海底八千メートル

「うわ……なんかギシギシ言ってる……」


【日本海溝 深度五千メートル付近】


どこまでも続く、闇だった。

周囲より入ってくる情報は音。赤外線。中性微子ニュートリノ。磁気。わずかな手がかりを頼りに、はるなは降下していく。海の底へと。

「異常はない?」

「教官。なんかギシギシ言ってるんですけど」

「巨神が水圧で縮んでるだけ。大丈夫。均一だから一箇所から破綻するようなことはないわ」

「はい。了解です」

中性微子ニュートリノ通信で言葉を交わすのはそれぞれ巨神に偏在するはるなと志織である。潜水訓練中だった。

志織の言うとおり、“九尾”、“天照”は共に本来のサイズよりわずかに縮んでこそいるものの、行動にはいささかも支障はなかった。均一の流体構造故の強靭さあってのことだ。

神格の行動範囲は深海から宇宙にまで及ぶ。自力で潜航や大気圏離脱ができるのだ。九尾にもその辺り、最低限神格が備える基本能力はすべて備わっていた。どころかカタログスペックだけなら実は水中戦闘能力で天照に勝る部分もある。天照は宇宙から地上を攻撃するための神格であり、水中で使える武装が剣しかないからだった。対する九尾は幾つか水中でも使える遠距離兵器を備えている。もっとも、もし水中戦闘が得意な他の人類側神格と一対一で勝負すれば、今の未熟なはるななどひとたまりもないだろうが。

こうして通信できているのも巨神の驚異的な能力のおかげだ。中性微子ニュートリノは透過性が極めて高く、センサーで受け止めるのは非常に難しい。しかしその性質のおかげで分厚い水を通り抜け、言葉を伝えてくれるのだった。

「教官。教官はどこまで潜ったことがあるんですか?」

「そうね。訓練で、1万5千メートルまでは潜ったことがあるわ」

「いっ……1万…!?」

「地球でじゃない。神々の世界でのこと。

神格になってすぐ、まだ自由を取り戻していなかった頃の話。今のあなたみたいに、教官役の神格に付き添われて潜ったの。

私がやってるのは彼女の真似ね。自分が教えられた通りに、あなたたちを教えてる」

「その神格はどうなったんですか」

「死んだわ。私が殺したの。初めて倒した眷属だった。名を、“太陽を隠す者”」

「……」

「本来の神格。惑星再建用に神々のクローンから作られた個体だったわ。強かった。どうして勝てたのか今でもわからない。あの戦いの事は、未だに夢に見る」

それは、伝説だった。いや、もはや神話と言っていいだろう。人類が初めて巨神を撃破し、そして神々に対して反撃を開始した輝かしき日の。

はるなは今、伝説の当事者の言葉を聞いているのだ。

「人々は私を英雄扱いするけどそんな事はない。私を破壊兵器に改造した上で洗脳し、そして友達の肉体を奪って殺した神々。あいつらが憎かった。だから殺し尽くし、焼き滅ぼしただけのことなの。その想いだけで2年間の遺伝子戦争を戦い抜いた」

「今は…どうなんですか?」

「そうね。神々への憎悪は私の中でずっと、燻っている。消えることはないでしょう。

けど、代わりの目標を見つけた。生きるための道標を。それが、あなたたち」

「わ、わたしたち…ですか?」

「そう。

都築博士と出会ったのは戦争中だったわ。彼は神格について研究していた。大勢いる科学者の中でも一際目を引く存在だったわ。

彼から人類製神格の話を聞いたとき私は最初、反対した。人間を犠牲にして作る兵器なんてもうたくさんだった。それなら私が最後まで戦い抜けばいいと思った。

けど彼は、解決策を見つけ出した。それが知性強化動物。私は思った。これこそ、私が人生を捧げるに相応しいものだって」

「教官……」

「ごめんなさい。あなたたちに謝らなきゃいけない。人間でないものなら兵器にしていいなんて、ひどい自己欺瞞だもの。

あなたたちには、人と変わらない心があるのに」

「いえ。私は感謝してます。この世に生み出してくれたこと。大切にしてくれたこと。ここまで育ててくれたこと。

人類みんなで、私達のために真剣に話し合ってくれたことを」

「……ありがとう。その言葉だけで、救われる」

「はい」

言葉が絶える。

やがて二人は、海底。深度八千メートルにたどり着いた。

この後彼女らは浮上し、そして志織は別の者の訓練を継続して行った。




―――西暦二〇二二年。人類製神格の総数が人類側神格を越える前年、人類の保有する神格数が三桁に達する二年前の出来事。

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