亡国の王子 -ヤミヲスベルモノ-

 亡命の一行が野宿の準備を終えて就寝するのを遠目で確認する者がいた。リリーとは別に遠くからの監視も含めて護衛の任に当たっている忍びである。

(ここまでは異常なし・・・)

『迷わせの森』を出て8日目。『シャリーゼ』への旅は特に問題なく進んでいた。

主の情報によるとクレイスの身柄を攫おうとしていた山賊がいたらしいが夜襲のあった明け方に手駒の1人を奴らの野営地に送ったと聞く。

壊滅か、それに近い戦果が確定しているのだとすれば短期間で集団を立ち直して襲ってくるとは考えにくい。

特に警戒すべき状況でもなかったのだが決して油断があった訳でもない。彼女は普段通りに一行を見守っていると、


「こんばんは~いいお天気ね?」


不意に声を掛けられたので素早く身をかがめて辺りを伺った。黒装束に身を包み木陰に位置取っていた自分を見つけ出したという時点で危機を感じる。

声の主が無邪気で可愛らしい女の子っぽさが残っているというのもまた不気味だ。


「貴女って王子達の護衛よね?彼ってどこに向かってるの?」


今度は先程よりも近い所から声を掛けてきた。

刹那、素早く前の木に飛び移り更に数本跨いで移動した後、大きな闇となっている部分に姿を隠す。

「逃げなくてもいいじゃない~折角遊びに来たんだから~」

耳元で囁かれ、力量差を感じた忍びは逃げる事を諦めると声の方に振り向き直刀を突き出した。

しかしそこには何もない。完全に遊ばれているようだ。

軽い絶望を味わった瞬間忍びが体を預けていた枝が斬り落とされた。足場を失いながらも体勢を整えて着地すると茂みに身を隠しながらまたその場を離れる。

「なんだ。生粋の忍びか。あんまり遊べそうにないな~。」

こちらの動きからそう判断したのだろう。相手の少し残念そうな声がまた耳元で聞こえてきた。

確かに時雨は忍びの訓練しか受けていない。多少戦う事は出来るがそれが目的で命令を受ける事は今までなかった。


「・・・・・貴様、何者だ?」


戦うのも逃げるのも難しいと判断した時雨は覚悟を決めると自らの声で相手に問いかける。更に右手を懐に入れると静かに癇癪玉を握りしめた。

「あら?珍しい~私と同じで女の子なんだ?」

(・・・上か?!)

少し遠い位置に移動したであろう相手の声に反応して上を見上げる。

するといつの間にか姿を現していた小さな少女が自身と似て非なる忍び装束に身を包み、枝の上から微笑みながらこちらを見下ろしていた。

「そうね。折角だし名乗ってあげるわ。私は『暗闇夜天』の頭領ハルカ。貴女も忍びなら目的はわかるでしょ?」

「『暗闇夜天』・・・?!」

辛うじて冷静さを保っていた時雨はその名を聞いて思わず動揺する。


それは自身の出身でもある東の国『モクトウ』に拠点を置く暗殺集団の名だ。

非常に練度が高く、どのような条件下でも完遂する至高の暗殺術は門外不出で一族だけが秘術を伝授されているという。

謎も多いが他を寄せ付けない強さから需要も高い。あらゆる国が彼らを囲おうと躍起になっている反面あらゆる国から忌諱される存在でもある。


相手の正体が判明すると迷わず右手を懐から引き抜いてそのまま手近な気にそれを投げつけた。


ぱんっ!!


短い炸裂音が静寂の中を駆け抜ける。これは現在王子の護衛を任されている友人に緊急事態を報せる合図だ。

相手が相手だけに戦いはおろか逃げる事すらままならない状況に時雨は死を覚悟する。

だがハルカという少女は一連の動きを楽しそうに眺めるだけで特にそれらを止めようとする気配はなかった。

「気が済んだ?それじゃまず貴女から始末・・・いや。遊びに付き合ってもらうわよ?」

余裕のある声でそう言い終わると木の上から幹を蹴ると一気に時雨の懐へ飛び込んできた。

あまりにも分かりやすい直線的な行動に一瞬あっけに取られるがそれならと、こちらも直刀を伸ばし迎撃体勢に入る。

何事も無く刺されば簡単なのだが暗殺集団の頭領がそんな易しい筈も無く、相手も腰から似たような直刀を抜いてお互いの刃が交じり合い火花が散る。

(回り込む?!)

先を読んだ時雨がすぐに直刀を退くと腰を落として後ろに回り込もうとするハルカを追うが、


ざしゅっ!!!


