天族と魔族 -彼なりの戦い-

 『アデルハイド』に戻ったヴァッツ達は早速東の大森林で起こった出来事を国王に伝えると、

「ふむ・・・では今一度プレオスと共に詳細を調べてきてくれ。それが終われば休暇を与えよう。」

クレイスにキシリングが健在だとばれてしまった事は時雨の口から伝えられた。

聞いた瞬間こそ困惑した表情を浮かべていたが、彼の中でも隠し事は心の重荷となっていたのだろう。

今まで見せたことのない朗らかな父の顔になると咎める事もせず次の任務を説明し始めた。

バラビアの話では同族同士の争いだったというが今回の任務はその理由をしっかりと調査する意味合いが強い。


彼らがしっかりと傷を癒し終えた事は報告に上がっていたので準備ともう1日体を休めるよう命じられたヴァッツ達。

翌日の早朝から馬車を走らせてバイラント族の集落へ向かっていった。




前からちょくちょくワイルデル領への略奪行為を繰り返していた彼らの地は国境からかなり近い所にある。

道なき道を強行すればあっという間に着く距離だが今回は大仰な馬車に6人も乗っている。

大きく迂回する進路を取り、それでも昼前にはたどり着くとそこには出来立ての大きな湖が広がっていた。

「まさか・・・・・これが本当に?」

未だ一昨日の惨劇が所々に残っており、

周囲の木々が吹き飛んだ跡地には大きなくぼみがいくつも見受けられる。

隆起したての地面は極上の畑のようなふわふわの柔らかさと土のにおいを辺りに漂わせていた。

「うーん。改めてみると凄いわね。ヴァッツ本当に体は大丈夫なの?」

ハルカも感心しながら大将軍に尋ねるが本人は全くの無傷、いや、

頬に小さな十字傷こそ残ってはいるものの普段と変わらず元気いっぱいの様子だ。

「こんな事になってたなんて・・・部族の話よりあたいはヴァッツ様の武勇伝が聞きたいです!!」

深手を負ってアルヴィーヌに連れて行かれたバラビアは初めて見る光景に興奮を隠そうともしない。

しかし彼女もわずか一日でほぼ回復している所をみると『トリスト』国内には相当な名医でもいるのだろうか?

「何を言っているんですか。ここでの聞き取りがムンワープン族絶滅への足掛かりになるかもしれないのです。

しっかりと任務をこなさないと。」

流石に長年スラヴォフィルの下で働いている時雨はしっかり者だ。

年上の蛮族と年下の暗殺者の手綱をしっかりと握っている。


此度の任務も大将軍と王女の修行に加え、

従者の育成も視野に入れていたキシリングはなるべく自身から口を挟まないようにプレオスへ命じていた。


(彼女さえしっかりしていれば何も問題なさそうだな。)


どちらかというと彼自身も蛮族の話より

この湖を作ってしまう程の攻撃を受けたという大将軍の話を是非聞いてみたいと内心そわそわしてると、


じーーー


いつの間にか隣に立っていた王女がこちらの下心を見透かすような視線を向けている。

このアルヴィーヌという少女も相当な強者であり

『孤高』の1人『魔王』から太鼓判を押されているという話は聞いていた。

「な、何でしょう?」

魔術というのはプレオスからみても未知の技術であり本当に考えを読まれているのではないか?

という不安からやや上ずった声で尋ねてみるも、


ぷいっ


黙って顔を逸らされたので更に焦って冷や汗が噴き出る。

「うん?アルヴィーヌは人見知りらしいからあんまり気にしないでいいよ。」

だがこの中だと誰よりも感情を機敏に読み取れる少年が声を掛けてくれた事で

理解はしつつもより深く思考を読まれたのでは?と疑心暗鬼に陥っていくプレオス。


結局聞き込みの最中は全く集中出来ず、

ただ無心になる事だけを考えて石像のようにそばに仕えていたらいつの間にか日が暮れかかっていた。






 5000人近くいたバイラントの民は今や1500人弱まで減っていた。

生活基盤が根底から崩れている為食べるものを手に入れる事すら難しいであろうと察していたキシリングは

援助の交渉も含めてこの任務を言い渡している。

「ふむ・・・・・」

時雨が代表して様々な質問を投げかけると生き残ったバイラント族達が覚えている範囲でそれに答えていく。


まず敵は間違いなく同族だった事。

操られていた可能性と戦士としてそれぞれが強化されていた事。

そして黒い外套の男については・・・

「恐らく村の者が全員目撃しています。」

これに関しては族長の息子であり知恵者でもある補佐のマハジーが代表して説明を始めた。

去年ふらっとバイラント族の集落に現れたかと思えば『リングストン』への侵攻を提言したり、

『ムンワープン族』が滅びる事を予言したり・・・

「なんと・・・・・」

黒幕はほぼこの男で間違いないと確信する時雨。

一緒に聞いていた仲間達も皆が同じように感じただろう。

「バラビア~。貴女なんでそんな大事な事さっさと言わなかったの?!」

「い、いや?!だって一昨日は意識を半分失ってたしここにあいつが来てたなんて知らなかったし?!」

当時バラビアは死を覚悟して戦っていた。

更にこの場に現れた黒い外套の男は彼女が『トリスト』へ運ばれた後に姿を現している。

弁解を聞いて納得したのかハルカも表情を和らげて納得するも、


「いや!!昨日のあいつは以前わしらの前に現れた奴ではない!!」


族長が力強く反論した。

周囲が彼に注目する中、ここまで自信ありげに言い切る彼の言い分を聞く為に時雨が重ねて問うと、

「昨日の奴は明らかに前来た奴より背丈が低かった!!部族一の戦士であるわしが見誤るはずもない!!」

ヒーシャが断言する事でバイラント民が大いに盛り上がりを見せる。

確かに猛者というのは相手の身体を良く観察するし、武具等への考察も欠かさない。

だがそれは一般的な猛者の例であって彼は文化の違う蛮族だ。

これを素直に信じていいものかどうか・・・・・

「信じていい。父上はあたいの次に強い戦士、それが見間違えることなんてありえない!」

そんな悩みを察したのか、バラビアが力強く頷いてくる。

「こら!部族で一番強いのはわしだろう?!」

父である族長は別の言葉に反応しているがそれは聞き流しておこう。


思っていた以上の情報に気持ちが逸る時雨はこれを速やかに報告書へと書き記していった。




聞き取りのが終わると黙って見守っていたプレオスが

「ではバイラント族の皆さんは何をお望みですか?

略奪などを行わないと約束していただけるなら我が国内での保護も引き受けると仰っていますが。」

押しかけ女房的な扱いだが一応族長の娘であり猛者でもあるバラビアを預かっている為、

『トリスト』に代わり『アデルハイド』から援助についての話が持ち上がる。

「いいや!わしらは先祖代々の地を離れる訳にはいかん!!」

「えー?ワイルデル領に攻撃仕掛けて来てたのにー?」

一緒に聞いていたアルヴィーヌが疑惑の目で族長を見るも、

「あれは新たな地を得る為だった!!ここを離れて他に移動するなどは有り得ん!!」

蛮族的な言い分だがバイラント族達は皆がそれに頷いている所をみるとそういう考えが当たり前なのだろう。

「しかし親父。今回の戦で戦士も沢山死んだ。このまま他部族の侵攻を許せば本当に滅びるぞ?!」

東の大森林から飛び出して2か月近く外の文明に触れてきたバラビアは考え方に変化が生まれたらしく、

何とか父を説得しようと試みている。

「姉さんの言う通りです。ここは一度避難するべきかと。」

マハジーも同意を示すが族長の意志は固いらしく目と口を閉じて動かなくなってしまった。

「うーむ。それでしたら食糧だけは輸送いたしましょう。

また何かあれば『アデルハイド』へ連絡するか、もしくは避難していただいても結構です。」

プレオス自身はどちらでもよかったので簡単に話をまとめると翌日彼らは集落を後にした。






 『アデルハイド』に戻ると早速練習を兼ねた報告会が行われた。

流石にこの短期間で3度目の模擬練習となるとヴァッツもかなり手際よく作法をこなす。

「うむ。ご苦労だった。では約束通りお前達にも1か月の休暇を与えるが、

もし火急の用があればすぐに呼び戻す事だけは頭に置いておいてくれ。」

キシリングがそう言うと皆が様々な反応を示した。ただ、

「すみません!あたいは休暇の間村に戻ります!!」

やはり家族と仲間の事が気にかかっていたのか、

バラビアは残念そうにヴァッツに伝えると挨拶もそこそこに城を発った。

「・・・私達はどうする?」

「私はスラヴォフィル様の下にこの報告をもって行きたいのですが。」

「ならん。時雨、お前は少し働きすぎる。此度の休暇はゆっくり休め。」

謁見の間に残っていたキシリングの耳に届いていたらしく、

他国とはいえ国王自らがそう言ってくれたのでこれを断る訳にもいかず時雨も一度『トリスト』に戻る事を選んだ。

ハルカも当然のように『トリスト』へ入るつもりだが、そもそもバラビアとハルカの入国許可は下りていない。

傷の手当が必要だったので王女の判断からなし崩し的にそうなっているものの、

(国に戻ったらまずはそれを報告しないといけませんね。)

