動乱は醜悪ゆえに -ふたりの少女-

 『七神』の1人であり現在『モクトウ』の王であるダクリバンについてティナマがある程度情報を流すとショウは真剣な面持ちで数度頷く。

といっても彼女の口から出てくるのは操心の術と『七神』としては2番目に古い人物だという事、彼の推薦によって自分が長になった事とあまり重要ではない話ばかりだ。

「わかりました。やはり操心というのは厄介ですね。今の所ヴァッツになら解術が可能みたいですが・・・」

「・・・お前達はよく得体の知れない者と一緒にいられるな。怖くはないのか?」

ショウが最も頼りになる少年に顔を向けながら呟くのと対照にティナマはとても不審そうな表情で吐き捨てた。流石に多少気を許していた時雨も聞き捨てならなかったがこれには誰よりも先に意外な人物が声を上げる。

「ヴァッツは私の甥っ子。得体は知っているし大切な家族。」

相変わらず頭を擦りつけながらアルヴィーヌが答えるとショウも特に口調を荒げる様子もなくここで尋問が終わった。




その夜だ。ティナマの様子がおかしくなったのは。




自身の個室と城内の行動許可、付き人さえあれば国内を散策しても良いという好条件を手に入れた彼女は寝る前まで機嫌は良かった。

もしかして今夜が2人で就寝する最後の夜になるかもしれないと少し寂しさを感じていた時雨だったが思えばティナマが酷く怯えている姿に共感を覚えすぎていた。

周囲からも耳にたこが出来る程忍びには向いていないから付き人や召使いになれと散々言われてきたがこれを機に本気で考えるべきか。

しかし一応は戦える程に鍛えてきたし自分には僅かだが見通す異能も備わっている。形にこだわるつもりはないが折角与えられた力も持ち腐れでは勿体無い。


(・・・・・与えられた力・・・・・)


「・・・っやめろぉぉっ!!!!」


床に就いて考え事をしていた所に突然同室のティナマが悲痛な叫び声と共に飛び起きたので思わずこちらも勢い良く体を起こしてしまった。

「ど、どうしました?!」

見れば息を荒げて汗だくだ。表情も今までにない程怯えて、そして悲しく辛そうだ。

ただ事ではないと感じた時雨が急いで隣に座ると彼女は震えながらこちらに抱きついてくる。いくら天族と魔族の間に生まれた子とはいえその強大な力を奪われた恐怖と絶望は彼女の心に大きな負荷を掛けていたのかもしれない。

(・・・ヴァッツ様に頼んで力を戻して・・・いや、こんな事を考えるからいけないんだ。)

ただの少女として扱えるのはその力を失ったからなのだ。ここで時雨がまた情けをかければ今の関係は保たれないだろう。

「どうしました?何か怖い夢でも?」

昔から王女姉妹の御世話役として務めてきた時雨は優しく問いかけるとティナマはゆっくりと呼吸を整えつつ体を離すとこちらに悲痛な顔を向けてきた。


「・・・お、思い出したんだ。何故わらわが『七神』の一員になったのか・・・」






 最初は言っている意味が全くわからなかった。彼らは人間達の欲望によって産み落とされたという。

そして悠久とも呼べる人生の中、今後自分達のような存在をこの世に出さない為に『七神』が増長しすぎる人間社会に制裁を加える。時雨の解釈ではそうだった。

「何か特別な理由でも?」

わからないときは素直に尋ねる。自身の主から見習った行動の1つだ。単純だがこれがなかなか難しい。

ティナマは口を軽く開けて声を出そうか迷っている。組織に加入した理由がそれほど重いのだろうか?時雨は少しだけ体をずらして寝具の傍にあった水差しを手に取り小さな杯に注ぐと彼女に渡した。

「無理に答える必要はありません。まずは落ち着きましょう。」

彼女はそれを受け取ると静かに喉へ流し込む。こくこくと可愛らしい音を立てて水を飲む姿は本当に危険な存在だったのだろうかと疑ってしまう。

やがて落ち着きを取り戻し始めたティナマが何度か深呼吸をして再びこちらに視線を向けるとその表情にはある覚悟が見えた。


「・・・わらわは昔、多数の人間達に犯された。それが理由で『七神』に入ったのだ・・・そう思っていた。」


出てきた言葉に思わず息を飲み込むが後半の言葉遣いがおかしい。そう思っていたとは?

