愛すべきは -水に流せば-

 あの後もイルフォシアが離れてくれなかったのでクレイスは仕方なく一緒の寝具に身を沈めて眠りについた。

立ち直ったばかりの彼女が心配だった事もあり余計な雑念を持つ事もなくある程度の睡眠を取れた翌朝、すっかり元気を取り戻したのを確認出来てほっと安心したのも束の間。

「ああ?!そ、そういう事はしないって話じゃなかったの?!」

寝具に身を任せたまま2人で談笑していた所に血相を変えたルサナが部屋に飛び込んできた事で爽やかな朝が騒がしい朝へと一変していく。

「クレイス様は昨日、深く傷ついた私を気遣って下さっただけです。貴女のようにすぐ破廉恥な妄想をするような方ではありません。」

(うぐっっ?!)

今までどんな痛みにも耐え抜いてきたクレイスだったがまるで強大な刃を心臓に突き立てられたような激痛が体中に走ると数十秒呼吸が止まってしまった。

王女として大切に育てられてきたイルフォシア故か、異性の生態にはあまり詳しくないらしい。元服を迎えたばかりの少年とはいえ性的な意識に目覚めてしまった男は四六時中そういう妄想をするものだといつかは知って欲しいものだ。

ルサナがこちらに抱き着いてくるのを天族の力で無理矢理捻じ伏せようとしたイルフォシア。お互いがわりと本気で戦いを始めたもののクレイスはしっかりと立ち直った彼女を見て安心すると2人を残して食堂へと向かった。




あれからワーディライも誤解を与えてしまった事を謝罪するとイルフォシアも笑顔で答えていた。

わだかまりが解けてほっと胸をなでおろすとクレイスはウンディーネを連れて草原に足を運ぶ。そこでバルバロッサの研究書を片手に魔術についての問答を始めたのだが相手は色々と不服そうな表情でため息をついていた。

「クレイス。修業したいのか見せつけたいのかどっちなの?」

確かに今自分の両脇にはイルフォシアとルサナが頭を擦りつける勢いで密着している。これは何度言っても聞いてもらえないので諦めていただけなのだが確かに修業中もこのままという訳にはいかない。

「修業の邪魔はしないでほしいな・・・少しだけ離れていてもらっていい?」

だが修業という言葉を使えば案外すんなりと受け入れてくれるのをこの時知った。2人とも後ろ髪を引かれる様子で木陰まで移動してくれたので素直に安心すると早速魔族の魔術をじっくりと観察し始める。

今まではただ使えるからとがむしゃらに使用していたがバルバロッサはそれを良しとしない。彼は生前も魔術とは武術と同義だと唱えていた。

手足の数や関節の可動域という範囲は決まっているがその範囲内なら工夫次第で技巧的な強さを身につけられる。魔術もそれと同じなのだと謡っていたのだ。


その実例を彼は最後の立ち合いで披露してみせた。2つの異なる魔術を別々の意志で放ったのだ。


クレイスは徐に水竜巻を3本展開してみたがそれを別個に動かす事は出来ない。水球も同じだ。いくら数を増やしてもそれぞれが同じ目標にしか攻撃出来ないのだ。

バルバロッサの仇と戦っていた時も左手の水球で相手の攻撃を凌いでいたもののそこに集中した時には水竜巻は機能していなかった。

理想としては展開経路を2つ以上作って別々に動かす。それが出来ていればあの時も凌ぎつつ反撃を放てていたのに・・・。

「・・・ねぇウンディーネ。君は水球を自由に操れる?」

「ちょっと?水の魔族である私に失礼すぎない?」

言葉足らずな説明にムッとした表情のウンディーネが腰に手を当てて睨みつけてきたので彼は慌てて補足を挟んだ。

「いや。えっとね・・・例えば標的が10個くらいあるとしたらそれらを同時に撃ち抜いたり出来る?」

すると彼女は白い眼差しを向けたままそのままに黙って地面から石ころをいくつか拾うと無造作に空へ放り投げる。

刹那、石ころの数と同じだけの水球が周囲に展開されるとそれらが同時に撃ち抜かれた。木陰で見守っていた2人にはわからないだろうがクレイスは大いに驚いて無意識に拍手を送る。

「あのねぇ・・・遠い距離から様々な角度で展開出来るのが魔術の利点なの。これが出来なきゃ意味ないでしょ?」

さも当たり前のように告げてくるが自分の魔術は意味がないと言われてしまった気分だ。苦笑いで何とか誤魔化してみたが白い目のウンディーネがどんどんと近づいてくるので後ろめたさから視線と顔を逸らす。

「・・・・・まさか、こんな事も出来ないの?」

「・・・・・元々基本すら知らずに会得した魔術だから、ね?」

付け焼刃だと強調しつつ反論してはみたもののウンディーネの呆れ顔が心に突き刺さる。

しかし落ち込んでもいられない。バルバロッサが示していた話とウンディーネが教えてくれた事実は一致するのだ。各個別展開を取得すべく気を取り直したクレイスはその日、有り余る魔力を存分に使って修業に明け暮れるのだった。






 午前は魔術の修業、午後は武術の修業といった内容を日々こなしていくクレイス。

イルフォシアとルサナの小競り合いが頻発していたもののウンディーネのお蔭で1か月後には魔術の多角的展開方法に少しは触れる事が出来ていた。

だがそれは赤ん坊がつかまり立ちを覚えた程度で実戦で使うにはまだまだといったところだ。

ウンディーネも焦る必要はないと言ってくれているがこちらとしてはなるべく早く会得したい。今度あの黒い外套の男に出会った時、確実に仕留める為に。

バルバロッサを失って数日は悲しみに耽っていたが今ではその仇を討ちたいという思いが強い。むしろその気持ちがあるから修業にも身が入っていた。


そんなある日。珍しくショウからの書状が届いた事で彼らの平穏に小波が立つ。


「えっ?!『ジョーロン』が?」

内容はかつて死闘を繰り広げた地でありイルフォシアと出会った地でもある北国『ジョーロン』が西国『ラムハット』の苛烈な侵攻によりかなりの被害を受けているという。

そこに介入して場を収めて来るようにと、半ば命令のように書かれていたのでイルフォシアとルサナが仲良く腹を立てていた。

「・・・僕なんかがお役に立てるかな・・・」

2人の姦しい意気投合はさておき、『リングストン』との衝突と『東の大森林』での経験があるものの戦場に立って活躍出来た記憶が無いクレイスは考え込む。

無理矢理首を突っ込んでも足を引っ張るだけでは・・・むしろその可能性以外が出てこない。

ウンディーネも見守るように黙ったままでワーディライは折角の来客を死地に赴かせるのは、と遠回しに反対してくれている。


なのでこれは断ろう。最初はそう判断していたのだがその夜、クレイスが1人の時を見計らって『トリスト』の精鋭兵が誰にも気取られる事なく近づいてきた。


「わっ?!な、何っ?!」

小さく悲鳴を上げてしまったので相手は人差し指を口の前にぴんと立てて落ち着くように促してくる。夕食前だった為まだイルフォシアもここにはいない。

精鋭兵はこちらの前で跪くと黙って小さな手紙を手渡してきたので訳もわからないままそれを受け取る。

「今ここで目をお通し下さい。」

静かな男性の声に指示されるまま封を切ってそれを読み終えたレイスはやっと彼が何故こんな慎重に手紙を渡してきたのかを理解した。


(・・・ウンディーネが人々に憎悪を?)


