動乱は醜悪ゆえに -足止め-

 翌朝最低限の荷物を背負ったサファヴは妻と義母に確認を取りながら外の様子を窺う。

真冬の早朝は非常に肌寒く白い息を纏いながら薄く照らされた朝日を頼りに見渡すが昨日まで常に視界のどこかに映っていた衛兵の姿はない。

(流石一刀斎様だ。)

あれから2人には一刀斎という男の不器用さを説明したもののシャルアはともかくケディがいまいち信じられないといった様子だ。

毎年村を訪れて生活費を預けていたのが事実とはいえやはり姿くらいは見せるべきだったか。そこにはサファヴも思うところはあるが、ならばこれからそうすればよいではないか。

本格的な解決は後回しにまずは侵略してくる『リングストン』の軍団から逃れる為に3人は静かに東へ向かう。幸い家の裏手から林になっているので身を隠しながら移動するという意味では非常に都合がよかった。

追っ手の気配もなく30分も進めばまず安心だろうと少し気を緩めていたサファヴだがケディは立て続けに起こった騒動に心身が休まらなかったのか足取りは重そうだ。

シャルアに先頭を任せて義母に気を使いつつ更に進むと少し開けた沢に出た。そこで少し休憩を挟もうと提案した彼は枯れ木を削って素早く火を熾す。後は薬草と塩で味付けをした香茶を3人で啜りあって体温と体力を回復させる。

兵卒として様々な訓練を受けていた経験がこんな所で役に立つとは。周囲は木々で囲まれておりよほど油断しなければ追っ手に気が付かない事はないだろう。

熾した炎でしっかりと暖も取ると再び3人は『ネ=ウィン』の領土へ向かって歩き出した。








カーチフの家で3人が旅立ったのを確認した一刀斎は一安心した様子で寛ぎ始める。

既に朝日が昇って十分な時間が過ぎている。ブキャナートも含め村人全員がばらばらに逃げ始める姿も目撃していたのでまずは間に合ったといった心境だ。

この村の男手はすべからくカーチフから最低限の手解きを受けている為皆がそれなりに戦えるのも利点だった。

「やれやれ。昨夜は少し呑みすぎたかの。」

勝手のわからぬ炊事場を適当に探りながらお茶と簡単な雑炊を作って並べると少し寂しそうな表情を浮かべる『剣鬼』。

彼は各地を回る根無し草だ。1箇所に留まっていた時期などカズキの面倒を見ていた時くらいで孫が8歳になった瞬間武者修業に放り出すと自身もまた旅を再開している。


誰もいない大きな食卓の前に1人で座る一刀斎は静かに食事を続ける。

『孤高』と称される強さを手に入れたが常に寂しさが付いて回っていた。その為に気を紛らわそうといくら女を抱いたか覚えていない。結局の所人というのは大きな力を得ようとすればそれだけの物を犠牲にせねばならない。それが一刀斎の場合は家族だったという訳だ。

若かりし頃に夢見た天下一の剣を極めんと生きてきた一刀斎。真の強さを手に入れる為彼はこれからも自問自答を繰り返し研鑽を積んでいくのだろう。




それでも時折頭を過ぎる。もし最愛の伴侶と共に人生を歩んでいれば今頃は皆で食卓を囲み、暖かい食事を堪能出来たかもしれないと。




日が昇って少し暖かく感じてきた頃、北の方角からリングストンの大軍が地面を響かせて接近してくる。

罠と呼べるほどではないが村の周辺には村人達を監視していた衛兵の死体を放置してきた。あれを見ればよほどの無能でない限り無闇に行軍してはこないはずだ。

後は奴らをどう捌くか。『リングストン』とはそれほど懇意な付き合いをしておらず一刀斎が遠慮する理由も無い。ならば血縁を無事に送り届ける為の時間稼ぎくらいは許されるだろう。


しかし『孤高』と呼ばれる彼が大軍に立ちはだかった瞬間、一刀斎の目論見は少しずつずれていく事になる。






 カーチフの村に来るまで全ての拠点を早々に制圧してきた為『リングストン』といえどその兵力はかなり減っていた。

それでも4万の大軍は意気揚々としている。これは『ジグラト』側に大した抵抗がなかった、いや、出来なかった為だ。

王妃ブリーラ=バンメアが開いた会談から3日後には侵略を開始していた『リングストン』と、大口を叩いたものの防衛手段が未だ整っていない『ジグラト』。格の違いを見せつけられた周辺国も首を突っ込む事を恐れ、皆が様子見を決め込んでいる。

