第36話 甘いワイン

 グラム様に呼ばれてシェリルさんがやってきた。

この人は6人いる士官の一人で、部隊でも数の少ない回復要員でもあった。


「しっかりしろ男将おかみ


 シェリルさんは線のような細い目をしていて、体つきもスレンダーだ。

俺の勝手なイメージだけど、回復系って癒し系じゃない? 

お目目はぱっちりで巨乳でさ、優しい感じがすると思うんだよね。

だけどシェリルさんは残念ながらそんなタイプじゃ無い。

亜麻色の長髪を後ろで束ねていて、眉毛も細い目もちょっと吊りぎみだったりする。

性格もちょっとだけキツメなんだけど、これで優しいところもあるんだ。

治療に対しては、たとえ下級兵士が相手でも決して手を抜かず、丁寧な治癒魔法が評判の人でもあった。


「いま楽にしてやるからな」


そう言いながらシャツのボタンを二つ外してくれた。

それだけでぐっと呼吸が楽になる気がする。


「少し動悸が早くなっているようだ。回復魔法を使おう」


 シェリルさんが使うのは「癒しの手」と呼ばれる回復魔法で、人の自己治癒能力を最大限まで高めてくれる魔法だった。


「∃⊆§⊥∂∝」


呪文を唱えるとシェリルさんの手が淡い緑色に輝きだした。

そしてその手を開いたシャツの隙間から俺の胸へと入れてくる。

思わずビクってなってしまったよ。


「大丈夫だ。痛くない。すぐに楽になるからな」


 本当だ。

なんだか気分の悪いのが治ってきたぞ。


「シェリル……患者に触れる必要があるのか?」


 グラム様がジト目でシェリルさんを見ている。


「はい。直接肌にふれながら魔法を送り込む方が効率が良いという研究結果があります」


 シェリルさんが自信を持って言うのでグラム様は納得していた。

俺も納得しかける。

だけどさ、服に隠れている小指で微妙に俺の乳首を触っていないか?

ごくたまにだけどツンツン当たっている気がする。

わざとじゃないよね?


「ありがとうございます。だいぶ気分が楽になりました」


 起き上がろうとしたけどシェリルさんに阻まれてしまった。


「まだだ! まだ完全に治癒していない。いま大事なところだから!」


そうなの?

って、おいっ!

いま乳首をクリクリってしなかったか? 

微妙な動きだけど絶対に小指の腹が俺の乳首を弄っている。


「相変わらずシェリルの治療は丁寧だな」


違います!

違うんですグラム様!

この人、絶対に楽しんでいるだけです!

いや……俺も嫌いじゃないけどさ……。

しばらくされるがままでいてから起き上がった。


「気分はどうだ?」

「おかげさまで楽になりました。元気が出てきましたよ」


 あそこの方もちょっとだけ……。


「それは良かった」


 シェリルさんの細い目が少しだけ見開かれ、赤い舌が唇の端を舐めるような仕草をしたのが印象的だった。


その日は結局、階段を下って最初のフロアの占領まで付き合うことになった。

夕方近くまでダンジョンにいたので夕飯の準備はとても間に合わない。

グラム様たちの夕飯は軍の料理人が作ることになり、今日だけはお役御免となった。


「男将も一緒に食べていくといい」


 グラム様に誘われて俺もお相伴に与ることになった。

晩御飯を作らないのは楽でいいけど、ダンジョン探索よりも料理の方が俺の性分にはあっている。

気疲れだってしないしね。


 夕食の内容はパンとチーズ、グリルした豚肉、茹でたジャガイモと豆にバターがたっぷりと乗せられたものだった。

ボリュームだけならかなりのものだったけど、味は少々大雑把だ。

飲み物はワインが出されたのだけど、腐敗を防止するために砂糖を加えてあり、かなり甘めのポートワインみたいだった。

豚肉やジャガイモは塩気が強かったので口当たりの良いワインについつい手が伸びてしまう。

やがて、俺は不思議なほどの高揚感に包まれていた。


「あははははは! こんなに美人に囲まれて男は俺一人だけ!」


 なんだかわからないけど愉快な気持ちで一杯だ。

初めてダンジョンを探索した興奮がまだ抜けていないのかもしれない。

だってさ、早速お宝を3つも見つけたんだぜ。

黄金の指輪と腕輪、それに古い書物が一冊。

内容は見せてもらえなかったけど古代魔法の原書ということだった。

どれも地下一階の宝箱に入っていたものだ。


「そうか、男将さんも嬉しいか! 私たちも嬉しいぞ。さあ、もう一杯いこう!」


 士官の一人が空になりかけたグラスに新しいワインを注いでくれた。


「お、おい」


 グラム様が心配そうに止めたけど、俺はこの程度のお酒で酔っ払わないぞ!


