道なき人生 -悲願-

 「よく戻った!!」

『アデルハイド』に戻った一行は『トリスト』国王自らの手厚い迎えを受けると、

「時間が無い!!説明はまた執務室で行うぞ!!」

『ネ=ウィン』に向かう前にも見た流れにお互いが顔を見合わせるも、

「何をしておる!!はよせんか!!」

どうもまた急いでいるらしいスラヴォフィルに言われるがままハルカを加えた6人が彼の後を追った。


「えっと・・・初めましてスラヴォフィル様。私、暗闇夜天族の頭領ハルカと申します。」


とりあえず初対面である彼女の挨拶をする時間だけは貰えたようで、

「うむ。お主の一族とは、特にお前の祖父とはよく文を交わしておる。あやつに似ず、随分可愛らしいのぅ。」

そこでも彼の意外な交友関係が露わになり皆が驚くも、今の彼にとってそんな些細な事を気にする余裕はないらしい。

「まずは葬儀の参列ご苦労じゃった!!褒美は後でまとめて渡す!!

さてクレイス。お前に話していた修行の件じゃが一旦延期とし、今からすぐに『シャリーゼ』へ向かってくれ!!」

まさか最初に名前が呼ばれるとは思っても見なかったのであっけにとられるが、

予想外の国名が出てきて更に混乱する。

「えっ?!シャ、『シャリーゼ』ですか?」

「うむ!正確には『シャリーゼ』周辺にあるらしい村じゃ!!そこにショウがおる!!らしい!!」

これも予想外だったが、ずっと気になっていた少年の名前が出てきたので彼の気持ちは一気に明るくなる。

笑顔を浮かべながら色々尋ねたい気持ちを抑えて、

「ほ、本当ですか?!」

短く確認だけを取ると、

「うむ!未だ意識は取り戻しておらんようだが死んではいないらしい!

なので急げ!!今のあ奴は動き出したら何をしでかすかわからん!!」

状況を伝えられて様々な心配事が脳裏を過るクレイス。

死んではいない・・・ということはそれに近い程の傷を負っているのか?

更に意識を取り戻した時、ショウは間違いなくその犯人を抹殺しに行くだろう。

クンシェオルトはとうに亡くなっていて、『シャリーゼ』を崩壊させたのがユリアンだという事を知っているのだろうか?

大きな2つの問題が今後大きくのしかかってきそうだ。そして、

「えっと・・・あれ?あの、僕が向かって、その後どうすればいいんですか?」

「『トリスト』に来るよう伝えてくれ!それが無理なら『アデルハイド』でもいい!

決して1人で凶行に走らんように釘をさす事が最大の目的じゃ!!」

「は、はいっ!!」

思わず元気に返事をしてしまったが、

要はあの愛国心の塊であるショウを説得して連れて帰れと言っているのだ。

(・・・・・そんな事が出来るのかな・・・・・)


彼の国に対する忠誠心は旅の中で嫌という程見てきた。

あれだけ溢れ出ていた愛国心を持つショウに復讐せずにまずはこちらに来いと説かなければならない。


(・・・あれ・・・これ絶対無理じゃ・・・)

一瞬で不可能だと悟ったクレイスはすぐに別の答えにたどり着く。

「あ、あの!これって僕じゃなくてヴァッツの方がいいと思います・・・」

折角頼りにしてくれた気持ちを踏みにじるつもりはなかったが、

現在の状況の中、灼炎の力を持つショウを説得、もしくは力づくで抑える場面も考えると

何もできないクレイスより何でも出来て信頼もあるヴァッツを送った方が絶対に良い。

そう結論付けたので意見を出してみたのだが、

「駄目じゃ。ヴァッツには別の要件がある。ヴァッツよ。

お前は引き続き大将軍として『リングストン』王国のワイルデル領に向かえ!」


「ええっ?!」

これには何故か御世話役のハイジヴラムが動揺の声を上げていた。


彼の出自などを知らないのでその意味がクレイスにはわからなかったが、

「お前もじゃ!ついでにアルヴィーヌも連れて行け!3人もおれば奴らも退くじゃろう!」

「えーーー。私これからハルカと遊ぶし駄目!」

心底嫌がる第一王女は新しく出来た友達の名前を出すと、

「そのハルカにも1つ頼みたい事がある!

