第53話 結婚準備 ~バードヴィーデン邸訪問~
ホルシュタイン統治について、なんやかんや手配しているうちに半年が過ぎ、フリードリヒは16歳となった。
状況は落ち着いただろうということで、帝国軍のホルシュタイン駐留部隊も徐々に本国へと返している。
経済対策の効果も出始め、ホルシュタインは少しずつ活気づいてきた。
そろそろ先延ばしにしてきた結婚の話も進めなければならない。
嫁をもらうのだから、まずはこちらから
フリードリヒは、リューベックにあるバードヴィーデン卿に先触れの知らせをやると、その邸宅を訪ねることにした。
バードヴィーデン卿の屋敷は、伯爵の屋敷としてはかなりみすぼらしいものだった。リューベックは豪商の豪邸がたちならんでいるから余計に目立つ。
「これはツェーリンゲン卿。陛下の命令を
「これはたいへんな失礼をいたしました。なにしろホルシュタイン統治の目鼻立ちでもつけておく必要がありましたので…」
「それはともかく。こちらがロスヴィータでございます」
「ツェーリンゲン卿。始めまして。ロスヴィータ・フォン・バードヴィーデンと申します。これから良しなにお願いいたします」
ロスヴィータは優雅に礼をした。
歳の頃はフリードリヒと同じくらいだろうか。落ち着いた感じのおとなしそうな少女だ。
派手な美しさはないが、あの父親の子にしては上出来な美人だ。
フリードリヒは、少し安心した。問題は性格の方だが…
「お見合いという訳ではないですが、ここは若い二人で話をされてはいかがですかな?」
「ご配慮くださりありがとうございます」
「では。ごゆっくりどうぞ」
バードヴィーデン卿はそう言うと部屋を出て行った。
二人の間に気まずい沈黙が訪れた。
こういう時の気の利いた話をするというのが、フリードリヒの最も苦手とするところである。
「あ、あの。私、お茶でも入れますね」
「お気遣い感謝する」
──メイドに入れさせるとかじゃないのか?
この時代、茶葉は普及していないので、ハーブティーである。
なんだかグレーテルのところに初めて行った時を思い出す。
そういえばおとなしくて控えめなところはグレーテルに少し似ているな。
「お待たせしました」
「ああ。ありがとう。では、いただこう」
貴族令嬢が手ずからいれた割には美味しい。入れ慣れている感じだ。
「とても美味しい。お茶はいつも自分で入れるのですか?」
「私、お茶を入れたり、料理をしたりするのが好きなんです。お父様には貴族らしくないからやめろとは言われているんですが…」
──今度、
「実は私もそういうのが結構好きなんですよ」
「えっ! 男の方なのに?」
「女の兄弟が多いもので、付き合わされた結果です」
「まあ。そうなんですね。
私、ツェーリンゲン卿はデンマーク軍を少数で撃退した
「結果はどうでしたか?」
「優しそうな方だし、料理が好きなんて趣味が合いそうですね」
「それはそうかもしれませんね」
ロスヴィータはニコリと微笑した。
フリードリヒは自分が無口なタイプだから、あまりかしましい娘は苦手だ。かといって無口過ぎるのも困るのだが…。
ロスヴィータはちょうどいい感じなので、一緒にいて落ち着ける感じがする。
「それでは今日はバードヴィーデン卿に手料理でもご馳走してみますか。手伝ってくれますよね?」
「えっ! わ、わかりました」
フリードリヒとしては、こんな風に女兄弟に接するようにして自然にふるまえるようになるといいかなという感覚だ。
早速、厨房を確認する。
すると突然の知らない男の来訪にメイドがびっくりしていた。
「こちらはツェーリンゲン卿。こんど私の夫になる人よ。失礼のないようにね」
「承知いたしました」
「今日の夕食の食材は何かな?」
「仕入れはまだこれからでして…」
「それは丁度いい。バードヴィーデン卿の好物は何かな?」
「実はお魚が結構好きです。貴族っぽくないですけど…」
「わかりました。では、一緒に買い出しにいきましょう」
「は、はい」
「メイドさんも来てくれますか? リエージュの町は詳しくないものですから」
「わかりました」
女性二人を伴ってリエージュの市場へ出かける。
魚市場ではちょうど釣り人がスズキを売りに来ているところだった。サイズも手ごろで新鮮そうだ。
「じゃあ。早速そのスズキをいただこうか」
「あいよ。毎度ありい!」
スズキを丸ごともらう。
「
ロスヴィータが驚きの表情で聞いて来る。
「ああ。刃物や食材の扱いには慣れているからね。冒険者をやっていたころは全て現地調達だった」
「そういうものなのですね」
あとはサラダにする野菜や果実などを適当に仕入れて館に戻った。
「肝心のスズキだが。ポワレにしよう。レモンバターソースでスッキリと仕上げる」
「はい」
まずは、フリードリヒがスズキを
「アラも勿体ないから、アラ汁にしよう。これも貴族の料理ではないけれどね。こちらはメイドさんにお願いできるかな」
「はい。承知いたしました」
フリードリヒはアラ汁の作り方をメイドに教えた。こちらは火加減さえ失敗しなければそんなに難しくはない。
ポワレの方は塩・胡椒で下ごしらえをして小麦粉をまぶすと、オリーブオイル、にんにくを入れ弱火にかけ、にんにくの香りをオイルに移したもので、熱いオイルをスプーンで魚に回しかけながら中火で7~8分程度焼く。
「そうそう。オイルを回しかけて…じゃあこのくらいでいいから後は余熱で火を通すんだ。それで残り汁にバターとレモン汁を加えて煮詰めてソースにする」
ロスヴィータは普段料理をやっているだけあって筋がいい。