「大丈夫れすよ、グラム様。これくらいのワインどうってことありません。私の故郷ではこれをア ピース オブ ケーキといいまして朝飯前という意味なんです」


 言っていることは支離滅裂だったけど、その時の俺は大真面目だった。


「そ、そうか?」


 すかさずレインさんが聞いてくる。


「男将、明日も探索の手伝いをして欲しいのだがな、構わないだろうか?」


 構わないかだって?

俺はレインさんの手を両手で握りしめて宣言した。


「レインさんの為ならたとえ火の中、水の中、ダンジョンの中だって突入してやりますとも。シロー・サナダ、突貫します!」


 ビシッとポーズを決めると周りにいた士官たちが口笛を吹いて囃し立てた。


「ヒュー! 男将さんは副官殿がお気に入りか! クーっうらやましい!」


 ん?

勘違いしているんじゃねーぞ……。


「何言ってるんですか! 自分はそんなんじゃありません!」


 俺の剣幕にみんなが黙り込んだ。


「冗談じゃない。自分はそんな男じゃないんです。俺はねレインさんだけが好きなんじゃありません。グラム様だって大好きですからね!」


 全員がポカーンと俺を見ている。

うん、ここはハッキリと宣言しておかなければならなそうだ。


「レインさんは末広がりで大好き。グラム様は可愛いから大好き。治癒魔法にかこつけて小指で俺の乳首を触ったシェリルさんだって嫌いじゃないですよ。触った? むしろねくりまわされましたが……」

「シェリル……」


 みんなに睨まれてシェリルさんは今にも泣き出しそうだ。


「でも許す! 俺が許しますからねシェリルさん」


 元気付けようと俺はシェリルさんにハグをした。

クリクリの仕返しもどさくさに紛れてやっておいた。

思っていたより小さかったけど、しっかり硬かった。


「これで貸し借りなしですよ!」

「あんたは天使か……?」


 シェリルさんは細い目を目一杯見開いて驚いている。

天使?

あっ……、それ……クリス様にも同じことを言われたことがある。

クリス様は俺のことを守護天使って……。


「グスッ……。うぅっ……」

「今度は男将が泣き出した! ど、どうしたというのだ?」


 グラム様がこちらを見ながらオロオロしている。

さっきまであんなに愉快だったのに今は涙が止まらないよ。

飲まずになんてやってられるか!

俺はテーブルの上のグラスを掴んで一気に飲み干した。


「お、おい、男将……」

「止めないでくださいグラム様。それより聞いてくださいよ。俺には大切な人がいたのです」

「大切な人?」

「はい。この世界に来て途方にくれていた俺を導き、愛をくれた人です」


 ああ、涙が止まらない。

グビグビ。


「その人は今どこに?」

「もうクリス様とは……。もう再び会うことはないでしょう……」


 辛いことだがこれが現実だ。


「グラム様」

「どうした?」

「泣いてもいいですか?」


 すでに鼻水が垂れるほど泣いていたんだけど聞いてしまった。


「構わん。好きなだけ泣くといい」


 いつもよりグラム様の眼差しが優しくて、俺はグラム様の胸に縋り付いて泣いてしまった。

そして、そのまま眠ってしまったんだ。


   ♢


 シローの寝息を聞きながらロッテたちは黙りこくっていたが、静寂を破ったのは一番年長のレインだった。


「過去のある男と思っていましたが、どうやら妻か恋人と死別したようですな……」

「ああ、クリス様……か」


 どんな女だろうかとロッテたちは空想したが、それがまさかレガルタの戦姫クリスティアナ王女のこととは夢にも思わない。

クリスという名前はルルゴア帝国でもレガルタ王国でも珍しい名前ではなかった。


「とにかくこのままではマズイな。ベッドまで運んでやるとしよう」


 自分の胸に顔を埋めながら眠るシローがロッテは愛しくてしょうがなかった。


「ロッテ様、酔った男将に手を出してはいけませんよ」

「バ、バカ者! 私がそのような卑劣な真似をすると思っているのか?」

「それはそうですが……」


 ロッテがそんな女じゃないことはダイアンもよくわかっていたがどうしても心配はぬぐえなかった。


「ですが、お一人で運んだら兵の間によくない噂がたつかもしれません」

「そうか……」


 副官の心配はもっともな話である。


「だったら全員で男将を運ぼう。ただしシェリルはダメだぞ」

「はい……」


 同僚に小突かれてシェリルは下を向いてしまった。

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