これはお前自身にとっても良い話だと思うのじゃが・・・」

流石に初対面であり、『トリスト』や『アデルハイド』に属していない彼女には

少し落ち着いた口調になるスラヴォフィル。

「・・・私の仕事って高いわよ?」

「フフフ。リリーの手助けだと言ってもか?」

「?!」

これまでの情報を全て掴んでいる国王はハルカが彼女を慕っているのも織り込み済みなのだろう。

久しぶりに聞いた最初の旅仲間であったリリーの名前に反応した暗殺者は、

「・・・こほん。どんな内容かしら?」

「それは直接本人から聞くといい。既に現地で待っておるはずじゃ。」

「どこどこ?!」

一瞬取り繕うも直接会えるとわかった途端、少女の部分が出てしまうハルカに、

「・・・ハルカ。私との約束は?」

「へっ?!ああ?!えーっと・・・そうね・・・」

「お姉さんもハルカさんも仕事があるんだし、それが終わってから皆で遊びましょ?ね?」

落ち着き払った声で諭す妹に、頬を膨らませて拗ねる姉。

「今度は3人で旅が出来るって事?」

ヴァッツは話の展開と大きさについていけず、

指名された3人でどこかに行けるという部分だけを自分のいいように解釈していた。

しかしスラヴォフィルもそれを訂正することなくむしろ、

「そうじゃそうじゃ!ゆっくり楽しんで来い!!」

「やったー!よろしくアルヴィーヌ!ハイジブラム!!」

難しい説明を諦めたのか、炊きつけるように話をまとめてしまった。

「私はどうしましょう?」

唯一名前が出ていなかったイルフォシアがとても不思議そうに父に尋ねていた。

聞くところによると国務の手伝いは第二王女がほぼこなしていて

アルヴィーヌはそもそも公の場に姿を現す事すらしなかったらしい。

そんな事情から現在目に見えて慌ただしくしている国王が彼女に仕事を与えない訳が無いのだが、

「お前は少し休め。働きすぎは体に悪いぞ。」

「・・・・・これまで相当な過労を強いてきたのに今更それはどうかと思いますよ?」

「うぐ・・・・・」

彼女は幼い時から(今も十分幼さは残っているのだが)国政に関わっていた為、

こうやって時折大人びた考えと発言をする。

親子の関係なので2人とも思う所はあったのだろうが、父の気遣いは娘にとって不満だったらしい。

ジト目で見つめるイルフォシアの視線に耐え切れずその目を泳がせるスラヴォフィル。

(お祖父さん・・・こんな表情もするんだ・・・)