「・・・違うのですか?」

「・・・あ、ああ。わ、わらわも今まで疑いもしなかった。だが何故か今、昔の出来事が鮮明に蘇ってきたのだ・・・わ、忘れていた記憶がな・・・」

訴える様子は真剣そのものだが聞いていた時雨はただただ困惑する。昔の出来事・・・些細な事はともかくそれほど大きな事件なら忘れたり思い違いを起こすなどありえるのか?

いや、1500年も生きていれば遠い昔の記憶など忘れて当然なのかもしれない。自身の中にも忘れ去りたい記憶がある時雨はまたも妙な親近感に囚われるも見ればティナマの目はあの時のように怯え切っている。

「その先をお聞きしてもよろしいのですか?」

「・・・・・ああ。聞いてくれ。・・・これはわらわがまだ右も左もわからぬ歳だった時のことだ。」




その昔彼女は小さな家で暮らしていた。

天族と魔族の子という事だが両親は物心ついた時から人間であり彼らがティナマを育てた親だという。

ところが住んでいた『モクトウ』という国は刑罰が非常に重い。一応の法律はあるもののほぼ形骸化しており役人達は機嫌を損ねるとそれを振りかざして国民達から貯えを巻き上げるのだ。


当然『モクトウ』生まれの時雨も知っていたが問題はその後だった。


ティナマの家は決して裕福ではなく、税を納めるのが難しかったある年に奉公としてティナマが送られる事となる。それが国王であるダクリバンの下だったという。


「えっ?!それは1000年以上前の話ですよね?!」

確か彼女が幼いころの話を聞いていた筈なのになぜ当時も彼が国王なのか。そもそも『七神』とは普段人間社会から離れた場所でひっそりと暮らしている話はショウからも聞いていた。

国王といえば一番目立つ地位であり存在だ。その男は一体何を考えているのだろう?

「ダクリバンは今でこそそう名乗っているはわらわと出会った時はコウエンと言っていた。奴は名前とほんの少しだけ外見を変えては何代も国王を歴任しているのだ。」


・・・・・


悠久の時を生きる者故の発想か。歴任・・・歴任・・・・・・?

