交渉決裂

 光ノ丸はやれやれといった表情で八千代に目線を向ける。八千代は溜息を突いて、制服の胸ポケットから一枚の紙切れを取り出す。葵が怪訝な表情で問う。


「これは?」


「白紙の小切手ですわ。我が五橋家はお陰様でサイドビジネスの方も好調ですの。何だったら幕府よりも財政状況は良いかもしれませんわね。円満に退位して頂けるなら、この小切手を差し上げますわ。どうぞお好きな金額を記入なさって下さい」


「お金の問題では……」


「そうか、金の問題ではないか」


 光ノ丸が二人の話を遮ってきた。


「地位……それがそなたにとって重要なのであろう?」


「は?」


 光ノ丸は懐から取り出した扇子を広げて、身を乗り出し、葵に耳打ちする。


「余の正室として迎えても構わない。将軍夫人、どうだ、悪くない響きであろう」


「~~~‼」


 葵はバッと勢いよくその場に立ち上がった。光ノ丸、八千代をはじめ、その場にいた全員が驚いた表情を浮かべる。


「お話を伺って、お二人のことは分かりました!」


 そう言って、葵は一気に捲し立てた。


「継承順位一桁ながらも無視された絶望的なまでの品格の無さ! 恐らく人望の方も実態はほぼ皆無なのでしょう。みな貴方がたの人柄に惹かれて集まったのではなく、貴方たちの家柄に寄ってきているだけに過ぎないということ! そのことに全く気が付かない、頭が回らない、どうしようもないまでの洞察力や理解力の欠如! 例え民主的であろうとなかろうと、人の上に立つべきではない存在、それが貴方たちです‼」


「なっ⁉」


「ぶ、無礼な!」


 呆気にとられた光ノ丸とは対照的に、逆上して立ち上がった八千代が葵に食ってかかり、平手打ちを浴びせようとしたその時、生徒会室の長テーブルの上に黒い影が躍った。八千代の右手をどこから入り込んだのか、秀吾郎が左手で受け止めた。


「御三卿のご当主なれど、上様に対しての暴力は見逃せま、ごふおぁ⁉」


 奇声を発して、秀吾郎がテーブルの下に崩れ落ちる。


「あ、ご、ごめん。急に出てくるから」


 八千代の平手打ちに対抗しようとした、葵の回し蹴りが秀吾郎の脇腹にクリーンヒットしたのだ。秀吾郎は腹部を抑えながらしばし悶絶した。


「今日の所はその辺りでいいでしょう。いや、本来はもう少し早く止めるべきでしたが」


 万城目が立ち上がり、皆を見回して声をかける。


「会長! まだお話しは!」


「論理的説得に搦め手も不発……挙句の果てに暴力に訴えるのは頂けません。今回は貴方がたの負けです」


 万城目が右目の片眼鏡を直しながら、八千代をじっと見る。八千代は黙りこくってしまった。代わりに光ノ丸が口を開く。


「会長……こちらの若下野殿からは散々な言われようだったが、余たちにも支えてくれているものたちが数多いる。先程の話しと重複するが、そのものたちはいずれ幕府の運営を円滑に進める歯車だ。例え見せかけだけだとしても、現状多くのものに支持されているのは我々なのは事実……この状態をこのまま良しとするわけには参らぬだろう」


「要は納得がいかないということですよね、う~む……」


 万城目がしばらく考え込み、やがてポンと両手を叩く。


「ではこうしたら如何でしょう。夏休み前に、半年に一度の生徒総会があるのはご存知ですよね? その場でどなたが真の将軍にふさわしいかということを全生徒に問うというのは?」


「「⁉」」


 その場にいた全員が驚いた顔で万城目を見つめる。万城目は構わずに話を続ける。


「これからの約三か月間の各人の振る舞い、働きぶりを生徒たちによくよく見てもらいましょう。あくまでも生徒間での投票ですが、その結果は民意の一つの表れとして、いらっしゃる大人たちにとっても良い判断材料になるでしょう」


 万城目は窓の外から見える大江戸城を指し示しながら、その意図を説明した。


「働きぶり……?」


「そうですね、まあ色々あるとは思いますが……例えば六月末の『春の文化祭』を大成功に導くとか……秋の文化祭と違って、春の文化祭の方は主に二年生の実行委員が中心となって盛り上げていくのが通例ですからね」


 葵の問いかけに万城目が答える。その答えに、やや険しい表情を浮かべていた光ノ丸と八千代の顔が明るくなった。


「生徒投票の件、承知した」


「春の文化祭をはじめ、諸々の活動、期待してもらって構いませんわ。より良い学園生活の実現に尽力致します」


 そう言い残して、二人は生徒会室を後にした。その後に続いて、憂も万城目や葵たちにペコリと一礼して、外に出ていった。

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