届く宛ての無い手紙

いしいけん

第1章 プロローグ

 広島宇品港から、フェリーで揺られること二十分。


 広島市の真南に位置する江田島。


 戦前、江田島といえば海軍兵学校そのものを意味していた程である。


 世界三大士官学校のひとつにも数えられ、総計一万二千余名の卒業生を送り出したこの学校は、旧帝國海軍とは切っても切れない関係があり、現在では海上自衛隊幹部候補生学校として毎年多くの幹部候補生を輩出している。


 そこには日露戦争を始め、第二次世界大戦までの旧海軍の歴史資料が保管されおり、東郷平八郎の遺髪、勝海舟の書物、特攻隊員の遺書などが展示されている。


 東京の靖國神社内にある遊就館や、鹿児島の知覧特攻平和会館にも特攻隊員の遺書が展示されているが、どれも達筆で悲壮感溢れる書面には感動を覚えざるを得ない。


 それは、この様なものを再び書かせてはいけない、この様な歴史を繰り返してはならない、という強い思いを感じさせてくれるものだった。


 私は以前、この学校を私用で訪れた事がある。


 その際にタイミング良く居合わせた教官を務める人物が、展示されている文献資料の解説をしてくれた事があった。


「当時の日本と今の日本……随分と様子が変わりましたが、今の平和な日本が存在するのは、死ぬ覚悟と生きる覚悟を持って懸命に戦った先人たちのお陰なのです」


 上下純白の制服を身にまとった教官はそう言うと腰を屈め、持っていた黒い鞄のファスナーを開けると中から分厚い一冊の本を取り出した。


 シワにならないようにと、その本の重みに挟んであった古びた封筒をそっと私に手渡してくれた。


 きっとこの教官の余程大切な私物なのだろう。


「開けても良いですか?」


 そう問うと教官はコクリと頷き、それを傷付けないよう慎重に取り出した。


 中には何度も何度も読み返され、角の破れた古い便箋が入っていた。

 ところどころ潮水に濡れて文字が滲んでいたり、衝撃の度にペン先が滑ったり……それは戦争経験者で無い私が、過酷な海上での激戦をほんの一片ではあるが、思い馳せる事が出来る貴重な代物であった。


 無地の封筒に誰とも宛名の書かれてないその手紙の内容は、私が今まで東京や鹿児島で目にしたものとは明らかに一線を画するものであった。




 そんなある日、私の所属する機関より《不穏な動きを見せる施設を調査せよ》との命令が下った。


 日本国籍でありながら、アメリカの某諜報機関に所属するエージェントである私は、その真相を確かめる為に大阪を訪れた。


 旧名、大日本量子学総合研究所、現在では名称を変え【NARS《ナーズ》】と呼ばれる。


 アインシュタインが提唱した相対性理論、それを独自の理論と最先端技術をもって原子核の研究を続けており、今や日本に於ける量子力学の最高峰機関との呼び声も過言ではないだろう。


 戦争が行われた昭和も終わりを迎え、平成が訪れ……そして今や令和と言う新時代が到来した。技術と科学は、日進月歩で目まぐるしい発展を遂げようとしている。


 しかし、世界は平和の二文字を掲げるものの軍備縮小など何処吹く風、新たな兵器の開発と製造に各国は予算の大半を費やす。


 一九七四年、原子力船むつの事故以来、開発を中断していた日本が重い腰を上げ、いよいよ海上自衛隊とNARSの持つ最新鋭技術の粋を集め、秘密裏に原子力潜水艦の製造に着手したのでは……そんな疑念から当機関は危機感を募らせた訳だ。


 日本がアメリカの許可なく、秘密裏に原子力潜水艦の製造を始めた。それが事実だとすれば、戦勝国であるアメリカの逆鱗に触れる事は勿論、アジアを始め西側諸国をも巻き込み、世界を激震させるに足る大ニュースである。


 しかし、少し調べてみると容易に分かる事なのだが、日本近海の防衛に原子力潜水艦は不向きであった。


 非核三原則に反し、核弾頭を搭載しての偵察や奇襲攻撃には有効かも知れないが、第一コストが膨大にかかり過ぎる。軽く二千億円以上を超える防衛費は、まるで令和の戦艦大和建造と言われる程の愚行であるのは明白。


 国会での与野党の予算編成はおろか、世論ですらまとめる事は不可能に近い。


 事実昨年度、高性能在来型潜水艦の増産が閣議決定されたばかりであり、戦略的に鑑みても日本近海の防衛としてはこの方法が最も現実的である。


 結論から言うと日本政府は勿論、海上自衛隊とNARSに原子力潜水艦建造の計画はなかった。


 では、この不穏な動きとは一体何なのだ?


 調べを進めると、幾つかの謎が生じる。


 まず、原子力潜水艦建造を計画するのであるならば、国立であり既にノウハウを熟知している【日本原子力研究開発機構】に日本政府として正式に依頼が行くのが本筋。それが何故、民間機関であるNARSなのか?


 そのNARSと現段階で原子力を用いる必要のない海上自衛隊との接点は何なのか?


 そこで、意外な人物が調査線上に浮上してきた。


 NARSと蜜月な関係を保ち施設に頻繁に出入りし、何やらこの不穏な計画を首謀していると言われる人物。


 その人物こそ、海上自衛隊の資料館で私にあの手紙を見せた教官。


 横井哲也よこいてつや二等海佐であった。


 昭和天皇崩御で湧く、一九八九年一月。


 海上自衛隊幹部候補生学校の正門に突然現れたという横井。


 現れた際は、身なりもみすぼらしく浮浪者と見間違う程の容姿だったそうだが、二冊の大学ノートにびっしりと書き綴られたレポートを持って現れたそうだ。


 題名は『潜水艦戦術と戦略、その応用』


 そのレポートに目を通したとされる、当時の学校長である西澤勉海将補。

(西澤は数年前に失踪後、行方不明扱いなっている)


 レポートの内容に驚嘆した西澤は、すぐさま横井を呼び寄せ特例として模擬試験を受けさせた。座学、航海術、砲科に於いてほぼ満点に近い類稀な成績を叩き出し、西澤の特別な図らいで海上自衛隊幹部候補生学校に入学。


 以来、西澤の秘蔵っ子として重宝され、彼から海上自衛隊の全てを学び、現在は教官という立場から数多くの海上自衛隊幹部を育ててきた。


 出生地、経歴共に……不明。幼い頃は、福島県の施設で育ったと言うが、詳細については何ひとつわからず調査中。現在は、結婚して妻と息子の三人家族である。


 勤務態度は折り紙付き。至って真面目な性格であり、在学中を含め数十年と問題や規律違反を起こした事は皆無だ。


 この横井が過去に持参したとされる問題のレポート内容だが、未だに海上自衛隊内での公表はおろか、レポートの所在も西澤と共に現在も不明である。


 そして、もうひとつ。


 民間の小さな研究室だったこのNARSに突然、巨額の資金援助と技術提供を持ちかけ、自らも研究者として実験開発を行うNと名乗る謎の男。


 実質NARSは、このNを名乗る男が経営共に実権を握り、彼の個人的ラボとまで言われる。


 そんな天才科学者程の才能を持ちながら論文の発表は一度も無く表舞台には一切現れず、所在も本名も明かさない謎の男Nと、海上自衛隊の横井が目論む計画が次第に明かされていくのだが……


 それは信じ難くも世界を震撼させる恐ろしい出来事の序章だと、この時の私はまだ知る由も無かった。


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