第3節 ローマ教皇と各種十字軍

第90話 第5回十字軍(1) ~第4ラテン公会議と教皇の最後~

 ローマ教皇インノケンティウスⅢ世によって呼びかけられた第4回十字軍は、当初の目的であった聖地には向かわず、キリスト教国のビザンチン帝国を攻略し、コンスタンティノープルを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍となってしまった。

 結局のところ、教皇は制御しきれなかったのである。


 これに失望したイノケンティウスⅢ世は、新たな十字軍、すなわち第5回十字軍の招集を呼びかけるべく、第4ラテラン公会議を開催する。


 第4ラテン公会議は、ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に隣接するラテラノ宮殿で行われたカトリック教会の代表による公会議である。

 教皇が第1ニカイア公会議のような古代の偉大な公会議に匹敵する公会議をローマに実現したいと望んだ結果、会議には神聖帝国、フランス、イングランド、アラゴン、ハンガリー及び東方十字軍諸国の国王たちの使節、南フランスの領主、イタリア都市の代表者、400人を越える司教、800人以上の修道院長など1500人以上が出席した。


 会議の目的は、正統信仰の保護、十字軍国家の支援、俗人による聖職者叙任権への介入の排除、異端の排斥など多岐に及んだが、最大の目的はもちろん新たなる十字軍の編成であった。


 この会議において、イノケンティウスⅢ世が「教皇は太陽。皇帝は月」と演説したことは有名である。

 この演説に示されるように、イノケンティウスⅢ世は教皇権全盛期時代の教皇で、西欧諸国の政治に多く介入したが、その晩年には十字軍の暴走などその権勢にかげりが見え始めたのである。

 この演説は、そんな自分に言い聞かせる意味合いもあったのかもしれない。


 神聖帝国との関係では、ホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝フィリップの勢力を恐れて、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン宮中伯オットーⅧ世と計ってフィリップを暗殺したとも言われる。

 その後、継争いに介入し、ヴェルフ家のオットーⅣ世の帝位を承認し、傀儡かいらいにしようとしたが、オットーは皇帝に従わず、イタリア南部に侵入して勢力を拡大しようとしたためにオットーを破門し、自分が暗殺した前帝フィリップの甥のフリードリヒⅡ世の帝位を承認せざるを得なくなった。


 一方、自らの帝位を権威付け、また経済的にも豊かなイタリアの地を掌握することは、歴代神聖帝国皇帝の夢であり、イタリア政策問題は頭痛の種でもあった。


 ホーエンシュタウフェン朝の神聖帝国皇帝フリードリヒⅠ世は、イタリア政策に意を注いだ皇帝であった。

 最初のイタリア遠征を行い、ローマ教皇ハドリアヌスⅣ世から帝冠を授けられたが、イタリアの支配をめぐって教皇と対立するようになる。


 皇帝フリードリヒⅠ世に対抗し、ローマ教皇の支援を受けて北イタリア・ロンバルディア地方を中心とする都市同盟であるロンバルディア同盟が結成され、教皇派ゲルフ皇帝派ギベリンの抗争における教皇派ゲルフの中心となった。加盟都市はミラノ、クレモナ、ボローニャなどである。

 フリードリヒⅠ世は、結局戦いに勝利することはできず、コンスタンツの和議において、イタリアの諸都市は皇帝に忠誠を誓う一方、皇帝に都市の自治を認めさせる結果となった。


 現皇帝フリードリヒⅡ世は、第5回十字軍参加を誓ったものの、元々宗教的に寛容なシチリアに育ったためイスラム教徒との戦いには熱心でなく、イタリア政策において対立するローマ教皇との条件闘争が先決と考えていた。


 また、参加をあてにしていたフランスの騎士たちも、レーモン親子の帰還によりアルビジョワ十字軍の戦いが再燃し、第5回十字軍に参加する余裕がなくなっていた。


 このため、第5回十字軍の編成は遅々として進まなかった。


 そのうちにローマ教皇イノケンティウスⅢ世の体調が悪化し、彼は死の床についていた。


 イノケンティウスⅢ世は、経済協定という皇帝とは違ったアプローチでイタリアに触手を伸ばしてきているロートリンゲン公フリードリヒに、不気味ぶきみさとともに不思議な興味を感じていた。

 また、うわさによると、かの者は大天使ミカエルの加護を受けた軍隊をようしているともいう。しかも、ケルン大司教などは実際にミカエルが降臨した姿を見たというではないか。


 イノケンティウスⅢ世は、死ぬ前にぜひフリードリヒに会ってみたい。できうれば、ケルン大司教のようにミカエルの降臨を目にしてみたいと思った。

 そして、フリードリヒを密かに教皇庁に呼び出すことを決めた。


    ◆


 フリードリヒにのもとを教皇庁からの使者が訪れた。

 ローマ教皇が密かに会いたいと言っているとのことだった。


 非公式とはいえ、ローマ教皇へ謁見えっけんするとなれば、この上ない栄誉えいよである。理由もなく無碍むげに断ることはできない。

 表には伏せられているが、タンバヤ情報部が調べたところによると、教皇は今死の床にせっているという。


 ──なぜ私なのだ?


