第29話・協力者

「もしどうしても行くと言うなら……うまく運ぶ可能性は低くても、何か策を用意しておいた方がいい」


 リカルドはユーグさまに言った。ユーグさまは親友の言葉に瞳を揺らした。


「策? しかし俺には最早なんのつてもない。十年の間に親交は全てなくしたも同然だ。この領地と民、俺に対して忠誠を誓ってくれた騎士や従者たち、そしてアリアンナとおまえ――以外に俺には何もない。それとも、なにか考えが?」


 つて……。

 かつては私にはたくさんの知人や友人が王都にいた。けれど彼ら全ては、私が死の運命に追いやられた時に何の助けも励ましすらも与えてくれず、遠い存在になった。彼らにも自分の立場や家族があるのだから、私を憎く思っていなくとも、危険を冒してまで私に手を貸す事は出来なかった、と理性ではもうわかっている。許すとまではいかなくても、絶望の淵にあった時のような狂おしい憎しみは今はない。

 でも、イザベラは別だ。姉妹のように思っていた親友は、私の苦境を嘲り笑った。


『可哀相なアリアンナ! ジュリアンさまは今は私だけを愛してくださっているのよ。立場逆転、ってわけ。あなた、今まで友人顔で私を見下していたでしょ? 私、ジュリアンさまに、あなたから散々嫌がらせをされてたって言ったの。ジュリアンさまはお怒りになられて、私の為にあなたを二度と帰って来られない遠い所へやってしまおうと仰ったわ!』


 今では、ジュリアンが私にやった事は、別にイザベラの讒言を真に受けたからではなく、元々そのつもりだったのだ、とわかる。でも、あの時の絶望感は忘れる事など出来ない。

 王の兵士が捕まえに来る、と呪術の夢を使って警告して来たイザベラ。数日前の事なのに、ひどく遠い過去のように感じられる。

 夢の事をアランに相談したら、恐らくただの夢ではなくて、本当の内容だろうと言われた。そういう呪術は存在するし、命の危険を伴う――失敗すれば二度と夢から覚めない――ので、行う者は稀だけれど、その術を得意とする者が王都に滞在している筈だと。

 それに、夢の警告は本物だった。逃げ出す猶予は結局なかったけれど。

 だとすると、本当にイザベラは自分の言動を反省して、自分の身を危険に晒してまでも、私に警告を送って来たのだろうか。


(そうだとしても――元に戻るなんて出来ない)


 あの時の自分はどうかしていた、と言った。つまりあの時のイザベラは騙されていた訳でもなく脅されていた訳でもなく、本心の言葉を投げつけたのだ。それなのに、反省したと言われてじゃあ許そう、と思う程軽い苦しみではなかった。警告を送る事が彼女にとって危険な行為だったとしても、素直にありがたいなんて思えない。

 でも、もしも王妃であるイザベラが私たちに味方したならば、ユーグさまと私の立場はよくなるだろうか? ――否、としか思えない。イザベラはジュリアンを恐れていた。彼女の立場は弱いのだ。父親の宰相の力で王妃となっただけで、彼女自身に何かの才や強い力や人脈がある訳ではない。少なくとも表立って味方になる、というだけの力はないだろう。仮になってくれる気があったとしても、私の方で願い下げだけれど。

 ただ――。


『あなただけでなく、あなたを助けた人も心配なの。秘密を言うわ。私は……』


 あの時、いったい彼女は何を言おうとしたのだろう?

 切迫した状況で伝えようとした秘密とは、今の私の身に無関係な事ではない筈だ。それに、私を助けた人も心配、とはどういう事だろう。取り戻した記憶を手繰っても、イザベラとユーグさまの間に特別なものはなかった。

 親友だったので、9歳の頃の私がユーグさまを特別に慕っていた事は知っていた。でも、森の事件でユーグさまに関する記憶を封じられた私は、ユーグさまに対する関心を完全に失っていた。イザベラが何を言っても適当な返事しかしなかった。それで彼女は、私がユーグさまの事に触れられたくないのだ、と思って何も言わなくなった、のだと思う。

 あの頃仲の良かった他の令嬢たちも似たようなものだたろう。あの後すぐにジュリアンとの婚約も調ったし、私にユーグさまの話をする事は、暗黙の禁忌のようになってしまっていたのだ。ユーグさまが王都に現れる事はなかったし、話題にする必要はなかった。かつて私とユーグさまが親しかった事をよく知らない人々が、無責任に『冷血公爵』の噂を時折私の耳に入れていただけだ。