普段の立ち居振る舞いではそんなこと微塵も感じさせていないのに?と不思議に思ったがこの発言はショウの中にいたイフリータのものらしい。

もう1つの重要項目として突然彼女が目の前から姿を消したのでもし出会えたら必ず手の届く場所に置いておくように、と書いてある。

最後にこれらは他言無用である事と読み終えたら精鋭兵に返すよう記されていたのでクレイスは再びそれを折りたたんで彼に手渡す。すると男は火の魔術を展開しながら右手で握り潰した。

文字通り跡形もなく消し炭となったのを確認すると任務の終えた精鋭兵は黙って退室しようとしたのでそれを呼び止める。

「これを。」

急いで返事を書いて手渡すと察しの良い精鋭兵も無言で受け取って静かに部屋を後にする。それからしばらく一人で考え込んだ後クレイスは『ジョーロン』へ向かう事を決断するのだった。






 「今のクレイス様であれば半日もかからずに到着しますよ。」

出立前にイルフォシアがそう言ってくれたので妙な自信を芽生えさせたクレイスだがいくつかの問題によってそれは一瞬で忘れ去られた。

「私は飛べないからその、クレイス様、抱いてもらえませんか?」

まずはルサナが上目遣いでこちらに甘えた声を発した事によりまたもイルフォシアとの小競り合いが勃発したのだ。

置いていく気もなかったので3人のうちの誰かがその役を担えばと考えていたのにいきなり前途多難だなぁとクレイスは苦笑いを浮かべる。

「じゃあウンディーネにお願いしたいんだけどどうかな?」

だがこの旅で一番重要なのは彼女の存在だ。もし人間を無差別に殺そう等考えているのであれば絶対に阻止しなければならないし、その為にもクレイスは傍にいると心に誓ったのだ。

なので出来る限り彼女と周囲に関わりを持たせたい。自身も含めて近しい間柄の人間達と接していればあるいはその憎悪も薄まるかもしれない。淡い希望だがそれでもやらないよりはマシだろう。

「ちょっと待って欲しいの。私ついていくなんて一言も言ってないの。」

しかしウンディーネはこちらの提案をそもそも論で突き返してくる。第一王女に隠れがちだったが彼女も好き嫌いがはっきりしている為興味のない事には振り向きもしないのだ。

「そ、それじゃあやっぱり私、クレイス様とご一緒に・・・」

「わかりました。私の長刀に掴まって下さい。それで行きましょう。」

もはや抱きかかえる選択すら与えないイルフォシアが不敵な笑みを浮かべて提案してきたものだから小競り合いが激しくなってくる。


「あ、あのさ。ウンディーネは僕と深い繋がりを持ってるじゃない?だから傍にいて欲しいなって。」


必死だったクレイスは何も考えずにそう告げたのだがこれにより小競り合いが終息したのは思いがけない収穫だった。だが重い腰をあげそうになかったウンディーネを見て更に譲歩案を提示する。

「ウンディーネがついてきてくれるのなら僕も安心して背中を任せられるんだ。ね?お願い!」

あくまで傍にいてほしい一心での発言なのだがこの言葉は彼女より他の2人に突き刺さったらしい。

「ご安心を。クレイス様のお背中は私が命に代えても御護り致します。」

「クレイス様の存在はサーマの存在でもあるのです!私が必ずお護り通してみせます!!」

元々やる気のある2人を焚きつけてしまった事に困惑するが、ウンディーネもワーディライの館で1人留守番という気はないらしい。

「やれやれ。わかったの。その代わり美味しい食事を用意してね?」

結局魔族だろうと人間だろうと食欲というものには抗えないらしい。唯一自身が誇れる分野で期待された事が嬉しかったクレイスは胸を叩いて快諾するもイルフォシアとルサナは納得がいかないといった様子でこちらにジト目を向けて来ていた。






 イルフォシアの言う通り4人が大空を急行すると半日で『ジョーロン』国内に入った。

個人的には『フォンディーナ』の皆にも挨拶をしたかったがあの国はとにかく暑い。水の魔族であるウンディーネも道中へばっていた為彼女を連れてあの場所に滞在するのは機嫌を損ねかねないと今回は見送ったのだ。

「ねぇ~やっと涼しくなってきたんだしちょっと休むの~!」

ルサナを抱きかかえての飛行だった為ウンディーネは地上に見えた川まで急降下するとそのまま2人ともどぼんと身を沈める。

「ぷはっ!ちょっとウンディーネ!!私泳げないのよっ!!ぐぼぼっ!!」

尾びれをぷかぷかと漂わせて涼むウンディーネに比べて必死なルサナを放っておくわけにもいかず、慌てて拾い上げると岸に降り立った。

「泳げないのですか。そうですか・・・それは良い事を聞きました。」

お互いが濡れた状態で抱き合っていたにも関わらずイルフォシアはそれ以上の収穫を得たと薄暗い笑みを零していたせいだろうか。クレイスが体だけでなく胆も冷やしていたのにルサナは助けてもらった事が嬉しかったのか抱き着いたまま離れてくれない。

「ま、まぁ王城まで目と鼻の先だしね。無理せず少し休もうか。」

どちらにせよ濡れた衣服を乾かさねば。そう思って早速火を熾してみるがルサナも一切戸惑う様子がなく服を脱ぎ始めたのでまたも小競り合いが勃発した。

少しどきどきしながら顔を背けると件の魔族は気持ちよさそうに川でぷかぷかと浮いている。とても満足そうな笑顔を見ていると憎悪を秘めているなど考えられない。

(・・・憎悪か。)


自分にも身に覚えがある。『アデルハイド』が夜襲を受けた時はただ周囲に促されて逃げるしかなかった。

悔しさよりも悲しみと恐怖が心を満たしていたのに旅を続けていくにつれていつの間にか芽生えた憎悪はどんどんと大きくなっていった。


(・・・僕は本当に運がいいんだな。)


だが亡命時にはずっとヴァッツがそばにいてくれて、道中はカズキやショウと出会えた。従者として働いてくれたリリーや時雨、敵対勢力のクンシェオルトやハルカと何故か一緒に旅をしていたり思い返せば途中からは恨みを貯える暇がなかった。

(あ、でもガゼルは駄目だね。僕との大切な約束を忘れてたし!)