そんな中、一刀斎が堂々と姿を現したのだから全員が注目して驚いた。しかしここにたどり着く前にも似たような商人がいたのを彼らは覚えている。

周辺の死体も含めて警戒を高めるよう命令が下り、しっかりとした陣を展開し始めたのを見て今度は一刀斎が少し驚いた。

(ほう?数に任せてごり押しする連中だと思っておったが。)

どうやら彼が思っている以上に統率の取れた軍団らしい。こうなると一刀斎の中で葛藤が生まれるも普段とは訳が違う。今は出来る限り時間を稼げた方が都合が良いので彼も剣を抜きたい衝動を抑えつつ直立不動のまま大軍を眺め続ける。


やがて『リングストン』の方から動きが出てきた。かなり重厚な鎧に身を包んでいる事からそれなりの人物だろう。


騎馬は三騎。少し油断が過ぎるのでは?と心配になったがこれはナジュナメジナの影響が出ているからだ。彼もまた供回りを1人だけ引き連れて10万の前に姿を見せた。

なのでイジンブラもこちらがかなりの大人物だと見込んでこの行動に出たのだ。もしかすると『ジグラト』という国には傑物が各地に潜んでいるのではないかという警戒心を高めて。

「失礼。私は『リングストン』南伐総大将イジンブラという。貴殿はこの村の住人かね?」

年は40を過ぎた頃だろうか。それにしても随分白髪が目立つ中肉中背の男は『リングストン』らしからぬ低姿勢でこちらに伺いを立てる。

「いいや。わしは村人に危害を加えようとした賊徒を少し懲らしめただけの旅人じゃ。ところで何故『リングストン』が『ジグラト』の領内で軍を進めておる?」

今までも自身の人生をかけてすっとぼけてきたのだ。ここでもその見事な演技で立ち回る一刀斎。

イジンブラという将軍も少し考え込んでから礼を崩す事無く『リングストン』が彼と村人に危害を加えるつもりがない旨を伝えると制圧の経緯を教えてくれた。

「現在世界の安寧を揺るがす人物が『ジグラト』で暴虐の限りを尽くしております。貴殿が斬り伏せた賊徒も彼女の仕業でしょう。どうです?もしよろしければ我々と諸悪の根源を絶ちに参りませんか?」

こちらを『孤高』と知っている訳ではなさそうだが気が付けば相手は跪いてまで提案している。しかし村人が1人もいないのがばれたら流石に態度が豹変しそうだ。

「やめておくよ。わしももう老い先短いのでな。」

からからと笑ってイジンブラの肩をぽんっと叩くと一刀斎はそのまま北東への細道を歩いていく。十分すぎる時間は稼いだので後は機を見て茂みに潜みつつ東へ向かうリングストン兵を刈り取ればよい。

(ネクトニウスには村人全員を厚遇するようきちんと伝えねばな。)

依頼もいよいよ佳境に向かってきた頃、頭の中では既に報酬の件を考えていた一刀斎だったが。




びちゃっ・・・・・どすどすどどすんっ!!!




突如水が破裂したような音と共に一瞬でリングストンの歩兵が5000人、腰を断たれて真っ二つに割れていた。更に心臓と頭が無傷だったせいで皆の上半身がもぞもぞと動いていたのだから見ている者の身の毛がよだつ。

「ひ、ひやぁぁぁあああ?!」

「な、ななな、ななあああああ?!」

「ぎゃあぁぁ・・・・ぁぁぁああっ?!」

辛うじてその凶刃から逃れたものの、突如目の前に現れた地獄のような光景に兵士達は混乱し悲鳴を上げる。ただ事ではない。何かが起こったのだ。

首を突っ込むべきかどうか・・・一刀斎を以ってしても誰のどのような攻撃が放たれたのか全くわからなったのが余計に興味をそそる。

阿鼻叫喚が耳に届くと立ち止まってその方向に目を凝らす。時間にして数秒しか経っていないはずだがその犯人は何故かこちらの前に突然姿を現した。

黒い外套を深く被って顔はわからないが並外れている気配には覚えがある。


「お前か?この村の、カーチフの家族を逃がしたのは?」






 先程のイジンブラと違い目の前に現れた男はこちらの行動をほぼ完璧に読んでいるらしい。だが一刀斎にとってそんな事よりも過去の記憶が訴えかけてくるのだ。

この男と戦ってはいけないと。

「・・・カーチフ?家族?お前さん何を言っとるんじゃ?」

自身をも騙し続けた演技力を惜しみなく発揮させて正に一世一代の大芝居を打つ一刀斎は非常に自然なとぼけ顔を披露している。

「人間如きが私の目を欺けると思っているのか?」

という事はこの男、間違いなく『七神』と呼ばれる存在なのだろう。長い武者修業生活の中でも感じた事がない気配に戸惑うもやっと記憶の引き出しから合致する者が浮かび上がった。