「・・・ティナマ。つ、つまり前王のシュゼンもダクリバンと同一人物・・・ということです、か?」

時雨の心臓が激しく脈打つと声が震えて裏返る。自分と同じような症状が現れたことで逆にティナマから心配そうな顔を向けられるが。

「あ、ああ。そうだ。『モクトウ』の国王はわらわの知る限りずっとあの男が歴任している。」

「・・・・・」


自分もそうだった。幼くて右も左もわからない時雨はある日突然国王の城へと連れていかれたのだ。


今はティナマの話を聞いていたはずなのに昔のと記憶が一致したのは何故だろう。そしてその先は聞きたくないと心身が震えて拒絶し始める。


「だ、大丈夫か?時雨?」


気が付けば心配される側に立っていた時雨はしばらく反応することが出来なかった。






 元来ティナマという少女は優しいのだろう。今度は時雨に水を注いで渡してくれたのでそれを一気に飲み干すとほんの少しだけ意識を取り戻した。

「ど、どうしたんだ急に?まるで何かに怯えているようだが・・・?」

その通りだ。怯えている。幼かった時雨はシュゼンにその身を弄ばれたのだから怯えて当然だ。だがそれはティナマも同じだろう。

「だ、大丈夫です。すみません、取り乱してしまって。お話の続きを聞かせていただけませんか?」

だがもしもという事がある。彼女は本当に自分と同じような扱いを受けたのか。あの男は何年も、何千年も同じような事を繰り返しているのかを確かめたい。

辛い心に鞭打って何とかティナマの話を聞こうと平静を装うもその顔色は真っ白でとても誤魔化し切れていない。


「・・・・・まぁ、そうだ。私はその後ダクリバンに犯された。5年間もな・・・」


その光景が自身の体験と重なると思わず吐きそうになったが全てはティナマの訴えを全部聞き届けてからだ。

「・・・・・いくらでも抵抗出来たはずなのにわらわは何故しなかったのか・・・思えばあの時から奴の操心術に嵌っていたのだろう。」

彼女はヴァッツにその力を奪われる前はあのアルヴィーヌと互角の勝負を繰り広げる程強かったらしい。万全の状態なら並みの相手だと刃が立たないはずだ。

自身の方が大きく取り乱しているせいかティナマは少しずつ落ち着きを取り戻してこちらの手を取る。

「その後も一切の抵抗をしないまま、わらわは人間共に褒美として扱われた。もはや何人と体を重ねたかわからないがその時の記憶だけは鮮明に残っていた。」

内容が理解出来ているのかどうか自分でもわからなくなるが時雨の黒い澄んだ瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。心はしっかりと受け止めているらしい。