 イザベラとユーグさまには社交以上の関係はなかった。記憶を取り戻してさり気なくユーグさまにも確かめたけれど、私の記憶に違うものはないみたいだ。なのに、まるで特別な相手の事を言うかのようだった。

 私は彼女の助けなど絶対に借りたくもないけれど、ユーグさまの為ならば、恨みは一時脇に置く事も検討はできるかも知れない。けれど、『秘密』とやらの内容を知らずには、やはりイザベラの事は何も信用できない……。


「……に協力を仰ぐ、というのはどうだい」


 私は自分の考えに浸っていたので、リカルドの言葉を聞いていなかった。


「え? イザベラ王妃に?」


 問い返した私にリカルドは不思議そうな顔で、


「何故王妃に? 王妃はただのお飾りの女性だよ。そうじゃなくて、ローレン侯爵の事を言ってるんだ」

「ローレン侯爵……」


 先々代の国王陛下の王女の息子。つまりジュリアンやユーグさまの従兄だ。降嫁した女系王族の息子だけれど先々代王の孫であり、血の濃い王族が少ないいまの王家でユーグさまの次の王位継承権を持っている。そればかりでなく、精力的な活躍で人々の尊敬を集める存在だ。年齢は40代半ば。

 私は勿論、未来の王妃としてローレン侯爵と親交があった。理知的でユーモアもあり、人を惹きつける紳士だった。無実の罪で捕縛されてからは、話す機会は一切なかったけれど、私とローレン侯爵の間柄は悪くなかった。父とも親しかった筈だ。私たち父子を庇ってくれる事はなかったものの、父の処刑のとき、一瞬目が合った私に同情の視線を寄越した事は印象に残っている。何しろ殆どの人は私と目を合わせようともしなかったから。


「ローレン侯爵は積極的に悪い事を企む人ではないと思うけど、ジュリアンの蛮行を許した人よ。協力してくれる理由なんかないわ」

「アンベール侯の悲劇を言っているのかい。確かに、自分の利益にもならないのに協力なんかする人じゃないね。けど、あの時とは状況が違う」

「どういうこと?」


 リカルドは私とユーグさまに向かって言った。


「あの時は国が危うくならない為に誰もが私情を殺した。正義ではないと知りつつも、他国に踏み躙られない為にアンベール侯を生贄にした。……ごめんよ、アリアンナ、傷を抉るような事を言って。でも、きみと父上を悪役にする事で、王と王子が一度に暗殺されて国が暗礁に乗り上げる危機を乗り越えられた。それを、ローレン侯爵もわかっている筈さ」

「……それで?」


 父の死や私の苦痛に、国を救った意味があった、と言われたところで、私は救われない。でも、リカルドは意味もなく私を傷つけるような事を言う人ではないので、私はただ先を促した。


「ジュリアン王は強引なやり方で国をまとめた。でも、この先にはもう粛清に任せた政治はいらない。融和に切り替えるべきであるけど、王の気性を考えると恐怖政治が終わるとは期待できない。皆もそう思っている筈だ。そこで、ローレン侯爵の出番になる。ユーグには、王になる野望はない。ローレン侯爵には……ある、かも知れない。自分の為でも国の為でもいいけど、王になれば、ジュリアン王よりかはましな政治をするだろう。だからローレン侯爵に第一王位継承権を譲る事を条件に、名誉の回復と王の譲位を迫る事への協力を要請したら、無下にはされないんじゃないかな。冷血公爵を支持はしなくても、人格者と思われているローレン侯爵が後ろについて善政を約したら、人々は考えるだろう」


 私とユーグさまは顔を見合わせた。

 ローレン侯爵次第では、あり得るかも知れない。


「しかし、リカルド、おまえはいいのか? それとも、もうローレン侯爵に……?」


 そう言えば、リカルドはローレン侯爵家の分家の人間だった。でも、リカルドは首を横に振った。


「僕からあの人に連絡することはないよ」

「そう、だな……」


 なんのことだろう、と思った時、若干慌てた様子で執事が扉を叩いた。


「ユーグさま! お客様です!」


 私は腰を浮かせた。私たちは反逆者。まともなお客なんてある訳ない。でも、ユーグさまは私より落ち着いていた。ローレン侯爵か、と執事に尋ねた。


「その通りでございます」


 と執事は答えた。

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