第32話 呪いを抱く少女の微笑み。
彼の真剣な気持ちにココはもう一度深く頷いた。ココはベッドから降りて、顔を伏せているシュルツの傍に歩いていく。シュルツの息遣いが分かる距離まで近づくと立ち止まり、彼の手を取って自分の顔に引き寄せた。シュルツはどうして良いか分からずに、じっとココを見つめたまま。ココはそんな彼の頭をそっと優しく撫でた。
「シュルツ、私はどんな顔をしてる?」
「え?」
シュルツは彼女の意図していることが分からずに体を強張らせてしまう。
「私は、もう怪我はしてない。それに、ほら! 体も良く動く」
そう言って彼女はシュルツの前でくるくる回り、彼の正面で綺麗な一礼をしてみせた。そして、彼に優しく微笑む。
「シュルツの気持ちは私がきちんと受け止めた。だから、もう大丈夫。私は系譜原典。従者のことは全部私が引き受けているんだ。だから今回の出来事だって、シュルツのせいじゃない。そういうわけじゃないんだから、シュルツが気にすることなんてさらさらない。私たちは天異界の中央を目指すわけなんだよ? もっと大変なことはこれからいっぱいある。ここでヘコんでなんていられない。私たちは前に進まなきゃならない。私たちにどって前に進むこと、それが一番大事なんだと思う」
ぐっと両手に拳を作ってココは気合を入れる仕草をして見せた。それは自分自身に対する鼓舞でもあったのだろう。ココは目元に力を入れて、微笑む。
「はい。僕は君の為に、君に仇為すもの全てを殺すことを誓います」
シュルツは片膝をつき、ココを見上げた。彼はココの微笑みを見て実感する。ああ、やはり君は僕にとっての
「うん、分かった。シュルツ、貴方は私の敵を、その全てを消し去るの」
だから、もうそんな悲しい顔をしないで。ココはシュルツの手を取り、彼を立ち上がらせる。決意を誓ったシュルツは、ようやく優しい顔に戻っていた。
「ねえ、皆で朝食にしようよ。みんなで食卓を囲んで、これからの冒険の話をいっぱいしよ。だから、シュルツ。皆の所に私を連れて行って」
「はい」
ココの明るい表情を受けて、シュルツの暗く塞がった心も温かく晴れていく。ココの手に引かれてシュルツは、この身は彼女の為に使い果たすと胸に強く刻み込んたのだった。
◇
そんなことがあったのが、ついこの前。
「ふふふ」
と、ユリは思い出し笑い。
「ユリ。どうしたのじゃ?」
「いえ。家族はいいものだなと思います」
ユリの言葉にリヴィアは腕組みして、そして振り解く。
「ああ、分かっておる。
「うん、みんなで頑張っていきたい」
ココは笑顔でリヴィアを見上げた。リヴィアはココの言葉に何度も頷き、そして「もう、勘弁じゃ~」と湯船に潜った。そんな系譜上位者であるリヴィアの姿が可笑しくて、ココとユリはふふ、と顔を見合わせたのだった。
ガラガラと脱場の戸が、音を盛大にまき散らした。湯煙の向こう側に黒い人影がちらちらと見え隠れしている。
「ココ。湯船の修理でしょうか?」
シュルツが修理箱を持って露天風呂に入ってきた。女性たちのあっけに取られた視線がシュルツに集中していく。こぽこぽと湯船に湯を注ぐ源泉の音がやけに大きくその場を満たしていた。
「シュルツ、系譜通話が上手くいったみたいだね。どう? ノイズは入らない感じだったかな?」
ココはいつもの調子で、シュルツに向かって手を振っている。「えーと、湯船は壊れていないですよね? 火急の要件だと、系譜通話があって来たのですが‥‥‥」とシュルツは彼女たちがつかっている湯船をまじまじと眺めて、自分の置かれた状況を確認していた。
「シュルツっ! その目つき、ココに何をしようとしておるのじゃ! 乙女の柔肌をねっとりと舐めまわすような視線は言語道断じゃぞ」
