第4話
物忌は五日。
その間、ずっと自室に閉じこもっていたため、外の状況を知るすべはなかった。
ようやく物忌が明けて外に出た明壽は、情報を得ようと母屋にいる父を訪ねた。
だがいつもであれば既に帰宅しているはずの父がおらず、女房たちに聞けば昨日からなにやら宮中で騒ぎがあったらしくその対処のために一度も戻ってきていないというではないか。
慌てて出仕用の束帯に着替え、従者を伴って出かけようとした時だ。
父が戻ってきたとの連絡を受けた。
夕闇迫る頃のことだ。
「父上」
「どうした? 出仕は明日からだろう?」
束帯に着替えているのを見て驚いたのだろう。
だが、その表情は目に見えて疲れ切っていた。
「宮中で何があったのです?」
「…………」
着替えている途中だったのだが、父は人払いをしてその場に座った。
そして自分に傍らに来るよう告げる。
「………鬼が出た」
昼間もめったに人が通らない宴の松原。
そこで鬼が出たというのだ。
単体ではなく、複数の鬼。
しかも餓鬼。
それらは外から入ってきたのではなく、どうやら宴の松原のどこかから沸き立つように出現したらしい。
というのも、それを偶然見つけた役人はその後、発狂して死んだとのことだった。
すぐさま陰陽師たちが宴の松原を結界によって封じ込めたが、原因究明には至っていない。
「餓鬼……」
「しばらくは宮中もぴりぴりとしているだろうが………なに、心配はいらんだろう。すぐ事態は収束に向かう」
だからお前は普通に出仕しなさい。
そこで話は終わり、明日に備えて早く休みなさいと言われて自室に戻ってきた。
「…………」
ひとまず女房に手伝ってもらい、狩衣へと着替える。
そして日々書き留めている日誌を文机から取り上げようとして止まった。
誰かの視線を感じた。
振り返ったもののそこには誰もいない。
いや、誰もいないはずだ。
そこは壁で、視線を感じるようなものは何もないからだ。
「若君。夕餉をお持ちしました」
声がかけられ、そちらの方へと意識を向ける。
「どうかなさいましたか?」
入ってきた女房がそう問いかけてきたため、なんでもないと言って畳へと座した。
その目の前に夕餉が並べられ、女房達が退出してゆく。
「…………」
やはりまだ同じ場所から視線を感じたため、そちらの方に意識を向けながら食事をとる。
あまり悪いものであれば陰陽師に相談するべきなのだが、いまのところそんな気配はないからだ。
監視されているような感じだな。
襲ってくるわけでもないとわかっているのだが、すこぶる居心地が悪い。
それでも目の前の食事はすべて平らげることにした。
残せば、体調を心配したりする者たちがこの邸には多いのを知っているからである。
女房たちによって夕餉が下げられ、明かりも落とされた。
この時点で就寝するわけだが。
なぜかこの晩は目が冴え、眠ることができなかった。
仕方なしに静かに外へと出る。
簀子まで行くにはこの棟で寝起きしている女房たちが寝起きしている近くを通ることになるのだが、今夜に限って夜遅くまで起きている女房達はいなかった。
簀子に出れば心地よい風が吹き、吐息をこぼした。
「…………」
夕方から感じている視線だ。
どうやらここまでついてきたらしい。
「………誰だ」
いい加減、無視するのも飽きた。
声を掛ければ意外にも返答があった。
「気付いていたか」
「気付いてくれと言わんばかりの視線で、気付かない奴はいないだろう」
ようやく目の前に現れたのは、古い時代の衣装を身に纏った青年だった。
闇夜に溶け込むような薄墨色の衣装は、隠密行動に適している。
腰に佩いている太刀は、やはり古い時代のものだ。
「私に何か用があって見張っていたのだろう?」
「ほう……人にしては頭が回るようだな」
口の端をわずかに上げた青年。
けれども目は笑っていない。
「逢魔が時は過ぎた。これからは人ならざる者たちの時間。人のお前が出ても殺されるだけだぞ」
「………わざわざ親切に忠告をしにきたのか」
僅かに目を見張る。
そしてあきれた。
まるで昔から自分のことを見ているかのような口ぶりだ。
「親切心からではないぞ。お前に死なれては困るからだ」
「どういうことだ」
そこで会話が途切れる。
青年が口を閉ざしたからだ。
「死なれては困る……ということは、だ。私が外に出たとしても、あなたが護衛についてくるということだな」
「は?」
今度は彼が目を見開く番だった。
何を言っているんだとばかりの表情に、なぜか懐かしさを覚えた。
けれども青年を自分が知っているということはない。
顔も見たこともなければ、声も………。
いや、どこかで聞いたことがある…?
「そういうことだろう? 私に死なれては困る、ということは」
「お前………」
さて準備するか。
彼を置いて部屋に引き返そうとしたが、ひとつ聞いていなかったことを思い出して振り返った。
「聞き忘れたが、あなたの名を教えてくれ」
「は?」
「呼ぶ名がないと不便だろう?」
「…………陸奥。そう呼べ」
仕方なしとばかりに告げた名前はどうやら彼の真名ではないようだ。
陸奥といえば北の果ての地名なのだが、そこに所縁のある者なのだろうか。
「そうか。わかった」
ひとまず闇夜に溶け込めるような暗い色の狩衣に着替えるべく身を翻した。
太陽が沈み、夕闇が支配する都。
既に人通りもなく、静まり返っていた。
時折、かすかに声が聞こえてくるが、人ではないのは確かだ。
その中を明壽は陸奥を伴って大内裏の方角へと歩いていた。
「おい、聞いているのか」
嫌々ながらも律儀についてくる辺り、やはり自分に死なれては困るからなのだろう。
「聞いている」
「いや、聞いていないからこそこうやって出てきてるんだろうが!」
「出てこれたのはあなたがいたからだ」
そう言えば、陸奥は何も言えなくなった。
その時だ。
自分たちの少し向こうで何かが上空から落ちてきたような音が聞こえてきた。
「にんげんかあ…」
「にんげんだなあ」
「くろうてやろうか」
声がそこから聞こえてきた。
目を凝らすも闇夜に慣れていないせいか何も見えない。
だが陸奥は違うようだ。
自分をかばうように前に出て、刀に手を掛けている。
「卑小な妖だが……こう数が多いと面倒だ」
逃げるぞ。
自分の手を掴んで身を翻した。
そのまま駆け出す。
「お、ちょっ……まーーー」
「お前は戦えんだろうが! 戦えん者を庇いながらは無理だ!」
だから逃げるが勝ち。
手を引かれながら背後へと視線をやれば、どうやら追いかけてきていないようだ。
そのまま都を南下してゆく。
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