右の脇腹に斬撃が走った。わかっていても相手の速さに体がついていけないのだ。斬られた後の痛みが彼女の脳内に訴えてくる。逃げるべきだと。

「・・・へー。かなり上物の帷子つけてるじゃない。」

一足飛びで届く間合いを保ちながらハルカはこちらに視線を向けて感心している。

時雨も忍びとしては相当上位の術を身につけておりある程度の戦いもこなせはするのだが、

(・・・これほどに差があるのか・・・)

高名な暗殺集団『暗闇夜天』、その頭領との力量差は想像を超えていた。

「うんうん。まだまだやれそうね?久しぶりの実践だからね~ぎりぎりまで付き合ってもらうわよ~?」

雲の合間から漏れた月の光に浮かぶハルカの表情は無邪気に物をねだる少女そのものだ。

・・・これはこれで良いのかもしれないなと時雨は己の心に火を灯す。『暗闇夜天』の対象は間違いなくクレイス王子。

なのにこの子は目の前にいる時雨との戦いに興味を惹かれているらしい。ならばこれを利用してリリー達が逃げる時間を目一杯稼ごうと腹を括ったのだ。


わざとらしく懐にゆっくりと手を入れて今度は棒手裏剣を取り出すと更にわざとらしくハルカに見せつける。

駆け引きというには少し陳腐だがそれでも時間を稼ぐにはもってこいだ。ちらつかせはするもののすぐに投げつける事をせず時雨はひたすらにじりじりと横に移動を続ける。

「ふーん・・・そうきたか。それじゃ遠慮はいらないよね?」

だが幼いとはいえ彼女は頭領だ。時雨の狙いをすぐに見抜くと目にも止まらぬ速さで襲い掛かって来た。

それを先読みしていた時雨も同時に棒手裏剣を投げつけて回避させようと目論むのだがそれらは全て虚空に消えていった。


ざざざんっ!!!


気が付けば懐に入られており瞬く間に剣閃が4つ、時雨の体を斬り刻んでいる。しかしどれも致命傷ではない所をみるとこれがハルカからの答えなのだろう。

「・・・時間を稼ぐなんて甘い事考えてるとすぐに終わっちゃうよ?」

いつでも止めを刺せるという強迫、だが自身の欲求を満たしたいので本気で戦えと言ってくるのだ。

(とんだ我儘娘だな・・・!)

今度は目つぶしと撒菱を投げて何とか間合いを取ろうとするもハルカの高い身体能力はそれらが地に落ちる前に全て弾き飛ばして、


ぼぐぅっ!!


強烈な肘鉄が時雨の鳩尾に入る。一瞬で呼吸を奪われると同時に大きく吹っ飛んだ体は背後に生えていた木に背中から激しく衝突して地面に倒れ込む。

体中に震えが走りながら何とか起き上がろうとするも痛みからか恐怖かからか、力が全く入ってくれない。

「ほらほら。早く立って立って!貴女の力はこんなものじゃないでしょ!」

ぼやける視界には敵であるハルカが握りこぶしを作ってこちらを応援してくる姿を捉える。

(・・・確かにまだ自分は十分な時間を稼げてはいないな・・・)

外傷もまだ少なく浅いものが多い。相手が手を抜いてくれているのなら何とかそれを利用して立ち回ろう。

再び闘志に火をつけた時雨は直刀を拾って構え直すと同時に棒手裏剣を投げつける。いとも簡単に叩き落されるがその動きは読めていた。

時雨は刺し違える覚悟でハルカの懐に潜り込み何とか右手の直刀を刺し込もうと懸命に体を動かす。密着する程近ければいくら速く動けたとしても掠るくらいはと。

「いいわね!いい覚悟を感じたわ!!」


ばきばきぼきっ!!!


直刀を持っているにも関わらず拳と足で反撃を繰り出したのはまだ遊べると思っていたからか。

右の肩口と両太腿に過剰すぎる力の篭った攻撃を食らうとまるで糸の切れた人形のように体が砕けて沈んでいく。

骨も肉も破壊された今、時雨は立つ事も出来ない状態になったが心の中では満足感に満たされていた。

(・・・これで十分だろう。)

元々勝ち目が無い戦いだった。なのにこれだけの時間を稼げたのだ。自身の命は惜しいがこれも天命、主の為と思えば納得は行く。

「うーん。何か成し遂げた感のある顔。私も調子に乗り過ぎたかな。貴女お名前は?」

まだ自分に用事があるのか。見下ろした少女はこちらに尋ねてくるが、

「・・・私は忍びだ。名乗ると思うか?」

名前が漏れれば主や周りにいらぬ迷惑が掛かる。掟として散る時は極力そういったものを残さないのが鉄則なのだ。

「やれやれ。じゃあ名無しの忍びさん、折角だし王子の拉致は手伝ってね?」

ハルカがそう言うと同じ『暗闇夜天』の配下が姿を現した。






 ぱんっ!!


それほど大きくない破裂音だったが静寂に包まれた夜には十分すぎる程響いていた。

浅い眠りから覚めたリリーは飛び起きると横に置いていた桶の砂を焚火にかけて素早く鎮火する。

流れるように服を脱ぎ捨てて馬車の荷台に飛び乗るとがちゃがちゃと音を立て出す。1分後には桃色の鎧に身を包み、自身の背丈ほどの大剣を担いで出てきた。

「リリー?どしたの?」

ヴァッツも起きてその様子に目をぱちくりさせている。クレイスは彼に起こされたのか眠たそうに眼をこすっていた。

「敵襲です。お2人は馬車に隠れてて下さい。」

念の為に別の場所に逃げて貰ってもよかったがさっきの音は友人の信号だ。しかも最上級の危険を表すもの。

しかしリリーは下手に視界の悪い闇夜を2人の護衛対象と逃げるより自身がこの場で守り切った方が安全だろうという判断したのだ。

敵はこの地をすでに捕捉していると考えた方が良い。ならばと保護対象を馬車に乗せるとリリーは身を隠し周囲を警戒する。


警戒信号からしばらく経つと少し遠くの木の上が明るくなると、次の瞬間火矢がこちらに向かって飛んできた。

しかしリリーはすぐに動かない。慌てず更に周囲を警戒する。見れば別の方向からも3本、同じく火矢が飛んでくる。

全てを確認した彼女は紅い目を一瞬輝かせると大剣を手に迫ってくる火矢をその細腕と重厚そうな鎧からは想像もつかない速さで着弾順に落として回る。

それが終わるとまたも闇に身を隠して相手の出方を伺うリリー。


(・・・・・)


