5-2.
ロイドはマリーベルの言葉に耳を疑った。
絵に描いたような聖女のマリーベルから出たとは思えない言葉に、聞き間違いかと思ってしまった。
「奪うとか追い出すんじゃないの、乗っ取るのよ。」
マリーベルはふふっと楽しそうに笑った。
「それを私に言ってどうするつもりだ?何を考えている!?」
声を荒げるロイドに臆することなくマリーベルは微笑んだ。
「ふふ、そんなに怖い顔しないでロイド。どうせ結婚したらハーレン家の何割かは私とも共有する予定だったでしょ?何故なら私がリゼさんの代わりにロイドの奥様になるのですから。」
「乗っ取ると共有するのでは意味が違う!」
「そうね、ハーレン家は全部私の物になるの。」
ロイドはマリーベルを睨んだ。
マリーベルは愉快そうにニンマリと笑った。
その顔は聖女の優しくて美しい笑みではなく、悪女が人を陥れて喜ぶような妖艶な笑みだった。
「もちろん表向きは当主である貴方の物だけど、裏では私の物として全て私の言う事を聞いて動いてもらいます。」
「私から当主としての権利を奪うつもりですか!」
「権利はそのままよ。自主的に貴方には私に従ってもらうだけよ。貴方は今まで通り学園に通って宰相の勉強をして領地の復興活動に力を入れてもらいます。ただ、私の言う事には全て逆らってはいけません。もし逆らったらロイドの素晴らしい未来が絶たれてしまいますよ?」
「絶対服従か・・・。」
「絶対服従。あぁ、なんていい言葉なのかしら!」
マリーベルはとっても上機嫌だった。
「何が目的なんだ、貴女は何がしたい?復讐か?」
「ふふ、違うわよ。ロイドも元使用人達も消えて居なくなればいいとは思っているけど復讐なんて立派な言葉を使う程憎んではいないわ。」
ロイドは居なくなればいいと思われている程嫌われているらしいが、復讐心は抱いていないと言われて複雑な気持ちになった。
「私にはね、自由になれる居場所がなかったの。」
「突然何を・・・。」
「服従させられる理由が聞きたいのでしょう?私はずっとギルフォード様の隣が私の居場所だと思っていたけど違ったみたい。私が帰りたくて仕方なかった修道院も違ったの・・・慕ってた神父とシスター達は大金で私を王妃様に売ったのよ。そんな場所なんて私の居場所とは言えないでしょう?」
「それでハーレン家、いやルーベンス領自体を貴方の居場所にしようと?」
「そうよ。金で売られて、売られた先でも捨てられたの。だけどここに来た当初は乗っ取ろうなんて考えを抱いてなかったわ、ロイドとリズさんを別れさせてしまった罪悪感しかなかったの。本当よ?」
ロイドは屋敷に来た当初のマリーベルを思い出しそれは本当だと思った。
「ここに来て王宮とは真逆の扱いを受けたわ。聖女とか美人とか言われてもてはやされていたけど、使用人達からすれば主人を苦しめただけのただの悪女。それを大義名分で私は辛い目にあったわ・・・。」
マリーベルは目を伏せてお茶を一口啜った。
「そしてあの腐った物を食べた日、修道院と王宮ぐらいしかしらなかった私はやっと世間という物を理解したわ。いくら容姿や肩書きでもてはやされていても悪意を持って私を陥れようと考える人間はたくさんいるって事に。」
「・・・もうこの屋敷に貴女を苦しめようとする人間はいません!私が全員解雇したではありませんか!」
「それだけでは私は満足しなかったの、そして今までの人生を振り返って私が誰にも縛られずに自由にできて心休める居場所が欲しくなったの。」
「貴女程の方ならわざわざ乗っ取るなどと考えなくても、屋敷の者達と良好な関係を築きここを貴女の居場所にする事ができるのではないですか?私には既にここに貴女の居場所が出来ていると思うのですが。」
日々少しずつ増える新しい使用人達はサラとニコラを筆頭にマリーベルをとても慕い大切に思っている。
ロイドからすれば既にハーレン家にはマリーベルの居場所ができているように感じるのだが、どうやらマリーベルはそれだけでは満足しないらしい。
「私が欲しいのは誰にも縛られずに自由にできて心休める居場所なの。でも、もしこのまま何もしないでロイドと結婚したらどうなるのかしら?ロイドは邪魔な私を屋敷の敷地内で飼い殺しにして私は一生を終える事になるでしょうね。」
「私はそんな事はしない!」