「・・・・・だから人間達を大いに恨み憎んだのだ。なのにヴァッツから力を奪われて以降その憎悪がだんだんと薄れていき・・・今夜全てを思い出したのだ。」


操心術とはなんと恐ろしい。完全に立場が入れ替わった2人は時雨の方がティナマに深く抱きしめられている。

「・・・お前も『モクトウ』の出自だったな。そうか・・・・・。」

見かけ以上に長く生きてきた彼女は時雨の様子から全てを察したのか。その後は慰め合うかのような形で寝具に入るとお互いが相手の温もりを感じつつ静かな朝を迎えた。








「・・・ティナマはご両親を恨まなかったのですか?」

朝日が射す部屋で時雨は微睡みながら尋ねる。自分はそうだった。家業が手伝えるかどうかの歳になった時、奉公に出されたのだ。

痛くて怖くて、しかし周囲は誰も助けてくれなくて怯えるしか出来なかった。性格からか泣き叫ぶ事すら出来なかった。

もちろんダクリバンを憎みはしたがそれ以上に恐怖が勝っていたので今もそれを口にする事は無い。誰でもいい。誰かに助けてもらいたかったのだ。


それを実現してくれたのがスラヴォフィルだ。


時雨の家は神社と刀鍛冶で生計を立てていた為、多少関わりのあった『剣鬼』一刀斎が最初の呼び水となってくれたらしい。

そこからは速やかに計画が実行される。城内といえど縄で繋がれていた訳ではない時雨は庭先の掃除をしていた時に救助されるとそのまま『トリスト』へ連れて来られた。

「お前の両親にも事情があったのじゃ。しばらくしたら家に帰るがいい。」

しかし方々に恨みを抱いていた時雨はその提案を跳ねのける。彼女は半ば人間不信に陥っており、この時はスラヴォフィルにも決して心を開いていなかった。

ただ、いじけるような気持ちで睨みつけるととても困った表情をしていたスラヴォフィルはよく覚えている。


結果として自分より5つ年下のまだ赤子だった王女姉妹と一緒に生活する事になったのだが、以降は純粋な2人に囲まれて慌ただしくも健全な生活を送ってきた。


そんな今でも両親に対する不信感だけは拭えない。知識と歳を重ねて理由を知ったとしても、あの時奉公にさえ出されなければと何度考えた事か。

「・・・わらわの両親は天族と魔族だ。育ての親も良くしてくれてはいたがあの2人を憎む気持ちは生まれなかったな。」

お互いが泣き疲れた顔で微笑みを交わすと時雨はやっと少しだけ自分の過去と向き合えた気がした。






 『モクトウ』に限らず女性は契りを結ぶまで純潔であり続けるべき、という考えはどこにでもある。そのせいで時雨は自分をどうしても汚れた存在だと思い込んでしまう。

「くだらん。お前はもっと周囲に求めていいし自信を持て。でないとわらわまで卑屈にならなければなる。」

優しいティナマはそう言いながら朝食を頬張るがそれがすぐに実行出来れば苦労などしないのだ。

「追々善処します。」

初めて見た時の怯えた様子が何故こうも心に引っかかったのかも理解した時雨はほんの少し目を腫らせて軽く返した。

しかし歴代に渡ってあの男が国王であり、奉公といっては少女を招き入れて乱暴を働いているとなると放っておくわけにはいかない。これ以上自分達のような犠牲者は出してはならないはずだ。

(・・・・・ヴァッツ様にご相談しようか・・・・・・)

だがそうなると自身の過去が明るみに出かねない。考えただけでも呼吸が乱れ頭が真っ白になり、未だ心に深く根付いた傷は時雨に大きな制約を課してしまう。

昨夜も自身の口からは何も語っていない。ティナマが全てを察してくれただけでこちらもそれを肯定はしていないのだ。


(・・・私は・・・)


自身を否定するのは日課のようなものだ。薄汚れていて臆病で、それでいて卑屈。最近では情にほだされすぎて忍びを止めた方がいいと言われる始末。

思えば『フォンディーナ』で一刀斎に礼を述べる事すら出来なかった。が、あれは彼の行動も悪かったので事情を知っている人間からすれば仕方がないと庇ってくれるかもしれない。

それでも。いい加減自分を卑下し、諦めてしまう性格には終止符を打たねばならない。


「少し城内を歩いてくる。時雨は少し休んでおけ。」


深い思考と悲しみに陥っていた時雨を静かに見つめていたティナマはそう言い残すと静かに部屋を去っていた。








「ティナマ!!正気ですか?!」

スラヴォフィルやザラールといった国の面々の前で無茶な要求をした後無理矢理引っ張って帰って来た時雨は悲鳴のような声で咎める。

今の彼女は半人前の時雨にも劣るのに天人族であるダクリバンを倒すなどとよく言えたものだ。一体何を考えて・・・!どんどんと沸き上がる不満をどう表そうかやきもきしていると。


「・・・お前はどうなのだ?お前は奴に対して何とも思わないのか?」


とても静かに、そして真っ直ぐな眼でこちらに問いかけてきたので思わず顔を逸らす。思う事。1つ挙げるとすれば恐怖の対象という事だけだ。

思い出しただけで心身が震えて頭の中が真っ白になる。呼吸は乱れて満足に言葉すら出て来なくなる。結果ダクリバン、いや、シュゼンという存在を常に考えないよう暮らしてきたのだ。

「・・・な、何にも思わない・・・です。」

「・・・・・嘘が下手だな。」

見た目以上に長寿なティナマはまるで子供のような嘘をつく時雨を優しく見守っている。やがて2人がどちらからでもなく静かに椅子へ腰かけると彼女は一番大切な事を告げてきた。


「術に嵌っていたとはいえわらわは数多の人間を殺した。罪とは思わんがせめて償いと、そして己の失われた時間の為に奴を討つ。」


決意が全身から溢れ出ており力を失ったはずの彼女に気圧される時雨。だがどうやって?ティナマは何か策でもあるのだろうか?

「今は言えん。だが時雨、お前には奴の最後を見届けて欲しい。必ずこの手で首を刎ねると約束しよう。だから頼む、一緒に『モクトウ』までついてきてくれ。」

そういえばスラヴォフィルにもそんな事を口走っていた。時雨としては二度とあの地に行きたくないのにこの娘は・・・・・何とか断る理由を模索していると正面からこちらを見つめてくる少女に違和感を覚えた。

見れば表情こそ気丈に振舞っているがまたも膝に乗せた手が震えているではないか。

「・・・怖いのでしたら無理する必要はないでしょ・・・」


《・・・わかった。ではわらわ1人で行ってくる。世話になったな。》


?!

