第16話 三年前の出来事

 ルーロンは職場の近くにある飯屋の二階に部屋を借りている。こうして一緒に借宿に向かうの初めてのことだ。子供の頃は二人でよくおじいちゃんの家に遊びに行っていたな、と思い出していると不意にジャンザザが口を開いた。


「じいちゃんの三回忌、もうすぐだな」


「・・・うん」素っ気なく返事をしたものの、もしかしてジャンザザもおじいちゃんのことを思い出していたのかな、と思うと嬉しい気持ちが湧き上がった。


「今回も行くから」ジャンザザは二年前の一周忌にも参列してくれている。


「ありがとう。今日のこともありがとう。もうあんなバカな真似はしないよ」


 ちゃんとお礼を言えた。


「ああ。俺の方こそ言い過ぎた。悪かった」


 ジャンザザもぎこちなく謝ってくれた。この仲直りはおじいちゃんのおかげかな?

 思えば3年前の、祖父の身に起きた不幸がルーロンとジャンザザの運命を決定づけた。



◆◇◆◇◆◇ 


 ルーロンにはもともと父親はおらず、母と祖父の二人に育てられていた。しかしルーロンが七歳の時、母も流行病であっけなく死んでしまい、それからは祖父に育てられてきた。


 すぐ近くに済んでいたジャンザザはルーロンと同い年だったこともあり、よく祖父とルーロンの家に遊びに来ていた。王国軍の兵長だった祖父は二人に【剣身術けんしんじゆつ】を教えてくれた。


【剣身術】はポエン王国独自の格闘技で、剣術と素手の戦いを混ぜ混んだ実践的格闘技である。

 趣味らしい趣味もなく、だいぶ昔に祖母にも先立たれていた祖父にとっては孫とその友達の面倒を見ることが老後の唯一の楽しみだと言ってよく笑った。


 ルーロンは【剣身術】の腕がメキメキ上達して、村内で開催される剣身術の少年大会では男子に混ざって出場していつも優勝していた。


 ジャンザザは不器用で体も小さかったのでいつも一回戦負けだった。当然二人が手合わせをするといつもルーロンが勝っていた。負けん気だけは強いジャンザザはその度に泣いて抗議した。


「ずるいぞ、僕が帰ったあともルーロンはおじいちゃんと特訓しているんだ。そうに違いない。卑怯者、ルーロンは女の腐ったような奴だ」


 言いがかりも甚だしい。そんな時はルーロンはジャンザザの頭にゲンコツをお見舞いしてやった。祖父はそんなルーロンを見ながら


「ルーロンも男に生まれていればポエン国軍の精鋭部隊に選ばれていたかもしれないのになぁ」


と本気とも冗談ともつかないようなことを言っては笑っていた。


 ルーロンは十五歳になった時に剣身術を辞めた。ポエン国では女は十五になったら全ての趣味稽古事を辞めて花嫁修業を始めることが常識だった。


 ルーロンもそれを当然のものとして受け入れていた。ジャンザザは変わらずに祖父に剣身術を教えてもらっていた。それを眺めつつ、まだまだ私の方が上だな、と思っていた。


※ ※ ※


 ルーロンが17歳を4ヶ月ほど過ぎたある日、事件が起きた。


 祖父と夕飯を食べている時、外から男の怒鳴り声が聞こえた。ルーロンと祖父は箸を止めて外の様子を窺うと、酔っ払い同士のケンカのようだ。少ししてから殴り合うような音が聞こえ始めた。祖父は箸を置いて立ち上がった。