不思議そうにそんなやり取りを眺め、微笑ましい光景に心の中で笑っていると、

「・・・じゃあ私はクレイス様と一緒にショウ様の元へ向かいます。いいですよね?」

いつの間にかジト目を止めて少し悪巧みを感じる表情を浮かべたイルフォシアが

こちらに向かってそう言ってきた。

どちらに向けての発言かはわからなかったが、すぐに声が出なかったクレイスに代わり、

「・・・まぁいいじゃろう。しかしイル、お前はクスィーヴの館で何度か彼と衝突したらしいじゃないか。

今回は説得が任務じゃ。そこをくれぐれも忘れないようにな?」

「はいはい。」

ヴァッツではないが、

この時のクレイスはイルフォシアと共に旅ができると都合のいい部分だけが脳内を占めていた事を自覚しつつも

その喜びを面に出さないように必死で堪えるので精いっぱいだった。






 『アデルハイド』から真っ直ぐ『シャリーゼ』へ向かう以前も通った道。

しかし前回と違い今は『トリスト』が用意した非常に重厚な馬車に3人は乗っていた。

何度かクンシェオルトが使っていた馬車にも乗ったが、これはそれ以上に作りも乗り心地も上だった。

なのにその車内には誰も座っておらず、

「ふーん。やっぱりアルもあんな事出来るんだ。」

ハルカとイルフォシアが先日あった葬儀での出来事を話題に盛り上がっていた。

「はい。私より姉のほうが力は上なのですが、何せああいう性格ですから・・・。」

すぐ隣で彼女の心地良い言葉が彼の耳にも入ってくるのだが、

「アルって面白いわよね。全然王女らしくないもん。」

反対の耳からもすぐ近くでハルカの声がからからと笑いを交えてクレイスの耳に届く。

何故か今クレイスが真ん中で手綱を握り、その両隣に少女2人が座っている形になっているのだ。

出発した当初はハルカのみが御者席に座っていた。

だが彼女の目的地まではどう少なく見積もっても10日近くかかる。

それまで1人座ったままというのは退屈だということでイルフォシアを隣に呼ぶと

クレイス1人にするのも心配だという彼女の気遣いが加わり結果こういう形に収まったのだ。

イルフォシアが道中ずっと隣に座っているという緊張は言わずもがなだが、

逆隣りに座るハルカにはまだ若干の苦手意識と恐怖感を持っている為違う意味で緊張してしまう。

本当なら御者を預かるハルカが中央に、その両隣にクレイスとイルフォシアが座るべきなのかもしれないが、

3人が御者席に座る話になった時、


「私はイルとお話したいし、貴方もイルの隣に座りたい。でもイルに御者をさせる訳にはいかないでしょ?」


決して自分からそんな希望を口にしたわけではないが、

確かに10日間ずっとハルカの横に座っているくらいなら

2人に挟まれる形とはいえイルフォシアも隣にいてくれた方が絶対に嬉しい。

なので彼女の案に従ってこの形に落ち着いたのだ。

最初の方は他愛ない話題や各々の生い立ちなどで盛り上がりを見せていた2人の少女。

しかし3日ほど経った時、


「・・・ハルカさん。ヴァッツ様を恨まれていますか?」

ふとイルフォシアがそんな事を切り出した。

クレイスにはすぐ理解出来た。これは彼女が仲良くしていたクンシェオルトの妹メイについてだろう。

クンシェオルト自体も慕っていたハルカからすれば立て続けに大事な人を亡くしている。

あの時フェイカーによって弔いの酒宴が開かれてはいたものの、

悲しみはともかく恨みが晴れたか?と言われるとそれはとても難しいと言わざるを得ない。


「・・・多少は恨む部分もあるわ。

でも私の家は暗殺者の家系だし、人の死にはなるべく感情を持ち込まないようにしているの。」

少し沈んだ声でそう言うハルカに、寂しそうな表情で見つめるイルフォシア。

これは決して自分に向けられている視線ではないとわかってはいても

間に座ってしまっているクレイスからすれば様々な意味で心臓に負担がかかっていく。

「それにフェイカーも言ってたじゃない。誰が悪いわけでもないって。

ただ、やり残した事があれば次の機会に生かせとも言っていた。だから・・・」

空を見上げながらあの酒宴の場を思い出しているのか。最後には、

「もし今度同じような事が起きそうになったら絶対に私が止める。イルじゃなくて私がね。」

瞳には前向きな希望の光が灯っており、声色も普段と変わらぬ元気なものに戻っていた。

それを聞いたイルフォシアは柔らかく微笑み、隣に座るクレイスもその強くも前向きな意見に大きく感嘆する。


「それに私ヴァッツが大の苦手なの。

あれには近づこうとも思わないし恨んでどうにかなるとも思ってないしね。」

最後に舌をぺろりと出したハルカの発言。一緒に旅をしていたクレイスには意味がわかったのだが、

「ええ?!あんなに素敵な方なのに?!」

「えええ?!素敵なのあれ?!」

どうもイルフォシアは初対面の時から彼を相当高く評価しているらしい。

お互いの心象に大きなずれがある少女達はこの後『ロークス』に着くまで

クレイスを挟んで喧々囂々やら和気あいあいやらで話は盛り上がりを見せるも、

この時2人には名高い暗闇夜天族の頭領である彼女の心の底を読み解く事は到底出来なかったのである。






 『ロークス』はこの周辺で最も栄えている街であり

『シャリーゼ』が消滅して以降その価値はより高まっていた。

それなりに急いでいる為、この街での補給を早急に済ませて先を急ごうとしていたのだが、

「これはこれは!また随分人の多い街ですね?!」

初めての大都市に興奮気味のイルフォシア。

葬儀の時とは違い王女という身分を隠すために目立たない衣服に身を包んでいても、

その類稀な容姿と誰もが二度見するほど美しい金髪がどうしても注目を集めてしまう。

「ほらほら王女様!あんまり体を乗り出さないの!今は急いでるからまた今度ね!?」

御者席に3人座っている上に両端の2人が立ち上がってわちゃわちゃと始めると余計に目立ち始めたが、

(・・・なんか、前に来た時よりも・・・)

幾度となくイルフォシアの体が接触して気がとられるも、

以前は感じられなかった都市内にいる人間の増加に彼らの汚れた姿を見て心が逸る。

これは間違いなく『シャリーゼ』から逃げてきた人達だろう。

ハルカもこの先に待っているというリリーの元に急いでいる為、

ここは自制心を持って先を急ぐことに注力するクレイス。

最低限の補給と体を休める為に前と同じ宿に泊まると3人は早朝から馬を走らせた。




大都市から西に向かう事2日。

本来ならあと1日はかかるであろうと思われていたのだが、

「あ!あれはお姉さま!!」

隣に座っていたハルカが喜色満面で声を上げると確かに前方にはとても目立つ翡翠色の人物が見えてきた。

居ても立っても居られなかった彼女はぴょんと馬車から飛び降りると、

以前シャリーゼ国内で見た時よりも早い速度で走り抜けていく。

少し呆れつつも微笑みながらその姿を見守るイルフォシアの横顔に思わず目が奪われそうになるが、

今は手綱を任されている身でもある。

平静を装いつつもリリー達の近くで馬車を止めるとそこには時雨の姿もあった。

「お久しぶりですクレイス様。まさかイルがハルカと一緒に来るなんてな。」

こちらには以前と同じく敬意を持って接してくるも王女に対しては随分さばさばとした態度を取るリリー。

思わず時雨の顔色を伺ってしまうが特に何かを言うそぶりは見せない。

彼女達の関係をよく知らないのでここは黙って様子を確かめる事を選ぶと、

「ハルカさんはお姉さんと一緒に仲良くさせてもらってるの。」

当たり前のように答えるイルフォシアを見ると友人関係に近いのか?

少女4人が話に盛り上がる中、


「それでお姉さま。私は何をすればいいの?」

「うん?もしかして何も聞いてないのか?」

「詳しくは私から説明しましょう。」

草原と林の影から見たことのない中年の人物が数人の兵士を引き連れてみんなの前に現れた。

「貴方誰?」

ハルカの短い問いに、

「申し遅れました。私『トリスト』の参謀である1人ファイケルヴィと申します。」

「んん?ファイケルヴィって『リングストン』の副王じゃなかった?」

暗殺集団の頭領である彼女はそういった要人の情報には詳しい。

顔は知らなかったのだろうが、自身の知識と立場に齟齬があったので小首を傾げて怪しんでいると、

「はい。実は死を覚悟して戦ったところ王にこの命を拾われまして。

以来『トリスト』に忠誠を誓って務めを果たさせていただいているのです。」

「へー。流石『羅刹』ね。器が大きいわぁ。」

その説明に納得したのか大きく頷く。そこから彼の説明がクレイスの耳にも入って来た。

「これから『リングストン』にある旧『ボラムス』領を占有する為、

ハルカ様もご助力していただけるとお聞きしております。」

「「えっ?!」」

これには何も知らされていなかった本人はもちろん、クレイスすら驚きの声を漏らしてしまう。

2人の様子にハルカには時雨が、クレイスにはイルフォシアが近づいてお互いが耳打ちすると、

「・・・なるほど。まぁ確かに間接的に見ればお姉さまの力になるっていうのはわかるわ。」

暗殺者の方は納得したようだが、

「これは複雑な話なので後ほど道中でご説明しますね。」

そう告げられたクレイスには何が何だかわからないまま4人に別れを告げると、

「ではここからは私が御者を務めさせていただきます。」

ハルカに代わり、時雨が2人の従者として一路『シャリーゼ』方面に馬車を走らせていった。






 少年少女達が早々に東へ飛び去った後、

残されたガゼルと時雨は航路で東のカーラル大陸に戻ってきていた。

『シアヌーク』に到着した2人は早速『トリスト』の用意した馬車に乗るよう促されると、

「・・・首を横に振ったらどうなるんだ?」

冗談交じりに口数の少なくなっていた時雨に尋ねたガゼル。

ヴァッツが絡んでいるので断るつもりはないのだが、どうにもうまく誘導されている気がしてならなかった為だ。

「恐らくスラヴォフィル様自らが貴方の首を獲りに来られるでしょう。」

何で?!