その恐怖心を指摘して何とか思いとどまらせようと言葉を発する直前、時雨は先を見通す力が発動してティナマがそれにどう答えるかが見えてしまった。

自分の力は非常に微弱で今までそんな体験はしたことがなかっただけに大いに驚いているとティナマも不思議そうにこちらを見つめてくる。

(・・・じ、自分と同じような目に・・・いや、自分より長い間酷い目にあっていたこの娘を1人で行かせるなんて・・・)

シュゼンの手にかかった事で得てしまった先を見通す力は時雨に何を求めているのか。その後何度か口を開こうとするも結局最後はこちらが折れる事で話がついた。






 結局ほぼティナマの意見が通った事で現在『ボラムス』行きの馬車にはヴァッツとアルヴィーヌ、時雨にティナマの4人が乗っていた。

相変わらず第一王女は自身の銀髪を隠したくない為にヴァッツの肩やら胸やらに頭を擦りつけているがこちらはこちらでお互いが必ず触れ合うように座っている。

「・・・時雨もティナマも大丈夫?」

叔母の奇行など全く気にせずこちらを心配そうに窺ってくれるので力無く微笑みながら謝意を返す時雨だったが、ティナマも気にかけてくれている事が嬉しくて少しだけ心の緊張がほぐれる。

「・・・お前は本当にヴァッツが好きなのだな。」

隣で腕を抱きしめていた少女が水を差してきたので一気に顔が紅潮するも、彼は誰よりも頼りになる存在なのだ。そう考えるとこれは転機とも受け取れるだろう。


いつまでも辛い事を引きずっていては駄目だ。決して笑い話になどはならないだろうが、せめて体と心を解放させたい。でないと意中の男性、ヴァッツが求めてきたりしたら応えられなくなる。


(・・・な、な、な、な、な、なにを考えているんだ私は!!!!)

ティナマの発言を深く捉えたからではないが好きな異性には全てを捧げたい。臆病でも大きな傷を負っていても恋とは時にそれらを覆すことがあるのだ。

やがてカズキと再会するも何故かヴァッツが2人だけで話をしたいと言い出したのには少し驚いたが彼も13歳。他人に聞かれたくない事情の1つや2つがあっても不思議ではない。

それが終わるとこちらに戻って来たヴァッツが時雨に手招きをしてくる。見たことのない行動に何だろうと疑問を持つ事なく近づいて行くと彼はいきなり抱きしめてきた。

「本当に大丈夫?怖いんだったら『トリスト』で待っててくれていいんだよ?」

彼の不思議な力の1つに抱きしめられると至上の安らぎとも言うべきか。とにかく身も心も蕩けさせるというものがある。

せっかくこちらを心配する言葉を投げかけてくれたのにその状態に陥った時雨の脳内には届かなかったが1つだけ、彼女の思考を動かしたものがあった。

それは身長だ。

出会った頃は自分の方が高かったのに今では時雨の顔がヴァッツの鎖骨あたりに埋まる。いつの間に身長を越されていたのだろう。

どれくらいの間そうやっていたのか。

隣でアルヴィーヌが頭を擦りつけてきた時に正気に戻った時雨は再び馬車に乗り込む前、ティナマにそっと耳打ちした。


「ティナマ。シュゼン・・・いえ、ダクリバンを討つお手伝い。私にもさせて下さい。」


「・・・臆病者は邪魔になるだけだぞ?」

きつく返しながらも彼女はこちらの腕に手を回してぎゅっと締め付けてくる。恐らくは嬉しさと恐怖を紛らわせる為だろうが時雨にもはや後ろめたさはない。

あの温もりに包まれていたい。その為にやるべきことはまず過去の清算からだ。

「ええ。ですから私の足手まといにだけはならないで下さいね?」

時雨らしからぬ不敵な笑みはティナマを大いに驚かせた。その顔があまりにもおかしくてつい声を出して笑っているとヴァッツも安心した表情でこちらを見守っていた。






 「時雨の奴・・・大丈夫かな・・・」

久しぶりの我が家と着慣れた衣服に身を包んだリリーは炊事場でぼんやりと友に思いを馳せる。

何か言いにくい過去があるのは最初から気が付いていた。というか自身の祖国である『モクトウ』の話題にはあからさまに忌避する態度を取っていたのだから大抵の人間は気付くはずだ。

