第108話 諜報・工作活動 ~昔取った杵柄~

 元々フランスの諸侯は独立性が強く、祖父フィリップⅡ世と父ルイⅧ世の時には抑えられていたが、ルイⅨ世という幼君の下では反抗や陰謀がくすぶっていた。


 これらの貴族を取り込み、反乱を起こせば自分が王になれるのでないか。そのためにはルイⅨ世が幼君で求心力が弱い今しかチャンスはないだろう。

 そこに示し合わせたように現れたサンジェルマン伯という男。


 サンジェルマン伯はこう言った。

「諸侯の独立性の高いこのフランスという大国で、幼君というのはあまりにも頼りない。ここは成人なされているフィリップ殿下がフランス王になられるべきです。

 そのためならば私はいくらでも力を貸しますぞ」

「そうか。ではぜひお願いしたい。しかし、貴殿への見返りはどうしたらよい?」


「そうですな。大臣の椅子一つで十分でございます。私のこれまで身に付けた知識と経験をぜひフィリップ殿のお役に立てたいのです」

「そんなことでよければいくらでも約束しよう。頼りにしているぞ。よろしく頼む」


御意ぎょい


    ◆


 その日の夜。人目を忍んでサンジェルマン伯爵のもとを訪れたヴェルンハルトにサンジェルマン伯は言った。


「獲物は喰いついた」

「そうかそれは良かった」


「まだだ。なびきそうな貴族どもには当たりはつけてあるが、どの程度集まるかわからない」


「貴殿の詐術と財力があればたやすいだろう」

「そう簡単に言ってくれるな。これが一番大変な作業なのだ」


「ならば我らの息のかかった貴族もいるが、手伝わせるか?」

「いや。中途半端に手伝われると相手に感づかれるおそれがある。必要があればこちらから頼むから、それまではおとなしくしておいてくれ」


「わかった。とにかく頼んだぞ」

「承知した」


 サンジェルマン伯は思った。


 ──これで薔薇十字団ローゼンクロイツァーが言うところの『完全にして普遍なる知識』を得るための人間や社会を変革する第一歩が得られるなら、それも面白い。


 サンジェルマン伯は団長のクリスチャン・ローゼンクロイツと面識があり、彼が主張する『完全にして普遍なる知識』に強い関心を持ったのだ。

 その実現のために手を貸すうちに関係が深まり、ついには団員となるに至った。


 ──随分と長く生きたが、こんなにワクワクするのは久しぶりだな…


 彼が本当に4千歳なのかどうかはともかく、通常の人族としては尋常ではない年数を生きていることは間違いなかった。

 カロリーナのように人魚の肉を食したとか、そういうことなのかもしれない。


    ◆


 アリーセは愛妾あいしょうとして初めての一夜をフリードリヒと過ごした。

 彼女にしてみれば長い間見ていた夢がかなったのだ、その感動に打ち震えると同時に、目標を失ってしまったような喪失感も覚えていた。


 フリードリヒの子をなし、育てることが目標でいいではないかとも思うのだが、彼女の胸にはストンと落ちてこなかった

 そんなことをボーッと考えているとフリードリヒに話しかけられていることにやっと気づいた。


「…ーセ。アリーセ。どうした。ボーッとして」

「いえ。何でもありません」


「さっそくで悪いのだが。サンジェルマン伯のことを探ってもらいたい」

御意ぎょい


 途端にアリーセは嬉しくなった。

 これだ。情報収集でフリードリヒの役に立つ意外、自分に何の取り柄があるというのだ…

 それに情報を得たときの満足そうなフリードリヒの顔が何よりも好きだ。


「閣下。今の仕事を続けさせていただいてもよろしいですか?」

「君がそれでいいというのなか構わない。好きにするといい。だが懐妊したらそうはいっていられないからな。その時の穴を埋める後継者はちゃんと育ててくれよ」


 当たり前のように「懐妊」などと言われ、アリーセは赤面してしまった。

 それがバレないようにできるだけ素っ気なく答える。

御意ぎょい


 アリーセはいつもどおり身軽な動作で部屋を出ていく。

 が、フリードリヒから見えないところまで行くと、痛みで座り込んでしまった。

「痛タタタタタ…」


 ──破瓜はかの痛みがこれほど後を引くものとは…


 これしきのことが何だ。任務に邁進しなくては!


