第82話

 スワッグが語るレイさんの母親、フィーさんの事情は逆に予想外の事が多かった。

 予備知識を入れていった通りフィーさんの住居はヨミケの外れ、治安の悪い場所にあったが意外な事に建物そのものは清潔で堅牢な大きな邸宅だった。

 そしてリストさんが玄関で出迎えたカイさん――レイさんの兄だ――に来意を伝えるとしばらく客間で待たされ、やがて頭部に氷嚢を載せた疲れた顔のフィーさんが現れたという。

 フィーさんはそんな疲労状態にも関わらずリストさんと趣味の話――スワッグには分からない内容だったらしい――でかなり永いあいだ盛り上がり、スワッグがなんとか本題に話を持って行くと詳細は何も語らずただ一つの謎めいた条件を告げたという。

『レイは先に地上へ行ってお気張りやす。一年経ったら、全部まーるく収まって決着がついて仲良く暮らせるから』

と。


 分からない事ばかりで頭の回りをひよこが走ってるぴよ、と締めくくったスワッグにそれは格闘ゲームのピヨりモーションだろ! と突っ込む余力は無かった。実際に俺も分からないし。

「どういう事だ?」

と首を捻る皆に対して、最後に俺が漫画喫茶での一部始終を話す。

 もちろん、それを聞いてもフィーさんの真意が分かる奴はいなかった。

「分からないなりにさ、ショーキチはどうするつもりなんだ?」

 前回と同じく、ステフが俺に決断を問う。

「全ての情報を聞いた上で言えば、レイさんをアローズに加える事は有益ですし問題無いと思います。元チームメイトやコーチの気持ち、母親の伝言を告げれば説得も可能でしょう」

 ナリンさんは俺の右腕としての見解を語った。それを聞いて見渡すと、粗方ほかの皆も同じ意見の様だった。

「そうだな……ありがとうみんな。今回は俺のワガママに付き合ってくれて。ついでと言ってはなんだけど、もうちょっとお願いしたいんだ」

 毒を喰らわば……というヤツだ。俺はもう少しだけ、仲間に甘え続ける事にした。


 翌日の朝。俺は旅装をまといナリンさんを伴って、フェルさんの漫画喫茶へ出向いた。

「いらっしゃいま……あ、ショーなんとかさん」

 今日も店番はレイさん一人だった。妹さん――ジョアさんだっけ?――はまだ幼いから仕方ないとして、父であるフェルさんはちゃんと働いているんだろうか?

「こんにちは。『今日はまた別の女を連れて……』とか思ってる?」

 俺がそう訊ねるとレイさんはエプロンをパタパタさせながら笑った。

「うん、ちょっと。『可愛い系から綺麗系まで、守備範囲広いなー』って思ったわ」

「『ボックストゥボックス』なんでね」

 お互い、冗談を言える程には空気は和らいでいた。俺はサッカー用語で返しながら、懐から二つの封筒を取り出す。

「今日はお別れを言いに来たのと、伝言を二つ届けに来た」

 そう言いながら片方を渡す。どちらも仲間に走って貰って手に入れたものだ。

「これは?」

「君のお母さんから。ごめんね、色々と動いて色々と知ってしまっちゃった。そしたら今度は関係者扱いで使われる側にもなっちゃったけど。あ、前もって言っておくと、中身は先に聞いてる」

 そしてレイさんが中の手紙に目を通すのを待つ。フィーさんの言葉で書いてあるが大意はきのう聞いたのと大差ない筈だ。

「先に地上に行ってサッカーをしてこい。一年後に合流して家族みんなで暮らそう」

という内容だ。

「え……どういう事なん?」

 レイさんはただ戸惑って俺の顔を見る。

「実は俺に聞かれても理由は分からないんだよ。教えてもくれなかったし。ただ一つ言うと、もし君がその手紙通り着いて来る気になっても俺は君を連れていくつもりはないよ。理由の一つはこれ」

 そう話ながら二枚目の封筒を渡した。

「え……重っ」

「元チームメイトとコーチから。こちらも中身は知ってる」

 封筒の中からは何通もの手紙が出てくる。これまたそれぞれ個々の言葉で書かれているが、内容は知ってる事だ。

 レイさんの事情に上手く対処できなくてすまない。でも出来れば彼女にサッカーに戻ってきて欲しい、と。

「え……嘘やん……」

 レイさんは滲み出た涙を手紙に落とさない様に顔を背けて堪える。泣ける筈なのにちょっとおかしな風景だ。

「これをわざわざ? ウチ、失礼な事ばっか言うたのに……ありがとうございます」

 その風景を眺める俺にふと気づき、レイさんは頭を深々と下げる。俺は慌てて手を振りながら否定する。

「いやこっちこそ失礼千万でごめん。許可無く嗅ぎ回ったこともごめん。ただ失礼ついでに言うと、君はあのチームに戻ってまたプレイして家族やチームメイトと過ごすのが一番だと思うよ。今度は事情も話してさ」

 レイさんはそれを聞くと顔を上げ、少し小首を傾げて俺に問う。

「ウチを地上のエルフのチームに入れる為に動いていたんとちゃうん?」

「まあもともとはそうだけど」

「なんか気まずうなったから? それともウチみたいな娘は、監督さんの広い守備範囲でも拾えへん感じ? ボックスなんとかの外なん?」

 おっと『監督さん』ときたか。ようやくそう呼んでくれたな。あと冗談でも踏み込んできた。感無量だ。

「いや、本心では欲しいよ。凄く欲しい。ボックスのど真ん中だ。でもやっぱり一年と言えども家族は離れない方が良いかな、って。あとチームメイトとも心は離れていた感じだろ? だからそれを取り戻す時間もいるかな、って」

 世の中には問題を抱えててむしろ離ればなれで暮らした方が良い、て家族もいる。もしレイさんの家族がそういうタイプだったら俺はそうは言わなかっただろう。だが彼女のは違うと思う。ちょっとパスがずれただけ。全体が動き直せばフォローできる距離感……の筈だ。

「とりあえずあのチームでやってみてさ。それでお母さんの言う『一年』後に円満になってもし君が地上に来る気になったら、おいでよ。歓迎するから。それで、これ」

 俺は後ろで控えていたナリンさん――レイさんに共感して若干、目が赤い――からファイルを受け取ってレイさんに手渡した。

「これは?」

「ナリンさん、ウチの主任コーチがまとめてくれた、アローズの戦術とそれ向けの練習の一部分。全部じゃないけどね。もしウチに来る気になったら目を通してみて。それを頭にいれておいたら、スムーズに合流できると思う」

 ナリンさんの目が赤い理由の、もう一つでもある。ほぼ徹夜で作ってくれたファイルだ。俺も手伝ったが。

「え、凄いやん……ありがとうございます」

 ファイルの中を少し読んだレイさんは目を見開き、ナリンさんにも頭を下げる。その健気な姿にナリンさんのアレ涙腺もついに決壊し、後ろを向いてただ手を振って返す。

「あれ? 彼女、大丈夫なん?」

「大丈夫大丈夫。じゃあ俺たちもう行くから。みんなによろしくね」

 俺は布で顔を覆って前が見えないナリンさんの手を引いて喫茶店を出る。

「あっ……」

 レイさんは何か言いたげだったが、言葉を飲み込んで再び深く頭を下げた。その気配を背後に感じながら、『みんな』と言ったが終ぞ父親には誰も会えなかったな……と思いながら店の表通りを歩き、

「すんまへん! ちょっと待って下さい!!」

 角を曲がる直前で男性の声に呼び止められた。

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