そう心の中で悪態をつくも顔には笑みが浮かぶ。今の自分がいるのも彼らのお蔭であり彼らと出会うきっかけを作ってくれたスラヴォフィルにも深い感謝しかない。


全てが良い方向に進んでからこんな風に思うのは軽率なのかもしれない。それでももし本当に『アデルハイド』が滅んでいたとしても彼らとの出会い、そして支えられて与えられてきた事実があれば多少道は違えど必ず立ち直れたんじゃないかとも考えるのだ。


であえば今こそこの数々の大恩を返していくべきだろう。恨みに関する事なら猶更だ。




30分ほど休憩した後本当の魚のように川ではしゃいでいたウンディーネを呼び戻すと4人は再び北上を始める。すると数分も経たないうちにいよいよ王都が視界に入って来た。






 「ようこそ『ジョーロン』へ。まさか君が来てくれるとはね。」

ルサナも見た目は普通の少女でありウンディーネも腰巻で脚を隠せば美しい少女としか捉えられない。だが何よりビャクトル王の事件でクレイスの事を皆が認知していたからだろう。彼らは長引きそうな入国手続きなどを全て省略されて城内へと案内された。

早速クスィーヴ王自らが歓迎してくれると挨拶もそこそこにまずは来賓用の部屋へと案内される。

「ショウ殿から聞いたよ。なんでも『ダブラム』から魔術で空を飛んできたんだって?いつの間にそんな術を身に着けたんだい?」

何気なく振られた話をそのまま頷いて受け答えをするが考えてみればショウの書状は昨日届いたばかりだ。

こちらに向かう決心をしたのも昨日の話で『トリスト』から『ジョーロン』のクスィーヴにその旨を伝えるにはもう少し時間が必要だったはずだが。

(そうか。ショウは僕がすぐに行動するって読んでたんだ。相変わらず怖い所があるなぁ。)

もしこちらの気が変わっていればどういい訳するつもりだったのだろう。そんな事を考えているとクスィーヴは『ラムハット』の侵攻についても軽く説明してくれる。

「相手にも魔術師らしい人物がいて我々では手に余っていたんだ。魔術には魔術で対抗という話も頷ける。期待しているよ。」

なるほど。それで自分に白羽の矢が立ったという訳か。ひねくれた考え方をすると最初からクレイスが断る余地がなかったとも捉えられるがこの話を聞いてふとバルバロッサと対面した時の事を思い出す。


「・・・クレイス。お前は魔術師と戦った事はあるか?」


西の大陸は魔術が浸透しておらずそういった意味では未開の地だ。そこにいる魔術師とは一体どんな人物なのだろう?

あの時何故バルバロッサがこんな質問をしてきたのか、今なら大いに理解出来る。世界中を探しても魔術師というのは希少であり貴重な存在なのだ。

「任せて下さい。僕が必ずその魔術師に打ち勝ってみせます。」

カズキに師事した影響か、バルバロッサの魔術に対する探究心を引き継いでしまったせいか。今から戦いたくてうずうずする気持ちを抑えつつ宣言するとクスィーヴや近衛からは意外そうな表情が向けられる。

彼らは昔のクレイスしか知らないのだ。戦う術を身に着けたばかりの自身も実力もなかったクレイスしか。

「クレイス様。一応申し上げておきますが命を粗末になさってはいけませんよ?それと無理もいけません。いいですね?」

だがイルフォシアは彼の成長を知っている。時には無謀な戦いに首を突っ込む性格も。更にクレイスが愛を誓った人物なのだ。そういった立場から強く釘を刺してきた事で自身も気恥ずかしさを感じつつ冷静さを取り戻すとクスィーヴも王なだけあってすぐに何かを感じ取ったらしい。

「なるほどなるほど。あれから2年近くの年月が流れている。昔のままだと思い込んでいてはいけなかったな。」

軽い笑い声と謝罪を言葉にしつつクスィーヴが席を立って部屋を後にしようとした時。


ばたんっ!


「あら?本当にクレイス君?大きくなったわねぇ!!」

入れ替わるように王妃のジェリアが赤子を抱えて入って来ると思い出話やこれまでの話で歓談は大いに盛り上がりを見せて一日が終わっていった。






 王妃になってもジェリアの明るいお姉さん的な雰囲気は変わっておらず彼女も当時のショウしか知らなかった為その事を気にかけていたようだが。

「大丈夫です。彼はとても頼りになる友人ですから。」

クレイスが自信満々にそう答えると母親らしい笑みを返してくれたので思わずどきりとする。2年近い歳月というのはお互いが大きく成長するだけの時間だったのだということか。

意外な一面を垣間見た後、翌朝4人はクスィーヴらに見送られて速やかに西の領主の下へと飛び立つ。晩餐で聞いた話では何でも氷の魔術を使うらしいが。

「人間って基本火の魔術しか使えないみたいだし気を付けたほうがいいの。また魔人族とか厄介な奴かもしれないの。」

これはバルバロッサの研究書にも書かれていた。人が魔術を得るためにはまず原初の力に触れると覚えが早いらしい。

そして戦いで一番強くて役に立ち、身近にある火が最も会得しやすい為皆がこぞってそれを覚えるのだそうだ。

「しかし魔人族であれば容赦はいりませんね。私も全力で仕留めに入ります。」

ルサナの掴まっている長刀をぶんぶんと振り回しながら笑顔でそう答えるイルフォシアは時々怖い。現にルサナの方は振り落とされまいと悲鳴を上げているのに全く聞こえてないふりをしている。

(・・・2人ももう少し仲良くしてくれればなぁ・・・)

ただこの時もウンディーネを中心に考えていたクレイスはそこに言及する事無く苦笑いだけで済ませるとあっという間に西の領主が住むという館が見えてきた。


ここを治めているのはキールガリ=ロ=ガルフ。この地を大層気に入っており2年前の新国王選出時にも手を挙げる素振りなど一切見せずにクスィーヴを推し続けた男だ。

現在47歳で整えられた口ひげはぴんと跳ねており顔つきも鋭く狐のようだがその性格は戦いの時以外は非常に温厚らしい。なので現在の彼と対面した時。

「おお?!誰かと思えば少女のような少年ではないか?!むむむ・・・使い物になるのか?!」

有事真っ最中だった為戦いの顔を覗かせていたキールガリが長身を活かした上からの発言を不躾に放つとイルフォシアとルサナがその首を掻っ切る勢いで反論し始めた。なのでクレイスはなりふり構わず2人を俵のように担ぎあげて黙らせつつの平謝りだ。

「父上。彼らはクスィーヴ王と『トリスト』の左宰相のお墨付きですぞ。疑うなど礼を欠き過ぎにございます。」

今年20歳となる息子のフェブニサも父親の非を謝罪した事で何とか場が収まる。こちらは目つきこそ父に似ているが体躯は細身でどこか中性的な雰囲気を漂わせている。恐らく母親の血だろう。

「ううむ・・・まぁ何でも良い。あのいたずら好きの魔術師をどうにかしてくれればその実力を認めよう。」

1時間もかからずこの地へ着いた為まだ朝が始まったばかりだ。キールガリに連れられて早速西の平野へと足を運ぶ4人はそこで見事な陣が向き合っている模範的な戦場へと案内される。

地面を歩いていたので正確な数字はわからないが兵力は似たようなものなのだろう。遠くで炊き出しの煙が細く消えかかっているのをみると既に朝食を終え、今日の戦いに向けて準備を進めているといった所か?