仕事が頭から離れない時雨はふと自身の思考に思わずくすりと笑みをこぼしてしまう。


「じゃあオレは一度『ネ=ウィン』に行くね。」


だが残った人間は全員が『トリスト』へ帰るものだと思っていた3人と国王達はその発言に動きを止めて彼を見た。

「え?!何しにいくのよ?貴方クレイスに会いたいんじゃないの?」

今回の休暇の案もカズキからのものだった。

クレイスもヴァッツも大いに賛同していたのでハルカの疑問ももっともだ。

「うん。1か月もあるんだったら先にレドラに会いたくてさ。」

「レドラ?あのおじいちゃん?」

傍で黙っていたアルヴィーヌがその名に反応する。

時雨は行けなかったが、クンシェオルトの葬儀時に大変お世話になった執事らしい。

「うん。クンシェオルトとか将軍について聞きたいんだ。その、オレも戦うって言っちゃったし・・・」

どういった人物かは話でしか聞いていないが4将筆頭が雇っていた人物だ。

ヴァッツ自身も大将軍の地位に就いている以上何かしら模範となる指針がほしいのだろうか。

それなら祖父である国王様を見本にすれば・・・と言いたくなったが、

『羅刹』と呼ばれるだけあってその言動は控え目に言っても破天荒以下にはならない。

しかし彼がどういった考えでその名を口にしたのかはわからないがわざわざ敵国に出向くのは・・・

時雨が何かしら反対意見を纏め上げようと思考していると、


「よし、じゃあ私も行く。」


一番に国に帰ると言い出すはずのアルヴィーヌがそれに賛同してしまった。

「え?!何でアルも?!貴女散々国に帰りたいって言ってたのに?!」

言いにくい事をずばっと言いのけるのはハルカの長所だろう。

心の中で激しく頷きを繰り返す時雨の心境などお構いなしに、

「私あのおじいちゃん好きだもん。行くならさっさと向かおう。私が担いで飛ぶから。」


ぱぁぁぁ・・・・っ!!


我儘形態へと移行した彼女はもはや止まる事を知らない。

「いいの?!じゃあ行ってくるね!!」

「飽きたら2人で『トリスト』に戻るから。」

叔母と甥は目を輝かせると扉を開けて中庭に出てから、


どんっっっ!!!


周囲が口を挟む間もなく城全体を揺らして地面を蹴ったアルヴィーヌが

大きな突風を起こすとヴァッツを抱きかかえてあっという間に南の空へと飛んで行ってしまった。






 その日庭を掃除していた使用人が慌ててレドラの下に走って来たので館内がにわかにざわめく。

「ヴ、ヴァッツ様が!!そ、空を飛んでこちらに来られました!!」

『ネ=ウィン』には『トリスト』を真似て作られた飛行の術式という魔術がある為

元祖である飛空の術式を持つ彼らがそれをしても全く不思議ではないのだが

早足で玄関の大扉を開けて召使い達と外に出ると、

「あ!レドラ!久しぶり!!」

以前と変わらず元気そうなヴァッツの傍には大きな翼と美しい銀髪をたなびかせた少女が立っていた。

「久しぶり。」

その抑揚のない声を聞いて彼女が第一王女アルヴィーヌだと理解したレドラは驚きながらも静かに頭を下げる。

「これはこれは。ヴァッツ様にアルヴィーヌ様。大変ご無沙汰しております。」

主の葬儀から4カ月が経っていたものの、相変わらず最後の命に背き続けている彼は

以前と同じように館の執事として彼らを快く迎え入れた。


「またクンシェオルトの話を聞きに来たんだけど、いいかな?」


長年執事として名だたる戦士に仕えてきたレドラは少し憂いのある表情と声色を見逃さない。

「それでしたらこちらへ。」

クンシェオルトが自身の地位と名誉を捨ててまで従おうと決めた少年の希望に全力で応えようと速やかに案内をする。

掃除の行き届いた今は亡き主の部屋に入った2人はそれぞれが性格の良く表れた行動を取り始めた。

アルヴィーヌは柔らかい椅子に座るとレドラにも座る様に促して話をしてくれとせがみ出し、

ヴァッツは何かを思い悩んでいるらしく、部屋の中をじっくり見物しながらゆっくりと歩いて回る。

そもそも来客などが滅多にない為彼らが来てくれた事だけでも心が満たされていく執事は軽食と飲み物を用意すると、

「どうぞごゆるりとなさってください。」

本心を伝えた後自身もすっかり肩の力を緩めてまるで孫のような2人を微笑みながら見守っている。

「レドラってここにいないと駄目なの?もうクンシェオルトはいないんでしょ?」

するとアルヴィーヌが自分達のぽっかりと開いた心に大きな釣り針を引っ掛ける様な発言をしてきた。

少女らしい真っ直ぐな意見をぶつけられて怒りや悲しみよりも大きな喜びを感じたレドラ。


「そうですね。実はクンシェオルト様にも全てを売り払えと命じられておりました。

しかし我々は、いや、私は二代の偉大な将軍に仕えていた為未練が残っているのです。」


「未練?」

「はい。まず主がいきなり亡くなられた現実を直視しがたい未練、

そして今まで偉大な戦士に仕えてきた誇りという未練。ですね。」

レドラが用意した二人への食事とは別に後から入室してきた召使いがレドラ用の食事と葡萄酒を

円卓の上に並べてきたのでその気遣いを快く受け取ると一口で飲み干す。

「元々私は才能の無い戦士でした。この国で生まれた以上それは絶望でしかありません。

しかし強さに憧れを持つ私はせめてその傍に付きたくて最初は宮廷内での付き人を、

そこから知識を蓄え経験を重ねる事で四将直属の付き人までなりあがることが出来ました。」

空いた杯に並々と葡萄酒を注ぎ入れるとまた一口で飲み干す。

いつの間にかアルヴィーヌの隣にはヴァッツも座って自身の話に耳を傾けている。

「この国は戦闘国家。私も沢山の死を見てきました。しかしカーチフ様とクンシェオルト様。

彼らだけは絶対に死ぬことはなく、私はここでこそ職務を全う出来るであろうと確信を持っていました。」

元々酒には強いレドラだが熱心に聞いてくれる相手がいるからか、

今日の彼はその口と手が緩む事は無かった。水のように葡萄酒をどんどん胃の中へ注いでいくと、


「彼らが疲れた心身を癒す為に安寧を求めて帰れる場所を預かる事こそが私の使命だと。

一生を賭けて尽くそうと誓っていました。

しかしそれが叶わなかった・・・私より遥かに強く若い偉大な戦士が先に散る。中々に受け入れ難い現実です。」


全てを吐き出した後、軽く酔いながらも自身の失態に少し気恥ずかしくなる。

彼らこそクンシェオルトの話を聞きたくてわざわざ遠方から訪ねてくれたというのに、

気が付けば自分の愚痴を聞いてもらっている。立場が完全に逆だ。


「じゃあうちに来る?」


決して下心がなかったと言えばウソになる。

しかし彼の気持ちをどこまで汲み取ってくれたのかはわからないが、

アルヴィーヌがレドラの悲痛な気持ちに軽く手を差し伸べてくれた。






 刹那、嬉しさのあまり二つ返事で答えようとする口先を酔った頭で無理矢理押さえ込むレドラ。

彼らは『トリスト』の人間であり現在『ネ=ウィン』と敵対している勢力だ。

冷静に、冷静に。

自分に何度も言い聞かせる老人は年甲斐もなく逸る心を沈めつつ、

「ありがとうございます。その御気持ちだけで十分です。」

何とか平静を装って断りを入れる事に成功してほっとするも、

「ヴァッツの部屋、だーれもいないし。レドラが掃除してあげると助かるんじゃない?」

断った意志が伝わっていないのか、アルヴィーヌは構わず話を続けるので

レドラは仕方なく最後まで成り行きを見守る方向で聞き手に回る。

「オレの部屋???」

「うん。一度も行ったことないでしょ?ヴァッツ用に?大将軍用に?なんか城の中に部屋があるのよ。」

「へーー?オレ、あのお城に行ったのもこの前が初めてだったし全然知らないよ?本当にオレの部屋なの?」

本人すら知らないという部屋に招こうとしていたのか。

そもそも登城したのがこの前初めてというのもどういった状況なのだろう?

