第94話 教皇の秘密 ~教皇ホノリウスの奥義書とテンプル騎士団~

 薔薇十字団ローゼンクロイツァーのエリーザベトであるが、実は今でも関係が続いていた。


 アウクスブルグ時代の屋敷と違い、フリードリヒが住まうナンツィヒの城は警備も厳重なのだが、その警備をかいくぐってやってくるのだ。

 しかも、ローテーションが休みの日をきちんと狙ってやって来る。


 これは薔薇十字団ローゼンクロイツァーの息のかかった者が城の使用人などに紛れ込んでいるに違いないと厳重に調べさせたが、結局何の手掛かりも得られなかった。

 あまりしつこくやってエリーザベトのことが妻たちにバレるとまずいので、調査の方は適当なところで切り上げ、ペンディングとなっている。


 エリーザベトの心理は未だに理解できない。フリードリヒの命を引き続き狙って油断するのを待っているようにも思えるが、単にれた男のところに通っているにも思える。

 もっとも本人に言わせれば後者だと言うのだが、それを鵜呑うのみにするのも馬鹿正直に過ぎる。


 今日はローテーションが休みの日。

 案の定、フリードリヒの部屋の窓をたたく者がいる。

「アリーセ…じゃないよな…」

「おっ。よくわかっているじゃないか。本当は待っていたんだろう?」


 窓を開けてあげるとエリーザベトは慣れた動作で部屋に入ってきた。


「今日もサービスしてね。ダーリン」

「しかし、おまえ。どうやって入ってきているんだ?」


「それは企業秘密だからね。教えられない。だって教えたらめ出す気だろう?」

「しかし、城の警備に穴があるのは重要問題なのだ」


「警備に穴はないと思うけどねえ…」

「何っ。どういう意味だ?」


「そのままの意味だよ。

 あっ。そうそう。気をやる前に言っておくよ。

 新しい教皇には気を付けな」

「ホノリウスⅢ世がどうした?」


「やつは薔薇十字団ローゼンクロイツァーの息がかかった魔術師なのさ。おまけにテンプル騎士団ともつるんでいる」

「教皇が魔術師だと! からかっているのか?」


「教皇庁も裏を返せば穴だらけってことさ」

「もちろんそんな完璧な組織と思ってはいないが…」


「そんなことより…」


 こいつ。回を重ねるごとに行為がエスカレートしていく。

 もはやディアンヌ・フォン・ポイヒーも顔負けの魔性の女ではないか。こいつをこんなにしたのは…俺のせいなのか…?


 翌朝。

 フリードリヒは教皇の周辺とテンプル騎士団について探るようタンバヤ情報部に指示を出した。


    ◆


 ホノリウスⅢ世はエリーザベトの言うとおり魔術師だった。

 彼はローマ貴族の家系に生まれたが、若い頃に祓魔師エクソシストの修行をしたことがあり、その時に薔薇十字団ローゼンクロイツァーに入団したらしい。


 ホノリウスⅢ世は教皇になると、その権力を用い、世界中から魔術師、妖術師のたぐいをローマに召集した。そして、彼らの身の安全を保証したのち、奥義秘伝を問いただしたのである。


 召集された者たちは聖都に辿たどり着くまでに難行苦行を重ねていたが、それはホノリウスⅢ世の使役する霊の邪魔によるものであった。

 それをくぐった手練の者のみがヴァチカンの聖堂に到達し、大いなる召集の栄に浴したのである。


 そのうちのひとりであるジェロームという妖術師は、教皇のしたためた邪道外道の奥義秘伝を盗み出し、これを書きしるした。

 これが後の世になって「教皇ホノリウスの奥義書グリモワール」として出回ることとなる。


 ホノリウスⅢ世が集めた秘儀秘伝は薔薇十字団ローゼンクロイツァーへ、また彼が厚く庇護ひごしていたテンプル騎士団へも提供された。


    ◆


 少し時はさかのぼる。

 第5回十字軍がダミエッタを攻略したあと、アイユーブ朝のアル・カーミルはある男に話しかけた。

 男は黒づくめの服装に女性用のヘジャブ(頭から顔を隠すベール)を着けており、顔はうかがい知れない。本人は男だと言っているが、声も中性的であるのであるいは女なのかもしれない。


「信じられぬことだが神からたまわったとか申す武器はあなどれん。あのうるさいはえどもはなんとかならんのか?」

「奴らを使ってみますか。それなりに数は減らせますが…」


「予はあまり好かぬが、やむを得ぬ」

御意ぎょい


 奴らとは通称「暗殺教団」と言われる者たちで、実体はイスラム教シーア派の非主流派のイスマイル派の更に分派のニザール派がその正体だった。彼らは異教徒のみならず、イスラム教他派とも熾烈しれつな抗争を繰り広げていくうちに、対抗手段としての「暗殺」に特化した集団となっていった。


