第345話

 アガサさんだ。デイエルフは総じて滑らかで長い黒髪と美しい切れ目をもつが、彼女は量も長さも平均的な女性の倍ほどあるそれを揺らしながらゆっくりと歩いていた。

「何というか平安時代の貴族や女官を彷彿させるな……」

 しかもその眼は常に眠たげで、何か深遠なテーマの思索にふけっているようにも、ただ寝ているようにも見える。

「和歌でも推敲してるんだろうか?」

 俺は思わず馬鹿げた感想を漏らす。ちなみにそんな彼女、ポジションで言えば攻撃的MF或いはボランチでプレイスタイルはパス出し専門。他のデイエルフの様にドリブル突破を得意とする訳でもないしドーンエルフの様に派手なフェイントを駆使する事もない。と言うか走っている姿さえ殆ど見ない。

 ブラブラと歩きながら何故かフリーになり、ゆっくりした動作でパスを出す。だたその後、やはりフォローに走ったりはしない。『パス出し地蔵』という不名誉な称号がサッカー界にはあるが、まさにそれだ。 

 しかしそのパスが致命的なダメージを相手チームに与える。彼女がボールを持った時に信じて相手DFの裏へ走れば、必ずチャンスになる。スピードあるサイド攻撃が主だった昨シーズンまでのアローズでは生きなかったが、今ならそのスタイルも活きる道があると思って俺はチームを離れようとしていたアガサさんを残したのだ。

「もしかして……蹴るのか!?」

 俺はキックモーションに入った彼女を見て驚きの声を上げた。そう、彼女にはもう一つの武器があった。FKだ。


「む、にゃにゃ!」

 ボナザさんに文句を言い続けていたニャイアーコーチが飛んできたボールに反応し、本能的に飛びついた。

 ここまで語る機会が無かったが、フェリダエ族には漏れなく猫特有の肉球が手のひらにある。それを利用する事で手袋なしでどんなシュートも防いでしまうのだ。レイザーラモンHGさんの相方みたいな名前のGKグローブも真っ青な性能なのだ。

 だがそれもシュートに触れられれば、だ。ボナザさんが放ったシュートは記念撮影の板を越えた後、風に舞う木の葉のように不規則に揺れ、ニャイアーコーチの手をすり抜けてゴールネットに突き刺さった。

「「おお~う!」」

「えっ!? 入りました? 痛っ!」

 ダリオさん以外の俺含む全員が感嘆の声を上げ、姫様だけはまだ首が抜けていなかった為に振り返ろうとして首を打った。

「あわわダリオ姫、動かないでくださ~い!」

「入りました。凄いのが」

 シノメさんとムルトさんがダリオさんに応えながら彼女を救おうとする。

「今のだよ、カーリー選手が得意なのも! 見てたか!? 止められるかい?」

「うーん、どうだろう……」

 一方、ゴール付近のニャイアーコーチとボナザさんは眼を合わせて深刻な顔になっていた。

「凄いね、どうやるの?」

「高みがあるからこそ堕ちた時の落差があるもの……。まずは堕としたいモノの気高さを認識せよ……」

 訊ねるルーナさんにそう応え、アガサさんは急にこちらを見上げた。その眼を見て急に俺の背筋に寒気が走った。

「あ、そう言えば俺、ずっと裸じゃん!」

 お風呂で暖まった身体はとっくに冷えているし、この距離でもエルフなら容易に乳首の色から乳首毛の数まで見取られてしまう!

 俺は急いで室内へ戻り、服を着る事にした……。


「みなさん、ご心配をおかけしました。体調はもうかなり回復したので、明日の朝の練習から復帰します」

 その日の晩ご飯前。また例の艶母の間で全員を前に、俺はそう宣言した。

「ずいぶんあっさり治ったな! 仮病か?」

「じゃあたくさん食べてぶり返さないようにしないとね!」

 今日は比較的、俺の近くの方に座っているティアさんとユイノさんがそれぞれらしい反応を返す。やはりここでも席は固定式ではないらしく、俺たちコーチ陣と端の方にいるルーナさん以外は昨日と違う位置に座っている。これがシャイで初日に決まった席を重視する日本人との差か……。

「えー夜のミーティングはありませんが、あまりハメを外さないように。それでは頂きまーす!」

「「いただきまーす!」」

 俺の宣言に全員が唱和し、夕食が始まった。昨日と同じように女将さんや仲居さんが給仕を開始する。

「今日はゴブろく無しなのカ?」

「はい、とりあえず夕食時は無しで」

 訊ねる女将さんに俺はそう応えた。いや貴女だって昨晩は酔い乱れた選手の対応に大変だったでしょ? それでよくまた酒を勧める気になったな!

「そうカ、残念だナ」

「ハァイ、ショー! もぐもぐ……本当にもうオーケーなの?」

 少し肩を落として女将さんが去った所で、入れ替わりにツンカさんがやってきた。

「ええ、ちょっと移動の疲れが出ただけですし」

 やってきたツンカさんはジャージの上に――昨晩の事もあって、今日の宴会はお風呂の前だ。みんな浴衣ではなくジャージや普段着を身にまとっている――原色のド派手な布をいくつも巻き付けていた。

「てかなんか凄い格好ですね」

 アメリカのケーキとかお菓子に使われている様な色使いだ。アレ、俺みたいな日本人的には食欲を萎えさせるモノなのだが、ツンカさんはそんなものを着ながらもモシャモシャと何かを喰っていた。

「ウォルスの街でショッピングしてきた! もちろん、ショーの分もあるからね!」

 ツンカさんはそう言うと身を飾る布の一つを外し、俺の首に巻き付ける。

「え? あ、ありがとうございます」

「メイビー、湯冷めして風邪ひいちゃった? 暖かくしてね!」

 まさかその為に街まで行ってこれを買ってきたのか? とそれを質問するか悩む俺にツンカさんは屈託なく微笑みかけると、投げキッスをよこして自分の席へ帰って行った。

「風に揺れる灌木にありて動かぬモノあらば、狩人でのうとも目を引かれるものよな……」

 ふと、謎めいた言葉が聞こえてそちらを見ると、今日は近くに座っていたアガサさんと眼が合う。彼女は例の眠たげな表情で鍋をつついているが、その唇の端はわずかに上がっていた。

「かぜ? 風邪がどうしました?」

「数日、胸に沈めよ。それで分からなければワシの元へ来るが良い」

「???」

 アガサさんは言葉を付け足してくれたが、むしろ謎が深まるばかりだった。胸に沈める、と聞いてツンカさんのあの豊かな胸に俺の顔を埋めるイメージが浮かんだが、たぶん違うよな。

「はい、そうします……」

 彼女の本業は哲学者だ。自分だけでなく、他者にも思索させる事を好む。恐らく己でよく考えろという事だろう。俺は首をかしげながらもそう返事して自分のお膳に向き直った。


 ちなみにマフラーをつけた状態で食べるご飯は、めっちゃ食べ難かった。

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