自身の愚痴よりも遥かに面白い会話のやりとりに心をうきうきさせてまたまた杯の葡萄酒を飲み干す執事。

「多分。何なら私が父さんにいって直接ヴァッツの部屋にしてもらう。」

「えーーー・・・オレの家ちゃんと『迷わせの森』にあるんだけどなぁ・・・最近帰ってないけど。」

「でも今のあなたは『トリスト』の大将軍。

あの国にはカズキもクレイスもいる。自分の部屋があれば友達を呼んで遊べるよ?」

「う、うーーん・・・」

王女の甘言に近い説得に頭を悩ませる大将軍。

見ているだけでも心がどんどん温まってくる。

「ヴァッツ様もあまり気乗りしていないご様子。無理強いなさらなくてもよろしいかと。」

様子を見て微笑みながら助け舟を出すと少年は妙な面持ちでこちらを向いて、


「ううん。レドラが近くにいてくれるならオレ大歓迎だよ!!

でも・・・ここを離れたらクンシェオルトとの思い出に会えなくなるでしょ?」


その発言に思わずはっとする執事。

確かにこの館には亡き主とその妹の生きた証が詰まっている。

しかし今彼に言われるまでそういった意識は完全に失念していた。


結局の所彼はクンシェオルトの遺志よりも自身の固執に囚われてしまっていたのだ。


「・・・執事失格ですな。」

クンシェオルトの最後の命令も未練などという言い訳を立てて本心ではただ認めたくなかっただけだ。

偉大な若き4将筆頭だった彼の執事、その誇りと職務を失う事を。

本当に忠実な執事なら最後の命を潔く受け入れるべきだった。


そうすればアルヴィーヌの提案を素直に喜んで受ける事が出来ていたかもしれない。



(一体私は今まで何をしていたのだ。)



全てが自分本位の考えでしかなかった事に気づかされて寂しさを漂わせるレドラ。


2人が何かを察してくれているのか黙ってこちらの様子を伺っている。

彼らのお陰で自身のやるべきことと気持ちの整理がついたレドラは、

「私の事はまた後で考えさせていただきます。

ところでヴァッツ様のご用件についてですが何をお聞きになりたいのでしょうか?」

かなりの酒を飲んだにも関わらず顔色一つ変えずしっかりとした表情に戻すと優しく尋ねていた。

「うん・・・オレさ、今度戦うってみんなの前で言っちゃったんだけど。うううん・・・

本当は戦いなんて嫌なんだよ。でもクレイスも大事なものを護る為に戦うって決めててさ。」

普段と違って随分自身なさげに言葉を選びながらゆっくりと考えを口にしていくヴァッツ。

レドラもアルヴィーヌも黙ってその様子を見届ける中、

「オレも大事なものは護りたい。でもやっぱりそれで人を傷つけるのはしたくない。

戦うけど相手を傷つけなくて皆を護る、そんな方法ってないのかな?」

非常に難しい事を尋ねてくるも長年生きてきたレドラの中には1つの明確な答えがあった。






 「何でそんなに人を傷つけるのを嫌がるの?言っても無駄な人っているよ?」

彼女の発言で今日は2度も救われているレドラ。

知識や経験の浅い者の固定観念を打ち払うのに十分な発言だったはずだが、

「うん・・・オレさ、昔人を傷つけちゃった事があってさ。その時凄く悲しくて怖かったんだ。

じいちゃんには物凄い怒られたし、エイムは笑って許してくれたんだけど・・・」

「エイム・・・どっかで聞いた事あるような・・・」

始めて耳にする名だが王女に覚えがあるという事は王族周辺の人物だろうか?

だが今のやり取りだけで彼が力を振るえない原因がある程度理解出来た。


「ヴァッツ様。我々はいくら文明が栄えようとも人を増やす為には雄と雌、男と女が関係を持つ必要があります。

気に入らない事があれば言い合いにもなり、言っても理解し合えない場合は殴り合いにもなる。

これはひとえにその根本が世界中の生き物と同義だからでしょう。」


「「???」」

2人がきょとんとこちらを見るのでわかりやすい言葉を選び直すレドラ。

「つまり言葉や道具を扱えても時には女を奪い合い、気に入らなければ喧嘩をする。

その辺りにいる犬猫はもちろん、本能的な行動理由は虫と同じとさえいえるのです。」

「えー・・・私は虫?」

例えが悪すぎたのか王女は悲しそうに尋ねてきた。

「例えです。しかし当たらずとも遠からず、言葉を扱い相手を気遣う事を知っているにも関わらず

そのような争いを起こしてしまうというのはやはり根本は同じなのでしょう。」

「へーーー・・・えーっと・・・つまり?」

感心しながらも大将軍はいまいち理解が追い付いていないようだ。

なのでレドラは話の根幹部分を簡潔に伝える。

「はい。最終的に動物や虫と同じような行動に至ってしまう場合は、

むしろ力で抑えつける事こそが最も重要かと私は考えます。」

「えーーー!」

ヴァッツが大いに驚くもアルヴィーヌは何となく理解したのか薄く頷いている。

「何度でも言います。我々は所詮1つの生き物に過ぎないのです。

言葉が扱えても文明が栄えていても相手を気遣う事を知っていても根本の部分は他の生き物と同じ。

気に入らない相手とは口論にもなるし、欲しい物があれば他者と奪い合う。

人に限らず生き物とは他との共存だけでなく競争も必ず生まれるものだと私は考えます。」

「う、うーん・・・」

大いに悩んでいる姿を見て思わず微笑んでしまうレドラにアルヴィーヌからは不思議そうな表情が向けられる。

「レドラ、何で楽しそうなの?」

「いや、ははは。実はこのやりとり、以前にも行った事があるのです。

懐かしくてつい・・・」

忘れもしない。これはクンシェオルトが4将筆頭になった当時に彼と行ったものだ。

当時彼の持つ異能の力『闇の血族』については何も知らなかったが、

彼も戦いを避けるにはどうすればいいのか?戦わずに護るにはどうすればいいのか?