 黒衣の男は暗殺教団とのパイプを持っているようだった。

 その日の深夜。黒衣の男が合図をすると暗闇の中から同じような黒衣の男があらわれた。


「十字軍のはえどもをなんとかしたい。今回はあれを使う」

御意ぎょい


 あれとはペスト菌のことである。この時代、病気というものは悪魔や精霊が起こすものと考えられていたが、暗殺教団は経験的にペスト菌を操るすべを獲得していたのだった。


 結果、神聖帝国からの援軍を待っていた十字軍のなかでペストが流行し、兵力が減少した。

 テンプル騎士団総長ギヨーム・ド・シャルトルも病にかかり陣没した。


 総長を亡くしたテンプル騎士団は十字軍を離脱することとなったが、中世最強とも言われる騎士団の離脱は十字軍としてはかなりの痛手だった。


    ◆


 十字軍活動以降、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するため、いくつかの騎士修道会が誕生したが、テンプル騎士団はその中でももっとも有名なものである。教皇に公認された教皇直属の組織でもある。


 テンプル騎士団はその後に結成されるオカルト系団体の草分け的存在であった。フリーメーソンリーなどの団体がその起源をテンプル騎士団に求めた。


 テンプル騎士団の者たちはバフォメットという異教の神を崇拝していた。

 バフォメットは、両性具有で黒山羊くろやぎの頭と黒い翼をもつ姿をしており、黒ミサを司る。魔女たちもその多くが崇拝していた。


 テンプル騎士団の秘密の参入儀式の折にはキリスト像を踏みつけ神を冒涜ぼうとくした。また、キリスト教が禁ずる同性愛行為にも耽溺たんできしているともいう。


 テンプル騎士団の熱狂的な戦いぶりはすさまじく、ボーヤンという軍旗が掲げられている限りは撤退や降伏が一切認められなかった。この強力な戦闘集団は、イスラム勢力から畏怖いふされた。

 これは、一般には強烈な信仰心から来るものと見られていたが、実際は黒魔術を使ったマインドコントロール的なことが行われていたようだ。


    ◆


 ホノリウスⅢ世は新たにテンプル騎士団総長となったペドロ・デ・モンタギューと会話をしていた。

「ギヨームは気の毒なことをしたな」

「しかし、病ではしかたありませぬ」


「それはともかく、例の物の探索はどうなっておる?」

「方々探させてはいるのですが、いっこうに手掛かりがつかめませぬ」


「とにかく最優先で頼むぞ」

「承知いたしました」


 テンプル騎士団の表向きの役割は聖地巡礼者の安全の確保にあるが、重要な業務として聖遺物の探索があった。

 その結果として、聖杯や聖櫃せいひつを手に入れたなどとも言われているが、現在最優先の目標としているのがロンギヌスの槍、すなわち聖槍の探索であった。


 ロンギヌスの槍は、磔刑たっけいに処せられた十字架上のイエス・キリストの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍である。

 イエスの血に触れたものとして尊重されている聖遺物のひとつで、槍を刺したローマ兵の名をとって、「ロンギヌスの槍」と言われる。


「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承があり、アドルフ・ヒトラーの野望は、彼がウィーンのホーフブルク王宮で聖槍の霊感を受けた時より始まるという説は有名である。


 実は、これこそ聖槍であると言われるものは複数ある。神聖帝国皇帝のレガリアである帝国宝物のひとつである聖槍もその一つであるが、ホノリウスⅢ世は偽物とみなしているようだ。

 確かに、伝承が確かなら、今頃神聖帝国はヨーロッパくらいは席捲せっけんしていてもおかしくはないことを考えれば、偽物の可能性は高い。


 ホノリウスⅢ世は、教皇の権威とテンプル騎士団の武力を組み合わせて世界を制する野望をもっていたのである。


    ◆


 フリードリヒのもとにアリーセが調査結果を報告にきた。


「まずはホノリウスⅢ世の方はどうだ?」

「魔術師というのは本当のようです。世界各地から魔術師を集めその奥義を収集し、これを薔薇十字団ローゼンクロイツァーやテンプル騎士団に提供しているようです」


「どのような奥義なのだ?」

「黒魔術が基本で悪魔や霊を召喚し、使役することができるとか…。なんでも四方の悪魔も召喚できるとのうわさもあります」


 四方の悪魔とは東西南北をべる悪魔で、マイモン、アマイモン、パイモン、エギンのことである。


「四方の悪魔とは実力はどうなのだ?」

 横に控えているベルゼブブにただしてみる。


「我らと比べれば小物だな。しかし、ホノリウスなる者の名前は聞いたことがないぞ。四方の悪魔を使役できるほどの霊格の持ち主ならばもっと名前が知られていてもおかしくはない。