「やっぱり私もついて行けばよかったかな?今からでも追いかける?」

こちらの思考を読んだハルカは手伝いがてら尋ねてくるが今回はヴァッツとアルヴィーヌという『トリスト』国内で1,2の強者が傍についている。

ハルカが強いのも知っているがあまり戦力を割き過ぎると本国周辺の防備が手薄になるとショウも言っていた為今回は見送られたのだ。

「いや、大丈夫だろ。それより今日はいい鹿肉が手に入ったんだ。折角だしハイジヴラム様やレドラ様も呼んでみるか。」

「やった!じゃあ私ちょっと行ってくる!」

ルルーはしばらく一緒に暮らしていたハイジヴラムに相当懐いていた。レドラはヴァッツがいない時など逆に食事へ招待したりもしてくれている。今は王女姉妹も大将軍も国から離れているので日頃のお礼も込めて・・・と軽く提案してみたのだが妹は相当嬉しかったらしい。

「だったらついでにまた護衛も頼めばいいじゃない。アルもイルもいなくて退屈してそうだし。」

「お前な・・・ハイジヴラム様はスラヴォフィル様直属の配下なんだぞ?しかも護衛ならお前もあたしもいるだろ?」

リリーも彼からは父性のようなものを感じているので決して強く反対はしないが分は弁えているつもりだ。いざとなれば1将軍として働く彼をこちらの我儘に付き合わせるなど主が良い顔をするはずがない。

「・・・私はともかくお姉さまってこっちに戻ってから少し丸くなった気がするのよね・・・」

「えっ?!あ、あたし太ったか?!」

確かにずっと召使いが付いており体をほぼ動かさない生活を1か月以上送っていたのだ。しかも14歳、育ち盛りの体でただ食べて寝ていただけでは余計な脂肪が付いていくのも仕方ないだろう。

だが急になぜ体格の話を?お腹の部分を軽く摘まみながら怯えるような目でハルカを見ていると・・・


「いいえ、そうじゃなくて・・・ねぇお姉さま。ヴァッツと何かあったでしょ?」


何かあった・・・心当たりがあり過ぎて逆にきょとんとしてしまったがルルーが家を飛び出した後で本当によかった。

「・・・何でそう思うんだ?」

「だって妙に色っぽくなってるんですもの。雰囲気とか仕草とか。もしかして一夜を共にしちゃったり・・・?」

ハルカの目が怪しく光り、その真相を突き止めんとしてくるが一夜どころか毎夜共にしていた事は死ぬまで黙っておこう。そもそも一緒に寝ていただけでそれ以上の行動はなかった。後ろめたい事などないはずだ。

「まぁ淑女っぽく振舞わなきゃいけなかったし。その影響が残ってるのかもな。」

「えー?本当にそれだけー?」

妹達はどうも姉らよりませているのかこういった話題にはやたらと首を突っ込んでくる。リリーも決して興味がない訳ではないがヴァッツに恋心を抱いているかと尋ねられれば恐らく違うと答えるだろう。

「・・・まぁ形式的には許嫁だった訳だし、もし何かあっても別におかしくはないだろ?」

普段からよくからかわれている為、今日こそはと少しだけ意地悪そうな顔でそう返してみると珍しくハルカが少し焦りを見せてきた。


(おお、可愛らしい仕草を見せるじゃないか。)


してやったと内心喜んだのも束の間。その夜レドラがヴァッツから逐一報告を受けていたらしく夕飯の場では全てが公開され、リリーはただただ顔を真っ赤にしながら黙々と食事を続けるしか出来なかった。

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