刹那、真後ろから直刀が突き出された。しかしその攻撃を躱しながら振り向きざまに大剣で横薙ぎを浴びせる。

相手の方が武器も武具も軽装な為、難なく躱されてもおかしくないはずだがリリーの速さは彼らを上回る。

胸元に大きな傷を負った黒装束の男は震えながら数歩下がり、そこで倒れると動かなくなった。


気が付けば周囲には同時に襲い掛かろうとしていたのか同じような衣装を身に纏った2人の男達が少し離れた場所で直刀を構えたままリリーを警戒していた。


(・・・時雨に似てるな?なんだこいつら?)


友人の姿を想起させる出で立ちに疑問も浮かぶが先程と同程度の相手ならこちらから斬り込んでも十分倒せるだろう。

しかし今は護衛が最優先だ。もし戦闘中に2人が襲われでもしたら目も当てられない。

馬車から離れないようにリリーも身を潜めつつ2人の様子と、他にいるかもしれない敵を警戒する。


「おー。なんだ。ここにもっと楽しそうな人いるじゃない♪」


随分嬉しそうに弾んだ少女の声が近づいてくる・・・実際背丈はかなり低いようだ。

「なんだてめぇは?」

おっと。つい昔の口調が出てしまい口元を押さえるリリー。これを直してと妹にいつも言われているのに・・・・・

修羅場での経験故、なかなか直らなくて本人も苦労しているのだが、

「怖っ?!・・・ふむ・・・上手く隠れてるわね。ちょっとどんな子なの?隠れてないで出て来てよ?」

暗闇に隠れたままのやり取りだった為リリーだけが相手の姿を捉えていた。月明かりで見えたのは間違いなく幼い少女だ。

頭とお腹に厳つい顔をした防具を付けてはいるが衣装は時雨のものに近い。やはり襲って来た者の仲間だろう。

こちらの場所こそ目星はついているのか視線を向けてきてはいるがその姿まではわからないらしい。

「断る。お前達が大人しく立ち去るって言うのなら見送りくらいはしてやるが、目的はクレイスだろ?」

「ご名答♪うーん。じゃあさっき手に入れた交渉材料をここで使っちゃおうかな?」

少女が軽く手を挙げると後方の森から男2人が何やら担いでこちらにやって来る。それは離れていても十分に理解出来た。

無造作に投げ落とされて小さくうめき声をあげていたのは時雨だ。手足を縛られて自由を奪われているだけではなく相当な傷も負っているらしい。

「これでどう?何なら王子と交換してくれてもいいのよ?」

髪の毛を掴んで頭を持ち上げながら首元には直刀を突き付ける少女。見た目とは裏腹に相当危険な人物のようだ。

しかし今のリリーにとってはそれはどうでもよく、彼女の目には酷い傷が多数見受けられる時雨の姿しか映っていなかった。その結果、


「てめぇ・・・あたしの友人に何してくれてんだごらぁ?!?!」


昔の口調で怒りを爆発させた途端周囲の男達はもちろん、危険だと思われた少女ですら引きつった表情でこちらに怯える様な視線を向けてきた。

「・・・・こ、こ、こ、こっわ?!あ、貴女女性でしょ?!どんだけ怖いの?!?!」

脅すつもりはなかったが相手はそれなりに萎縮してくれたらしい。しかし今のリリーにそんな事はどうでもよく時雨の身柄だけを考える。

「そいつを返せ。そうすればこれ以上怖い思いをしないで済むぞ?」

「いやいや。これは人質だから!貴女言葉遣いも言ってる事も無茶苦茶ね・・・」

妹ほどの年齢の少女に言われて気が付いた。確かにその通りだと。かといって納得できるかどうかは別だ。

「じゃあどうすればそいつを返してくれる?」

「決まってるじゃない。王子と交換よ。釣り合いが取れてるとは思えないけど貴女怖いし・・・」

「駄目だリリー・・・話を聞くな。お前は・・・王子を、護り抜け。」

苦しそうではあるが時雨の声が聞けた事で少し冷静さを取り戻したリリーはその言葉を聞いて余計に悩み出す。

確かに主から授かった命令は王子と孫の護衛だ。これを最優先に考えなければ従者として失格の烙印を押されるだろう。だが、

「・・・あたしにとってはお前も大事なんだ。おいいけ好かない少女。あたしと賭けをしないか?」

どうしても二者択一出来ないリリーは過去に何度か行った方法を提案してみた。

「私はハルカっていうの!で、一応聞いてあげる。何?」

呼び方が気に入らなかったのか、自分の名前を名乗りながらも話を聞いてはくれるらしい。

「簡単だよ。決闘だ。勝てば総取り。どうだ?」

これも相手の立場から考えれば考えるに値しない下策だったがハルカという少女にも事情がある。

「・・・いいわね。貴女口調はともかく中々面白い事考えるじゃない。乗ったわその話!」

リリーの提案に何故か目を輝かせて快諾してくれた。となれば自身のやる事も決まっている。