「わかった。教皇にはすぐにお伺いすると伝えてくれ」

 と言うと使者は満足して帰っていった。


 もし教皇が死の床にあるとすると、間に合わなかったでは意味がない。

 フリードリヒは、使者を追い越すわけにはいかないので、たどり着いた頃を見計らって、テレポーテーションで一気に教皇庁へ向かった。


 さすがに悪魔のアスタロトを警護に付ける訳にはいかなかったので、ミカエルを伴うことにした。そうすると当然にガブリエルもオマケでついて来る。


 教皇庁に着くと、その速さに驚かれたが、教皇への忠誠のあかしととられたようである。

 すぐさま教皇がせる部屋へ通された。


「フリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン。まかり越してございます」

「よく来てくれた。このような姿で済まない」


「いえ。無理をなさらず…」


其方そなたにはいろいろと聞きたいことがあったのだ。其方そなたはイタリアをなんとするつもりじゃ」


 ──なぜ皇帝ではなく、俺に聞く?


「私はイタリアに領土的野心は持っておりません。共に協力し合って経済的繁栄を享受できればと思っております」


「仮に領有できたとすればどうする?」

「帝国の役割は軍事、外交などの最低限にとどめ、イタリアの諸都市には最大限の自治を認めることになるでしょう」

 これはフリードリヒの本心である。なぜか嘘をつく気にはなれなかった。


「そうか…」

 ほっと息を吐くと、教皇は安心した顔をした。


「ところで其方そなたの軍隊が大天使ミカエル様の加護を受けているというのは誠か?」

「はい」


「では、其方そなたはミカエル様に会ったことがあるのか?」

「はい」

 何の躊躇ちゅうちょもなく答えるフリードリヒに教皇は驚きを感じた。


「そうか…うらやましいのう…」


「もう会っているではありませんか」

「何っ!」


「ここにおられるお二方ふたかたがミカエル様とガブリエル様です」

「嘘を申せ…」


 フリードリヒが目配せをすると、ミカエルとガブリエルが光に包まれたかと思うと、本性に戻る。


 豊かな天使の羽。後ろには後光が光り輝いている。


 教皇の目は驚きに見開かれている。

 近くに控えていた教皇の護衛は、尻もちをつき、「ひーっ」と悲鳴を上げている。


 教皇は一瞬驚いたものの、さすがにきもわっている。

「生きている間にミカエル様、ガブリエル様にご降臨いただけるとは、望外の栄誉にございます。

 ときに、お会いしたら聞きたいことがあったのですが、よろしいですかな?」


 ミカエルは穏やかにうなずいた。


「年を取ってくると気が弱くなってくるもので、わしがやって来た様々なことは正しかったのかと疑問に思っておるのです。ミカエル様から見て、いかがなものでございましょうか?」

其方そなた其方そなたのできることをやった。それで良いのではないか?」


「そ、そうでございますな…」

 教皇の目から大粒の涙があふれ出した。


 ──いろいろとやらかした教皇だったが、それなりに罪悪感も感じていたということか…くそじじいのくせに可愛いところもあるのだな…


 その夜。教皇イノケンティウスⅢ世は眠るように息を引き取ったという。


    ◆


 ナンツィヒに戻り、一息ついてフリードリヒはミカエルに聞いた。

「教皇にあんないい加減なことを答えて良かったのか?」

「人の善悪など、最後の審判を受けてみるまではわからぬものだ。わらわにもわからぬ」


「その割にはサービスし過ぎじゃないか?」

「一人の人間が安らかな顔をして神の御許みもとに召されたのじゃ。それで良いではないか」


「まあ。最後くらいはな…」


 ミカエルが突然に話題を変える。

「ところで、今日はわらわのローテーションの日じゃ。ローマなどという遠方まで付き合わせたツケは払ってもらうぞ」

「おまえなあ。人一人が死んだというのに…」


「地上に人族は星の数ほどもいるのだぞ。それに一喜一憂いっきいちゆうしていては天使などつとまらぬ」

「それはそうかもしれないが…」


 ──ミカエルをこんなにしてしまったのは俺の責任…かな?


 部屋の隅には、例によってガブリエルが不機嫌な顔をして控えていた。

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