「毎回開戦直後に小賢しい魔女が我々の邪魔をしてきよる!!あれのせいで我が軍は苦戦を強いられるのだ!!お前達は空を飛べるのだろう?であれば蠅のように叩き落してきてくれ!!」

そう説明を受けると同時に互いの軍勢が動き出して銅鑼が響き渡る。今の所非常に真っ当な戦といった様相だがクレイスは1つだけ気になった。

見た所軍勢はお互いが万にいくかいかないかくらいだろう。ではこれだけの大軍に魔術師が混じって横槍を刺すのであればその勢力はどれくらいなのだ?未だそういった戦いを経験していないのでその絵面がいまいち想像出来ないでいたのだ。

(・・・魔術師。バルバロッサ様の精鋭部隊ですら300って書いてたから・・・いや、そもそも魔術師の数が少ないんだ。もしかしてもっと少ないのかも。)

彼から教えを受けた魔術師よりも格上の魔術師が敵の部隊にいるとも思えない。なので自分達はさほど強くない魔術師達をある程度叩き落とせばいいのだろうと考えていたのだが。


びしししししっ!!!!


遠目から見てもわかる。突然地面が一瞬で氷漬けになると『ジョーロン』軍は一気に行軍を止めて防御陣形へと早変わりした。

「あれだ!!あの魔女が出しゃばってくるのだ!!」

キールガリが大空を指さすと確かに何者かの影が見えるが何より驚いたのがそれを1人の魔術師が展開したという点だ。

「クレイス!あれは不味いの!!」

何かを察したウンディーネが珍しく危機を感じさせる声色で忠告してくれたがクレイスは想像以上の敵だと認識した瞬間、嬉しさのあまりその魔術師に向かって飛び立っていた。






 万の軍勢を足止め出来るほど広大な地面を一気に凍らせる魔術。てっきり自身の国を襲ってきた一般的な魔術師の集団だと思っていたのにまさか1個人でこれを展開しているなんて。

考えただけでもわくわくする。

後方から追いかけてくるイルフォシアやウンディーネなど気にも留めずに会話が届く距離まで詰めたクレイスはその姿を確認すると更に驚いた。

もしかすると自分やイルフォシアよりも年下かもしれない。それほどの幼い少女が変わった白い衣服を身に纏ってからからと笑っているのだ。最初は人違いかなとも考えたが空を飛べているだけで相当な力を持っているのだと考えを改める。

「えっと、あの。君は一体?」

「あら?珍しい、空を飛べる人間がこっちの大陸にいたなんて。あなたこそ名前を教えてよ?」

声色からも敵対心を感じず、まるで街で出会ったのかと錯覚するほど軽い受け答えにますます戸惑っていくが彼女の事が知りたかったクレイスは迷わず名乗りを上げた。

「あ、僕はクレイス=アデルハイド。東の国『アデルハイド』の王子なんだけど。君の名前を教えてくれる?」

「へぇぇ?!王子様なのに随分魔術を使いこなすのね。・・・っていうかあなた、本当に人間なの?相当な魔力を感じるんだけど?」


「クレイスは私がきっかけを与えた子だから特別なの。」


そこに割って入って来たのはウンディーネ。腰巻も落として一部の兵士達がこちらに注目していたが全く気にしていないのはそれだけこの少女を警戒しているという事か。

「あらあら?ウンディーネじゃない。魔界を飛び出してからどうしてるんだろうって皆噂してたわよ?元気そうね?」

「ウンディーネ、貴女の御知り合いですか?」

相変わらず長刀にルサナをぶら下げているイルフォシアが尋ねると彼女は苦々しい表情で黙って頷いた。

「あらあらあら?天族ちゃんまで一緒なの?またバーン様に怒られちゃうわよ~?」

どうやら彼女とはかなり近しい仲なのだろう。いたずらっ子みたいな笑みを浮かべてからかう少女からは危険を感じないがウンディーネの雰囲気はぴりついている。

「あの方はサルジュ。私と同じ魔族で氷を展開するのが得意なの。」

「その通り!サルジュちゃんって呼んでね?」

あまりにもちぐはぐなやり取りにどういう感情で臨めば良いのかわからないが軽く頭を下げたクレイスは最も大切な質問をぶつけてみる。

「あの、サルジュちゃんが『ラムハット』の魔術師なの?」

「うん?『ラムハット』って西側の軍の事?」

・・・・・

「そうです。貴女が与している組織が『ラムハット』国かどうかを尋ねているのです。きびきびとお答え下さい。」

何故かイルフォシアがいらいらしているのに驚いたがそれ以上に幼いサルジュが怯えて泣きそうな表情になった事でクレイスは思わず慰めようと近づいてしまう。

「・・・えいっ!!」

すると可愛らしい掛け声とは裏腹にえげつない氷の塊が自身の自由を奪った事に気が付いた。痛みこそ感じなかったものの言葉通りの子供騙しに引っかかった事実はイルフォシアやウンディーネ、常にクレイスの味方であるルサナですら残念そうな表情を浮かべていたので心は張り裂けそうになる。


「・・・クレイス。その方は私の倍以上生きてるの。見かけで騙されるなんて本当に情けないの・・・」


「いや、そもそもウンディーネの年齢すら知らないよ!!」

だがその容姿仕草に油断していた事実は間違いない。それを誤魔化すべく大声で突っ込みを入れても状況が変わる事はなく、サルジュという魔族は無邪気に喜びながらもイルフォシアらに鋭い闘気を見せ始めていた。






 「目的とは違うけどあなたたち、とっても面白そうね?久しぶりに少し遊んでもらえる?」

首から下を氷漬けにされたクレイスをよそにサルジュが少女らしからぬ笑みを浮かべるとイルフォシアとウンディーネもすぐに戦闘態勢へと入った。


ぶおんっ!!