と、口に出しそうになったが思い返せばヴァッツには2回も剣を振り下ろしている。

スラヴォフィルは恐らく『迷わせの森』でその姿を直接見ていたはずだ。

彼自身の中では解決していた問題も、『羅刹』側からすればあの時のままなのだろう。

(まぁここまで来たらなる様にしかならないか。)

半ば諦め気味に用意された馬車に乗ると、街道を南東に向かいだした一行。


この道中初めてクンシェオルトの訃報が入って来た事で

彼は『トリスト』の思惑などを一切考える事を止めて、ただただ喪に服す事を選んだ。




帰りの船も速かったが、『トリスト』が迎えに寄越していた馬車の速度も相当なものだった。

気が付けば3日でガゼルにはとても馴染みのある景色が飛び込んで来る。

「おお~。懐かしいな。」

乗り心地のよい馬車から外を眺めて地元に帰ってきた事実に喜びを表すも、

(・・・不味いな。)

この辺りは旧『ボラムス』領で、自分達反抗軍の根城も近い。

『トリスト』にはガゼル達の存在自体は伝わっているだろうが、

現在山賊に近い彼らと接触しても良い結果は生まれないだろう。

居場所を知られる事だけは避けたいガゼルがここにきて久しぶりに悪知恵を働かそうと思考を巡らす。

「そろそろ到着します。」

しかし時雨が不意にそう伝えた瞬間、馬車の速度が落ちていくとやがて木々に囲まれた小さな草原に止まる。

そこには懐かしくも苦々しい思い出が蘇る人物、

「遅かったなぁ時雨。」

容姿や声色とは裏腹に雑な言葉遣いの美少女リリーが、桃色の鎧と大剣を携えて声を掛けてきていた。

「海の向こうで様々な出来事がありましてね。」

友人である時雨はいつもの大人びた雰囲気から少女のものに一瞬かわると、

ガゼルを置いて先に馬車からぴょんっと飛び降りて彼女の前に歩いて行った。

ここが目的地であろう事は間違いなく、促される前にガゼルもゆっくりと降りていくと、

「お待ちしておりました。時雨様、ガゼル様。」

木々の影に待機していたのか。恐らく自分よりも年上の文官らしい人物がこちらにむかって歩いて来る。

妙な痩せ方をしたその男が力強い眼差しをこちらに向けてきたので、

「こちらは?」

どうやら時雨も知らない人物のようだ。リリーに尋ねると、

「失礼しました。私、先日スラヴォフィル様の配下として登用されたファイケルヴィと申します。」

ガゼル自身にその名前の心当たりはなかったが、時雨は驚いてリリーを見ていた。

だが当の本人はその視線に反応する事もなく、

「それじゃ早速この後の話をしようか。」


2人は木々の間に作られた小さな陣幕に通されると早速詳細な説明が始まった。

「まずガゼル様、貴方にここで一番重要な判断をお願いしたい。」

「ほう?」

椅子に座るとファイケルヴィがやつれた表情とは裏腹に非常に強い意志を持って言葉を投げかけてきたので

少し驚きながらも返事をする。

「我々『トリスト』軍はこの後『ボラムス』領を侵攻、占有します。

我が王は貴方の力をお借りしたいと仰っていますが、どうなされますか?」

「・・・・・な、なんだと?!」

久しぶりに他人の口から聞いた故郷の名前とその内容に考えが止まってしまう。

驚いて声を上げると、

「つまりお前は協力するのかしないのかって話だよ。どうする?」

リリーがかみ砕いて非常にわかりやすく再度尋ねてくるも、

「ま、待て!・・・こっちからも色々聞きたい事があるんだが、まず何で俺なんかに協力を求めるんだ?」

彼が『ボラムス』出身という話は旅の道中でも何度かしていたのでそれは知られているだろう。

しかしこの国が『リングストン』に従属、そこから版図に組み込まれた件はヴァッツ以外にはしていない。

当然ガゼル自身の復讐心や最終目的も知らないはずだ。

「貴方が旧『ボラムス』国王、現『ボラムス』都市長を憎んでおられるのを我が王は知っておられるからです。」

全てを見透かされている発言に愕然とするも、

「まぁ我が主はお前にその機会を与えるって仰られているんだ。ヴァッツ様達の旅に同行してくれた礼なんだってさ。」

またリリーがわかりやすい捕捉を入れてくれる。

あの異様な姿の老人を思い出し、初対面での出来事を考えるとあまりにも都合がよすぎる話だ。

内容としては願ったり叶ったりなのだが、苦労を重ねて生きてきたガゼルが二つ返事で了承するわけもなく、

「もし・・・断ったらどうなる?別の礼でもしてくれるのか?」

「貴様・・・!」

それまで黙って聞いていた時雨から怒気を浴びせられてびくりと体を反応させていると、

説明をしていたファイケルヴィとリリーはお互いの顔を見合わせて、

「ま、主は寛大だからな。言えば別のもん用意してくれるだろ。」

軽い調子でそう返ってきたので余計に悩むガゼル。

「それに貴方が断っても我々の『ボラムス』侵攻は決行されます。

つまりガゼル様、これは貴方にとって最後の選択なのです。」

こちらはこちらで非常に重苦しい内容を言葉にして聞かせてくるファイケルヴィ。

その話ぶりから彼らは必ず『ボラムス』領を落とせると断言しているかのようだ。


(・・・ここで断ったら俺達は戦う目的を失ってしまうのか?)