こいつは自身の娘と婿を殺した男だ。




今まで数多の女と関係を持ち、何人かが子を産み落としていたのは知っている。カズキの母であり自身の娘であったコフミもその中の1人だった。

母親からしておっとりとした性格であり、この家には一刀斎もそれほど気兼ねなく顔を出せていた為コフミも彼を父として認識してくれていた。

そんな11月のある日、母親も近所の寄り合いで家に誰もいなくなるからと彼に赤子の世話と留守番を頼むコフミ。

「この子も父さんには懐いているし。今日中に冬支度を済ませたいの。」

普段は気性が荒く相当な暴れん坊だと聞いていたが今は一刀斎の腕の中で静かに寝息を立てている。彼としても孫と過ごす時間には興味があり、若夫婦も用事と2人で過ごす時間を得られるのならまさに一石二鳥だ。

二つ返事で了承してコフミ夫妻を見送った後、液体のような体を指で軽く触れていた時に奴が現れた。

家を出てすぐに2人の気配が消えた違和感に一刀斎はカズキを抱いたまま外へ飛び出す。視界には黒い外套を深く被った人物とコフミ達が重なって倒れているのが入って来る。

全てを理解した彼がこの後起こす行動といえば娘の仇討ちをする為に剣を抜く、だろうか。否、彼は今まで培ってきた『孤高』の誇りを放棄すると気が付けばカズキを抱いて山の奥へと逃げ込んでいたのだ。

孫を危険な目にあわす訳にはいかないとも言えるがそうではない。


全てを犠牲に全国を行脚してその腕を磨き続けていたはずなのに敵を前に尻尾をまいて逃げた事、そして自身と血の繋がった娘が目の前で殺された事。にも関わらず仇討ちをする気概すら生まれなかった事、全ては己の心身の弱さなのだと深く悔いた。

人生で初めての出来事が立て続けに起きるとそれらが一刀斎の心をきつく縛り上げる。結果としてカズキを1人前に育て上げる決心をしたのが13年前の出来事だ。




「・・・懐かしいな。」


今度の発言は彼の目でも読めなかったのか不思議そうな表情でこちらを窺う。しかし本人の内心は穏やかではない。

思えばあれ以降はしっかりとした目標があって研鑽を積み上げてきた。敵わないと敵前逃亡した己は既に無く、この日の為に燻らせていた仇討ちの心を真っ赤に滾らせる。

本能では今一歩及ばないと警鐘を鳴らしてくるが既に80年近く生きてきたのだ。この先再び逃亡して後悔を胸に朽ち果てるくらいならこの場で全てをぶつけた方が良い。

葛藤を抑え込み静かに剣を抜く中、周辺のリングストン兵もこちらを囲むように動き始める。

「ご老人!その黒い外套の男とは知り合いかっ?!」

イジンブラという男も総大将を務めるだけあって知識と知恵は備えているらしい。こちらを犯人とは思わず目の前にいる男が『七神』でありいきなり軍の一翼を壊滅させたのだと理解はしているようだ。

「・・・娘の仇というのは知り合いになるのかの?」

「なっ?!」

「娘?何の事だ?」

わかってはいたがこの男、13年前の記憶など片隅にもないらしい。考えてみれば自分はあの後敵に背を向けて全力で逃げたのだ。記憶に残るほうが難しいだろう。

「これも運命、という奴か。『七神』の男よ。わしは一刀斎=ジークフリードという。よければ貴様の名を教えてはくれんか?」

「ななっ?!」

覚悟を決めて名乗りを上げたが周囲の反応が五月蝿くてどうにも緊張感が行き渡らない。戦いが始まれば無数の剣閃が飛び交うので外野には退散してもらいたいのだが・・・

「ふむ。私はマーレッグという。仇討ちというのであれば受けて立とう。」

しかし周囲の事など全く気にせず相手も静かに刀を抜く。当時は気が付かなかったがこの男も刀を使うのか。

「下がれぃ皆の者!!邪魔立てする奴は容赦なく斬り捨てるぞ!!」

一刀斎は命の全てを滾らせると全方位に檄を飛ばしてから腰を深く落とす。それに『リングストン』が呼応した時遂に因縁が断ち切られるのだと覚悟した一刀斎だったが。


「間に合ったようだな。」






 上空から何度か聞いた事のある声が届いてくる。一刀斎だけでなくマーレッグも含め皆で空を見上げるとそこには数こそ100足らずだが飛行の術式で滞空する小隊が1つ。その最前面には酷く顔を歪ませてこちらを見下ろすナルサス皇子がいた。