戦いに邪魔だと判断されたルサナが氷漬けのクレイスに投げ飛ばされると彼女は赤い刃を作ってそこに突き立てる。

「えっ?!この氷、硬い・・・?!」

同時に砕いてくれるつもりだったみたいだがこれは普通の氷ではない。サルジュという魔族が作り出した魔術なのだ。現にクレイスも何とか抜け出せないか試しているが指先すら動かせないでいる。

そんな2人を置いてウンディーネが水球を展開し始めるとイルフォシアも本気で長刀を振るい始めた。

傍から見ていると幼い少女へ何て事を・・・と言いたくなるが相手は魔族であり見た目以上の高齢者らしい。

天族が放つ長刀の一刀を氷柱で受けると水球や水槍も全て氷柱で相殺、突貫からの反撃にまで転じている。何より恐ろしいのが攻め手の2人が真剣な形相なのに対しサルジュは笑顔で動いている点だろう。

余程の余裕があるのか心の底から楽しんでいるのか。戦いの様子からは拮抗している風にも受け取れるがこればかりは参戦してみなければわからない。

「ク、クレイス様・・・ごめんなさい。私、サーマの分も貴方を護るって心に誓っていたのに・・・」

未だに砕けない氷を前にルサナが泣きそうな顔で謝って来るので我に返ったクレイスは慌てて弁明する。

「ルサナのせいじゃないよ!僕の油断がいけなかったんだ!だから・・・これも、僕が何とかしないと・・・!」

この氷は間違いなく魔術なのだ。であれば魔術師である自分なら何かしらの方法で解除出来るはずだ。必死で頭を巡らせて何か使える知識がなかったかを考える。


・・・・・


サルジュとイルフォシア達の戦いにやっと勝敗が見えてきた頃、クレイスは巨大蛇との闘いを思い出すと破壊ではなくそれを吸収できないかを試み始めた。

「うっ?!」

だが自身が使える魔術は水なのだ。あの海での戦いも海水とはいえ水だった。全く異質の氷を体内へ受け入れようとするとその冷たい激痛に思わず声が漏れる。

「ク、クレイス様っ?!」

しがみついていたルサナが心配そうに声をかけてくれたがそれはイルフォシアの耳にも届いてしまったらしい。

氷の魔術への対応が馴染んできた頃、やっと長刀がサルジュの首元へ届きそうだといった頃にそれを聞いてしまったイルフォシアは集中を解いてしまってあっという間に形成が逆転する。

ウンディーネが急いで援護するも氷柱の攻撃は彼女の身を貫かんと怒涛の勢いで降りかかっている。それを目の当たりにしたクレイスが黙って見ていられるはずもなく。


「イルフォシアっ!!!」


自身の事などどうでもよかったが後から考えれば一緒にいたルサナの事は気に掛けるべきだった。氷漬けであろうと空を飛べていた事実を思い出したクレイスはそのまま彼女と氷柱の間に割って入るとそれを全身で受け止める。

ルサナも赤い刃を使って彼の顔付近に襲い掛かって来た氷柱を弾き飛ばしてくれたおかげで事なきを得たがこの行動は無謀過ぎたかもしれない。

しかし驚いた表情のイルフォシアは無傷だった。それだけでも十分だったが氷漬けの体に氷柱を受けて少し魔術に綻びが生じたのか、緩みを感じたクレイスは再び魔術の吸収を試す。


ぴきっぴきききっばっりぃんんっ!!!


すると頑強だった氷は粉々に砕け散り、ルサナを抱えたクレイスはサルジュを強く睨みつけていた。






 「お~!すごいね君!!」

よほど感動を覚えたのだろう。先程までと違って大人びた口調で驚いたサルジュは手を叩いて大いに喜びの声をあげる。

こちらとしても二度と油断したくはなかったので気を引き締めるが容姿とのちぐはぐさと既に闘気を感じなくなっていた為反応に困っていた。

「サルジュ様。もう納得されたでしょう?これ以上の無益な争いは止めて少し話をしませんか?」

そこに落ち着いた口調のウンディーネが諭してくれた事でサルジュの方も何度か頷くと完全に矛を収めてくれたようだ。

「うむ!それじゃ私の家に行こうか。ついて来て!」

そう言って彼女が北に向かって飛び始めたのでクレイスは少し迷った。『ラムハット』の魔術師を取り除く事には成功したのだがこのまま戦場を離れると妙な懐疑を掛けられかねない。

「ちょ、ちょっと待ってください!報告だけ済ませてきますので!」

クレイスは慌ててキールガリの下へ飛んでいくと魔女の無力化を達成したとだけ伝えてすぐにまた空へと飛びあがる。

抱きかかえられたままのルサナが嬉しそうに腕を回してきていたのをイルフォシアが凄い目で睨んでいたが今は未知の魔術を使うサルジュの事で頭が一杯だ。

話した感じだと悪い人物にも思えないしウンディーネとの知り合いというのも都合が良い。何かしら魔術の収穫がある。そう強く確信していたのだが案内された場所があまりにも厳しい場所だったので頭の中は一気に冷めていった。