いきなり降って湧いた話に不明瞭な部分が多い為、それら全ての悩みを解決すべく彼は質問を続ける。

「さっき出た『ボラムス』都市長、バライスはどうするんだ?捕えるのか?」

口に出すだけでも憎悪が沸き上がりそうになる人物について尋ねると、

「いいえ。市政に携わった者達は全て斬り捨てるよう命じられております。」

ということはガゼルにとって本当に最後の選択になるようだ。

この機を逃せばあの男の前に立つことは金輪際不可能になってしまう。


「・・・わかった。俺も参加させてもらう。だがこちらからもいくつが条件があるんだが聞いてもらってもいいか?」

「どうぞ。何でしょうか?」

こうしてこの日は侵攻に向けて細かな話し合いが調整されながら夜も更けていった。






 「お頭・・・本当に大丈夫なんでしょうか?」

あれから3日後、ガゼルは自身の部下を連れてリリー達の待つ草原に戻ってきた。

仲間は全部で18人。過去の傷によって満足に動けず戦力になるかどうかもあやしい連中が何人かいたが、

「大丈夫だ。『トリスト』の連中は馬鹿みたいに強ぇ。その力を利用出来るってんだから乗らない手はないだろ。」

久しぶりに仲間の前に姿を現したガゼルは開口一番、今回の『ボラムス』侵攻についての話を切り出した。

部下達は再会の喜びも束の間、数日後に戦端が開くという事実に心の準備が全く追い付かない状況だった。

それもそのはず、彼らが故郷の裏切りに合ってそこからすでに13年も経っている。

最初は復讐と憎悪に気力も体力も充実していたが、

年月と自身の衰えがその炎を徐々に弱めていくのを皆が痛感していたのだ。

そこにきて降って湧いた嘘のような話、この時誰もがガゼルの話に耳を疑っていた。

根城での会議はファイケルヴィらとの話し合いよりもずっと時間がかかり、

頭目が熱心に条件や鼓舞で皆を焚き付けてやっとこの場に連れて来る事に成功したのだが、

「ケイド!ここまできて何弱気な事言ってんだ?!おぉ?!」

この場に揃った部下達の中でも満足に戦えそうもない連中の方が士気は高かった。

その気持ちはガゼルにも痛いほどわかる。


恐らくこれが本当に最後の戦い。


そしてこの戦いが終わった後、体に不自由が残る者達は満足に生活を送るのは難しいだろう。

ならばせめて果敢に戦い抜いて、復讐と憎悪と共に散っていきたい。

元兵士達としてその考えに至るのは当然なのだ。


歳を重ね過ぎたせいか涙脆くなりつつあったガゼルはそれをぐぐぐっと堪えると、

「いいかお前ら!!俺達は死にに行くんじゃねぇ!!

家族と愛する者達への手向けを取り戻しに行くだけだ!!妙な下心は持つなよ?!」

「おおおおおおおお!!!!」

感極まる檄を飛ばすと部下達の心にも大炎が灯ったらしく、静かな平原に大きな声が木霊した。


「あの・・・戦いはまだ先ですので、少し静かに願えませんか?」


そんな彼らの気持ちをある程度理解はしているのだろう。

申し訳なさそうにファイケルヴィが困った様子で早足で近づいて来たので、

「おお。悪い悪い。そういえばいつ仕掛けるんだ?俺達はいつでも構わないんだが?」

彼の出した条件として、

部下達を引き連れていく事、そしてこの憎悪の源であるバライスを自分達の手で討つ事があった。

それらを快く了承してくれたのでガゼル自身も腹を括ったのだが1つだけ、


「もしかすると最後にこちらからガゼル様にお願いする事があるかもしれません。」


内容は全くわからないがそう言われた事だけが気掛かりだった。

しかし人生を賭けた最後の反抗戦の場を整えてくれたのだ。

あのまま根城で小さな山賊行為を続けていては絶対にたどり着けなかった舞台。

何としてもここで爪痕を、いや、全てを終わらせる一撃を叩きこまなければならない。

心の奥底に隠しておいた誰よりも大きな恨みと憎しみが体中に力を送り込んでいく。

(いつでもいい。いつでも戦える。)

呼吸が浅くなり、湧き上がる力を抑えつつ狂喜に染まりつつあるガゼル。




しかしその日から一週間が経ち、痺れを切らす時期をとうに超えて各々が弛緩してきた時。


「お姉さま!!お久しぶり!!」


街道側から常にクンシェオルトの傍にいた懐かしい少女の声が聞こえてきた。






 やがて時雨が姿を消し、リリーとファイケルヴィがハルカを連れて陣幕に戻ってくると

彼女を知らない部下達がぽかんとあっけに取られてその姿を眺めていた。

多少奇抜な恰好はしているものの見た目は普通の少女だ。何も知らなければその反応も頷ける。

「もしかしてハルカを待っていたのか?」

「あ、ガゼルだ。こんな所で何してるの?」

「お待たせしました。これで全戦力が揃ったので改めて『ボラムス』領侵攻についてご説明をさせていただきます。」

2人が顔を見合わせて久しぶりに言葉を交わすと、

彼自身も待ちわびていたらしく早速作戦の説明が始まった。


といっても大した内容ではない。

全軍で都市長の住む城を落とす事、誰一人逃さない事を伝え終わると、

「以上です。何かご質問は?」

開始2分で質疑応答が始まってしまった。

ガゼルはこれまでに幾度とやりとりを行っていた為質問する内容を考える始末だ。

「個人的に知りたい事もあるからすぐに殺したくはないんだけど。私は私のやり方でいい?」

到着したてにも関わらず物騒なことを言い出すハルカ。

この場で彼女の正体を知っている人間からすれば特に気にはならなかったのだが、

自分の部下達はその物言いを聞いてにわかにざわつく。

「おい。あいつはもしかするとこの場の誰よりも強えかもしれねぇ奴だ。みっともないから騒ぐな。」

一応『ボラムス』の反抗部隊を率いる者として自分の本音も含めて注意を促したのだが、

「あら?嬉しい事言ってくれるじゃない。

お姉さまの為だけにと思っていたけどほんの少しだけ貴方の為にも力を奮ってあげるわ。」

何度かその戦う姿をこの目で確かめて、

クンシェオルトや本人からも暗殺集団の頭領という事は聞かされていたので偽りない本心を語っただけなのだが、

思いのほかハルカにとっては嬉しい発言だったようだ。

「おう。大いに期待させてもらうぜ。」

こちらも喜んでそう返すも、その表情と口調には空元気的な物が混じっている事を感じ取るガゼル。

強さはともかく40近くまで生きてきた経験がそれを見抜いてしまうのだろう。

(・・・そうか。クンシェオルトが死んだからか・・・)

思い当たる節はそれしかない。

それでも尚、いや、だからこそ今回の侵攻に加わる事で気を紛らわそうとしているのか?

