バベルの塔

「どのような物語を紡げるかが、その種族の価値を決める。この観点で言えば、彼らと我々の間に差など存在しない」


【西暦二〇一九年 南極 仮設陣地】


「だから言ったでしょう。彼らを舐めるな、と」

「百年も前の話をよく覚えているな。あの頃から、君はこうなることを予想していたのか」

「予想ではなく確信です。彼らは我々の予想を超えてくる、と。それでこそ知性。そうでなければ我々が略奪する価値すらない。

神格の反乱という事故は想定外にもほどがありましたが。おかげで我々は神格から片時も目を離せなくなった。あれほどの可能性に満ちた兵器を、決戦や拠点防御、作業用にしか使えなくなりました。天照の事故以来、戦略級神格の新造もストップしたままです。

たったでこの有様だ。せめてヘルの反乱がなければ三十三番門からアスタロトとイシュタルを引き抜かれずに済んだ。イスタンブールの陥落を遅らせられれば、巡り巡って私たちにも脱出の機会があったでしょう。

奴らの発揮した性能は本来のスペックを大きく超えています。我々がどれだけの被害を被ったか、改めてご説明する必要はないでしょうが」

「神格だけで三千体以上だ。それ以外にも何百という戦闘艦。気圏戦闘機。ロボット兵器。兵員や非戦闘員の犠牲者数は想像もつかない。はっきり言って、核融合炉すら持たぬ種族相手の数字ではないなこれは。悪夢と言っていい」

「ここは故郷ではない。どれほど酷似していようとも未知の異世界であり、未開の蛮地です。我々の常識は通用しなかったということでしょう」

「ならばどうすればよかった?彼らにこうべを垂れて助けを求めていればよかったとでも?」

「無理でしょう。我々がしたとき、彼らの文明はあまりにも未熟だった。それこそ『助けてくれ』と言っても何の意味もない。種族が統一されていない以上、獣同然のでしかないですから。最初から力で解決する以外の手段はなかった。わたしが思うに、暴力こそがあらゆる生命、あらゆる知性、あらゆる世界の間で通用する唯一の共通言語だ。我々の種が彼らからの略奪を躊躇するようなことがなかったのは幸いです。今回の局面においてはは邪魔ものでしかない。必要なものは全て奪い終わった。可能な限りの非戦闘員や兵を向こうへ帰還させた。奪われる危険のある門は全て閉じ、あるいは破壊し尽くした」

「門以外のテクノロジーは彼らの手に渡ったがね」

「些細な問題です。彼らほどの知的種族であれば、我々から得た戦利品がなくとも自力で手にするでしょう。我々の水準まで、早いか遅いかだけの違いでしかない。重要なのはただ一点。故郷の座標は彼らの手に渡らなかった。これは、未来永劫故郷は安全だ、ということです。少なくとも、彼らの復讐の手が伸びる心配はない」

「皮肉なものだ。かつて彼らはバラバラだった。それゆえに我々は彼らに救いを求めることはできなかった。なのに今回の戦争で、バラバラだった彼らは統一された意思を持つようになった。我々への憎悪という強固な意思を」

「ジレンマですな。我々は彼らに言語を与えてしまった。種族での意思統一を可能にする、暴力という劇薬を投与したのです」

「彼らの神話で似たようなものがあったな。バベルの塔、だったか」

「自らに挑もうとした人々を戒めるために神は言語を乱した、ですな。今回の場合は丸ごと逆のことが起きたわけです」

「我々の古い神話にも同じようなものがある。似た者同士のようだ」

「彼らは万物の霊長を名乗り、我々は世界の秘密を解き明かした神を名乗っている。そういう面でもそっくりです」

「結局、世界の秘密を解き明かした程度では自然の力には勝てなかったがね。我々は孫の顔を見ることなく滅び去る定めだ」

「文明のともしびははかない。数十億年の生命進化の前ではあっという間にその命数は尽きる。結局、災厄の際に我が種族の命運は定まったのでしょう。無理に滅亡を先延ばしにしたツケがきたのです。ですが、運命をそのまま受け入れてやるのもシャクじゃあ、ありませんか」

「まったくだ。とは言え、寿命を無理に伸ばそうとするとロクなことにならないというのが昔話から得られる教訓だ。それを種族ぐるみで二回もやった我々にはどのようなしっぺ返しが来ることやら」