大切な友人を取り戻す為、クレイス達を護る為、そして妹ほどの少女にお灸を据える為に彼女はようやく物陰から姿を現した。






 『暗闇夜天』としての任務。これは大事だ。しかし彼女の幼い心には仕事を楽しみたいという気持ちもあった。

厳しい修行を通して身につけた戦う力、それに天性が備わっていた為ハルカの強さは既に先代先々代のそれをも上回っていた。

だが強すぎるあまり力で拮抗するような場面は今までなく、そしてこれからもそれを求めるのは難しいだろう。

なので今回のリリーという女性が提案した総取りの勝負、人質を持つ立場であってもこれを受けたのは楽しむ為だった。

(さて、どんな人なんだろう?あれだけ口汚いんだからきっと粗野で下品な・・・)

ゆっくりと姿を現した女性をわくわくしながら見ていたハルカは月明かりで全容が映ると言葉を失った。


長く美しい翡翠色の髪と切れ長の大きな紅い瞳を持つ、まるで絵画に描かれているような美人が姿を現したのだ。


「えっと・・・貴女誰?」

思わず確認を取ってしまうハルカに不機嫌そうな表情を浮かべながら、

「お前さっきから話してただろ・・・ああ。そっか、名乗ってはいなかったな。あたしはリリー。」

再度口を開いた事で同一人物だとは理解したものの想像とかけ離れすぎていて意識は別の方向に持っていかれる。

ただ手にしていた大剣だけは見過ごすことが出来なかった。かなりの大物を扱うという事は見た目よりも口調寄りの荒々しい戦いをするはずだ。

「え、えっと。それじゃあ確認ね?勝った方が全部を持っていける・・・でいい?」

人生で見た事が無いほどの美人を前にかつてない緊張を感じつつ再確認をするとリリーも問題ないと同意してくる。

(う、うーん・・・ど、どうしよう・・・こんな人を傷つけてもいいのかな?何だか勿体ないな・・・)

ハルカは戦いたい気持ちとは別に余計な事を考え出した。これにはしっかり答えを出しておかないと勝負に集中出来ないからだ。

「おい。早く構えろよ。始めちまうぞ?」

相変わらず男勝りという表現では収まらない口汚さだが手でそれを制しながら試行錯誤する。そしてぱぁっと光明がさした瞬間、


「待って!そうだ!総取りって言ってたわよね?!じゃあ私が勝ったら貴女、私のお姉さまになってくれる?!」


見事な答えにたどり着いたハルカは喜んで提案した。そうだ。この勝負は総取りだとリリー側から言って来たのだ。ならばこの程度の要求軽く受けてくれるだろう。

「・・・構わねぇぜ。ただしあたしが勝ったらお前を妹にして厳しく教育し直してやる。いいな?!」

しかしリリーは少し困惑した後ニヤリと口元を歪ませると同じような条件を付け返してきた。彼女にもハルカに何か思う所があるらしい。

(何それ?!どっちに転んでも得しかないじゃない?!?!)

やり取りが済んだ瞬間ハルカの闘気は全開で放たれると直刀を抜いて一気に斬りかかった。

お互いがまだどれほどの力量かはわかっていないが、少なくともリリーは頑強そうな桃色の鎧に身を包んでいる。ならば遠慮なくいこう。


がんっ!!


腹部に目掛けて放った直刀は大剣によって阻まれる。大物なだけあってしっかり対応出来れば相当厄介だが弱点もその重量だ。

細身のリリーではすぐに次の動きに反応出来ないだろうとそのまま追撃に入ったハルカだったが、どうやら彼女を甘く見すぎていたらしい。


ばばばんっ!!ぶぅぅぉぉおおんっ!!!


角度を変えて蹴りと突きを2発ほど繰り出したのだが紅い目を光らせたリリーはそれらにも難なく対応するだけではなく反撃も挟んできたのだ。

多少の防具を身に付けているとはいえあれを食らえば無傷では済まない。ハルカは全力で身を翻して距離を取るとまた仕切りなおす。

そして今度はリリーから踏み込んできた。重装備なのに一瞬で懐に入られたハルカはより彼女への警戒度を上げるものの、


ぶぅぉっぶぉっぶぶぅぉおっ!!!


自身の扱う直刀のように軽々と大剣を振り回してくるので驚きながらかわす事に専念する。更に、


ばきんっ!!


自身と同じように手足すら使って攻撃をする姿には大いに驚く。普通鎧に身を包んだ人間は蹴りなど放たないのだが。

手甲で受けはしたもののその力は相当なもので軽く5間(約9m)は吹き飛ばされるハルカ。体を回転させながら着地するも両腕には痺れが残ったままだ。

(この人・・・戦い慣れてる・・・)

先回りして着地点に移動していたリリーは休ませる隙も与えず追撃を繰り出した。油断があったのは間違いないがそれにしても強い。

その強さを再確認したハルカは手心を加える事を諦めると闘気から暗殺者の殺気へと切り替えて目を薄く鋭いものに変えていく。


ぎゃりりっ!!