「なかなか
「いえ。私なんか…」
ロスヴィータは照れてちょっと赤くなっている。
きっと自分に自信を持てていないタイプなんだな。ここは料理でも何でもいいから自信を付けさせるに限る。
「あとはサイドに野菜のソテーを添えよう」
こちらはフリードリヒがパパッと作った。
そして夕食の時がやってきた。
出された料理を見てバードヴィーデン卿が眉をしかめる。
「大事なお客様が来ているのに魚料理なんて…」
バードヴィーデン卿は必ずしも裕福ではないが故に、かえって貴族らしさというものにこだわりがあるようだった。
「お父様。今日の夕食はツェーリンゲン卿にも手伝っていただいて作ったんですのよ」
「なんだと! お客様になんてことをさせるんだ!」
「いえバードヴィーデン卿。私が好きでやったことですから」
「ツェーリンゲン卿がそう言うのならばこだわらないが…」
「さあ。まずは食べてみてください」
バードヴィーデン卿はスズキのポワレを口に運び、味わっている。
「これは
「それはちょっと大げさですね。姉妹たちの付き合いでちょっと手慣れているだけです。
それでは私たちもいただきましょう」
フリードリヒたちもポワレを口にする。
「ツェーリンゲン卿は食べ方がとても
ロスヴィータがフリードリヒの食べ方を
「ナイフとフォークは小さいころから使い慣れていますからね」
さすがにフォークは自分がタンバヤ商会を通じて普及させたのだとまでは言わなかった。
「私がフォークを使い始めたのはかなり大きくなってからだからいまだにぎこちなくて…」
「食事は
使いにくければフォークを利き手に持ち替えてもいですし…」
「そういっていただけると気が楽ですわ」
そのまま
そのタイミングを見計らって、フリードリヒは新しい話題を切り出す。
「実は結婚のことなのですが、私には面倒を見ている女性が何人かおりまして…
ロスヴィータ嬢を正妻にするほかに、二人ほど側室に迎えたいのですが…
それに愛妾を何人か…」
「まあ」ロスヴィータは目を丸くしている。
「はっはっはっ。ツェーリンゲン卿ほどの名声と金を持っている貴族ならばそれくらい当然です。どうぞお気になさらず」
バードヴィーデン卿が答えた。なぜか無理に大物ぶっている気がしないでもない。
「それはありがとうございます」
──本心はともかく
ちょっと
「ロスヴィータ嬢。君のことは正妻として大切にするつもりだ。そこは安心してくれ」
「ありがとうございます」
フリードリヒの口からはっきりとしたことを聞いてロスヴィータは少し安心したようだ。
彼女にはあの女子連中を仕切ってもらうことになるが、いきなり荷が重いかな?
──まあそこは俺もフォローするし、なんとかなるさ。
これでバードヴィーデン卿の方はなんとかなりそうだ。問題はベアトリスの方だな。
それを考えると少し憂鬱になるフリードリヒであった。
◆
私はロスヴィータ・フォン・バードヴィーデン。
元ホルシュタイン伯の娘である。
父のホルシュタイン伯というのは名ばかりで、ホルシュタイン伯国はずっとデンマークに実行支配されていた。
そしてついにデンマークは神聖帝国に攻め入り、ハンブルグを占領してしまった。
ハンブルグは自由都市とはいえ、位置的にはホルシュタイン伯領内にある。
父には実質的な権力はほとんどなく、この事態に対処するには皇帝を頼るしかない。
前皇帝はデンマーク対策を顧みなかったが、こんどの皇帝はどうなのか…
だが、皇帝は近衛第6騎士団を
父は言った。
「近衛騎士団とはいえ、敵の十分の一しかいないではないか。時間稼ぎにしかならないだろう」
ホルシュタイン伯として、第6騎士団長に
「おまえと同じ年頃の
ところが第6騎士団はわずか1日でハンブルグを
そのうちに「
第6騎士団は
その団長は黒ずくめの兵装に白銀のマスクをした不気味な雰囲気の男だという。
ロスヴィータは、ハンブルグを
その
そして
結果として、リューベック、ハンブルグなどのハンザ商人やキールの商人が積極的に皇帝に働きかけ、
父は戦争に関して何の働きもできなかったのでやむを得ないことだが、驚いたことに、皇帝は父の顔を立てるために私を団長の妻にしろという。これには正直驚いた。
私は気が滅入ってしまった。
だが結婚の話はその後いっこうに進まない。
一方で、新しいホルシュタイン伯の統治についてよい評判が聞こえてきた。ホルシュタインは徐々に活気づいているという。
そしてその日がやってきた。
いよいよ私の未来の夫となるツェーリンゲン卿が我が家を訪ねてきたのだ。
我が家を訪れたツェーリンゲン卿を一目見た時、私はその美しさに目を奪われた。何と
そしてなんて優しそうな人なのかと思った。
話をしてみるとなんと料理をするのが好きだという。そして、父に料理を振舞うとまでいいだした。
怖いイメージはどんどん薄れていく。
こんな人だったら兄妹のように和気あいあいとした夫婦になれるのではないか。私はそう思った。
そして恋心のようなものも芽生え始めていることを感じていた。
これが女の幸せなのだろうか…
ただ、側室や愛妾の話をされたときにはドキリとした。
考えてみると、あんな素敵な方を他の女が放っておくはずはない。
はっきり言って積極的に賛成をする気持ちにはなれないが、全面否定できるほど自分に自信もなかった。
(側室や愛妾の方たちと仲良く付き合っていけるのかしら)とそれだけは不安に思った。
でも、これだけは
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