恐らく人が歩いて登るのは不可能だろう。


既に初夏とも言える6月に入っていたにも関わらず山頂は真っ白な雪で染まっており、そんな場所に何故か海で使う大きな船が縦横斜めと無造作に積み上げられている。

気温は低く薄着のイルフォシアやウンディーネが少し心配だったが彼女らにとってはそこは大した問題ではないらしい。

「さぁさぁ!ここが玄関よ!遠慮なく入って頂戴!」

その積み上げられた船の一番上に案内されると4人は言われるがままそこから船内へと入っていく。外見からの想像通り、中は水平な床を探す方が難しい。

だが生活空間だけはしっかりと整えられているらしく食卓や暖炉、炊事場らしきものから寝具と何でも揃っているようだ。

誘われるがまま食卓の椅子に腰かけた4人を他所にサルジュは鼻歌交じりでお茶の準備を始める。

「・・・サルジュ様、こんな所に住んでいるんですね。」

同じ魔族ですらそう感じていたらしい。だが外に比べると船内は思いの外温かい。出されたお茶も湯気と良い香りが立っていて案外普通に生活出来る空間なのかもしれない。

「旦那が船乗りだったから船を使いたかったんだけど私個人としてはやっぱり涼しい所が好きだからね?だから人が寄り付きそうもないここに居を構えたの。」

「へぇ~・・・って、サルジュさん?!ご結婚されてるんですか?!」

「うん!こう見えて人妻なのよ?あ、未亡人っていうのかな?ちゃんと可愛い娘だっているんだから!」

意外過ぎる事実にウンディーネを除いた3人は信じられないといった表情を浮かべていたが同族にとってそんな事はどうでも良いらしい。

「それで。サルジュ様は何故人間の戦に首を突っ込んでいたのですか?」

素っ気なく尋ねるウンディーネはさっさと要件を済ませて帰りたいのだろう。知人である彼女と積もる話をするような雰囲気は微塵も見せずにそう切り出す。


「最近『七神』っていうのが人間の社会で暴れているのよ。それを釣り上げる為に一芝居打ってたって訳。可愛い娘の頼み事ってね!」


幼い少女は笑いながら軽く説明するも意外な言葉が出てきた事でクレイスは息を呑み込んでいた。






 「サルジュ様、『七神』についてはどこまでご存じなのですか?」

これには『トリスト』王女でもあるイルフォシアも興味を惹かれたらしい。早く立ち去りたいウンディーネを他所に話を続けるとサルジュも大人の顔を覗かせながら答える。

「天人族や魔人族が徒党を組んでる事と自分達のような半端な種族を生み出さないように人間を間引くのが目的っていう事くらいかな。」

「間引く?!」

その発言にクレイスは声を上げた。彼に限らず人間であれば彼女の言葉に誰しもが反応しただろう。そんな剪定作業のように人間の命を扱っていいはずがない。


「ええ。人間は増長すると天族や魔族すら手籠めにする。それだけならいいけど時には過酷な扱いをしたりもするわよね?ウンディーネ?」


更に大人びた表情と冷たい声色になったサルジュがウンディーネに冷ややかな視線を向けると彼女は俯いて固まる。

イフリータが目覚めている事を伝えてあげたいがショウの手紙で他言無用と念を押されていた。

彼らは今教えるべきではないと判断したらしいが表情は悔しそうな、悲しそうな様子で初めて憎悪らしき片鱗を垣間見たもののやはりウンディーネが人々を襲うなど想像出来ない。

「そもそも魔族って人間にどうこう出来る存在なのですか?」

今まで黙っていたルサナが不思議そうに尋ねると珍しくイルフォシアも同意の相槌を打ちながらサルジュと目を合わせる。言われてみればもっともだ。

氷の魔族であるサルジュにしても水の魔族であるウンディーネにしても人間が相手をするには敷居が高すぎる。例え人海戦術を用いたとしても相手は自由に空を飛び回れるのだから捕らえる事すら困難なはずだ。


「・・・人間っていうのは不思議でね。時々群を抜いて強い存在が現れるものなの。今『七神』が暗躍しているのもそれが原因よ。あなた達は心当たりない?人間なのに破格の強さを持つ存在を。」


彼女の発言を聞いて3人は同じ人物を思い浮かべる。強いを通り越して人間かすら怪しい存在。

「・・・ヴァッツ様・・・」

イルフォシアが呟くも言葉が続かない。そしてその様子を見ていたサルジュは今までで一番冷たい表情を作ると『七神』の目的を教えてくれる。

「増長の最たる原因がそれなの。人間はおろか天族や魔族すら自身に屈服させたい欲望に塗れた破格の強さを併せ持つ存在、それを討つべく『七神』が結成されて動いているって訳。」


「「ヴァッツはそんな事しない!!」ません!!」


思わず立ち上がって2人が声をあげると一瞬だけきょとんとしたサルジュが負けない声で笑い返してきた。

「へぇ?!今の頂点ってヴァッツっていうんだ。まぁ確かに今までも本人というよりは取り巻きの欲望が大過を巻き起こす感じだったし。あなた達が気を付けてあげればもしかすると穏便に済むかもね?」

こちらの感情など露知らず。むしろ反応を楽しんでいる氷の魔族にクレイスはともかくイルフォシアは頬を膨らませて怒りを露にしていた。

(・・・そういえばクンシェオルト様もそんな事を危惧されていたような・・・)

バルバロッサが亡くなったせいでもあるのか。何かと『ネ=ウィン』の面々と関わりがあるなぁと感じながら昔を思い返していると黙り込んでいたウンディーネが席を立つ。

「クレイス、もう帰ろう。この人と話してても面白くないの。」

普段と違い彼女の目から光が消えていた。イフリータの件で気持ちが沈んでいるのだろうか。

「えー?久しぶりのお客様なんだしゆっくりしていってよ。こう見えて私お料理も得意なんだから!」

しかしそんなウンディーネの様子など気にも留めずにおもてなしをしようと引き止めてくる。何を考えているのか読みにくいのは幼い見た目も関係しているのかもしれない。

「すみません。ウンディーネが滅入っているようなのでそろそろお暇致します。折角の歓待をお断りする形になって申し訳ありません。」

今のクレイスは彼女を第一に行動すると誓っている。こんな極寒でどんな料理が出てくるのか個人的にはとても興味があったがそれも後回しだ。

「そう?じゃまた明日私の方から『ジョーロン』だっけ?お邪魔しようかな。まだ話したい事も沢山あるし、何よりクレイス君。あなたはとても面白いわ!」

「えぇっ?!」

幼き未亡人は目を輝かせてこちらに笑顔を振りまいてくる。それとは裏腹にイルフォシアとルサナは信じられないといった様子でサルジュとクレイスを交互に見やってくるのだから堪ったものではない。

「じゃ、じゃあ僕達はこれで!失礼しましたー!」

嫌な予感がしたクレイスはそのままウンディーネの手を掴んで後ろを振り返る事無く外に飛び出すと一路、キールガリの館へと逃げるように去っていった。






 彼女と空を飛ぶ事は何度かあったがこうやって手を繋いで並行するのは初めてだ。

「・・・その尾びれはどうやって説明しよう?」

今のウンディーネが何を考えているのかわからない。でも出来る限り憎しみから心を遠ざけてくれればと話題を振ってみたのだが。

「人間というのは自分と違う見た目をしているだけで恐怖に慄くの?それとも忌諱して罵倒を浴びせるの?」

いきなり停止してこちらを睨みつけるように尋ねてくる。どうやら人間への憎悪を隠すつもりはないらしい。となればこちらも全力で説得に当たるだけだろう。

「うん、そうだね。自分と違うものを持っていれば怖いし避けようとするさ。」

「・・・そうなんだ。じゃあクレイスも私の敵なのね?」

繋いでいた手を振りほどくと今度は静かな闘気まで放ち始めた。身の危険を感じたがウンディーネは魔術のきっかけを与えてくれた恩人でもある。そんな彼女の悩みを放っておくわけにはいかない。

「ううん。僕はウンディーネと敵対するつもりはないよ。でも・・・君が人間を襲うっていうのならそれを止めなきゃならない。」


「何でっ?!?!貴方には関係ないでしょっ!!!」


後ろから追いかけてきたイルフォシアとルサナがウンディーネの怒号を聞くと距離を置いたまま様子を伺っている。

彼女の憎悪がみるみると形になり水球・・・いや、赤みがかった血球のような魔術が展開されはじめるとクレイスは後方の少女2人に下がるよう伝える。

恐らく僕はまた無理をするだろう。それがわかっていても2人の雰囲気を察したイルフォシアは声を上げる事が出来ず、おずおずとそれに従ってくれた。

「関係あるよ。僕の魔術を飛躍的に向上させてくれたウンディーネには感謝しかない。だから君が苦しんでいるのを放ってはおけないんだ。」

本心から来る言葉に思いの丈を乗せて言い淀む事無く全てを伝えきるクレイス。本当に彼女が葛藤しているのかはわからない。

それでも今までの明るいウンディーネを知っている彼は心のどこかできっと人間達への復讐を止めようとしているはずだと、そう信じたかったのだ。


「・・・知った風な口を聞くなぁああああっ!!!!!」


顔を歪めて血涙を流していたウンディーネが更なる数の血球を展開すると鋭い矢の形で一気に放ってきた。今までと違う見た目に惑わされそうだが水も血も同じ液体であり、血に染まった赤い魔術は今の心を現しているのだろう。