大振りになった所を狙って直刀を殺す勢いで叩き込むと桃色の鎧に大きな傷跡が走った。恐らく彼女はこの程度では止まらないだろう。

久しぶりに本気で戦える相手に出会えた喜びなどを感じる事はなく、任務遂行へと意識を戻したハルカの攻撃からは情けが一切無くなっていく。

紅く美しい瞳と流れる翡翠の髪を持つ少女相手に『暗闇夜天』の本気をぶつけ始めた時、遂に拮抗していた勝負も終わりへと向かっていった。






 リリーはただの戦士ではない。『緑紅の民』と呼ばれる少数民族の末裔なのだ。

彼女達は皆美しい翡翠色の髪と紅い目をしており、それぞれが様々な力を持っている。彼女の場合は瞬発力だった。

普段は見た目通りの力しか出せないが異能の力を解放した時だけ、大剣ですら髪の毛程度の重さで振るう事が出来るようになる。

それだけ聞けば相当強い力だと思われがちだがこれには大いなる欠点も存在した。時間だ。

これも各々の能力や個性で多少変わってくるのだが彼女の場合およそ5分でその開放時間は限界に達する。


ばきんっ!!ばきんっ!!ばきばききっ!!!


突如動きに乱れが生じたと思ったらハルカの容赦ない攻撃が連続でリリーの体を襲う。手にしていた大剣は簡単に地に落ちると、


どごぉんんっ!!


頑強な桃色の鎧が大きくへこむほどの肘鉄が入って彼女の体が後方に転がっていく。

(そ、そんな・・・)

馬車の中で隠れながら成り行きを見守っていたクレイスはその光景を目の当たりにして恐怖に震えていた。

最初はとても良い戦いだった。彼自身戦いの知識は無かったが、大きな剣をもったリリーのほうが絶対に強いだろうと確信していたのだ。

なのにいきなり流れが変わったと思ったら後は一方的な展開になってしまった。それが何故かは知る由もなく、今はただ自分の身を狙っているであろう敵の強さにただ怯えるしかなかった。

隣にいたヴァッツの腕にしがみつくも彼も恐怖からか一言も話さずじっと2人の戦いを見据えているようだ。

どうしよう?あの従者が戦っている間に逃げるべきだろうか?『迷わせの森』の時みたいに・・・


「お姉さま油断したの?いきなり動きが鈍くなったんだけど?もう降参って事でいいかしら?」


恐ろしい暗殺者の少女は据わった目つきでリリーを見下ろしていた。だが彼女はまだ諦めてはいないらしく体を震えさせながら起こして紅い瞳で睨み付けている。

「・・・ま、まだだ。あたしはまだ、戦えるぞ?」

「そう。」


ばごんっ!!ごっ!!ごきっ!!ばきゃっ!!


武器も落としてしまい、満身創痍であろうリリーに容赦なく攻撃を重ね続けるハルカという少女。生まれて初めて目の当たりにする本物の暴力に気を失いそうになるクレイス。

そこまでしなくてもいいはずだ。もう決着はついているじゃないか。なのに何故・・・

一定の攻撃を与え続けた後力なく崩れ落ちる彼女をじっと見下ろしたままハルカは再度尋ねる。

「降参?するわよね?」

既に言葉すら返すのも難しい程の傷を負っているのだろう。しかしリリーは震えながら体を起こそうとしてくる。何がそこまで彼女を奮え立たせるのか。

彼女は自分達の護衛を任されているのだ。そして人質らしい人はリリーの友人だと話していたのは聞いている。

しかしそれらは自分の命を賭けてまで護り通すべきものなのだろうか?自分が死んでしまえば元も子もないのでは?


クレイスにはわからなかった。甘い世界でぬるま湯のような日々を過ごしていた今のクレイスには。


リリーからの返事はない。しかし立ち上がろうとするその行動から未だ反抗心は折れていないと判断されたのだろう。

ハルカが更なる攻撃を放とうとした瞬間。




彼女の暴拳はリリーの体に当たる寸前の所で止まっていた。




ほぼ無抵抗の少女を一方的に痛めつけていたのだ。流石に良心の呵責に耐えかねたのだろうか?

馬車からは少し離れた場所での戦いだった為、彼女達の表情はよくわからないがとにかくこれ以上リリーが暴行を加えられる事はなさそうだ。

と、いつのまにか彼女達の間にヴァッツが立っている。本当にいつの間にかだった。

気が付けば先程まで隣にいた彼の腕を掴んでいたはずなのにそれがなくなっていた。一体どうやってあそこまで行ったんだ?

「・・・・・貴方は、クレイス王子じゃないわよね?誰?」

「オレはヴァッツ。お前さ、何でリリーの事いじめるの?」

ハルカがヴァッツと会話を始めたようだが、ヴァッツの方は後ろ姿しか見えておらずどんな表情で何を喋っているのかまでは聞き取れない。

「いじめてないわ。これは勝負よ。お互い色々大切なものが賭かってるの。邪魔しないでもらえる?」

「そうなんだ。大切なもの・・・ね。どうしよう『ヤミヲ』。オレどうすればいいのかな・・・?」

ただヴァッツは何やら機嫌が悪そうだ。一緒に旅をして間もないが彼が怒る姿など想像もしていなかったのでより明らかに怒っているのが離れていても伝わってくる。

そしてハルカという少女、いつまで拳を突きつけたままの状態でいるつもりだろう?