といった事を常に考え続けていた。

生きている以上争いを全て避けるのは不可能だろうといった話をしたのだが、

それでも納得がいかなかったクンシェオルトに今のヴァッツと同じ事を言い聞かせたのだ。

「生き物は何よりも力というものを本能で感じ、そして恐れます。

もし戦わずしてヴァッツ様がそれを相手に十分感じさせる事が出来るのであれば・・・

あるいは可能性があるかもしれません。」

「おお!!えっと!!・・・うん?」

希望に目を輝かすもそんな方法はありはしない。

ただ、それをゆっくり伝える為に順序を踏んで簡単な問答から始めようと考えたレドラは、

「私もヴァッツ様がどの程度お強いのかは存じ上げませんが、そうですね。

力比べとかをしてみるのはいかがですか?」

わざと無理のある提案から始める。

彼はまだ幼いのだ。これくらいからが丁度いいだろう。と。

しかし、

「おおお!!!それだ!!!それならオレでも何とか戦えそうだ!!!」

満面の笑みで勢いよく立ち上がったヴァッツは完全に悩みを解決したらしい。

隣に座っていたアルヴィーヌも手をぱちぱちと叩いて彼に元気が戻った事を賞賛しているようだ。

(・・・むむむ?ここからが話の始まりなのですが。)

執事の思っていた方向に進む事無く中途半端な終わり方に見えたこの会話で少なくとも彼は


言葉を交わしても分かり合えない相手がいる事と、

相手を傷つけなくても力を示せば理解してもらえる可能性がある。


という2つの考えを手に入れる事が出来たのだ。

あくまで相手にも気を遣うというヴァッツの強い意向を汲んだこの考えは

終生間際まで役に立つこととなる。






 自身の過ちからも解放されたレドラはお礼も兼ねて食事と寝室の用意をする。

本来執事としては同席するなどもっての外だが

ヴァッツとアルヴィーヌが彼との食事を強く要望してきたのでこれを断るわけにはいかない。

彼らとの会食はまるでクンシェオルトとメイがいたときのような、優しくも明るい雰囲気が辺りを包み込んでいく。

(これがクンシェオルト様が選ばれたお方・・・)

2人がまるで兄妹のようなやりとりで大いに食卓を盛り上げると召使い達も笑顔が絶えない。

面倒見のよい優しいヴァッツと我儘なアルヴィーヌは一緒にいるだけであの頃が戻ってきたかのような錯覚に囚われる。

ただ、ヴァッツはクンシェオルトより優しすぎるしアルヴィーヌはメイとは比べ物にならないほどの我儘を時々口に出す。

声を出して笑うのを堪えている給仕はさぞ大変だろうなと誰よりもその場を楽しんだ執事は

久しぶりの深酒に意識が溺れて翌朝少し寝過ごしてしまうのだった。




レドラ率いる館の連中から手厚い歓待を受けた2人は次の日『ネ=ウィン』の街を見て回る事にした。

前回はクンシェオルトの葬儀だけでなく妹メイの事件もありゆっくり出来なかった分、

「大きなぬいぐるみはないかな?」

王女は目を輝かせて街道をちょろちょろと動き回っていた。

「アルヴィーヌ!あんまりうろうろするとぶつかるよ?!」

危なっかしい叔母の心配をする甥を微笑みながら見守るレドラ。

彼らはこの国に詳しくない為、クンシェオルトの墓参りから城下街の案内まで彼が同行する事になったのだが

そもそも2人は金銭というものをほとんど扱ったことがないらしい。

(これを機に少しは覚えていただいたほうがよいのかもしれない)

東の大陸は『シャリーゼ』が大いに栄えていた為どこでも彼の国の貨幣が国際通貨として扱われていたので

一度感覚を覚えてしまえば後々役に立つだろう。

「ぬいぐるみでしたら少し行った右手に大きな雑貨屋がございます。」

優しく声をかけると少女は衣装をひらひらと躍らせながら少年の制止も聞かずに駆けて行った。








こういう事は良い事ではない。それは十分に理解していたつもりだ。

しかし一度心に刻まれた彼女の姿を簡単に忘れる事ができるはずもなく、

センフィスは将軍という肩書きを使ってカーディアンの独房に足を踏み入れていた。

尋問と身体調査の結果、彼女はロークスでとある戦士に両手の甲を叩き割られていたようで

処置がされていない両手は腫れて膨れ上がったままだ。

(せめて治療くらいは・・・)