「『リングストン』だけでなく『剣鬼』と『七神』までいるではないか。全く、父にはもう少ししっかりしてもらわねば。」

この場にまさか『ネ=ウィン』が乗り込んでくるとは思っていなかった。ただ『リングストン』から見れば想定内なのだろう。陣を再展開してナルサス達を最も警戒する形へと移行している。

(あのバカ皇帝が、息子の暴走を止められなんだか。)


『ネ=ウィン』という国家は戦闘国家で知られているが戦い方にも強いこだわりを持っている。それが威風堂々と正々堂々だ。

少数精鋭でそれらを示して戦い抜くからこそ周辺国に畏怖を植え付けてきた。まさに国史なのだがナルサスにはそこの教育が行き届いていないらしい。

詳しくは聞いていないが恐らくネクトニウスは『リングストン』との接触を避けるべく早々に一刀斎を送り込み、カーチフの家族を救出してから全てを始めようとしていたはずだ。

自国の人間を使わなかったのは情報漏洩を防ぐ為と警戒されないよう最少人数で事を運ぶ為か。それが終わってから占領の終えた『リングストン』を正面から突破する。そんな所だろう。


「お前達は『リングストン』を殲滅しろ。」

寡兵ではあるものの皇子自らが率いてきた飛行部隊だ。上空という絶対的な地の利を得ている事もあってか彼らは悠々と武具を構えだすと残る3万5千の軍団を翻弄するかのように動き始めた。

それからナルサスが自身の傍に降り立った事で一刀斎は考える。彼はある程度の強さを保有しているもののマーレッグには傷一つ付けられないだろう。

むしろここで皇子に何かあればネクトニウスも感情のままに暴れ出しかねない。『ネ=ウィン』の内情にさほど興味はないが自分の身内にその皺寄せが及ぶのは避けるべきだ。

「下がっておれ。こやつはわしの獲物じゃ。」

「一刀斎様。この地はカーチフの故郷、それを土足で踏みにじられた以上我々が黙って見過ごす道理はありません。」

皇子もまだ集落の様子を掴めてはいないらしい。更に功を焦っている。

「私は構わん。むしろ2人を相手するくらいで丁度良いのではと考える。」

決して挑発を意図した訳ではないのだろうがマーレッグの発言により若いナルサスは目に見えて怒りを浮かべる。これはまずい。ただでさえ低い勝率がこのまま戦うと最悪の結果につながりかねない。

全てが敵の思惑通りに進み、かといってもはや一刀斎も後には引けない。生涯最後の立ち合いかもしれぬというのに何と不利な状況か。


「ナルサス。お主は『ネ=ウィン』最後の希望じゃ。無理だけはするなよ。」


せめて心のどこかに留めておいてほしい。ネクトニウスの意思も含めて儚い希望を伝え終えると一刀斎は自慢の一振りで大いに斬り込む。

皇子の方もそれに合わせて思い切り長剣を叩きつけたがマーレッグは流れるような身のこなしでそれらを躱す。

わかってはいたがこの男、強さが尋常ではない。初撃でナルサスも目を覚ましたのか以降は冷静に丁寧な剣戟を放つもやはり敵に掠る事すら叶わない。

出来る限り箇所を分散させて動きに制限をかけるよう2人が息を合わせ始めるとやっと手にしていた刀で捌き始めるがその技術も相当なものだ。

刀の軌道をナルサスに曲げられそうになるのを危惧して少し加減を変えればまた身を躱す回数を増やすマーレッグ。反撃が全く来ないのに追い詰められている気がするのは決して錯覚ではないだろう。