 急ぎの旅だったのでフランスまではイゾベルにほうきに乗せて送ってもらった。

 痛みで普通にはまたがれなかったので、横据わりでほうきに乗ると、イゾベルは聞いてきた。


「何だい? その乗り方は。お嬢様じゃあるまいし…」

「いや。ちょっと…諸般の事情が…」


 そこでイゾベルはひらめいてしまったようだ。

「そういえば、あんた昨日はフリードリヒ様と…。そうか、あれは痛いからね。変なこと聞いて悪かったよ」

「いえ…そんなことは…」


「いいね。うらやましいなあ」

「まさか。あなたも?」


「ああ。あたしも愛妾あいしょうの座を狙っているのさ。でもまだ秘密だからね」

「はい。わかりました」


    ◆


 アリーセを信頼していない訳ではないが、フランスはまだタンバヤ商会のテリトリーとは言えない。

 諜報ちょうほう活動の展開も一苦労だろう。


 フリードリヒは愛妾あいしょうのローザ・シュミットのところを訪ねた。

 彼女はアークバンパイアでアリーセを眷属にした張本人だ。


 ローザは開口一番言った。

「わかってるよ。フランスへ行けっていうんだろう」

「そうか。眷属けんぞくが見聞きしたことは君にもわかるんだったな」


「そうよ」

「それならば話は早い。昔取った杵柄でサンジェルマン伯のことを探って欲しい」


「あなたのためなら何でもするわ。昔の家業に戻るのも面白いかもね。そのかわりぃ…」


 ローザはキスをしようと顔を近づけてきた。

 軽くキスをして、そして…


「おっと。この先はお預けだ。仕事が終わったらいくらでも穴埋めはするから…」

「ここまでやっておいてお預けなんて…このドSめ!」


「何とでも言え」


「じゃあ。ヘクトールのことは頼んだわよ」

「ああ。グレーテル保育園に頼んでおく」

 ヘクトールはフリードリヒとローザの間にできた男児である。半分ヴァンパイアで4分の1は神の血が流れている。


「行ってくる」

 そう言うと蝙蝠こうもり変化へんげして飛んでいった。


    ◆


 アリーセがフランスに着き、さてどこから手を付けるかと考えていた時…


 後ろから声をかけられた。

「アリーセ。こうやって仕事をするのも久しぶりね」


「ローザ様…」

「タンバヤ商会を探っていた時以来だから、もう8年ぶりくらいかしら…」


「どうして、こちらに?」

「閣下が心配して私をよこしたのよ。あなたを信用しないわけじゃないけど…」


「ありがとうございます」

「追っ付け後の3人も来るわ」


 後の3人とはアリーセ以外にローザが眷属にした3人、レネ・ブライテンライトナーとベルント・バウムガルテンの男2人とラウラ・ロルツィングという女性である。


「サンジェルマン伯には私が張り付くから、あなたとレネはフィリップ・ユルプルの周辺を探ってちょうだい。ベルントとラウラにはルイⅨ世の周辺を探らせるわ」

「なるほど、そこまでやれば完璧ですね」


    ◆


 サンジェルマン伯は、社交界の場で当たりを付けていた貴族たちを次々に訪問していた。


 彼は弁論や詐術を使い、また大量のダイヤモンドで買収するという形で貴族たちと交渉をしていく。


 だが、その様子の一部始終を監視している一匹の蝙蝠こうもりがいることには気づいていないようだった。

 蝙蝠こうもりはもちろんローザである。


 ローザは交渉を見届けると成立した貴族の家宰や使用人を闇魔法で魅了し、操り人形にしていく。


 一方、アリーセとレネはフィリップのところを見張り、そこに出入りする貴族をチェックし、会話の内容を盗聴した。

 その多くが反乱成功の際の見返りに関するものだった。


 ベルントとラウラはルイⅨ世の身辺を探った。


 するとルイⅨ世の身辺にも必ずしも心酔していないものも多くいることがわかってきた。これらの者はブランシュの権威があってようやくつなぎ留めているのだろう。


 ある日の深夜。

 ローザは眷属けんぞくの4人を招集した。

 互いに取集した情報をすり合わせていく。


「これで概ね反乱に加担する貴族は特定できたわね。さて、これからどうするかだけれど…」


 その時、暗がりにスッと人影があらわれた。


「誰だっ!」とローザが鋭く誰何すいかする。

 手には大剣クレイモアを抜き放っている。


「おいおい。私だ…」

「なんだ。あなた驚かさないでよ」


 人影の正体はフリードリヒだった。ローザたちの様子を千里眼クレヤボヤンスでうかがっていたが、結果がでたようなのでテレポーテーションでやってきたのだ。


「それでこれからどうするの?」

「そうだな。最後まで加担したものはらしめてやるつもりだが、数が多いと面倒だ。買収された者は逆買収してやろう。

 問題は中途半端な正義感から加担する奴だな。確かに幼君というのは不安定というのは事実だからな…。だが、一応は説得してみよう」


「それを誰がやるのです? レネやベルントでは荷が重いですが…」

「私がやる」


「あなたが自ら!?」

「ああ」


「しかし、その姿では…」

「これでどうだ?」


 フリードリヒは変身魔法で40代後半くらいのベテランの家宰といったていの男に変身した。


「まあ…これなら…」

 ローザは呆れて言った。


「じゃあ。早速明日から始めよう」


 こういうスパイ活動みたいな経験は初めてだったので、フリードリヒは少しワクワクしていた。

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