痛々しい姿をみてつい甘い考えを思い浮かべるも流石にそれは越権行為だと思いとどまる。

しかしもしそれが叶えば彼女はこちらに興味を持ってくれるかもしれない。

薄暗い牢屋の鉄格子を挟んでぼんやりとその姿を見つめて妄想を膨らませていると、

「・・・私なんかを見てて楽しいですか?」

彼女のほうは全くこちらに視線を向けていなかった。

ただそれでも食い入るように、しかも自身が思っていた以上に長い時間そうしていたらしい。

「えっと・・・その。本当に貴女みたいな大人しそうな女性が市民を扇動したのか不思議で・・・」

いきなり声をかけられて驚きつつも何とかごまかしてその場を立ち去ろうとするセンフィス。だが、

「貴方は神を信じますか?」

その発言に心が大きく脈打つのを感じた。報告によれば彼女は悪名高き『ユリアン教』の信者らしい。

といっても東のカーラル大陸ではその名もほとんど知られておらず詳しい内容まではわからなかったが、

「・・・そうですね。我々は我々の神を信じています。」

『ネ=ウィン』では戦神バーンが教えたという宗教を国教としている。


ただ1つ。強くあれ。


他にも細かな教えはあるものの、まずはこれを守るべく彼らは日夜修練に明け暮れるのだ。

流石に生まれてからずっとこの国で生きてきたセンフィスも

いくら心を動かされている女性とはいえ信じている神に関して唆される事はないだろう。

「そう・・・」

彼の答えに納得したのか、ぽつりと呟いたカーディアンが再び声をかけることはなかった。






 自身の姿がすっぽりと隠れてしまうほどの大きな熊のぬいぐるみを抱きかかえてアルヴィーヌが店から出てくる。

支払い時には2人に金銀銅の貨銭を渡して値段どおりに渡す方法とそれぞれの価値を簡潔に伝えた所

思っていた以上に飲み込みがはやく、あっという間に理解してくれた事はレドラにとっても久しぶりに感じた喜びだった。

「ねぇレドラ。お城には強い人がいるの??」

顔をうずめながらも何とか首をずらしてこちらに話しかけてくる少女にその真意がわからぬまま自身の知る最大の答えを返す。

「ええ。皇城ですから。4将を含め様々な強者が揃っております。」

「ふーん。何かあそこからも嫌な雰囲気を感じる。あなたは近づかないで。」

よくわからない事を言ってきたのでその場では相槌を返したものの、

「アルヴィーヌ。それって黒い人と関係ありそう?」

ヴァッツがここに来たときのような真剣な表情で聞き返している。

彼自身が戦う事を決めたきっかけにもなったという黒衣を纏った男。

ぱっと思いついたのは現4将筆頭のバルバロッサだがヴァッツはとんでもない力で殴られたというから恐らくは別人だろう。

「うーん・・・どうだろう?ていうかあんたは何も感じないの?」

「え?!オレ?いや・・・全然感じるとかないんだけど・・・そもそも感じるって何?」

こればかりはレドラも大将軍に同意だ。

元々才能のない戦士だった彼はまず相手の強さを読むことが苦手だった。

ましてやここから皇城まではその姿こそ見えるものの距離は相当離れている。

そこに強者の気配を感じろ、と言われても理解が追いつかないのも無理はない。

「何かこう嫌な感じ・・・説明が難しい。でもわからないならいい。とにかくあそこには近づかないで。」

王女自身も説明を諦めると忠告だけにして3人は館へ帰路についた。


そしてゆったりと馬車で戻ってきた一行の前には、

「お待ちしておりましたぞ!」

強いくせ毛の中年がまるで戦いに臨むかのような表情で彼らが帰るのを待ち構えていた。




「これはこれは。ビアード様、どうなされました?」

彼の事情は手に取る様にわかっていたが、あえて馬車の中からすっとぼけてみせるレドラに、

「うむ。今日こそはお二方を歓待しようと思ってな。クンシェオルトの件も直接礼を伝えたい。」

前回の葬儀で有耶無耶になっていたあれこれを清算したいのだろう。

個人的には今日も館で楽しい一夜を過ごしたかったがここは当事者に決断してもらうべきか。

「ヴァッツ様、アルヴィーヌ様、クンシェオルト様のご同僚がそう申し上げております。

今夜はいかがなされますか?」

向かいに並んで座っていた2人に尋ねてみると同じように馬車の中からビアードを覗き込んで、

「あ!何回か会った人だね!いいよ!」

「えー・・・私はレドラと一緒がいい・・・」

見事に意見が割れた。

自身の名を選んでくれたことにこの上ない喜びを感じたがここは年の功。

誰にも悟られる事なく静かな居住まいを保ったまま、

「ありがとうございます。その御言葉だけでもこの老体には感極まります。

しかし折角こうして4将直々にお誘いに上がっているのです。今夜だけでも招かれてみてはどうでしょう?」

彼の面目も考えて王女を説得してみるレドラ。

その発言に緊張気味だったビアードからも笑みがこぼれると、

「うーん。レドラが言うなら仕方ない。」

言い方に彼女の気持ちが現れてはいるものの、とにかく彼は4カ月越しに賓客を接待する機会を得る事が出来たのだった。






 元々ビアードは4将の中でも影が薄い。いや、正確には他の面々が濃いだけなのだが

非常に常識的な彼は住居もやや豪奢な造りではあったものの建っている場所も一般居住区の一画と無駄に目立つような行動はしない。

「狭くて申し訳ありません。」

定型句で客人2人を招き入れると、

「うううん!オレん家よりよっぽど大きいよ!!」

「えー・・・ヴァッツの家、一度行ってみないといけないね。」

叔母と甥はそれぞれが子供らしい反応を示してくれた。

彼らがこの国を訪れていたという情報はつい先程耳にしたばかりだったので

裏では彼の配下や妻が慌ただしく動いているのだがそれをおくびにも出さず、

「ささ。積もる話は食事をしながらでも。」

ある程度豪勢な料理を用意出来た彼は早速家族が待つ食卓へと案内した。

そこには5歳になる息子と最後の仕上げと炊事場で蒸し物を作っていた愛妻が

父に連れられてきた少年と少女に目をやって各々が反応を示す。

「おや?いらっしゃい。王女様はともかく大将軍様も本当にまだ少年なんだねぇ。」

ビアードより6つ年下の妻センナは歯に衣着せぬ物言いで笑顔を向けてきた。

内心少し焦りを感じるも2人が機嫌を損ねる様なことはなく、

息子の方は初めて見る異国の少年少女に顔を強張らせている。

「おお。何か小さいのがいる。」

印象的に息子への反応は大将軍が先だと思っていたら王女がととと~と軽く走って近づいて行くと、

「私アルヴィーヌ。あなたお名前は?」

「・・・ビシール・・・」

「よろしくビシール。あなたはもじゃもじゃおじさんの子供?」

明らかに気乗りしていなかったアルヴィーヌの方から接触していく。

その様子から少し安心するも、

やり取りを聞くに自身の名前は憶えられていないのかもしれないという別の不安が生まれるビアード。

「さぁさぁ!料理も全部出来たし、まずは皆座って座って!」

そんな亭主の気持ちを払拭するかのように妻が大皿に乗った海老を運んでくると

客人2人を交えた家族団らんの食事会が催された。


この場でのビアードの目的はいくつかあったが、

まずはユリアンとやらに操られていたクンシェオルトを止めてくれたお礼に、

葬儀の場では妹メイの暴走も止めてくれた事へのお礼も重ねる。

国を代表してという意味もあるが純粋に同僚とその家族を大切に扱ってくれた感謝の方が大きい。

「いや、うん。でも何とかして助けたかったね・・・」

未だにこんな返し方をしてくれる彼に

若くして世を去ったクンシェオルトが仕えようと決意した意味を大いに理解するビアード。

本当なら皇子の為に第二王女について探りをいれたかった所だが、

「ところでお2人はどういった御用でこちらへ?皇帝や皇子からは何も聞かされていませんでしたが?」

そうなのだ。

2人は敵国とはいえ王女と大将軍の身分。

そんな2人がいきなり街に現れたという急報を受けて最初は耳を疑った。

お忍びというには目立つ格好だし、そこにレドラも付いていたというから更に驚いた。

「ん?ヴァッツがレドラに話を聞きたいからって。それで私も会いたいから一緒に飛んできた。」

息子の事が気に入ったのかずっと隣でやりとりをしていたアルヴィーヌが

やっとこちらを向いて短く答えるも、またビシールとの会話を再開したので名前の挙がったヴァッツに詳しい事情を尋ねると、

「うん。オレ今度は戦う事になるから、その、あんまり相手を傷つけないで上手く出来ないか相談してたんだ。」

話には聞いていたが、彼は強大な力を持ちながらもそれを振るおうとはしない。

そんな彼が戦いを口にしたことで猛将であるビアードも血が騒いだのか、


「ヴァッツ様が戦う相手・・・それは我が国との戦争に参加されるという事、でしょうか?」


『トリスト』が敵対している勢力で彼を戦場に駆り出す理由があるとすれば

間違いなく戦闘国家『ネ=ウィン』だろうと考えての発言だった。

前回の『アデルハイド』夜襲も含めて9度の衝突、

正直クンシェオルトが立てた武功以外は全て芳しくない結果だが

それでも彼の国と矛を交えられる程の強さを持つのは現在我が国だけだろうと。

この少年との戦い。

自身は未だ2度ほどしか目にしていないがクンシェオルト相手でもメイ相手でも本気も殺気も感じられなかった。

圧倒的な強さを持つ者特有の非常に短い戦いで2人はあっという間に無力化されたのだ。

(彼と戦場で相まみえるのか・・・)

複雑な気持ちに駆られるも、


「うううん。何かね、黒い外套を頭から被ってて顔がよく見えない人。

出会ってもビアードも近づかずにオレに教えてね。」


・・・どうも早とちりしてしまっていたらしい。

自身への注意を呼び掛けるまで情けをかけられた事にかすかな喜びとほっとした安堵を感じるビアード。

だがこの少年に戦う気を起こさせたという人物だ。これは明日一番に報告すべきだろう。

美味しい食事で場がどんどん盛り上がっていく中、

「そういえばイルフォシア様はお元気でいらっしゃいますか?」

どう考えてもそちらの方向に舵をきることが出来なかった皇子の側近は

話をぶつ切りするかのように唐突に話題を振る。

「イル?今はどこにいるんだろう?お城かな?」

何とも興味なさそうな答えを得るだけで以後話題に出す事も叶わず、

(皇子、申し訳ございません。)

その後は心の中で何度も謝罪しながら杯の酒をどんどんと平らげていくビアードだった。


妻センナの要望から家には最低限の召使いしか雇い入れていなかったが、

「うん。ビシールと一緒ならいいよ。」

最初の印象とは違い、どうやら気に入った人物には相当入れ込むらしい王女が快諾した事で

2人が泊まってもらう事まで話を持っていけた。

息子のほうも彼女の強い押しに最初こそびくびくしていたが、

今では家族と会話するかのように自然に接している。

(・・・これはもしかすると・・・)

他国とはいえ王族との血縁関係を結べるかもしれないという下心は察した妻の足を踏んづけた行動で一気に霧散した。

その夜は一気に家族が2人増えたかのような錯覚に囚われながらも、

一夜明けてから未だ醒めぬ夢の様な騒がしい朝食が終わると2人はレドラの館へ帰っていった。






 「アルヴィーヌ様、ヴァッツ様、先日のお話、是非お受けしたいと思うのですが。」

館に戻った2人をいつもの部屋へ招くとレドラはいつも以上に恭しく頭を下げながら提案する。

「お話って何だっけ?」

「・・・あ!もしかしてうちにくるって言ってたあれ?」

言い出していた本人ではなく、勝手に話を進められていた甥の方がそれを先に言い当てると、

「はい。クンシェオルト様が忠誠を誓われたお方、

そのお部屋に置いていただけるのでしたらこれ以上の喜びはありません。亡き主もきっと喜んでくれることでしょう。」

『ネ=ウィン』という国を離れる意味は十分に理解していたが、

あの後考えた所自分にとっては国という枠はあまり重要な要素ではなかったと気が付く。

それに破格の力をもちながら心は優しい少年だ。

現在母国と対立しているとはいえ、そう酷い事にはならないだろうとも。


クンシェオルトの最後の命と、自身の中にあったしがらみ。


この2つにけりをつける為に2人がビアードの家へ招かれた後早速準備に取り掛かったのだ。

「でもクンシェオルトの家が・・・」

「ご心配には及びません。館は私の後任に管理させます。更に亡き主の形見もこの通り。」

クンシェオルトが使っていたらしい茶器の類が緩衝材に包まれて立派な木箱に納まっている。

これは館を、国を離れたとしても彼らの想いと共に、というレドラがたどり着いた答えの表れだった。

それと、

「この剣もそう?」

彼が旅の途中でもずっと腰に佩いていた細剣が一緒に長卓の上に並べられていた。


「はい。私はあれから考えたのです。

クンシェオルト様の思い出と想い、更に私の願いをどうすれば叶えられるのかと。

結果、館はそのままに、ヴァッツ様の下には形見の品々と共に私が馳せ参じようという結論に至りました。」

誠に身勝手なお願いで恐縮なのですが、是非私めを雇ってはいただけませんでしょうか?」


恭しく頭を下げつつ心から願い出るレドラに2人は無言で顔を見合わせている。

「・・・オレは大歓迎だけど。お城にあるお部屋って本当にオレの部屋なの?