周囲も強者3人の邪魔をしないようにと距離を置いて戦ってはいたがその壮絶な死闘を前にまず上空のネ=ウィン兵達が皇子をいつでも救出に入れる態勢へ移行する。

『リングストン』としてもここでナルサスが散ってくれると今後の戦いが優位に運ぶ為、横槍は入れなくともその行方を見守り始める。


「良い。良いぞ。久しぶりに熱い戦いだ。」


こちらが必死で糸口を見つけようと奮闘しているのにマーレッグだけは薄い笑みを浮かべてこの立ち合いを大いに楽しんでいる。時折隙を見て刀を振る瞬間に棒手裏剣なども放っていたが奴はわざわざ勢いを殺して足元に落として見せるのだから堪ったものではない。

そして遂に彼が反撃を一刀打つとそれはナルサスの胸元に大きな袈裟懸けの傷を生みつけた。同時に上空からは戸惑いの声が、周囲からは驚愕と歓喜の声が上がる。

出血具合やその後の動きから軽く掠めた程度だと判断するもこのままでは決して勝てないだろう。絶命の一刀を貰うのはどちらが先かといった劣勢ぶりに一刀斎の焦りは頂点へと近づいていく。

(・・・仕方があるまい。)

共倒れするよりはと判断した一刀斎は次にマーレッグが攻撃へ転じた瞬間を狙って捨て身の一撃を放つ覚悟を決めるとその双眸を強く輝かせた。






 いくら強いといっても『孤高』と称される一刀斎とナルサスの間には大きな壁がある。当然同時に相手をしているマーレッグもそれは気づいているはずだ。

二人が挟撃出来る位置を取りつつ攻撃を続ける中、やはり落としやすい方への反撃に出たのを見逃さない。

瞬時に刀から両手を離して腰の脇差を素早く抜くと中空の刀を左手で拾い直して一気に間合いを詰める。少しでもいい。まずはこの化け物に手傷を負わせねば。そこから流れを掴めばまだ勝機はあるかもしれない。

一縷の望みに賭けた『剣鬼』渾身の立ち回りだったがマーレッグという男は直感を超える強さを内包していたようだ。

見事な突きでナルサスの左肩口を貫くと左の腰から小刀を逆手で抜いてこちらの動きに対応してきた。刃渡りが短く殺傷能力は低いものの凌ぐという場面ではこれほど重宝する武器もない。


ががががっ!!!


鋼と鋼が目にも止まらぬ速さで何度も衝突を起こし花火のように粉が散るも一刀斎の二振りはマーレッグの体を掠る事すら許さない。その奥では明らかに失速したナルサスの表情が窺える。

(やはり届かなんだか・・・)

それでも彼が手を休めない。どのような結果になろうと見事この場で散って見せよう。命を賭した最後の連撃に応えるべくマーレッグもナルサスに背を向け正面で向き合うが、次の瞬間。


びしゃっ!!!


いきなり大地が裂けたと思ったら正面にいたはずの男は大きく距離を取りナルサスと向き合い直していた。残像すら見えなかった一刀斎はその勘のみで彼の動きを追うとその背中に深い刀傷が走っているではないか。

「・・・お前は・・・そうか。」

一人だけ深く納得している様子だがこちらは何の事かよくわからない。しかしそれを与えた男の右手には見事な黒い長剣が握られていた。

今まで影も形もなかった武器に激しい違和感を覚えたものの、それを手にしたナルサスの様子がおかしいのもすぐに察した。明らかな凶暴さを纏い、どういった理由からかその強さも格段に上がっている。

「な、何故この剣が・・・?」

そして本人さえその剣の存在に驚いていた。ただそれらを考えるのは今ではない。

「ナルサスよ。傷は問題ないのか?」

「・・・はい。いけます。」

短くやり取りを終えると先程までと違い今度はナルサスが主力となってマーレッグに襲い掛かった。非常に力を持て余している様から彼自身も大いに戸惑っているのだろう。

しかし彼の強さは敵に多大な圧力をかけている。一刀一刀が強力な剣撃の為受け流しと反撃に集中し始めたマーレッグ。その隙をついて一刀斎が二刀で追撃を行えばこちらの攻撃が致命傷ではないにしても掠り始めた。

本当にこの男を倒せるかもしれない。気が付けば周囲も大歓声を送っており完全に勝敗が見えてきた時。


ぼふふぉん・・・っ!