「まあ、今ここにいる私たちには関係のない話です。何しろすぐにでも命運は尽きようとしている。準備が済めば、彼らはここへ攻め込んでくるでしょう。私たちには逃げ場はない。戦術AIの判定では後46分、±20分でここは陥落します。どうされますか」

「許されるなら自決したいところだがね。彼らに捕まったらどんな目に遭わされるか想像もつかん」

「そうですか。ならばここでお別れということになりますね」

「君はどうする」

「少しでも生き残る可能性の高い方に賭けてみたいと思います。彼らに可能なもっとも残忍な行為でも、我々が彼らに対して行ったそれと比較すればだいぶん手緩てぬるい。機械生命体を脳に寄生させてコントロール下に置いたり、脳内情報を上書きして肉体を奪うような真似と比較すれば。最悪でも拷問され、苦痛を長引かせられながらじわじわと殺される程度のことです」

「それを"程度のこと"という度胸は私にはないな。まあいい。それが君の選択だというなら幸運を祈ろう。

世話になった」

「こちらこそ。長らくお仕えさせていただきました。おさらばです」

そうして、二柱は別れた。

南極の基地が陥落したのはそれからきっかり四六分後のこと。司令官室に踏み入った国連軍が目にしたのは、毒杯をあおった鳥相の神の遺体だけだった。

この日、地球上から神々の勢力は完全に一掃された。




【西暦二〇二九年 イギリス 捕虜収容所】


背後からの足音に気付いて、ドワ=ソグは振り返った。鉄条網の向こう側にいるのはいつもの警備係だけではない。

こちらを伺っているのは長身で角を持ったヒューマノイドタイプの生命体が複数体。身にまとっているのは軍服。EU圏の知性強化動物だろう。人類は自分たちを生きた教材として用いている。かつて敵対し、現在も敵対関係が終了していない種族の見本として。莫大なコストをかけたであろう戦闘用人造生命に自分たちを———"神々"の実物を見せつけているのだ。まあ異論はなかった。彼らにとって利用価値がある限り、自分は生きていられる。この捕虜収容所に囚われた三〇名ほどの同胞とともに。

よっこいしょ、とドワ=ソグは身を起こした。体形に合わせた特別あつらえの囚人服。身長一九〇センチ。体重九二キログラム。四肢があり、頭部を備え、鱗に覆われた手首。節くれだった指。その爪は、湾曲した鉤爪。羽毛に包まれた顔。後頭部からは鬣のように髪が伸びている。嘴を持ち、鋭い眼光の頭部は全体的に、鷲に似ていた。

種族の中ではごく平凡な容姿。されどここでは。地球では、異なる。自分たちの方が少数派だ。

百数十年前。最初の門が開いた時から、ドワ=ソグは地球に幾度となく降り立った。調査のために。ここには、故郷では失われたものがそっくりそのまま残っている。信じがたいほどに美しく、荒々しい世界。たちまちのうちに魅了された。欲しくなった。自分だけではない。同僚たちも意見は同じだった。種族全体へと提案したときも。たちまちのうちに地球侵攻計画はスタートした。わくわくした。神々の世界を覆っていた諦観と絶望を吹き払う大発見だった。熱狂に浮かされた。次々と新技術が生まれた。地球の生態系を移植するための手段が考え出された。原住知的生命体―――地球人類の利用方法の数々が考案され、実用化された。

そこに落とし穴があったわけだが。地球人類の脳は、神々にとって手に負えるものではなかったのかもしれない。完全に支配したはずの眷属たち。それが自らの意思を取り戻し、反乱するとは。

それすらも、素晴らしい。

故郷は甦るだろう。これほど荒々しく、強力な種族と生態系の遺伝子資源を取り込んだのだから。惜しむらくは、自分がそれを目にする機会は永遠に来ないだろう、という事実。

十年前、南極で自決した主との会話を思い出す。

人類は自分たちの予想を超える。与えられた作業中、空を見上げれば時折飛び交っていくのは巨神たちだし、南天を横切る巨大な物体はオービタルリングだろう。こんなわずかな期間で、ここまで進歩するとは。科学者として、これほどうれしいことはない。間近で研究対象を観察し続けられることは。

ドワ=ソグは満足していた。少なくとも、現状が最悪ではないという事実に。




—――西暦二〇二九年。神々最後の抵抗勢力が南極で降伏してから十年目、"蛇の女王"アスタロトと"冥府の女王"ヘルが再戦する二十三年前の出来事。

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