詳しい理由はわからないが、ただ今のまま参戦しては少し危ない気もする。

「・・・ハルカ様。少し気分が優れない様子ですが大丈夫ですか?」

だがそれを感じていたのはガゼルだけではなかったらしい。ファイケルヴィが気遣うように伺うも、

「ん?お姉さまに会えてむしろ最高の気分なんだけど?そんな風に見える?」

ガゼルには無理をおしている様にしか見えないので思わず指摘を入れた自身より年上であろう中年に視線をやると、

彼もハルカの小さな違和感に唯一気が付いたガゼルに視線を返してきた。

「わかりました。では今夜はささやかですが酒と馳走で景気づけといきましょう。」




決行は明日の朝。なので早めの夕飯と酒盛りが始まると、

「彼女は暗闇夜天族の頭領。多少の油断で不覚を取るという事はないでしょうけど、

よろしければガゼル様の方でお話を聞いてあげてはいただけませんか?」

杯を片手にすぐにファイケルヴィの方から接触してきた。

「わかった。」

正直自分の話などに耳を傾けてくれる自信は全くなかったが、いかなる理由があるとはいえ明日は一緒に戦う仲だ。

なるべく憂いを断ち切っておいたほうがいい。そう判断したガゼルは悩む事無く即答すると、

「おいハルカ。ちょっと話があるんだが。」

リリーの傍でべったりくっ付いて座る彼女に声を掛に行く。

「何?」

「いや・・・うーむ。ちょっと2人で話したいんだが。」

この様子だとリリーは何も感じていないらしい。綺麗な紅い目をぱちくりとさせてこちらを見てくる。

「嫌。お姉さまの傍から離れたくないの。」

「そうか。じゃあそのままでいい。」

いざとなればリリーの存在に助けられるかもしれない。

そう思ったガゼルは2人の傍に腰を下ろすと手にしていた盃の酒を小さく掲げて、


「・・・クンシェオルトは残念だったな。」

その言葉に周囲の『トリスト』兵達のいくらかが反応したが今はどうでもいい。

あれだけ慕っていた4将筆頭が亡くなったのだ。雇われの身だったとはいえその心中は穏やかではないだろう。

「・・・あんたにクンシェオルト様の何がわかるのよ?」

「さぁな。ただ、あいつがヴァッツに自身の全てを賭けていたのは何となくわかっていた。」

その発言にリリーが驚愕の表情を浮かべて自分がここにいていいのかな?と少しそわそわとし出すが、

隣に座るハルカは無意識のうちに強く彼女の腕を掴んで放そうとしなくなっていた。

「・・・それはあんたがヴァッツを利用して何かを企んでいたのと同じって事?」

現在『トリスト』の大将軍である王孫の名が出た事により『トリスト』側はもちろん、

ガゼルの部下達もその空気に気が付くと皆が押し黙って2人の会話に耳を傾け始めた。

「まぁ最初はな。俺も命が惜しかったから利用はしたさ。だが今はその恩を返したい。」

「・・・何で?あいつはそんな事全く気にしてないわよ?」

相変わらずヴァッツに対しては嫌いという姿勢だが、

この時のハルカを見てガゼルはその裏に隠された憎しみらしいものを感じ取る。

これもクンシェオルトが死んだ事と関係しているのか?しかしヴァッツと結び付ける理由がわからない。

「あいつがどう思おうといいんだよ。俺がやりたいからやるだけだ。

クンシェオルトもそうだったんじゃないか?ヴァッツがどう動くかより自分が思うように動きたかった。

だから配下っていう道を選んだんだろ?」

「・・・自分の命を賭けてまでも?」

気が付けばハルカの表情は氷のように冷え切っており、

更に聞いた事のない情報を口走って来たのでガゼルは一瞬混乱してしまう。

(命を賭ける?・・・そういえばあいつは何で死んだんだ?)

