内と外
「あの……敵を殺す。って、どんな気持ちになりますか?」
【イタリア共和国サルデーニャ州カリャリ県 デチモマンヌ航空基地】
「眷属を殺すことが不安かい?」
マステマは問い返した。相手は今回の合同演習の相手方。日程を消化し、ささやかながら基地の食堂に設けられた宴席で、
質問者はリスカムと言ったか。知性強化動物の個体は見慣れていないと見分けにくい。
「はい。
お母さん…いえ、教官は、気にしても仕方ない。って言ってたんですけど。でも、やっぱり……」
「分かるよ。それは君の心が健全な証だ。誇っていい」
知性強化動物は兵器である前に善良な一市民である事が求められる。彼女らの遠大な生涯においては、戦いに費やされる時間はごく短いからだ。強大なその戦闘能力を持て余すことのないよう、平和的な性向が与えられていた。
「解決法のひとつは忙しくなることだ。遺伝子戦争中、そんなことを考えてる暇もないくらい忙しかった。殺らなければ殺られる。死にたくなかったからね。そりゃもちろん、僕をこんな体にして記憶も奪った神々への憎しみがなかった。と言えば嘘になるけど。それは戦いに身を投じるきっかけにこそなれ、自分同様のかつて人間だったものを殺すという問題と対峙する助けには、あんまりならないな」
「そう…ですか」
「“大日如来”は介錯のつもりだ、って言ってたな。神々に弄ばれるくらいならいっそ、というわけだ。サムライの国の男らしい物言いだった。“九天玄女”はさらにストイックだな。『乱世ですから仕方ありません』、だそうだよ。僕らはそれぞれ、自分にあった解決法を見つけてた」
同族たちの名前を挙げ、マステマは飲み物を取った。不老不滅の両性具有者も腹は減るし喉だって乾く。モニカのように飲食の不要な体になりたいとまでは思わないが。今ですらややこしいというのにこれ以上余計な機能を付け加えられるのはごめんだった。
人の二倍の行動力を持つ人類側神格は、納得していない様子のない相手に微笑んだ。
「あるいは相手を
「昔ながらの方法ですか?」
「そのとおり。あらゆる集団には、少なくとも一つの外集団がある。“神々”というカテゴリに眷属どももまとめて放り込んでやればいい。人間じゃないから殺しても問題ないということさ。
人類史上、人間は他の集団に対して暴力をふるってきた。無防備で脅威にならない相手にさえね。ここ百年でも、一九一五年のオスマントルコによるアルメニア人の組織的殺害。関東大震災直後の朝鮮人や中国人に対する虐殺。南京事件。一九九四年のルワンダ。一九九五年まで続いたユーゴスラビア。数え上げればきりがない。このような残虐性も、君たちの中には組み込まれているはずだ。それが人間の知性というものだからだ」
「……!」
「人類は集団を作ることで発展してきたが、これはその負の作用だ。普通の人々が、恐るべき残虐性を発揮する。『殺すなかれ』という、ごく当たり前な価値観が崩壊する瞬間だ。
こんな実験がある。被験者に六本の手の写真を見せる。それに綿棒が触れるところと、注射針が刺されるところを見せる。この2つは脳の他の領域には全く異なる反応を引き起こすんだ。
痛みを感じる人を見ると、自分自身の痛み関連領域も活性化する。共感するわけだな。注射針を刺される写真を見ても同様だ。綿棒の場合はもちろんそんな反応はしない。
ここに一つだけ要素を加える。この条件を確認した上で、六本の手にラベルを付けるんだ。キリスト教徒。ユダヤ教徒。無神論者。イスラム教徒。ヒンズー教徒。サイエントロジスト。
結果はどうなったと思う?」
「自分の集団に対する共感だけが大きい。ですか…?」
「正解。たった一つ、ラベルだけでこの威力だ。無神論者でさえ、無神論者に対する共感は大きかった。宗教の違いではない。属する集団の問題なんだよ」
「……」
「怖いと思うかい?この事実を」
「分かりません」
リスカムは、はっきりと首を振った。
「人間は邪悪なところのある生き物かもしれません。けどそれだけじゃない。生命はそんな単純な存在ではないことを、私たちは知ってます。
知性は複雑なんです」
「その通り。知性は複雑で、生命は深淵だ。僕らの文明はデジタルじゃない。善と悪、敵と味方で簡単に切り分けられるもんじゃないんだ」
「はい」
「そうそう。最初の質問にきちんと答えてなかったな。眷属を殺してどんな気持ちになるか。
そりゃあ、嫌だった。人殺しほど気分の悪いものはない。慣れただけだよ」
「安心しました」
「うん?」
「その答えを聞けたことが、です。ありがとうございました」
「こちらこそ。こんな話に付き合ってくれて光栄だ」
ふたりの神格は、微笑みあった。
―――西暦二〇二七年。マステマが人類側神格として活動を開始してから十一年目、リスカムが初めて眷属を倒す二十五年前の出来事。
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