第420話
危険というものは静かに緩やかに忍び寄り、時を見て一気呵成に飛びかかってくるものだ。まるで草の下を静かに這い寄っていたかと思うと身を縮め、急に飛び上がって獲物に食らいつく毒蛇のように……。
と、気取った言い方をしてみたものの、グレートワームでアローズを襲った災厄というのは本当にクソみたいなもので、下手をすればとんでもない傷跡を彼女たちの心に残しかねないモノだった。以降、ラビンさんやブヒキュアたちに厳重注意をお願いするようになったのも当然の帰結だ。
いやあまりクソとかキケツとか言いたくないが。だがこの教訓を忘れない為にも、冷静に思い出していくことにしよう……。
兆候は朝からあった。宴会場に設けられたビュッフェ形式の朝食会場で選手たち――シャマーさんやナイトエルフ以外とはかなり久しぶりの再会だ――に挨拶と詫びを行い、その日の夜に行われるゴルルグ族戦へ向けての意気込みなどを軽く述べてみたりした時の、反応がやけに薄かったのだ。
「おまえ、そんな詫びで済むと思うのか? ほれ罰ゲーム! 罰ゲーム……」
といつものようにティアさんが煽ったが、それに便乗する選手は殆どいなかった。
「おい! アタシが滑ったみたいじゃねーか!」
いやティアさん、みたいじゃなくてマジで滑ってんだよ? と内心で突っ込んでいた俺も巻き添えで火傷したみたいで辛かった。
「ティア、うるさい……。みんなまだ眠いんだから」
普段ずっと眠そうなルーナさんがそう宥めるのを横目に席へ戻りつつ、俺も異変に気づいてはいた。
テンションが……かなり低い。緊張、というのではない。ゴルルグ族は簡単な相手ではないがトロールやフェリダエほど差があるチームではないし、戦術もスタメンも数日前に発表され――これは監督代行を勤めるザックコーチの方針だ。彼は割と保守的なタイプなのだ――ているので心構えも出来ている筈だし。
しかしまあ、3週間くらい離れていたんだから違和感の一つや二つ、覚えるよな? と俺は自己完結してしまった。その事も、対応が後手に回ってしまった理由の一つだった。
次の兆候は午前練習にあった。練習と言ってもチームとして難しいメニューをこなしたりバチバチにぶつかりあったりする訳ではない。ホテルに併設のグランドでジョギングやサッカーバレーなどで軽く身体を動かし各々の状態を確認する程度だ。そうやってちょっとだけ疲れてお昼ご飯を食べて、昼寝をして夕方を迎える。それがナイトゲームのルーチンだ。
そんな軽い練習なのに、途中で下がる選手が何名もいた。それもスタメンではなく控えの選手であるツンカさんやシノメといった真面目な面々からだ。
スタートから出る選手であれば、試合へのスタミナを温存して早上がりもするだろう。しかし彼女らは控えだ。しかも向上心が強い方。普段なら居残り練習のし過ぎを心配してあげるくらいの娘たちだ。
「シノメさん? どこか痛めたんですか?」
俺は気になって、ロッカーへ向かう小柄だが肉付きの良いエルフに思わず声をかけてしまった。
「いえ、そうではなくてですね。ちょっと身体が重くて……くちゅん!」
そう応える言葉の最後に、シノメさんは可愛い女の子らしいくしゃみをして全身を揺らした。重いのは身体の一部だろうか? 肩凝るだろうな、と思ったが俺は別の言葉を口にする。
「シノメさんは性格、お淑やかだけどくしゃみも控え目なんですね」
「え? やだ、恥ずかしいのであまり聞かないでくだ……くちゅん! くちゅん!」
普段は事務員で如何にも普通の女の子、といった彼女は言葉の途中で俺の二の腕を掴み、続けて二回くしゃみをした。こういう激しい生理現象の時、不安を覚えるので何かにしがみつく習性が女の子にはあったりするらしい。知らんけど。
「久しぶりに帰ってきたと思ったら練習も見ないでシノメとイチャイチャして……良いご身分ね」
そこへ通りがかったリーシャさんが嫌みを言う。
「別にイチャイチャはしてないけど。そう言うリーシャさんはもう上がり?」
まあシノメさんの粘膜――もちろん鼻のね!――はクチャクチャだろうな、と思いつつ俺は今日1TOP予定のFWに問う。
「私はまだやるつもりだったけど、ユイノがダルいって」
「えへへ。お腹も空いちゃったし」
いつも親友のシュート練習に付き合わされている長身GKは、力なく笑った。ユイノさんが駄目でも他の選手に頼めば良いのに。何なら俺でも。リーシャさん、強気なのにエルフ見知りなんだよな。
「ユイノさん、シノメさんもちょっと不調みたいだし、良ければ一緒に治療士さんの所へ行ったら?」
俺は両者にそう勧める。ユイノさんは控えGKでシノメさんは守備固め要員だ。出番がある可能性は高くないが体調は整えた方が良いし、何より当事者が辛そうで可哀想だ。
「そうですね、ユイノさん、行きましょう」
「はーい、そうします」
「あ、じゃあ私も」
俺の助言を聞いて素直なシノメさんとユイノさん、そして必要無い筈だがリーシャさんも医務室へ寄る事を決めた。
「また後で様子を見に行くよ!」
俺は立ち去るエルフたちにそう声をかけ、練習グランドの方へ戻った。後になってみればこの時の判断も適切とは言えないモノだった……。
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