違うのなら『迷わせの森』に来てもらう事になるけどいいのかな?」

「・・・・・大丈夫。あの部屋は絶対ヴァッツのもの。」

そうえば大将軍の部屋だと確定はしていなかった事にここで気が付く執事。

少し急ぎ足すぎたか、とやや不安に感じるも彼らは快く引き受けてくれる雰囲気だ。

むしろ彼らの傍に仕えられるのならどこでもいいではないか。


後日城までの馬車を寄越すという事で話がまとまった2人は

預けていた大きなくまのぬいぐるみをヴァッツが抱きかかえて、

そのヴァッツの体にアルヴィーヌが腕を回すと、

「じゃあレドラ。お城に来たら私の部屋にも寄ってね。」


ぱぁぁぁ・・・っ!!


たなびく長い銀髪と大きく真っ白な翼を生やした王女は優しい笑顔を浮かべたまま

その愛らしい容姿とは裏腹に、


どんっ!!!


激しく大地を蹴って遥か北の上空に飛んでいった。






 元々センフィスの力は彼の物とは言い難いものだった。

少年時代、同世代の戦士候補達と鎬を削って修練に励むも実力がついていかずに脱落し、

諦めて鍛冶屋の修行に入っていた時に振って湧いた黒剣。

本来なら持つ事のなかった強大な力を手に入れた事によって生まれた慢心と過大な自尊心が今、

彼自身が無自覚のまま形となって現れ始めていた。


「ナルサス様、どうかあの囚人を私に預けて下さい。」

今までの働きと強さに絶対の自信を持つセンフィスが頭を下げて懇願するも共に傍につく

4将ビアードは驚きつつ渋い顔をしていた。

「ならぬ。あれは国を脅かした重罪人だ。何度言えばわかる?」

この地に送られてきてから既に10日は経っている。

最初の3日こそ大人しくしていたが、後の7日は毎日独房に通い罪人と面会しているらしい。

確かに街を歩けば目立つ程度の美しさを持ってはいる。

しかし、だからこそ危険なのだ。

傾国の美女という言葉が指すように、美しさというのはそれだけで国をも脅かす力となる。

センフィスはまだ若く、国の将軍として取りたてられてから間もない。

一般人としての認識が多分に残っているが故の愚行をどう気づかせるべきか。


「お前はまだ若い。あの程度の女ならこれからいくらでも手に入れる機会はあるだろう。

いい加減あれに肩入れするのはよせ。これは命令だ。」

皇子もそこはしっかりと理解しているので何度も諫めるが、今回の件はその若さが大いに邪魔をしている。

若さとは無謀と直情的、そこから視野の狭さを生んでしまうものだ。

もちろん短所だけではなく長所としても見て取れる部分も大いにある。

目標までわき目も振らずに走り切る事が出来るのは経験と知識の浅い若者の特権だろう。

ただ、皇子もまだ18歳と十分に若い。

なのにこの発言が出てくるというのはやはり身分からくる知識と立場に大きな差があるからだ。

個人的に口を挟むわけにはいかないので心の中ではその成長ぶりに安堵を覚えつつ2人のやり取りを見守るビアード。


そんなやり取りが続いたからというわけではないだろう。


扇動の罪によってカーディアンの処刑日が早々に決まるといよいよセンフィスは彼女の下に足繁く通い、

周囲に何とかならないかとなりふり構わず話を持ち掛ける事で噂になり始めた。







重罪人の処刑日に合わせた訳ではないのだが、その日はたまたまレドラが皇帝の下へ別れの挨拶に訪れていた。

「まさかお前までいなくなるとはな・・・」

「ははっ。ネクトニウス様には長い間大変お世話になりました。」

いつもの執事然とした身なりと立ち居振る舞いで短く謝意を述べるも、

皇帝はクンシェオルトの時以上に深いしわを作ってその別れを惜しんでいる。

「確かにお前はこの国の戦士としては『恥』と呼ばれる存在だった。しかし・・・」

「仰らないで下さい。強者というのは相手をひれ伏させる者を指します。周りの認識は正しかったのです。」

恭しく頭を垂れて彼の言葉を遮る様を見てますます悲痛な表情を浮かべるネクトニウス。

この時点で皇帝が57歳、レドラは68歳になっていた。

若き頃から彼の強さを十二分に熟知していたネクトニウスは遥か昔、彼を今一度4将の座へと奔走したものだ。

しかし本人がもうそれを望んでいなかったので辛うじてレドラが興味の示した切れ端を見つけ出し、

そこに全力で補佐を入れた事により何とか4将達の執事として繋ぎ留める事が出来ていた。

「・・・皇帝ではなく1人の戦士として私は貴方を尊敬する。今まで本当にご苦労だった。」

「有難きお言葉、感極まりますな。」

玉座の間には誰もいない。

最も長い付き合いだった2人がお互いのしがらみを脱ぎ捨てて寂しい笑顔を交わすと、



どどんっっっ!!!!!



突如激しい揺れと共に轟音が鳴り響いた。






 カーディアンの処刑が3日後に迫っている。

もはやセンフィスに『ネ=ウィン』国将軍としての矜持はなく、

ただ何とかする為にあらゆる人間に当たっていた。

しかしその誰もが首を横に振り、その決定を覆す事が不可能だという旨をこんこんと説いてくる。

(違う!!聞きたいのはそういう事じゃない!!)

彼自身も内心どこかで理解している部分はあった。

扇動というのは規模によっては国が亡びるのだ。

これの首謀者が許されていてはもはやそれは国としての体をなしていない。

遅かれ早かれ内か外からの勢力によって勝手に滅ぶだろう。


だが『ネ=ウィン』は違う。


戦闘国家として数百年もの間国内を安定して統治してきた。

現在北伐が完全に頓挫してはいるものの、

この8年ほどで南の3国を吸収した事によりその治世はより強固なものと化している。

そんな国が重罪人をたかが1将軍の為に免責にするなど有り得ないのだ。


「ごめん・・・君を助けられそうにない。」


処刑が決まってから最後に何か欲しい物はないかと尋ねると紙と筆を希望したカーディアン。

よくわからなかったが、それくらいはとセンフィスがすぐに用意すると

それから彼女の態度が一気に親密なものへと変わっていくのを感じた。

命乞いの為に媚を売っているのか、紙と筆の差し入れがそれほど嬉しかったのか。

どちらにせよ以前に比べて静かな口調ながら様々な出来事をお互いが話し合えた事実、

これによって気持ちはどんどん加速していく。


(何とかしたい・・・何とかしなければ。)