サルジュすら驚かせたクレイスの魔力保有量は既に彼女より上だ。なので下手な使い方さえしなければ先にへばるという事は無い。

むしろ余計な魔力を消費せず、且つウンディーネを絶対に傷つけないと決意を固めるとあの時と同じように自身は左手に水球、右手には水の剣を展開して飛んでくる血の矢を受けては流し、真っ二つに叩き落とすを繰り返す。

だが相手は魔術に長けた魔族なのだ。その動きは各々が意志を持っているかのように角度や速度を変えて襲い掛かって来るのでクレイスは肝を冷やしつつも滾る心は対魔術師との闘いを噛みしめるように楽しんでいた。


やがて埒が明かないと悟ったのか、ウンディーネが一方的に放っていた攻撃の手を休めると静かに両手を伸ばしてこちらにかざす。同時に彼の頭を射貫くような冷たい視線を向けると・・・


びしゅんっっ!!!!


刹那、今まで見たことのない槍のような魔術がこちらに目掛けて放たれた。






 この魔術だけは自分も使った事がない。だが受けてみてわかる。恐らく圧を掛けた魔力に螺旋の力を加えて放ったのだ。

大きさこそ違うが自身が使う水竜巻に近いのだろう。違う点といえば突貫力に振り切っている点と目にも止まらぬ速さだというくらいか。

それでも護りの水球を持つ左手が防御姿勢に間に合ったのはバルバロッサが放っていた雷の魔術を何度も食らっていたお蔭かもしれない。

心の中で亡き師に笑いながら感謝を報告しつつ手の甲を貫き胸の装甲に食い込む血の槍を無理矢理引き抜こうとするも血涙を流したまま無表情で見つめてくるウンディーネは追撃の手を緩めない。


びしゅしゅしゅしゅしゅしゅんっっっ!!!!!


「「クレイス様っ?!」」

数十もの槍が弧を描きクレイスの体を様々な角度から貫かんと放たれるとイルフォシアとルサナが思わず彼の名を叫んでいた。大丈夫だ。こんなかすり傷で命を落とす事は無い。

後でそう伝えようと心に決めるとクレイスはいよいよ己の魔力を解放する。今までのように最低限の魔力では凌ぎきれないと判断しての事だ。

目視で捉える事が難しい速度の魔術に反応するのは不可能に近い。これもバルバロッサとの闘いで何度も経験し、考えていた事だ。であればこれしかない。


しゅぽぽぽぽぽぽぽ・・・・ん・・・・


自身の体を丸ごと覆う大きさの水球にウンディーネは驚いた表情を浮かべていた。いや、その理由は放った螺旋の矢がそれに吸い込まれるように消えていったからだろう。

これはただの水球ではない。自身が防御で使っていた左手にある盾代わりの水球。それと同じものを全身が覆える程巨大にして展開したのだ。

非常に魔力濃度が高く、並大抵の攻撃では中まで攻撃が通らない。どこから仕掛けてくるかわからない攻撃を凌ぐにはこれしかないと前々から考えていたのを初めて実戦投入したのだ。

「・・・くだらない魔術ね。」

しかしそんなクレイスの英知を結集した魔術をウンディーネは嘲笑う。確かに攻撃を防ぐだけでは相手を討つことは出来ない。非常に腰の引けた魔術だと馬鹿にされても仕方がないだろう。

「・・・そうかな?」

クレイスは素朴な笑みを返すと今度は水竜巻を3本展開し始める。それもウンディーネを挟み込むようにだ。

巨木以上の太さで迫って来るそれを見てやっと少し焦りを感じたようだがもう遅い。天にも届きそうな水竜巻から逃げるにはそれ以上に高く飛ぶしかないが上空ではその3本が交わってウンディーネの頭上へと落ちて迫って来る。

完全に退路を断たれた彼女はやっと血の涙を止めると諦めたような笑顔をこちらに向けてきた。

「・・・強くなったね。クレイス・・・」

いつものウンディーネに戻ったと感じたのも束の間。同時に猶予が無いと感じたクレイスは水球を纏ったまま彼女へと突っ込んでいく。


ばっしゃぁぁぁああああああんんんんっっっ・・・・・!!


巨大な水球と水竜巻3本が衝突して激しい音と水しぶきが辺りに降り注いだ。やがて霧のように視界を遮っていた魔術が霧散していくとクレイスは水球の中に引き込んだウンディーネを全力で抱きしめていた。






 「・・・後ろでイルフォシアが見ているの。こんな事したら言い訳出来ないの。わかってるの?」

口調も普段通りに戻ってはいるがそれでもクレイスはその体を放さない。何故なら彼女に飛び込む寸前、ウンディーネが自分に向かって魔術を展開しかけたからだ。

「・・・駄目だよ。ウンディーネ、今君がいなくなったらイフリータが悲しむよ。」

こうでもしないと己の命を断っていただろう。なのでもし彼女が魔術を展開しようものなら全力で吸収しようと考えて己の防御領域でもある水球に引き込んだのだ。

「・・・クレイスは優しいね。でももういいの。私、待ちくたびれちゃった。」

その言葉を聞いて一層抱きしめる腕に力が入る。このままでは本当に終わりを迎えてしまう。どうする?どうしよう?