「どうかしら?だってロイドはあのヴァントのご主人様だったじゃない。最初のうちは私に対して申し訳なく思っていても、その事を直ぐに忘れてリズさんと別れさせられた恨みをぶつけてくるに決まっているわ。」
ロイドは自分の行いのせいで信用されていない事は分かっていたが、マリーベルの言葉に反論できない事がもどかしく感じで拳を握った。
「私は自分の容姿が他人からどう思われているか分かっているわ。この顔は特に邪な人間を惹きつけるみたいなの。」
ロイドは以前シャルルが言っていたマリーベルは大陸で1、2を争う程の美女という言葉が浮かんだ。
「私は王宮の中に居たのに3回も誘拐された事があるのよ。」
ロイドはマリーベルが誘拐された話は初耳だったので信じられないという表情で驚いた。
王宮という場所は国で1番警備が強固な場所だ。
そんな場所で聖女で第二王子の婚約者が3回も誘拐されるなんて他国に侮られて国の威信に関わる重大な事件だ。
だから宰相の息子のロイドでも知らなかったのだろう。
「3回目の誘拐の時が1番危なかったの。変態の上級貴族に地下牢に閉じ込められて、おぞましい事をされかける寸前に助けだされたわ。」
マリーベルはいつも通りに微笑んでいるがカップに添えている手は微かに震えていた。
「だからここから逃げ出したり、外国へ逃げたとしてももっと酷い目に合うかもしれないわ。どこへ行っても酷い目に会うかもしれないなら少しでも慣れているハーレン家を自分の居場所にする事に決めたの。」
「聖女様が安心して過ごせる確実な居場所を求めている事はわかりました。貴女を追い詰めて苦しめた責任は私にあります。だから私は一生ここで貴女が安心して過ごせるように尽力します。ですが・・・。」
「ですが何?」
空気がピリッと張り詰めた。
「私はハーレン家当主として聖女様に服従する事はできません。」
その瞬間パシンと音がした。
ロイドは一瞬自分の頬をマリーベルに叩かれたと思ったが、マリーベルの手元は先程からカップに添えられたままで動いていなかった。
頬をタラリと何かが伝うと頬に痛みが走った。
ロイドは自身の頬に触れてぬるりとした感触が手についた。
それは血だった。
マリーベルがロイドに風の魔法で攻撃したのだ。
マリーベルの魔法はロイドの美しい顔に怪我を負わせた。
ロイドは目を見開いてマリーベルを見る。
「貴方はまだ自分の立場が分かってないようねロイド・ハーレン。」
マリーベルは冷たくロイドを見据えていた。
「私は肩書きや立場を利用して権力を振りかざすなんてしたくなかったわ。だってそんな事をすれば大嫌いな王妃様やギルフォード様と同じになってしまうもの。」
王妃はマリーベルを娘のように大切に思っているが、マリーベルは違った。
マリーベルの中では王妃はいつまで経っても大好きだった修道院から自分を誘拐した人で、嫌がるマリーベルに王妃教育や貴族教育を無理矢理学ばせた嫌な人だった。
当時じゃじゃ馬だった小さな5歳のマリーベルは王妃から逃げて散々抵抗していたが、王妃の命令で大人達が結託した事により結局は諦めるしかなかった。
それにより今の完璧な淑女であるマリーベルが出来上がったのである。
だからマリーベルは王妃が大嫌いだった。
「だからハッキリとロイドを脅してあげるわ。私は聖女よ、そして婚約者じゃなくなった今でもギルフォード様や王妃様に目をかけてもらっているの。それにこの顔は邪な輩を呼び寄せるのよ。私が言いたい事が分かるかしら?」
「私達が貴女にしていた仕打ちを公表すれば貴女を慕う物が黙っていないと・・・。」
「そうよ。ロイドの弱味は私なのよ。」
ロイドの弱味がマリーベルであり、その弱味をマリーベルに握られている。
「ロイドは思い描いた理想の未来を迎えたいでしょう?だからロイドは私に服従するしかないの。」
ロイドの頬を伝う血は首筋を流れシャツの襟まで汚していた。
「服従以外にないのですか?」
「ロイド、貴方は勘違いしているわ。私は別にロイドに無理難題を吹っかけて困らすつもりはないのよ?ロイドが出来ることしか命令しないわ。私はただハーレン家で誰にも縛られずに自由に過ごしたいだけなの。」
「・・・・・。」
ロイドは何も答えず無言で心の中で葛藤していた。
このまま服従をマリーベルに誓うしかない事は分かっていても素直に頷けないでいた。
それは公爵家の当主としてのプライドだった。
ロイドの心の葛藤を察したマリーベルは小さくため息をついた。