リヴィアが高位魔術『雷爆』をシュルツに向かって炸裂させる。その爆発のなかでユリは湯船に顔まで潜らせて、ごぼごぼと湯の中で呟いていた。「殿方に肌を見られた殿方に肌を見られた殿方に肌を見られた‥‥‥ペルンさんにも見せたことが無いのに」その湯船の上ではリヴィアが激昂して雷爆を立て続けに放ち、シュルツを森の彼方に吹き飛ばしていた。
「ココよ。軽々しく男に肌を見せるべきではない。特にシュルツにはなっ!」
露天風呂の惨情に源泉の湯が所かまわず噴き出して、立ち込める湯気に朝日が当たりココとリヴィア、そしてユリの姿を照らし出していく。
何とか気持ちの整理をし終わったユリが水面から顔を出して周囲を見渡した。その目線の先にココが焦がれたように瞳を輝かせて、リヴィアの魔術の跡を見つめている。
「やっぱり攻撃魔術って凄い。私もいっぱい頑張って、リヴィアちゃんみたいな魔術が使えるようになりたい」
「そうでございますね、ココ様。では、まずは系譜従者の下天となりましょう。そうしますと―――」
ココの気持ちを受けてユリは自分の持つ知識を引き出していく。彼女らの会話をリヴィアは軽く瞼を閉じて聞いていた。
原典系譜を強化するには、強き者たちを系譜入りさせ従者とする。その後、従者の器を強大化させることが最大の近道といえる。確かに原典自らが強化する手段もあるが、従者の強化によってこそ原典自身の力が増大するというもの。それが系譜の有するエーテル含有を飛躍させ、上位の次元階層に跳躍するための存在に成れるというものだ。それには自らの足で歩いていくほかはなく、リヴィアが手助けするわけにもいかなかった。
ユリの言葉を胸中で反芻しているのか、ココは湯船の水面をじっと見つめている。
「私たちは自由都市ナトラに行く必要がある」
「自由都市ナトラでございますか? ナトラは知識と技術の集積地とお聞きしています。そこに向かうのは、シュルツさんの腕を完全修復するためでしょうか?」
「それもある。だけど、下天するための魔動器制作で、どうしてもナトラに行かなくちゃならない。だからユリちゃん、皆で行こう」
「ほう? 自由都市ナトラとは、来訪者ネキアの浮島か。ふむ‥‥‥ココがいうならば仕方がないか。吾もナトラに行こうぞ」
「そうですか。少し寂しくなってしまいますね。でも、下天のためには必要なことですし。皆様、いってらっしゃいませ。私は皆様の帰りをお待ちしております」
「なんじゃ? ユリは来ぬのか」
「私は守り目である以上、この浮島からは離れられませんから」
「大樹の守り目であったか? 確かにお主がこの場を離れるわけにはいかぬよな。うーむ。何か妙案はないのものか」
「そうだよね、何か常識にとらわれない発想が必要。ユリちゃん、絶対に一緒に行こうよ。私が妙案をひねり出すから」
「ええ、ココ様。お心遣いありがとうございます。それでは、まず湯から上がりましょうか。このままですと、湯疲れしてしまいましょう」
ユリはココの手を引いて脱衣場に向かって行く。そのココの後ろ姿。それを見つめるリヴィアはその背をじっと見つめていた。少女の背中の傷跡が聖霊の愛し子がどのような扱いを受けたのかをありありと物語っている。朝日の柔らかな光でさえも、ココの傷を生々しく映し出してしていた。リヴィアは目を床に落とし、かつての記憶に問いかけた。「こんな小さき体に、非情にも苛烈な呪いを抱かせるのか? ユングフラウ・ニーベルよ‥‥‥」
そんなリヴィアの胸中など知らでかココは「リヴィアちゃん、早く~!」と脱衣所の扉から愛らしい顔を出して、リヴィアを呼ぶのだ。ユリも顔を覗かせて露天風呂について一言ぼそっと呟いた。
「リヴィア様。この露天風呂は次の入浴までに修理が必要のようでございますね」
「ああ。そうじゃな」
壊れた湯船の割れ目からこぽこぽと湯が流れ出してしまっていたのだった。
◇◆
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