いきなり周囲に黒い煙が立ち上る。匂いから察するに煙幕だろうが『孤高』と呼ばれる一刀斎と謎の力を得たナルサスにそんな小細工は通じない。

それでも一気に後ろへ飛んだのには訳があった。どうやらその煙は目晦まし以外にも毒素を含んでいるらしい。慌てて口元を手で押さえて同じように退避したナルサスに目を向けると彼は一気に上空へと上がりマーレッグの姿を探している。

恐らく力の均衡が崩れた為に退却したのだろうが油断は禁物だ。一刀斎も煙を吸い込まないように地上から周囲を探して回るも既に彼の姿はどこにもなかった。






 毒素の煙は霧散し、この場に残ったのは一刀斎と『ネ=ウィン』、そして『リングストン』になった。

ナルサスが持つ黒い剣について話を聞きたかったが国と国がいよいよぶつかろうとしている。今は巻き込まれる前に退散を狙う一刀斎はその戦端が開かれるのをしばし待っていた。

だが上空で小隊と合流したナルサスが一向に動く気配はなく、地上で身構える『リングストン』達は万全の態勢で迎撃する準備を終えている。

(機先を制されたとはいえ上空からの優位に変わりはないが・・・)

あれだけ怒りを内包していたにも関わらずすぐに襲い掛からないのは何故だ?肩の怪我が影響しているのか、それとも毒にあてられたか?

双方の様子を見ながらじりじりと東の林に移動する一刀斎を他所に上空の王子が1人で静かに降りてくると大軍のほぼ真ん前に降り立つ。その距離は三間(約5m)もない。

当然『リングストン』の大軍もまさか相手が皇子1人で戦うなど微塵も思っていない為、警戒は続けるも何を要求してくるのかという聞く姿勢へと移っていた。


刹那、目にも止まらぬ速さで黒い剣を大きく横へ薙いだのだけは理解出来た。


いつの間に姿を見せたのか腰には立派な細工が施された鞘が下がっており皇子の剣は流れるように刀身が納まる。それからまた上空へと昇っていくのだから対峙していた面々は目を丸くしている。

が、突然『リングストン』の大軍が前方から次々に倒れていった。見れば先程と同じように全員が腰断されて無残な光景が広がっていく。


「・・・ちっ。クンシェオルトよりも強い力か・・・ますます気に食わんな。」


またも細い悲鳴と小さな混乱が生じ始めるがそれを静かに眺めていたナルサスは一言だけ呟いた後小隊を引き連れて東の空へと消えていった。








道なき道を突き進み、サファヴ達は3日ほどかけて国境を超える。

拓けた土地に出るとネクトニウスの手配した衛兵達がすぐに駆けつけてくれたのでほっと一安心するサファヴ。

食料不足といった問題はなかったもののある程度の荷物と歩きっぱなしの3日は特にケディの体力を消耗させており、彼女だけはすぐに馬上へと引き上げられる。

(助かった・・・のか・・・)

生涯で3つも国を渡り歩くとは思ってもみなかったサファヴは少し不安な気持ちを悟られないよう平静を装いながら妻を気に掛けるが流石は一刀斎とカーチフの血を引くだけはある。

「本当に来ちゃったね・・・大丈夫かな?」

普段と変わらぬ声量と動きを見るに体調は全く問題ないらしい。

陣幕が張ってある場所までたどり着くと手短に名前を確認され、カーチフの家族だと認識された瞬間周囲の視線が変わる。

ただその大半がサファヴを値踏みするかのような視線だった為、どうやら勘違いを起こしているなと感じつつも黙ってやり過ごす事を決めたのだが。


「おお?お前がもしかしてカーチフ様の娘か?」


なのに1人だけ真贋を見極める人物が存在したらしい。細身だが半裸で色黒な筋肉を露出させて辮髪と呼ばれる奇抜な頭の若い青年がシャルアを見て嬉しそうに声を掛けてくる。

「そ、そうですけど・・・」

元々父の意向から彼女が軍に関わる事がほとんどなかった為、初めて接する種類の人間相手にどのような態度を取ればいいのか少し悩んでいる様子だ。

「それじゃ将来俺と肩を並べて戦うのかもしれねぇな!あ、俺フランシスカってんだ!よろしく!」

非常になれなれしく握手を求めてきた彼と作り笑いを浮かべながら挨拶を交わすシャルア。内包している才能はともかく彼女を戦場などに送り出せばそれこそカーチフに細切れにされかねない。

「夫のサファヴです。俺達は戦いを知らない農家の人間ですがよろしくお願いします。」

戦闘国家の兵士達はその思考も血気盛んなものになるのか。ただフランシスカの発言は冗談でも済まされない。

釘を刺す意味も含めて無理矢理挨拶をねじ込んだサファヴはそのままシャルアの腰に手を回して静かにその場を去っていった。

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