第2話
出仕を始めて十日。
初日は今上帝より直接、官位の授与が行われた。
その後は場所を出仕先に移して職務の説明などを受けて…としていると時間が過ぎるのが早かった。
気付けば退出の時間になっており、明日から本格的に職務を始めることになった。
ひとまず邸に戻ろうと思い、従者を伴って家路につく。
「初出仕はどうだった?」
自室に入れば、なぜか頼孝がいた。
女房の手によって出仕用の直衣から普段着の狩衣へと衣を改め、敷かれた畳へと腰を下ろす。
「今日は休みだったのか」
「そういうことだ。で? 初出仕の感想は?」
にやにやと笑みを浮かべて、こちらが口を開くのを待っている。
ほう、とため息をつき脇息に肘をついた。
「それはもちろん私が希望した部署なのだから………楽しかった」
そんな他愛無い話をしつつ、明壽は出仕を始めたのだった。
「そんなこんなで山から下りてきた猪を俺が一発で仕留めたわけだが」
この日、たまたま帰りに頼孝と一緒になった。
昨晩はどうやら北山から猪が都へと下りてきてひと騒動があったらしい。
出仕したあとでその話を聞いた。
猪はかなりの大物だったようで、宿直の人間が複数名ほど怪我を負った。
後処理を行ったのが右近衛府だと聞いたので、彼もおそらくはそちらに回っているのだろうと思ったのだが予想は正しかったようだ。
「しかし……こんな時期に猪が山を下りてくるとは」
まだ春真っ盛りであり、これから夏に向かうという時期だ。
山には餌となるものが豊富にあるだろう。
「猪ばかりじゃないぞ」
頼孝はそう告げる。
「少し前から北山辺りから様々な動物が下りてきている。最初は小さな動物だったが、大きな動物も複数目撃されてるな」
何かが起きているんじゃないかってもっぱらの噂だ。
「……そうなると…明日くらいには帝に奏上されて調査が入るだろうな」
「元服したんだから、もう危ないことには首を突っ込むなよ。お前が首を突っ込むとろくなことにならなかっただろ」
即座に頼孝から忠告が入る。
昔から何事にも興味を持ち、自ら危険なことでも首を突っ込む癖が明壽にはある。
そのたびに頼孝が慌てて助けに入って事なきを得たのだが……。
「人間のせいで山から動物たちが下りてきてしまったってことなら対処はいくらでもできる。だが、もしそうでなかったら……」
「北山といえば大天狗という妖が住み着いているんだったか」
「おい、聞いてるのか」
後ろで頼孝が何か言っているが聞かなかったことにして。
「妖絡みなら陰陽師……」
昔、まだ幼い頃に一度だけ加茂家へ父に連れられて行ったことがある。
その時に会ったのは確か加茂忠行という名前の陰陽師だった。
父はなぜ彼のもとに自分を連れて行ったのかはわからないが、忠行殿は自分を見て難しい表情をされていたのを覚えている。
「……ああ、そういえば」
思い出した。
確かその後、父からは“人の手に負えないような物事には手を出さず、必ず加茂忠行殿を頼りなさい”と言われたのだ。
けれどもそれから今日まで何事もなく過ごしてきたわけだが。
猪の件は人に負えないような問題かどうか……………・・・。
「明壽、聞いてるのか?」
「ああ、聞いている」
少し調べてみようかと結論づけ、ひとまずこの件については考えるのをやめることにした。
「それよりも久々に桔梗の君の顔を見に行かないか」
振り返ってそう言えば、従者はもちろん頼孝も途端に嫌な顔をする。
「どうした?」
「いえ……」
従者は僅かに視線をそらして口を閉ざし、頼孝はゆっくりと問いかけてきた。
「お前………あのじゃじゃ馬娘を気に入っているのか?」
「じゃじゃ馬娘って………。小さい頃からともに遊んだ仲だろう。何をいまさら」
彼女は、兄がまだ健在だった頃からの知り合いだった。
貝合わせやすごろくを嗜むよりも外で蹴鞠など活発なことを好んだ変わった女童で、自分たちともすぐに馴染んだ。
さすがに今はそういったことはしていないらしいが、最後に会ったのはいつだったろうか。
「そろそろ裳着だって父上が言ってたから、顔を見れるのは今のうちだぞ」
「いや………俺は遠慮する」
即座に断る頼孝と従者。
「それよりも今日のところは邸に戻れ。裳着の前だろうが相手は女君だ。会うにしてもまずは手順を踏んでからにしろ」
「手順? 面倒くさい」
「いい大人が面倒くさい言うな。ほら行くぞ」
背をぐいぐいと押され、仕方なく明壽は家路についたのだった。
その晩。
明壽は邸の書庫から父や祖父たちが集めた書物を引っ張り出し、調べ物をしていた。
京(みやこ)の地理や歴史書・日誌の類、果ては大陸の書物など。
繰り返し起こっていることならば、過去を調べることで対処法を導き出せるかもしれない。
そう思ったからだ。
けれどもなかなかそのような記述は見当たらない。
風が入り込み、大殿油の明かりが大きく揺れたのに気付いて顔を上げれば、御簾を隔てた向こうに影が見えた。
既に女房たちは休んでおり、訪れる予定の者もない。
しかも夜も更けている。
「…………」
文机に持っていた書物を置いて立ち上がれば、影はそれに気付いて身を翻した。
「待て!」
慌てて影を追いかけて外に出たが、簀子や庭には誰もおらず、足音すらも聞こえなかった。
確かに人の姿をした影を見たのだ。
「いや、待て…………」
ここで重要な何かに気付く。
今は夜で外は明かりがない。
反対に室内は明かりがあり、明るい。
暗い場所からは明るい場所にいる者の姿を確認することができるが、ではその反対は?
気配を感じることはできるが姿を確認することはできないはずだ。
では………。
「なん、だったんだ……? 今のは………」
しばし呆然とする明壽だった。
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