(7)お昼は静かに食べたい

「それはまた……随分と無茶なことを引き受けたわね」

 昼休みの屋上、フェンスの基礎に座る彼女が呆れた。紺色のスカートの下には花柄のハンカチが敷かれている。僕は、隣で肩を落とした。

「自分でもそう思うよ」

 網目からちらりと下を覗く。真下は校舎の南側……ちょうど正門が見える位置だ。門の脇には来客用の駐車場。少し離れた場所に駐輪場が設けられている。この時間帯、自転車に乗る生徒はいない。塀と街路樹が視界を遮っているから歩車道から見られることもないだろう。それでも多少の不安は覚える。

 屋上は立ち入り禁止だからだ。

 普段は鍵もかかっている。それをなぜ姫神さんが開けられるのか? 訊くと「お昼は静かに食べたいでしょう?」と返された。彼女の手元にはお弁当らしき手提げのバッグがある。

 ふうむと口許に手が当てられる。

「神坂さん、余程風間くんのことを信頼しているのね。妄信に近いのかも知れない。……でも人が内に秘めた事情を断片的な情報で引き出そうなんて土台無理な話よ。不要な誤解と対立を生むだけ。推理小説じゃないんだから」

 ぐうの音も出なかった。彼女の指摘は正論で、返す言葉が見つからない。

 恐らく怪我じゃない。恐らく人間関係のトラブルじゃない。家庭に問題がある可能性も、きっと低い。でも、。本当に重要な情報は少し突いた程度で表に出たりしないからだ。怪我ではなくて病気なのかも知れない。相沢先輩は佐々木先輩との軋轢を隠しているだけかも知れない。家庭に深刻な事情を抱えているのだとしたら、そんなものが外に漏れるだろうか?

 切りがないのだ。こんな話は。

「それを踏まえたうえで、好奇心で尋ねるけれど、風間くんはどう考えているの?」

 姫神さんが、僕の顔を覗いてくる。膝の間で組んだ手に汗が滲んだ。

 佐々木先輩が……完璧と称された彼女が抱えていたもの。

「プレッシャーじゃないかって、そう思ったよ」

 藤宮部長はこう言った。完璧であること。それ自体が大きな欠陥ではないかと。

 同感だった。僕もその考えが一番しっくりくる。完璧な先輩。完璧な友人。誰もが憧れる理想的な人物像。それらが苦心して練り上げた虚栄でしかないのだとしたら? 自らが創り上げた虚像と、過剰な期待。彼女の実態がそれに潰されてしまったのだとしたら?

 周囲の人間が彼女に求めているものは、あまりに大き過ぎる。

「でも、それだってわからない。今までも先輩はそんな期待に応えてきたんだろうし、応えられるだけの実力はあったはずなんだ。でなきゃインハイ二連覇なんて無理だ。もしかしたら全然違う理由があるのかも知れない。だから」

「私の力を借りたい、と」

 躊躇いつつ認めた。他に方法はないだろう、と自分に言い聞かせながら。

 返答はすぐになかった。彼女は口を噤んだまま屋上の扉を見つめている。お昼休みの終わりまでどれぐらいあるだろう。スマホに手を伸ばしたくなった頃、彼女は言った。

「他人の記憶を覗くというのは決して褒められたことではないわ」

 左の手で自らの身体を抱くようにする。

 風が吹き、横顔が白い髪で覆われた。

「下品な力よ。私も理由がなければ無暗にはしない。だから訊かせて。風間くんはどうしてそんなことをするの?」

 たなびく髪の隙間から、問いかけてくる瞳が見えた。

「なぜ? 佐々木さんと貴方は何の関わりもないでしょう? 下手に踏み込んだところで得なんてない。嫌な想いをするだけかも知れない。それでも彼女の心を解き明かす理由は?」

「それは……」

 神坂さんと南久保さんに頼まれたから。

 真っ先に浮かんだその答えは、自分でも驚くほど腑に落ちなかった。次第に浮かび上がってくるのは真っ白なキャンバスだ。かたちも、大きさもわからない、雲よりも霧よりも曖昧なもの。あの頃から向き合い、いつまで経っても埋められないもの。

 顔を伏せた。

 説明ができないわけじゃない。けれど難しいことではあった。それこそ……記憶を読んで貰ったほうが早いかも知れない。

「ごめん。上手く言えない」

 彼女は「そう」と呟いた。しばらくは無言でいたが、やがてすくと立ち上がるとスカートのお腰を叩いた。敷いていたハンカチを摘まみ器用に畳んでバッグに仕舞う。

「いいわ。協力してあげる」

「いいの?」

「ええ」

 簡単に頷いてくれた。断られるつもりでいたので少しばかり拍子抜けをする。自分事ではないから喜んでいいのかも分からなかった。

 きっと間抜けな顔をしていたのだろう。姫神さんは、くすりと笑った。

「風間くんはどうか分からないけれど、私には協力するだけの理由があるもの」

 そして彼女は、お弁当箱の入ったバッグを掲げてみせた。

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