考えがまとまらずにただただ体と体を、肌と肌を密着させたまま時が流れていく。やがてウンディーネが耳元で小さな溜息をついた時、クレイスはショウとイフリータに心の中で大きく土下座するとゆっくり口を開き始めた。


「・・・イフリータが人間達の手によって酷い目にあわされた。それを知った時ウンディーネはすぐに人間達へ復讐しなかったの?」


「・・・あの子は人間が好きだったの。だから私を置いてこっちの世界にやってきて自由気ままに楽しんでいたみたいなの。」

「・・・ウンディーネはどうなの?やっぱり人間が嫌い?皆を殺して回りたい?」

するとウンディーネはくすくすと可愛い声で笑った後彼女の方からもクレイスの体を抱きしめるように手を回してきた。

「嫌い、だった。イフリータが酷い目にあったって聞いた時は怒り狂ってたんだから。もしあの時バーン様にこっぴどく怒られて謹慎処分を受けてなかったら手当たり次第に殺してたと思うわ。」

「・・・今は?」


「・・・今は嫌いじゃない。だってサーマやショウ、アビュージャとの暮らしは楽しかったし、こうやって私みたいな魔族を心配してくれる人間にだって出会えたんだもの。」


その言葉を聞いたクレイスは抱きしめていた腕を放すと今度は二の腕を両手で掴んでウンディーネを真っ直ぐに見つめる。

「・・・だったら僕の話を聞いてほしい。実はイフリータが目を覚ましたんだ。」

素直に話してくれる今なら友人の事実を教えてもいいはずだ。むしろ今教えないと彼女の心は救えない。ショウとの約束を破る形になってでもと決心した一言にウンディーネはどれほど喜んでくれるだろう。

そう勝手に思い込んで、想像していたクレイスは優しい笑顔と共に教えたのだが。


「知ってる。知ってるわよ。少し前からあの子が息を吹き返した事くらい私は知ってるわ。」


「・・・・・え?」

思ってもみなかった返事に次の言葉が何も出てこなくなった。対してウンディーネはこちらが想像していた表情とは違う、とても悲しそうな笑顔を浮かべながら言葉を続けていく。

「・・・私達はバーン様から生み出された存在、人間でいう姉妹なのよ?魔力もバーン様から授かったものだし存在そのものが近しいの。そして私はずっとショウの傍にいた。気が付かない訳がないじゃない?」

・・・・・

不味い。隠していた事への不信感がこの問題をより根深く捻じれさせてしまっている。気が付くと焦燥感に囚われたクレイスの脳内では不味い不味いと慌てふためくので精一杯だ。

それでもウンディーネの訴えは途切れる事無く、今まで隠していた思いの丈が堰を切って溢れ出す。


「・・・私が人間達を無差別に殺して回る、これもあの子が言い出したんでしょ?馬鹿ね。私だってあの子が眠っている間沢山の人間達と触れ合ってその生態を観察してきたの。あの子に酷い事をしたような人間もいれば、クレイスみたいに優しい子がいる事だって知ってるのよ?」


水球の中なのにウンディーネの瞳からは澄んだ色の涙が溢れ出てくる。魔術の力と干渉しない本物の液体だからか。

「人間が許せない気持ちはあるわ。でもそれ以上に・・・イフリータが私を信じてくれなかった事が何より悔しくて悲しいの・・・ねぇクレイス。私の心はそんなに憎悪に塗れてる?」

「そんな事ないっ!!」

ショウの手紙を受け取った時から違和感はあった。本当にあのウンディーネがそんな大それた事を考えているのだろうか、と。

今までのやりとりで誤解だとわかった瞬間クレイスは力強く否定する。すると彼女もやっと笑顔を見せると先程までとは違う優しい力でクレイスに抱きついてきた。






 ウンディーネの大きな悩みを解決すべく動いてきた。そう考えると大きな犠牲も出さずに場を収められたのは最上の結末だと強く断言してもいいはずだ。

だがまるで恋人同士のような甘い雰囲気とじゃれあうような抱擁は2人の少女の心を大きく乱してしまったらしい。

「その~・・・クレイス様?もうその辺りでよろしいのではぁ?」

あまり聞いた事のない声は裏返っているからか。イルフォシアが眉を吊り上げながら笑顔を作るという難しい技を披露しながら声をかけてくると。

「何があったのか知らないけどこれ以上私のクレイス様を誘惑するのなら血祭りに上げるわよ?!」

ルサナも長刀にぶら下がりつつ凄んでくるのだがあまりにも言動がちぐはぐだったせいで言及されている本人はおなかを抱えて大笑いし始める。

「やれやれ。少しは気持ちが楽になった?」

いつの間に現れたのかサルジュも大人びた表情でこちらの様子を伺ってきていた。すると先程までのとげとげしい態度は鳴りを潜めて普段の彼女らしい仕草と声色でそれに答える。

「うん。まだ全ての人間を許すつもりはないけど・・・うん。せめてクレイスやショウは信じたいと思うの。でもイフリータは帰ったらおしおきするの!!」

本当に人間への憎悪は薄くなっていたのだろう。なのにイフリータの余計な気遣いがウンディーネとのすれ違いを生んでしまっていたのだ。

もちろんお互いが相手を思っての行動だったのだがそれが全て前向きに受け取られるとは限らない。何とも難しい問題だなぁとクレイスも心の中で一息ついていたのだが彼にはまだウンディーネが生み出した禍根の後始末が残っている。


「ウンディーネ!!いい加減クレイス様から離れて下さい!!クレイス様も何ですか!!その緩んだ表情は!!ま、まさか・・・浮気ですか?!」


彼女に対してそんな気持ちは微塵もなかったのにイルフォシアがまくし立ててきたので逆に意識してしまう。緩んだ表情というのもウンディーネの本心が聞けた喜びからなのに歪曲されては堪ったものではない。


「クレイス様。どうしてもと仰るのならウンディーネは2番目くらいの妃としてお迎えしても構いませんよ?私は寛容なのです!」


ルサナに至っては咎めるよりも器の大きさを誇示しつつこちらに母親のような笑みを向けてくるがこちらにそういう気持ちは一切ないとどう話せば伝わるのだろう?

「貴女達、何か勘違いしてない?」

そこで件の中心人物であるウンディーネがしらけた表情で口を開いてくれたので今度こそほっと胸をなでおろすクレイス。

魔族であり人とはかなり形態の違う彼女がきっぱりと断りを入れればこの話も収束を迎えて『ジョーロン』の問題に取り掛かれる。なの次はキールガリに何と説明すべきかを考えていたのに。


「私はクレイスの裸も全部知ってるの。わかる?もう恋人同士でしかやらない事を終えた後なの。つまり今の状況だと私が一番正妻に近・・・いたたた!!」


とんでもない事を言い出したので目の前にあった柔らかい頬を思いっきりつねって引っ張るも時既に遅し。

「・・・・・そういえばそんな話を小耳に挟んでましたね。クレイス様、帰ってからで結構ですが私が納得いくまで説明していただきますよ?」

「私はイルフォシアほど狭量じゃありません、が!!でも・・・その、私もクレイス様と繋がりたい・・・ちょぉぉっと!!長刀を振り回すのは止めてぇぇぇっ!!!」

無言でそれをとんでもない勢いでぶんぶんと振り回し始めるのも凄いが振り落とされないルサナも流石だ。

「あはははは!クレイス君、もてもてじゃない!いいわね!魔族と人間も子供は作れるんだし、私はウンディーネを応援するわよ!!」

三人の様相を見て大いに笑って楽しんでいるサルジュが助け舟を出す事はなく、むしろ余計な一言を添えたせいでウンディーネから向けられる視線が今までにないものだと感じた時、クレイスは生まれて初めて女の子の恐ろしさを垣間見たのだった。

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