もう攻撃を当てる気がないのなら引っ込めればいいのに。何も知らないクレイスは馬車の中でそんな事を考えていたのだが。



【小娘よ。ヴァッツはこう言いたいのだ。私の大切な仲間を傷つけるな、と。】



突然地の底から響いてくるような暗く深い声がした。聞き覚えのあったクレイスはあの時の光景と共にそれを思い出す。

詳しくは教えてもらえなかったが確かヴァッツは『ヤミヲ』と言っていたような・・・

するとヴァッツが突然ハルカの鉢金をおもむろに掴むとそれがゆっくりと握り潰し始めた。


ぎゅにゅぃ~ぎぎぃ~・・・


鬼を象ったそれは妙な異音と共に液状化しながらぽたりぽたりと溶けつつ形が無くなっていく。

発熱して赤くなっている金属を手で握っててヴァッツは大丈夫なのだろうか?と見てて心配になるクレイス。いや、それよりも彼も殴られないかの心配をしたほうがいいのか?



【そして慈悲深い私はお前に選ばせてやろう。今後ヴァッツの仲間に手を出さないと誓うか、何の抵抗も出来ずにこのまま死ぬか。さぁどちらだ?】



???

傍観者のクレイスには一切わからない。一体何がどうなっているんだろう?見ればハルカの腰にあった防具もヴァッツが握りつぶして形がなくなっている。

何の抵抗も出来ずに・・・あのハルカという少女は何か抵抗出来ない状態なのだろうか?見たところ縛り付けられている訳でもなく動こうと思えば自由に動けそうなものだが腕は突き出したままだ。

ただならぬ雰囲気だけは感じていたクレイスがしばらくそれを黙って眺めているとハルカの足元から何やら黒い煙?靄だろうか?

ゆっくりと彼女の足から這い上がってきてそれが腰の辺りにまて届くと今度はハルカの体がどんどんと地面に引きずり込まれていく。まるで底なし沼に沈んでいくような光景だが彼女は相変わらず身動き一つせずに表情だけは恐怖で涙を浮かべていた。

やがて全身が沈み終えて完全に脅威は去ったのか。何事もなかったかのようにヴァッツが動き出すと、

「クレイス!!怪我の手当てをしたいんだけど手伝ってくれる?!」

名前を呼ばれたので慌てて馬車の中の包帯やら手ぬぐいを用意すると周囲を見回しながら彼らの下に走っていった。






 縛られていた忍びも焚火の傍に運んできたヴァッツ。リリーは重厚な鎧がボロボロになっていたので脱がせたかったが外し方がわからず、


べきっ、ぶちちっ、がしゃがしゃん。


これもヴァッツがいとも簡単にはがしてくれた。『迷わせの森』で出会った時から思っていたがどうも彼は相当な力持ちのようだ。

再び火を熾して2人の手当てをすると今まで外套を深く被っていた従者が思っていた以上に若く美しい女性だと初めて知って驚いた。

忍びの方も美しく長い黒髪をもつ女性だったがどうも彼女はリリーの友人らしい。ただこちらは軽装の為か刀傷があちこちに見られた。

「あ、あの・・・私達、自分で出来ますから・・・な?」

「駄目!」

比較的怪我がマシだったリリーが照れくさそうに断るもヴァッツは強く跳ねのける。仕方がなく2人は成すがままに身を任せていると、

「ヴァッツ様。先程の暗殺者はかなりの腕前でした。あれは処分されたのでしょうか?」

手当てを終えた忍びが皆の気になっていた点を尋ね出す。あの時遠くにいたクレイスと忍びはよくわからなかった。

ハルカと呼ばれていた少女が地面に沈んでいったのを目の当たりにはしていたのだがそれがどういった理屈なのかは皆目見当がついていない。

「ああ。えっとね。『ヤミヲ』と相談して家に帰ってもらったの。」

「「???」」

『ヤミヲ』というのは『迷わせの森』にあった亀裂の中で聞いた名だ。地の底から響いてくるような暗く深い声がおそらくそれなのだろうが。

「・・・つまりあいつを殺してはいない、という事ですね?」

今度はリリーが尋ねるとヴァッツは軽く頷いて答える。それを聞いて何故か彼女は少しほっとしていたようだ。

「え、えっと、もう僕達安全、なんですよ、ね?」

彼女達の会話がよくわからないのでクレイスは一番欲しい答えを求めて誰にでもなく尋ねる。狙われていたのは自分自身なのだ。

護衛であったリリーも怪我を負っているし忍びは歩く事すら難しい。こんな所にまた先程のような奴らが現れたらもう抵抗の仕様が無いだろう。



【案ずるな。奴らに襲われる事はもう二度とない。】



突然先程聞こえてた声が周囲に木霊すると3人は慌てて身構える。だがヴァッツだけは笑顔で軽く頷くのだった。








 突然リリーの動きが極端に遅くなった。その時はただ大きな隙が出来たとしか感じていなかったハルカはありったけの攻撃を打ち込む。


ばきんっ!!ばきんっ!!ばきばききっ!!!