死んだ事実しか知らされていない為、『闇の血族』に対する知識不足が言葉を詰まらせるも、

「自分の命を賭けてまでも護りたいものがあったから、ヴァッツ様にすがろうとしたんじゃないか?」

ここまでずっと隣に座って黙っていたリリーが初めて話に入って来た。

正直命を賭けるという言葉から思考が全く追い付いていないのでこの介入はガゼルにとって非常に有難いものだった。

「・・・そんなもの・・・ある?」

「ある。私にはルーがそれだ。」

優しく答えるリリーの顔を見て、ハルカの表情にも血の気が戻ってくる。

「そうか・・・そうだね。お姉さまはルーの為に3年も・・・」

呟くように、答えを掴もうと呟く彼女とは別に、

「あ、あれ?・・・ハルカ、私達の話、知ってるのか?」

本当の姉のように優しく接していたリリーがハルカの発言でどぎまぎとし始めた。

途中から何の事だかさっぱりわからなくなっていたガゼルだったが、

「ええ。ルーから全部教えてもらっちゃった。

だから私はお姉さまとルーの為に命を賭けて戦うわ。クンシェオルト様のようにね。」

少し寂しそうな表情を浮かべながらも

いつもの強気な口調に戻ったのを見届けると安心して杯の酒を飲み干した。






 翌日。何も知らない都市長バライスはいつも通りゆっくりと眠っていた。

彼は『ボラムス』国王時代から政務はそこそこに自身の権力と財力と欲望を満たす事だけに注力してきた。

傍から見ればその有り余る力を一体何に使うのか?と首を傾げるだろうが、

彼にとってはそれが全てであり、使う使わないという些細な問題は頭にない。

財力と権力と欲望、それらがバライスという人間の性格と誇りに変換されていくのだ。

当然そのような歪んだ思考によって形成される人間がまともな訳もなく、

自国民の命を強国『リングストン』に売り飛ばし、更なる権力と身の安全を手に入れた彼は

それらをより強固なものにしようと日夜収賄と高位の人間に阿る日々を送り続けていく。

果ての無い欲望に身を任せて。




形的にはガゼルが率いる反抗軍、『トリスト』の兵が300と自身の部下が18人、そこにリリーとハルカ。

ファイケルヴィは完全な文官の為、後からの検分役として後方で待機していた。

一見すると数はとても少ないが、

そもそも『リングストン』の恐ろしさはその膨大な物量、そしてそれは反撃時に限られている。

普段は皆それぞれの生業に精を出し、侵攻を受けたら国を挙げて倍以上の復讐を果たす。

それを理解しているからこそ周囲は手出し出来ずにいるのだ。だからこそ、

「侵攻時にはそれほどの戦力を必要としないのです。」

何故か『リングストン』の事をよく知っているような素振りを見せていたファイケルヴィが自信満々でそう断言していた。

「まぁ細かい事はどうでもいい。やっと・・・この日が来たんだな。」

都市長がいるのは旧『ボラムス』城で衛兵は1000人ほどいるらしいが、

『トリスト』の兵卒は1人1人がリリーくらいに強いと聞かされている。

それが300人。更にそれ以上の強さをもつハルカ。負ける訳がない。これは決して油断でもなく事実だ。

そう自身に言い聞かせながら正面から突っ込んでいく反抗軍。

いきなり現れた小規模な軍に慌てふためく姿を視界に捉えながら、

「突っ込めえええええええぇぇぇぇ!!!!」

久しぶりに怒号を発するガゼルの顔にはこれまでの人生で一番輝いている笑顔が浮かんでいた。




話は聞いていた。十二分に聞いていた。

『トリスト』の兵士達は強いと。

それは『ジョーロン』でイルフォシアも断言していた。『ネ=ウィン』より上だと。

なのでより油断せずに戦おうと自身と部下に言い聞かせていたのだ。


だが・・・・・


「遅い!で、そいつでしょ?都市長っての。」

一番最初に彼の前に立ちはだかったハルカが遅れて登場したガゼルに愚痴をこぼしながら確認してきた。

やっと城の主が眠る寝室にたどり着いた中年は誰一人と戦ってもいないのに汗だくになっている。


号令をかけたまではよかった。

しかしその後はハルカが単身で目にも止まらぬ速さで飛び込んでいくと、

リリーとそれに続く300人が恐ろしく統率の取れた動きで城の四方八方に散って敵を一刀で斬り伏せていく。

初動からついていけなかったガゼルとその部下は倒れている敵兵を眺めるだけの

まるで金魚の糞のような動きしか出来ず、ガゼルだけは必死で走り何とか憎きバライスの下にたどり着けたのだ。

(こ、こいつら・・・おかしすぎる・・・)

息を整えながら心の中で悪態をつくも、思い返せば初めてヴァッツと出会った『迷わせの森』で、

彼の祖父スラヴォフィルが率いていた兵士達も矛を交えるまでもなく異常な強さを放っていた。

あの時既に『トリスト』の強さを肌で感じ取っていたはずなのだが・・・

「じゃあガゼル。まずは私の要望を通させてもらうわよ?」

「ぜぇ・・・ぜぇ・・・どう・・・ぞ。」

未だ呼吸困難な状態で何とか返事をすると今までの雰囲気を一掃したハルカが、

昨夜の時以上に氷のような目と表情を浮かべて、

「はわ・・・・わわ・・・・」

恐怖のあまり震える事しかできないバライスに近づいて行った。

刹那で右手を伸ばして下顎を掴むと


びき・・・びききき・・・


「あががが?!?!?!?」

少女の姿からは想像もできない力が顎の骨を襲うとひびが入る音が周囲の耳に届いた。

「うーん。かなりの小物くさいのよねぇあなた。

一応聞くけど、一年前に壊滅した『リングストン』内の暗殺者集団。それの首謀者って誰か知ってる?」

ハルカの要望。

それはこの国にいるリリーとルルーを苦しめた元凶について調べる事だった。

彼女達が囚われていた組織こそ壊滅したものの、

その首謀者についてはわかっていないらしく現在もこの国には別の組織が他に3つあるという事だ。

それら全ての関連情報を手に入れる為に情報源への接触を優先してもらう。それが今回ハルカの提示した条件だったのだ。


「し、知りあせん!!!」

元気よく即答するバライスに後ろで見ていたガゼルは思わず吹き出すが、


ざしゅ・・・


ハルカからすれば笑い事ではない。

いつの間にか左手で握っていた棒手裏剣を彼の太ももに深く突き立てると、

「あがががががが?!?!?」


ぎゅぎゅ・・・ぎゅぎゅぎゅ・・・ぎゅぎゅぎゅぎゅ・・・・


刺さったままの棒手裏剣を何度も何度もこねくり回して痛めつける。

筋肉が繊維と一緒に斬れる音が静かな空間に小さくぷちぷちと聞こえてきた。

これを冷酷な無表情のままやってくるので悲鳴と共に涙やら鼻水やら恐怖と懇願の眼差しやらで

彼の顔面は悲痛の塊まみれになっていく。それでもハルカは、

「ねぇ?本当に知らないの?