 おおかたその辺の雑魚ざこな悪霊が名前をかたっているのではないかな」

「そのようなことがあるのか?」


「悪霊は雑魚ざこなものほどたちが悪いからな。我の名前をかたる悪霊など山ほどおるぞ」

「多数の者から集めた奥義など玉石混交ぎょくせきこんこうだろうからな。正しいとは限らないし、使いこなすにはそれなりの霊格が必要となれば確かにあやしいな」


 となるとホノリウスⅢ世本人の能力はさほど脅威きょういではないということか…


「テンプル騎士団の方はどうだ?」

「バフォメットを崇拝し、黒魔術を使うことは確かです」


「教皇とはどのような関係なのだ?」

「教皇はテンプル騎士団にロンギヌスの槍の探索を命じているようです」


 ──ロンギヌスの槍を手に入れて世界制覇か。まるでヒトラーきどりだな…


「陛下のレガリアにある聖槍は偽物ということかな」

「ホノリウスはそう考えているようです」


 確かに、暗黒騎士団ドンクレリッターを別にすれば、神聖帝国ほど戦争に弱い国はない。偽物の証拠としては十分か…


 ──そうすると本物のロンギヌスの槍をあのようなやからに渡すわけにはいかないな


「わかった。ご苦労だった」

「はっ」


 その後、フリードリヒはミカエルのもとに向かった。


 ──ダメ元でもロンギヌスの槍のことを聞いてみよう。


「ミヒャエル。ロンギヌスの槍は今どこにある?」

「何を言っているのだ。聖墳墓教会の宝物庫に今でも眠っておる。当然ではないか」


「はっ? しかし、あそこはテンプル騎士団を始め何度も探索されているはずだが?」

「それは探した者の目が曇っていたのだ」


 ──どういうことだ?


 フリードリヒは想像してみた。千年以上前の槍が宝物庫で眠っている。もしそれがろくに手入れされていないとすれば…


 おそらく木製の柄の部分はちて失われている。残る穂先も手入れがされていないとなると、みすぼらしい赤錆あかさびかたまりにしか見えないだろう。確かに聖槍などという宝物を期待している者の目には写らなくても無理はない…


「『所有する者に世界を制する力を与える』という伝承は本当なのか?」

「さあな。イエスの血に触れたことは確かだから何某なにがしかの神秘的な力は宿しているとは思うが…。

 むしろ周りの者がそういう物だと信ずることによりそうなるといのが真実なのではないか?」


 ──要するに権力の象徴ということか…


 そうすると本物であるかどうかはあまり重要ではないということにはなるが…

 だめだ。やっぱり本物がどこの誰とも知れない者の手に渡ることは耐えられない。


 なに。テレポーテーションで行って、さくっと回収してくればいいのだ。


 エルサレムは聖地だけあって地図を手に入れることは難しくなかった。地図で聖墳墓教会の場所を確認し、その夜、テレポーテーションでこっそりと移動した。宝物庫の場所もすぐにわかった。


 宝物庫の中を見渡してみるがろくなものがないではないか。確かに価値のあるものは既に十字軍が持ち去っているだろうからな。


 それは宝物庫の隅の暗がりにひっそりと転がっていた。想像していたとおり、小ぶりの槍の穂先ほどの大きさの赤錆あかさびかたまりだった。

 だが、意識を集中してみると神秘的な力を感じる。これで間違いないだろう。


 フリードリヒはナンツィヒの城にそれを持ち帰った。


 翌日。

 金属魔法で慎重に赤錆を取り除くと槍の穂先が姿を現した。武器としてはかなりみすぼらしい。千年以上前のローマの一般兵が使っていた槍な訳だからこんなものだろう。


 誰かに預けるのは嫌だったので、職人を呼んで目の前で柄の部分のこしらえを作らせ、穂先を砥がせた。さやも作らせる。

 これで一応見られるようにはなった。


 早速、ミカエルに見せてみる。

「わざわざエルサレムまで取りにいってきたのか。酔狂な。其方そなたはあまり神のことを好いていないと思っておったのだが、少々意外だな」

「誰ともわからぬやからの手に渡るのがいやだっただけだ」


「それにしても随分と綺麗きれいになったものだな」

赤錆あかさびのままでは気持ちが悪かっただけだ」


 少なくとも、ミカエルの反応を見る限り本物で間違いなさそうだ。


 しかし、このことは、当分の間、誰にも口外しないことにした。

 口に出せば陛下が所有する聖槍が偽物ということになり、陛下に喧嘩けんかを売ることになってしまう。


 とりあえず怪しげなやからの手には渡らなかったということで良しとしよう。


『それでいいだろう。ヤハウェよ』

 とフリードリヒは神に呼びかけてみたが答えはなかった。

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