防御すらまともに取れてなかったリリーは鎧の上からとはいえ『暗闇夜天』の攻撃をいくつも受けた結果当然のように地面に沈んでいく。

最初こそ余裕があったハルカだが相手が想像以上に強い為途中からは冷酷な暗殺者として動いていた。

今もやっと優劣に決着が着いたのだがリリーという少女は負けを認めそうにない。


ばごんっ!!ごっ!!ごきっ!!ばきゃっ!!


殺す必要はない。何せ総取りの枠内にいる人物だ。必ず手に入れて自分好みの姉に仕立て上げてみせるという下心は確かに存在していた。

しかしそれ以上にハルカは『暗闇夜天』の頭領であり暗殺者の最上位なのだ。無意識に彼女を殴り蹴り続ける体にも力が入る。

相手がこのまま意地を張れば取り返しのつかない事になりかねない。そして暗殺者としての心はそうするべきだとも自分に告げる。

一向に折れることのないリリー。僅かに残っていた総取りの話はハルカの頭から離れてついに絶命へと追い込む一撃を放った。



(・・・・・あれ?)



いつまでたってもそれが彼女の体に届く事はなく自分の拳は彼女の胸の前で止まってしまっていた。

リリーの命を奪う事を心が無意識に拒絶したのか?いや、自分はそんな甘い環境で育ってはいない。任務の為なら例え仲の良い人物にでも手をかけるだろう。

そこに意識を集中していたからか。気が付けば蒼髪の少年がリリーとハルカの間に割り込むような形で立っている。

『暗闇夜天』の頭領として気配を感じさせずここまで接近を許すとは・・・自分の中の葛藤が余計な雑念を生んでしまった故か?

「・・・・・貴方は、クレイス王子じゃないわよね?誰?」

「オレはヴァッツ。お前さ、何でリリーの事いじめるの?」

確かに旅は3人だと聞いていた。ならばこの少年は小間使いといったところか?それにしてはやけに堂々としている。

ここまでの戦いを少しでも目の当たりにしていたら普通は隠れたまま怯えていそうだが。

「いじめてないわ。これは勝負よ。お互い色々大切なものが賭かってるの。邪魔しないでもらえる?」

「そうなんだ。大切なもの・・・ね。どうしよう『ヤミヲ』。オレどうすればいいのかな・・・?」

訳の分からない事を言い出したので邪魔されないようどこかに吹き飛ばしておこうと考えたハルカ。しかし相変わらず体が動いてくれない。



【小娘よ。ヴァッツはこう言いたいのだ。私の大切な仲間を傷つけるな、と。】



突然地の底から響いてくるような暗く深い声がした。まさか他にも仲間がいたのか?!慌てて周囲を探ろうとするも・・・

(・・・何これ?!どうなってるの?!)

ハルカの中でこの勝負は私の勝利でありこれ以上彼女を痛めつける必要はないと判断した為、既にリリーの事など頭になかった。

だが今は別の脅威にさらされている。未だに動かない体は自分の葛藤など全く関係ない。これは明らかに外部からの攻撃を受けているのだとやっと気が付く。

するとヴァッツが突然ハルカの鉢金をおもむろに掴んでそれがゆっくりと握り潰し始めた。

(嘘・・・でしょ?)

彼女が身につけている装具は『暗闇夜天』一族に代々伝わる秘伝の業物ばかりだ。特に合金を使用した防具は比類するものがない程固く頑丈な金属だった。


ぎゅにゅぃ~ぎぎぃ~・・・


鬼を象ったそれは妙な異音と共に液状化しながらぽたりぽたりと溶けつつ形が無くなっていく。

発熱して赤くなっている金属を手で握っていても尚平然な顔をしているヴァッツという少年は一体何者なのだ?

恐怖のせいか体の自由が利かないせいか、言葉を忘れて今の状況に恐怖を覚え始めるハルカ。今あの手でどこかを触れられたら跡形もなく握りつぶされるだろう。



【そして慈悲深い私はお前に選ばせてやろう。今後ヴァッツの仲間に手を出さないと誓うか、何の抵抗も出来ずにこのまま死ぬか。さぁどちらだ?】



見れば月明かりに照らされた彼の顔、その右側にある眼球からは黒い炎か靄のようなものがゆらゆらと溢れ出ている。

知識では知っている。世の中には異能と呼ばれる力を持つ者が存在するのを。しかしここまで面妖なものは聞いた事が無い。

(動けな、いなんて・・・そんな事が・・・)

もしこれが彼の意志で行われているのだとすれば術を受けた側は俎板の鯉より酷い状態だ。煮る焼く以上の辱めや苦痛を一方的に受けねばならぬのだから。

しかし焦るハルカを他所に今度はゆっくりと腰に手を伸ばしてくると銅鎧もみるみるうちに形を変えて跡形もなく消えていった。



【次は・・・わかるな?】



声は静かに語り掛ける。次はないのだ。合金を溶かした手が溶ける事はなく、今はそれが腹部に押し当てられそうになっている。

最上位の暗殺者は苦痛に耐える修行も積んでいるので死ぬ手前までは抗うだろう。しかしそれは可能性があればの話だった。

現在何か物に縛られている訳でもなく体中の自由は奪われており、声すらまともに出てこない。そして目の前では尋常ではない破壊を見せつけられている。

(え、選ばなきゃ・・・選ぶ・・・逃げるの、を?私は『暗闇夜天』の頭領よ?!そんなの、・・・)


だからこそ彼女は感じ取る。


目の前の少年は例え万全であっても勝てる相手ではないと。天性が本能に訴えてくるのだ。


いつの間にか自身の身体がゆっくりと地面に沈んでいく。もう何が起こっているのか考えるのすら怖い。このまま生き埋めということなのか?