別に首謀者じゃなくても近い人間とかさ?噂とかさ?色々話せる事あるでしょ?」

表情とは裏腹に声色はいつも通りなのが傍から見ても恐ろしい。

流石高名な暗殺集団の頭領なだけあって、自分の必要な情報を手に入れる為には手段も選ばず情けもかけない。

まるで職人芸のようなその姿にむしろ感心するガゼル。

「し知りあせん!!ほんろうれす!!いががが?!?!」

答えてる最中にも棒手裏剣をぐりぐりするので悲鳴が混じってしまう。なのに、

「えー?聞こえないなぁ?もっとしっかり喋って?」


ざしゅっ


更にもう1本追加で今度は膝の上あたりに棒手裏剣が突き立てられる。

新たな悲鳴が生まれるも一切気にすることないハルカはいきなりこちらを振り向くと、

「ごめんねガゼル。この人思ってた以上にしぶといからもう少し時間かかりそうなの。

お茶でも飲んで待っててくれる?」

その表情には本当に申し訳なさそうな感情が読み取れる。

だがまたバライスの方を向けば冷酷な無表情に戻るのだから心底恐ろしい。

「ああ。俺の用事は急ぎじゃない。もう13年も待ったんだ。ゆっくり寛がせてもらうよ。」

そういって彼は腰に下げていた水筒を片手に寝室にあった椅子に腰かけた。






 ハルカの拷問に近い尋問は軽く1時間を超えていた。

もはや精神と体が破壊されたバライスは聞けば何でも答えるオウムのようになっている。

「うーん。ラカンって大将軍って人でしょ?そんな人間が暗殺組織なんて作るかな?」

やっと出てきたラカンという人物を彼女は知っているらしく、

疑わしさから棒手裏剣を抜いた後塩を擦り込み、更に棒手裏剣を刺し直す。


基礎知識がなければただの残虐行為にしか見えないが、尋問時に大切な事は、

『相手の発言を全て疑う』事なのだ。

あらゆる苦痛を与えて全てを疑問で返しながら情報を聞き出し、その真偽は後で精査する。

そしてそれは全てを吐き出すまで終わらない。新しい情報が出てくる限りはずっと続くのだ。


しかし今回は侵攻が主目的であり、この後にはガゼルの用事も残っている。

それを理解しているハルカはある程度納得がいったのか、

「じゃあもういいわ。ありがとうね。」

そう言い終えると刺さっていた十本近い棒手裏剣を全て引き抜き、右手で掴んでいた下顎も放した。

もはや悲鳴すら出なくなっていたバライスは絶望の表情を浮かべて床に這いつくばっている。

「お待たせ~。じゃあ私も後始末の手伝いに行ってこよっと。」

今まで拷問、いや、尋問をしていたとも思えない切り替えの早さに舌を巻きつつも、

「おう。俺もこれが終わったらすぐに行くわ。」

椅子から立ち上がったガゼルは生きてはいるものの人間なのかどうかわからない生き物の前まで歩いて行くと、

「よう。久しぶりだなバライス。13年ぶりだぜ?覚えてくれてるか?」

「・・・・・」

「そうだよなぁ。お互い年取ったもんな。13年は長すぎた。

俺だよ。ガゼルだよ。大分見た目が変わっちまったからわからなかったか?がっはっは。」


がっ・・・


一方的に話しかけながら床に這いつくばっている男を蹴り上げるガゼル。

大きく中空で舞うと、そのまま仰向けになった状態で床に叩きつけられるバライス。

「っはっ・・・!」

背中から落ちたので呼吸に乱れが生じたのだろう。短く声を上げると、

「ったく。前から話が通じねぇ奴だとは思ってたけど、返事すら出来なくなったのか。残念だなぁ。」

自分の頭をわしゃわしゃとかきむしって心底残念そうな顔になるガゼル。

それを相手が視界に捉えていたのかどうかすらも怪しかったが、

「ま、積もる話はあったんだけど、なんかハルカのお陰でどうでもよくなったわ。

俺じゃここまで出来なかったしな。さて、それじゃ最後に一言だけ・・・」

ガゼルは自慢の二刀をすらりと抜くと、

今までの柔らかい雰囲気から一変し、激怒と憤怒を憎悪に乗せて一気に発散する。


「お前のせいでこの13年間、生きた心地がしなかった。今夜は死ぬように眠れそうだ。」


ざざんっ!!!


権力と財力と欲望しか持たなかった男はこの日、

ハルカという少女に散々苦痛を与えられた後、13年前に命を狙われた男から止めを刺されると

誰からも悲しまれる事無くその生涯に幕を閉じた。






本当に、全てが終わった・・・・・

13年越しの悲願を成し遂げたガゼルとその仲間達は大いに泣き喚き、そして喜んだ。






その心境を汲み取った『トリスト』兵達は彼らをそのままに

ファイケルヴィの指示に従い死体の処理、そして簡単な清掃と宴の準備を始めていた。

「13年前の復讐か・・・あたしが生まれる前から憎んでたんだもんな。」

そんな彼らの姿を見てリリーがぽつりと呟くと、

「・・・やっぱり復讐はすべきなのよね。」

隣にいたハルカも寂しそうな表情でそれに答えていた。

リリーは昨夜、

彼女の心の底に隠されていた感情を読み取ることが出来なかった為、少し負い目を感じていたので、

「・・・お前も、諦めずに復讐を続けるのか?」

出来れば自分の為に動くような事は止めて欲しい。

後で見たバライスの死体はガゼルの刀傷以上にハルカがやったという尋問の後が目立っていた。

彼女は家業が暗殺者なのでそれを止めろというのは難しいかもしれない。

だが戦い慣れしているリリーが目を背けたくなるような行動は控えてもらえればと願う。

ルーの為にも、そして本人の為にも。

「うん。私は暗闇夜天族の頭領だし、それに・・・それしか生きる方法を知らないから。」

寂しそうに小さな声で言ってくるハルカを無言で抱きしめるリリー。

「・・・あんまり私やルーを悲しませるなよ・・・」

「・・・・・うん。」

熱くも優しい抱擁に答えるハルカもリリーの腰に手を回して顔をうずめていた。

どこまで伝わったかはわからないが今出来る事を全てやりつくしたリリー。


これで少しでもハルカが思いとどまってくれたら・・・


しかしお互いの思考がずれていたやりとりで彼女の心を抑えられる事が出来るはずもなく、

最悪の事件はこの後『アデルハイド』で起こってしまう。

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