に似ていた。


 そんな日南君を、私は黙って見ている事しか出来なかった。それしか出来なかった。


 全てを拒否された人に何が出来るんだろうか……

 全てを否定された人に何の意味があるんだろうか……

 とめどなく襲いかかる虚無感が、その現実を知らしめる。


 そして体を蝕む喪失感が、その事実を知らしめる。


 自分はどうしようもなく……



 愚かな人間なのだと。



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