「ねぇカーディアン。もし無事にここから出られたらその・・・今度こそ・・・お食事にでも」

もはや隠す必要はないだろう。相手は死が迫っているのだ。

自分自身の為にも前向きな考えを口にするセンフィスに彼女は薄く笑いかけると、

「お食事だけでいいんですか?」

「えっ?!」

彼女は23歳。センフィスより7つほど年上だ。

妖艶な声色と媚びる様な目線で体をしならせて尋ねてくるので思わず目を泳がせると、

冗談っぽくくすくすと笑うカーディアン。

重罪人であるにもかかわらずこれだけの余裕があるのも彼を信用しているからだろうか。

生まれて初めて心奪われた女性の為に何としてでも減刑を・・・・・。




そんな彼の強い想いは遂に届く事無く、処刑当日。


センフィスは自身の欲望を最優先する事となる。






 『ネ=ウィン』がこの8年で3国を吸収したのには裏があった。

ネクトニウスの子供で唯一の女子であるナレット王女。

今年20歳になる彼女は現在後宮の長として普段は全く顔を出さない生活を送っているが

過去にその件の3国へ嫁いでいた。

いずれも年上の王子に見初められ、お互いが国としても申し分ない婚姻のはずだった。

だが13歳の時、1人目の王子が原因不明の死を遂げ、更に王までもが何者かに殺された。

若くして未亡人となった彼女を娶りたいと申し出る国は他にもあり、

ネクトニウスとしても若い1人娘をそのままにしておくのも忍びないという事で

王と王子が亡くなった国を相互補佐する事を条件に2国目、3国目との話を進めて良縁を選んだのだが。


やはりそこでも王子と王が亡くなった。


それは3国目まで続いてしまい、流石に自身の娘を疑わざるを得なくなった皇帝が彼女を後宮に閉じ込めんたのが去年の話だ。

結果として経営が立ちいかなくなった3国は『ネ=ウィン』への従属に近い形で統合され、

相当な恨みを買っているのかと思いきや、どの国もが感謝の意こそ述べるものの彼女を疑う素振りすら見せなかった。

非常に不可解な出来事に国の高官達には箝口令を敷いて今に至る訳だが、

以降ネクトニウスが彼女を嫁がせる話には一切耳を傾けなくなっていた。


疑いは当然本人の耳にも届いており、しかし悲痛な思いを抱いているのかといえばそうでもなく、

今まで通り少し冷酷な部分を表に見せながらも後宮内では趣味に興じたり時には乗馬などを楽しんでいるという。


父や弟とすら滅多に顔を合わさなくなった彼女だったがどこから聞きつけてきたのか。

今日行われる『ユリアン教』の扇動者カーディアンの処刑場には遠目ながら姿を現してその執行を待ちわびる様な様子だった。




「重罪人カーディアン。扇動の罪により死刑に処する。」

高台になっているそこは城下町からも見物出来る造りになっており、

国民に見せしめとして気を引き締めさせるという大きな意味が込められている。

罪人が逃げないように、また周囲からの救助や暗殺などに備えて衛兵がしっかりと防衛を固める中、

センフィスは遥か後方での待機を言い渡されていた。

(あれだけ派手に動いていたんだ。当然か・・・)

辛うじて見える距離で嘆息する青年は後悔の念に駆られる。

何やら文官がその理由と罪の重さなどをとうとうと読み上げているが彼の耳に届く事はなく、

その脳内には彼女の儚くも美しい笑顔で染まっていた。

(皇子だけじゃない。周囲にも散々嘆願したのに結局救う事が出来ないなんて・・・

印象は悪くしたし、大切な人は失うしで散々じゃないか。)

やがて自暴自棄が感情に浸食し始めるとこれまでの彼らの冷たい態度を思い出して

ぐつぐつと憤怒の熱が腹の底から湧いて出始める。

(一体彼女にどれほどの罪があるというんだ?!ロークスも無事だったしいいじゃないか!!)

何より女は子を産める尊き存在として死罪にはなりにくいという暗黙の了解がある。

なので猶更若くて美しいカーディアンを殺さなければいけない理由がどうしてもセンフィスには理解出来ないのだ。


あの読み上げが終わると彼女は死んでしまう・・・


カーディアンは非常に大人しく、知っている情報は何でも口にした為かセンフィスがしつこく食い下がった為か。

本来なら死刑囚は執行数日前に手足を切断されて見せしめとしての役割をより効果的に使うものだが

彼女の手足は現在も傷つけられる事無く残ったままだ。


ただ、その手首足首にはしっかりとした鉄の鎖が繋がれておりどうあがいても逃げられないようにはなっている。


(・・・俺なら・・・俺とこの剣があれば・・・)


視野が狭くなっていく彼に憤怒の力も相まってどんどんとあってはならない方向へ思考が向かうも

今の彼にそれの善悪など区別はつかない。

いや、そもそも善悪などという曖昧な物は見る角度によって全く異なる水の様な存在だ。


そんな彼の中にあった水の色は今しっかりと色を付け始め、


読み上げが終わったと同時に迷う事無く神器の黒剣を抜きざまに風の様な勢いで彼女の下に向かうと、



ざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅざしゅ・・・・・



死刑に関わる全ての人間を悉く斬り捨ててカーディアンの身を抱き寄せてから空へ高く舞い上がった。


「反逆者だ!!!追え!!!殺せ!!!!」

いち早くそれに気が付いて素早く命令を下したのはナルサスだった。

恐らく彼はセンフィスの度重なる嘆願に何かを察していたのだろう。

その声に動き出したビアードと精鋭部隊も飛行の術式を発動させて各々が彼を包囲しに向かうも、

「邪魔するな!!!近づく奴は片っ端から斬り捨てるぞ?!」

完全に頭に血が上った彼は怒鳴り散らして牽制する。

しかしそんな事で怯む精鋭は1人もおらず全員がカーディアンもろとも彼をこの場で断罪しようと剣を握って突進してきた。

今までと違い人1人を抱えての中空戦闘。

流石の彼でもかなりの苦戦を強いられるのではと内心不安が過るも手にした黒剣はいつも以上に軽く周囲に斬撃を飛ばす。

数閃もの剣戟を放ちながらも縦横無尽に空を飛びまわる為相手は全く動きに着いて行けず、

一方的に手傷を負い、命を失いつつ空から落ちてくる精鋭達。

ビアードですら近づく事すら敵わず盾と剣をぼろぼろにしながら凌ぐので精一杯だ。

あまりの劣勢に見かねたナルサスは自らが参戦しようと空に向かって飛ぼうとしたその時。


「待ちなさいナルサス。あれに近づかないほうがいいわ。」


久しぶりに聞いた姉の声が一気に彼の心を静めるとゆっくり振り向いて彼女に向き合う。

「これは姉上。まさかこの場におられるとは。」

「若い女が殺されるなんて余興滅多にないじゃない?楽しみにしてたんだけどね。」

相変わらず少し発言が過激ではあるがこれでも家族と国をこよなく愛する女性だ。

普段通りの態度といつの頃からか手にしている微細な細工が施された黒い扇子を広げながら

口元を隠して微笑んでいた。






 ざんっ!!!!!・・・・・ががが・・・・ががががが・・・・


石造りの建物をクンシェオルト兄妹以上の斬撃が襲い掛かり、ずれて瓦礫がどんどんと落ちていく。

緊急事態な為城からは総動員でその騒動を止めようと兵士達が集まってくるも

現在圧倒的な立場からこちらに剣を振るうセンフィスを止める者は誰一人おらず、

少しずつだが国の被害がじわりじわりと広がっていく光景が目の前で展開されていった。

「何事だ?!」

そこに先程まで玉座の間にいたであろうネクトニウスが姉弟の姿を捉えて駆けつけてくる。

後ろからは見た事のない老人が同じように付き従っているが何者だ?

「父上。あのセンフィスとかいうのを城に招き入れたのは誰ですか?

矜持も信念もない雑兵は我が国の質を大きく落としかねませんよ?」

隣では相変わらず猛毒を吐く姉が自分の耳に痛い言葉を投げかけてくる。

それでも彼の素直さと腕を買っての判断だったのだ。

間違いではなかったはずだ、と心の中で言い訳をするナルサス。

「センフィスか?!何故このようなことに・・・む?!あの女は囚人か?!」

「はい。どうもあの女に唆されたようで。」

話題を逸らしたい彼からすれば渡りに船だ。すかさず現状を手短に説明すると、


ざざんっざんっ・・・・・っっっ!!!


大きな一閃が3撃ほどこちらに向かって放たれた。

それらは一刀ですら彼ら4人を十分に切断出来るほどの巨大な斬撃であり、

一流の戦士である皇帝と皇子はともかく老人と姉の命は間違いなく助からないだろう。

ならばナルサスが出来る事は1つ。


素早く姉の前に立ちはだかると手にした長剣でそれを受け流す体勢にはいる。


老人の方は父が庇うか諦めるしかない。

咄嗟の判断ではそうだった。だが、


すぃんっ!!!


ばんっっっっ!!!!


