第442話
脳内でツッコミを入れた事である意味、整理がつき思い出してきた。早い話がフルマンマークという言葉や現象に囚われず、冷静にシステム的に空いてしまう場所を探せば良いのだ。
ただ残念ながらピッチ上ではそうはいかない――リーシャさんやタッキさんの様なFWは兎も角、他の選手はマークされる経験が少ないし戸惑っている――が、俺たち外にいるコーチ陣なら見極められる筈だ。
「空いてるのは?」
「フリーなのはクエンとボナザっすね」
俺の問いにアカリさんが日本語で返す。潜入工作のプロである彼女は語学も堪能だ。
「……ムカつくオッサンっす」
魔法の翻訳アミュレットを通さないので彼女の苦々しい想いがダイレクトに伝わってくる。まあ、俺も同じ気持ちだってのもあるけど。
「そうだね」
GKとリベロがフリーになっているのはごく普通の現象だ。だが普段のアローズならその普通の現象をむしろアドバンテージにできただろう。
何故なら平常のアローズはGKに元FWのユイノさんを起用する事ができるし、リベロのシャマーさんもパスの名手だ。その2名がフリーならそこから様々な展開ができる。
問題は今が平常でなくて、GKとリベロがボナザさんとクエンさんである事だ。ボナザさんはスイーパー的GK――DFラインの裏側まで飛び出して手を使わずDFの用に守備できるGK――としてベテランながら成長している。だがパス能力はまだまだだ。
またクエンさんはCBよりもボランチとしての起用が多くまだパスの能力もある方だが、性格が真面目で相手の裏をかくような仕掛けができない。この2名ならフリーにしても良い。そういう判断で、ゴルルグ族はこの戦法をとってきたのだろう。
「マース監督、やるやん」
俺は少し嬉しくなって呟いた。マース監督は種族全体が策士と言うか陰険なイメージがあるゴルルグ族でサッカードウ代表チームの監督にまでなっている男だ。その悪辣さは並大抵なモノではないだろう。
「じゃあいっちょもんだりましょか。ナリンさん?」
「はい!? あの、自分は揉む程のモノは無いでありますが……」
俺が声をかけるとナリンさんはやや顔を赤らめ、前屈みになりながら近づいてきた。
「あとジノリコーチとジノリ台と作戦ボードもお願いします……って大丈夫ですか?」
ナリンさんが自分の胸からお腹辺りを押さえているのに気づいて、俺は心配になって声をかける。もしや彼女も腹痛が?
「あ、いや、あっ! そう言えばそんな言い回しもあったでありますね! はい、ただいま!」
だがナリンさんは急に何かを思い出したかのように顔を上げ、ダッシュでジノリコーチの方へ行った。どうしたんだろう?
「あ、やばいっす!」
そんな俺の思考をアカリさんの叫びが遮った。その声に振り向く先でクエンさんがドリブルを始めるもリストさんとぶつかり、フリーになったロイド選手が拾ったボールをシュートした。
『ボナザ! よし、良い準備!』
しかしそのシュートを難なくボナザさんがキャッチし、ニャイアーコーチがたぶん激励の声をかける。
「うん、一刻の猶予もないなこれ」
今はボナザさんの活躍で助かったが、このままでは事故が起きかねない。俺は一人頷き、大急ぎで作戦ボードの準備をした。
『クエン! マイラ!』
コーチ陣の中で身長、声量とも最も大きなザックコーチがジノリ台に載り、ボードを掲げつつ叫んだ。そこにはエルフ語で簡潔に
「互いのポジションを変更」
と書いてある筈だ。
『りょ、了解っす!』
『分かったにゃん!』
屈強なナイトエルフと少女の様に見えるが高齢のドーンエルフは了承の合図を送り、それぞれボランチとリベロの位置を取り替える。良かった、指示はちゃんと通った様だ。無線もフェロモンも無く、魔法通信も使えない状況ではこの『視覚による伝達』が重要で、それを可能にするエルフの視力には本当に世話になっている。
「ついて行っているっす!」
「クエンさん、更に10m前!」
アカリさんの報告を受け俺はナリンさんへ叫ぶ。エルフのコーチがボードにそれをエルフ語で書き、ザックコーチへ渡す。
『クエンー!』
そしてミノタウロスが叫びながらボードを掲げた。因みに今の流れは、マイラさんが最終ラインのリベロへポジションを変えた際に彼女をマークしているMFがずっとついていったのを見て、クエンさんのポジションを更に前へ移動させた、というモノである。
なぜそんな事をしたか? マイラさんが移動してもマークする選手が彼女へついたままであるならば、引き続きクエンさんはフリーだ。そして相手の中盤は1名減った――中盤から前線へ行った――という意味でもある。
そうなると自由なクエンさんが広いスペースを使える状態になる。最終ラインで自由なクエンさんは残念ながら相手にとって怖い存在ではない。しかし中盤、或いは前線により近い位置なら?
「マイラさんのがクエンへ!」
次のアカリさんからの報告は、マイラさんへついていたMFが中盤へ戻り、今度はクエンさんをマンマークするようになった、という意味だ。
「ふむふむ。早いじゃないっすか」
俺はマース監督を横目に見ながら呟いた。どうやら彼とはまだまだ楽しく遊べそうだと思いながら……。
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