「ちょっと、危ないからほうっておこうよ」


 孫の言葉に祖父は首を振った。


「そうはいかんだろう。これでも元兵長だ」祖父は何も持たずに出ていった。


「ちょっと、待ってたら!」ルーロンも慌ててあとを追った。


 外に出ると2人組の男がよってたかったって1人の男を殴っている。


 祖父はすぐに止めに入った。「もうやめろ!相手は無抵抗じゃないか」


「なんだ!このジジイ!」遠目から見ても2人組が酔っ払っているのが分かる。大方ケンカの原因もくだらないものだろう。


 2人組の体の大きい方が祖父を肩を押した。しかし祖父は微動だにせずに相手の腕をとって逆関節にひねりあげた。大男が悲鳴を上げた。


「ほら、もう帰りなさい」祖父が冷静な口調で言った時、小男が祖父の後ろに回って体当たりを決めた。

 前のめりに倒れる祖父。大男が捻られた方の肩を回しながら立ち上がると、祖父の顔を躊躇なく蹴り上げた。


「おじいちゃん!」


 ルーロンが2人に向かって走った。しかし小男がルーロンの前に立ち塞がった。


「おう、お姉ちゃんどうしたの?このジジイのお孫さん?それともまさか愛人とか?」


 そのバカにしたような言い方に、頭の中の着火剤に火がついた。手首と胸ぐらを掴むと相手の膝裏に自分の足をかけて真後ろに倒した。


「ぐぁ!」男が倒れた隙にルーロンはいまだ祖父を蹴り続けている大男に組み付いた。

 が、重くて動かない。大男がルーロンを突き飛ばしてそのまま馬乗りになった。


「なんだよ、よく見たら可愛いじゃねぇか」そう言って顔を近づけてきた。大男の体臭と酒の混ざり合った不快な匂いが鼻をついた。


「離せ・・・」ルーロンが苦し紛れに言った時、何かの棒のような物が大男の横面を叩いた。


「ぐあっ!」と悲鳴を上げながら大男はルーロンの体から降りるように倒れた。


「大丈夫かルーロン!」気づくと木刀を握ったジャンザザが目の前にいた。


「うん、大丈夫・・・」


「ならすぐ立て!そしてこの場から離れろ!」言いながら木刀を構え直した。


「んだ、このガキ・・・」大男がユラリと立ち上がると、ジャンザザに向かって突進してきた。ジャンザザはそれをヒラリとかわすと、男の右肩に木刀を打ちこんだ。


「ぐぁ!」続いて手首、腿に打撃を入れた。過去に祖父が教えてくれた、相手が反撃できなくなる箇所に正確に打ち込んでいく。


 不意に嫌な気配を感じた。先ほどルーロンに倒されていた小男が立ち上がっていてジャンザザを睨みつけている。右手に何か握っている。あれは・・・刃物だ!小男がジャンザザに向かって走り始めたタイミングでルーロンが飛びかかった。ナイフを持った右手首と肘を取り、逆関節を極めた。さきほど祖父が使ったのと同じ技だ。


「いてててて!クソガキ離せ!」小男が叫んだがルーロンは折るつもりで一気に捻り上げた。


 ※ ※ ※


 騒ぎを聞いた近所の住民の通報でやってきた、町の安全を守る駐在兵士が男2人を連行した。


 祖父は病院に連れて行かれたが、意識が戻らないまま、その日の夜に息を引き取った。何度も頭を蹴られたことが致命傷だった。


 後日、ジャンザザがポエン国軍から入隊の誘いを受けた。連行された2人組は町で名の知れた荒くれ者だったらしく、それを制圧した実力を買われたらしい。ジャンザザは学校を3ヶ月に卒業を控えているので、そのタイミングで入隊するようだ。


 祖父の49日を終わらせたルーロンはポエン国軍の窓口に行った。


 自分も軍に入れてもらえないか直談判するためだ。


 しかし当然のように門前払いされた。それでも食い下がると、ジャンザザが迎えに来た。身よりのないルーロンの連絡先がジャンザザの家になっていたからだ。ジャンザザは嫌がるルーロンを引きずるようにしながら家に連れて帰った。


「何を考えてるんだよ、お前が軍に入れるわけないだろう!」


 帰りの道中、ジャンザザがルーロンに言った。


「・・・私だって、入隊する権利があると思ったから」ルーロンがぼそっと呟いた。


 はぁ?と隣の幼なじみは怪訝な表情を向けた。


「どうして軍に誘われたのジャンザザだけなの?あたしだってチンピラの片割れをやっつけたもん!」


 ちなみに言うと体の各所を打撲した大男よりも小男の方が重傷だった。ルーロンが手加減をしないで肩の関節を外したからだ。


「女が軍に入れるわけないだろ。そんなこと分かってるだろ?」


「何よ偉そうに。1度も剣身術で私に勝ったことないくせにっバカバカバカ!」

  

 そう吐き捨てるとルーロンはジャンザザを置いて走り帰った。


 悔しくて仕方なかった。どうして祖父を羽交い締めにしてでも止めなかったのか。相手は二人だと分かった時点でルーロンも加勢していれば問題なく制圧できたのではないか。


 足かせになったのは、17の女が男同士の喧嘩に首を突っ込むべきではないという固定観念が働いたからだ。そして剣身術の訓練をやめて何年も経っていたことで、無意識に怖じけついたこともあった。


 家に着いたルーロンは祖父の仏壇の前にいって座り込むと、そのまま泣き崩れた。


「おじいちゃん、ごめん、兵士になれなくて・・・。男に生まれなくてごめん、助けられなくてごめん・・・・」


 背後に気配を感じたが誰かは見当ついてるので気にせずそのまま泣き続けた。


「ルーロン」と背後の気配が言った。


「俺がおじいちゃんの夢を継ぐから。立派な兵士になって、じいちゃんの地位までいってみせるから、そしたら・・・」


 そこからの間が長かった。待ちくたびれたルーロンはジャンザザに顔を向けた。


 ジャンザザの顔は真っ赤に染まっている。こちらは涙と鼻水でグズグズだけど。


「沈黙長いんだけど。グスッそしたらなに?ズズッ」


「俺と結婚してくれ」


「・・・・」突然の申し出にルーロンの思考が停止した。


「沈黙長いんだけど」ジャンザザが顔を真っ赤にしたまま呟いた。


「・・・分かった」


 ルーロンが短く答えた。ジャンザザの顔が驚きと喜びを混ぜたようなものになった。


「いや、違う、待って!」ルーロンが慌てて手の平を向けた。


「とりあえずジャンザザのことは応援するから。結婚とかは、そうなった時に考える」


「・・・分かった」ジャンザザは頷いた。


「ちなみにおじいちゃんが兵長になったのって40過ぎた頃だって言ってたけど?」


「え・・・?」


「それまで結婚は申し込んでくれないってこと?あたしおばちゃんになっちゃうんですけど」


 これはイタズラ心で言っている。ずっとジャンザザのペースで話が進んでいるのが悔しかったのだ。

 案の上、やつはオロオロし始めた。うふふふ、やっぱジャンザザはこうでなくちゃ。


「あ、いや、出世する目処がついたら・・・・」


「なんだよそれ」ルーロンが少しだけ笑った。


 ジャンザザが場を仕切り直すように咳払いをした。 


「ルーロンは学校を卒業した後どうするんだ?」


「私は・・・」不意に投げられた質問に一拍間を置いた。


「何か探すよ。女でも男と対等にやっていけるような仕事を」

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