いつの間に彼の横に立っていたのか、

姉がいつもの扇子を広げて軽く仰ぐとその剣戟は大きく逸れて空に飛んでいった。


更に驚いた事に父の前には老人が無手の状態でそれをどうやっていなしたのか。

軌道を逸らして地面に叩きつけた後には大きな亀裂が走っている。

「ネクトニウス様、お下がりください。」

「あら?そのご老人も中々やるじゃない。流石我が国、優秀な戦士が多い事、おほほほほ。」

満足げに高笑いする姉の声も届かず、

いきなり現れた2人の強者に普段表情を崩さない彼も驚きを浮かべつつ冷や汗を流していた。






 それからこちらに剣戟が届く事は無かったがそれでも現状は変わらないままだった。

相変わらずセンフィスの独壇場で被害は広がる一方だ。

「むぅ。空を飛ばれてはどうしようもありませんな。」

名も知らぬ老人がその姿を見上げながら唸る様に嘆息すると、

「やれやれ。仕方ありませんわね。父上。あれは私が処分して参りますゆえ、ご老人には2人をお願い致しますわ。」

「ははっ。」

いつの間にか皇帝と皇子が蚊帳の外という稀な状況だが、

姉はこちらの返事を聞く事もなくすぅっと身を浮かせると無数に放たれる剣戟を躱しつつ、

扇子で軽く打ち払いながら上空へと飛んでいった。

「・・・ご老人。私も見届けてくる故、父を頼んだぞ。」

「お任せください。」

何とも心強い発言に思わず口元を歪めると王女の後を追ってセンフィスの下へ向かうナルサス。


ここにきて大きな疑問が2つも降って湧いてきた。

まずは姉だ。

過去に3度嫁いだがそのどれもが嫁ぎ先の王と王子が亡くなるという事で半ば幽閉状態にあった。

しかしその殺され方が毒殺であったり斬殺であったり絞殺であったり原因不明だったり

多岐にわたったので生まれてこの方剣すら握った事のない姉に大っぴらな嫌疑か掛けられる事はなかった。


しかし現在。


いつの間に習得したのか飛空の術式を展開しつつ、その扇子であれほどの剣戟を軽く振り払ってしまう程の強腕。

まさか自身の姉が自分以上の強さを持っていたなどと想像すらしていなかった。

更に父の傍にいたあの老人。

相当な高齢にも関わらず素手であれを受け流すというのはもはや芸術の域に達している。

なのに城内では見た事が無い、むしろ今日が初対面のはずだ。

一体どこにいたのか。もしくは最近父が招き寄せた逸材か?

ナレットではないがここに隠れた人材がいた事に内心大きな喜びを感じるナルサスは、

邪魔にならないように姉から少し距離を置いて2人の戦いを見届ける準備に入った。


「貴方、センフィスでしたっけ?

我が国への背信行為と罪人を庇った罪、死以外には無いと心得ておりますわよね?」

「何だお前は?この国の頭の固さには愛想が尽きただけだ。この人は俺の物にした。

男が女を手に入れる事が罪ならこの世は罪人だらけだな?」

「ふぅ・・・やれやれ。教育の行き届いていないサルはこれだから・・・。まぁいいわ。死になさい。」

これ見よがしに大きなため息を漏らした王女は

後ろに待機していたナルサスですら動きを止めてしまう程の殺気を放つと扇子を素早く仰いだ。


ぶあああああああああっっっ!!!!!


周囲の空気が激しくかき乱れ、大きな竜巻が発生すると同時に体勢を崩しながら吹き飛ぶセンフィス。

そこに一直線で飛んでいったナレットは短剣のように扇子を振るうと、


ざしゅっ!!!!!


風にまき散らされて血飛沫が辺り一帯にはじけ飛んで雨のように落ちていく。

「ぐあっ?!?!」

黒剣を握っていた二の腕にそれなりの傷が走ると同時に小さく悲鳴を上げるセンフィス。

追い打ちをかけるナレットは時には扇子を閉じて突き、広げては薙ぎ払い、そして風を巻き起こす。

カーディアンを抱きかかえたままの彼にはそれを凌ぐ余裕はなく、

一方的に攻撃を放たれ続けて細かな傷が増えていくと共に目に見えて戦意が薄れていった。


やがて姉の方が少しだけ間を取ると、

「やれやれ。神器持ち相手だと流石に骨が折れますわね。」

「ううう・・・・・」

傍から見れば一方的な展開だったがそれでも王女からすれば攻めあぐねていたらしい。

彼の耳には届いていないのか、弱音に近いうめき声と情けない表情が向けられていた。

(・・・ここまで精神力が弱い男だったのか。)

罪人を庇った件も含めて劣勢に立たされた彼を見て改めて再認識しなおすナルサス。

姉の言ったように矜持と信念、これからはこれをしっかりと見直す必要があるなと心に刻むと、

「お前に逃げ場も勝ち目もない。諦めれば2人一緒に速やかなる刑の執行を約束するぞ?」

彼を招き入れてしまった責任から最後の温情を掛けるも、

「これ。口出しするんじゃありません。」

お叱りを受けたので仕方なく見守る事だけに徹する皇子。

しかし聞き流す所だったが『神器』とは何だ?

言葉から察するに何か形のある物らしいが・・・

そして対峙する2人が手にしている物は黒い剣と黒い扇子だ。



・・・・・まさか・・・・・あれらが『神器』か?






 圧倒的だった。

ある程度想像は出来たが片手にカーディアンを抱えたままでも十分に強かった。

黒剣の、いや、自分自身の強さに惚れ惚れしながらもちらちらとカーディアンの様子を伺う余裕すらあった。

貴女の夫となる男はこれほどまでに強いんだぞ、と心の中で訴えるセンフィス。

急激に距離が縮まっていた2人の仲、命の恩人という事実も打ち立てた上にこの国士無双ぶりだ。

並みの女ならその好意はうなぎ登りに違いない。


といってもこの騒動でもうこの国にはいられないだろう。


だが後悔はない。


愛する人と一緒になれるのなら、そういう人生なら悪くないだろう。

この場を切り抜けたら彼女の国に向かおう。

『ユリアン教』とやらに改宗するのも悪くない。

もうこの『ネ=ウィン』という国には何の未練もないのだから。




そこまで想像していた。妄想していた。

これから先待っているであろう幸せでしかない毎日を。

なのに現在は妙に着飾った女に圧倒されている。

豪奢な衣装から間違いなく高貴な身分の人間なのだろうが手にしているのは扇子だ。

その姿からは想像もつかない強者。

まるで馬鹿にされているかのような不愉快さに囚われるも見てくれとは裏腹に強い。

激しく強い。


体の至る所に切り傷と打撲を負い、

心も思考も闇に覆われたままのセンフィスにもはやカーディアンの様子を気遣う余裕はなかった。

皇子が一緒に処刑などという戯言を放つもこの女がそれを止めるやりとりがあって、

乱れた呼吸を少し整え直す事が出来るも現状の劣勢を覆す策は下りてくる気配を見せない。

「センフィス・・・無理しないで、私を置いて逃げて?」

「・・・・・」

何という真心の、純愛のこもった発言だろう。

彼女の優しすぎる言葉に涙が溢れ出て来る。

だがここでカーディアンを手放してしまっては本当に全てを失うだけの男になる。

(彼女と一緒にここから逃げきってこその人生だろう?!)

喪失していた戦意に何とか再度火をつけようともがくも、

(・・・逃げる・・・そうか・・・無理にこいつと戦う必要はないんだ!)

愛する妻の一言で大事な事を思い出した夫は更に呼吸を整え直すと

右手にしていた黒剣を素早く振って剣閃を飛ばし始める。

今まで散々軽く弾き返されていたこれがあいつに届く事はないだろう。

だが時間を稼ぐことは十分可能なはずだ。


身を隠すならまずは森・・・!


これは戦士修行時代に教わった基礎の1つ。

木を隠すなら森の中という言葉から来ているらしいが実際森の中というのは

食糧もあり水もあり身をも隠せる絶好の場所である。

人間を襲う獣もいるが、そこは知恵か力で何とかすればいいだけの話だし実際何とかなるものだ。


もはや先程までの自分に酔いしれていた余裕のあるセンフィスはそこにはなく、

ただ数を発生させる為だけの威力を落とした剣閃を出来るだけ多く放ちながら

彼は蛮族達の住む『東の大森林』へと全力で背を向けて逃げ続けた。




やがて森の奥深くへ入ってしばらく経つと彼らは諦めたのか見失ったのか、後方には誰もいなくなっていた。

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