「ハーレン家が私の物になるなら私はルーベンス領への復興に力を入れます。惜しげなく資金を提供しますわ。」
マリーベルのその言葉にロイドは目を丸くした。
ロイドのその反応にマリーベルは喰いついたと心の中でニヤリと笑った。
「どうやら復興作業がなかなか進んでいないようですね、犯罪も横行しててギルフォード様からの援助だけでは足りない状況だとか・・・。」
「貴女にはルーベンスを直ぐにでも助けられる程の財力があるとでも?」
「ありますわ。ですが今の私の財力では広大なルーベンス領を助けるにも資金は直ぐに底をついてしまいます。だけど私には大金を直ぐに集められる手が幾つかあるのよ。」
自信あり気に言うマリーベル。
ロイドはマリーベルのその言葉が嘘ではないと思った。
嘘だとしてもマリーベル自体が弱味になっているロイドに選択肢はなかった。
ロイドは重い口をゆっくりと開いた。
「表向きは私が当主として動き、裏では貴女の操り人形として動くという事ですね。」
「そうよ。」
「ハーレン家が貴女の物になるという事はハーレン家の繁栄に協力していただくという事でいいですか?」
「そうよ。だって私の物になるのですから。」
「ということは私との間に子を作るという事になりますが、よろしいのですか?」
ロイドの言葉にマリーベルが目を見開いた。
そしてマリーベルは俯き考えるような仕草をした。
「正直そこまで考えていなかったわ。」
マリーベルは先程まで自分が優位に立っていると思っていたので、ロイドの不意の質問に答えられないことに少し悔しさを感じた。
「私はロイドとリズさんが浮気しようが子どもを作ろうが私の邪魔にならなければいいと考えていたわ。」
「リズとそのような関係になるつもりはありません。」
「あら、意外。」
何故ならロイドはリズではなく、マリーベルを大切にしようと決めたのだから。
「もしかして私とリズとの間に生まれた子どもを養子にしようと考えていたのですか?」
「そうではないけれど・・・ロイドと私が子作りするのも考えられないのよねー。」
貴族は家を先の未来まで存続させる事が1番とされている。
だからハーレン家には唯一の御子息であるロイドが子を作る事が重要になってくる。
それはハーレン家を居場所にすると決めたマリーベルにとっても大きな問題だった。
貴族についての教育をみっちり叩き込まれていたマリーベルはその事を理解していたため、どうしようかと困っていた。
ロイドはリズと浮気する気はないといい、マリーベルはロイドとの子作りは考えられないし抵抗があった。
そんな事を考えていたマリーベルに一つの想いが自然と口から出た。
「家族がずっと欲しかったの・・・。」
人形のようで人間味が無いと言われているマリーベルだったが、人並みにいつかは赤ちゃんが欲しいと思っていた。
ギルフォードと王妃に家族のようだと思われていてもマリーベルは家族とは思えず、ギルフォードと王妃の血の繋がりのある関係が羨ましかった。
修道院にいた頃は自分以外にも孤児がたくさんいたから血の繋がりなんて気にしなかったけど、王宮に暮らすようになってからは気にするようになっていた。
だからロイドの目の前で無意識に本音が出たのだろう。
言った本人のマリーベルが1番驚いていた。
「貴方を傷付けて追い詰めた私が言う事ではありませんがーー」
ロイドは片膝をついてマリーベルを見上げだ。
「子どもの事はこれからゆっくり考えていきましょう。私の弱味は貴女です。ハーレン家とルーベンス領は聖女マリーベル様の物です。」
ロイドは服従を決めた。
それもこれもハーレン家を守るためだと自分にいい聞かせて。
「(彼女がどうしたいかは彼女にまかせよう。)」
子どもについてはマリーベルの意見を尊重しようとロイドは思った。
「公爵家当主ロイド・ハーレンは聖女マリーベル様に服従を誓います。」
マリーベルは風の魔法で傷付けたロイドの顔に手を当てた。
「よろしくお願いしますね、ロイド。」
その傷は綺麗に治っていた。
マリーベルは美しく微笑むのだった。
それはある満月の夜、窓から差す月の光に照らされ月を見上げる少女がいた。
「ロイド・・・。」
少女の手には王宮からのパーティーの招待状があった。
「ロイドに会いたい。」
少女は一筋の涙を流すのだった。
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