「わ、わかり、まし、た・・・もう、手を出しません!」

涙目になりながらもやっと小声で言葉を発する事が出来たハルカ。しかし許されなかったらしい。沈む体は浮上する事無く暗闇に消えていった。






 「はっ?!?!?!?」

いきなり視界が開けると自由が戻った体と声を確かめるハルカ。あの少年による呪縛は解き放たれたらしい。

更に周囲は見慣れた光景だ。そう、ここは・・・

「こ、ここは・・・クンシェオルト様の御屋敷ですな。」

いつの間にか付き従わせていた配下3名も傍にいる。様々な可能性が浮かぶもその全てがあまりにも現実とかけ離れすぎていた。

分かっている事といえばここからクレイス王子が野宿をしていた場所まで急いでも三日はかかる距離があるという事だ。

色々と理解は追いつかないがハルカは初めて受けた屈辱と死の恐怖に怒りと悔しさだけはどうにも収まらない。

無言のまま屋敷の正面玄関に向かってそのまま激しく扉を開けると無遠慮にずかずかと中へ入っていく。時間も遅くその無作法っぷりに執事や召使いが驚いているがそんな事はどうでもいい。

「クンシェオルト様!!クンシェオルト様はここにいる?!」

とりあえずここが本当に彼の屋敷なのか。まずはそれを確認しようと怒りながらハルカは彼を呼ぶ。

「ハルカ?お前は今クレイス王子の拉致に向かっていたのでは?」

彼女の切羽詰った声にいち早く反応して姿を現すクンシェオルト。彼が本物ならここは間違いなく『ネ=ウィン』なのだろう。

それよりも彼は普段と違う微妙な表情を浮かべている。

「ハルカ様。とりあえずこれを。」

その理由かわかる前に執事が静かに大きめの外套を掛けてくれた。しかし自分は怪我を負ったわけでもなく寒くもない。

これの意味する所とは・・・


「その乱れた格好で戻ってきたのか?にしては出立した日数から考えても速すぎるし。一体何があったんだ?」


乱れた格好?言われて初めて自分の衣服を見直すと腰鎧が帯紐ごと引きちぎられていたので前が見事に肌蹴ていた。

「ハルカちゃん・・・まさかお兄様に夜這いを?」

妹のメイも騒ぎに駆けつけてきてこちらの格好から何故かそんな発想にいってしまったらしい。

「そんな訳ないでしょ?!」

顔を真っ赤にしながら慌てて衣服を整えると気恥ずかしくて言葉が出てこなくなってしまった。どちらにしても任務は失敗だ。

配下と共に急ぎ足で屋敷から立ち去るハルカは外に出る前に振り返ると、

「明日!任務について全部説明するからクンシェオルト様も一緒に来て!!」

一方的に言い放つと逃げるように姿を消した。




翌朝早速ハルカは登城すると皇子に昨日の報告を始める。

「クレイス王子と一緒に旅をしている3人目の男の子。あれはおかしいわ。勝てる勝てないじゃなくて戦いにならないの。」

クンシェオルトも言われた通り顔を出してくれていたので昨夜彼の屋敷に戻された事も証言してもらう。

言葉にするとあっけないが体の自由が奪われて馬鹿力を目の前でちらつかされれば誰でも勝負にならないだろう。簡単に説明が終わると4将が性格通りの反応を示し始めた。

「お前の細っこい体じゃあ無理だ!よし!今度は俺が出向くか!!」

フランドルはつるつる頭を光らせてやる気を漲らせているがこの男には自身が受けた恐怖が全く伝わっていなかったらしい。

「・・・目的はクレイス王子の身柄であり、それを使って『アデルハイド』に交渉する。お前はもう少しだけ頭を使え。」

バルバロッサも訂正してはいるものの3人目の少年が持つ強さについては半信半疑といった様子か。

ビアードはこういった場合皇子から意見を求められない限り口を開く事はなく側近として傍に待機したままだ。

「ふむ。『暗闇夜天』の力を疑うつもりもないが少し話が大きすぎるな。どう思う?」

「はっ。ハルカの強さは私も存じ上げておりますし彼女の性格上言い訳のようにも聞こえません。その少年、何かしらの力を持っているのは間違いないかと。」

しかしそんな彼が一番理解を示すような発言をしてくれたので思わず目を輝かせて口ひげの中年に目をやるハルカ。

ただ、この報告があったからといって『暗闇夜天』としての仕事が失敗した事には変わりない。これは別の形で何か挽回せねば・・・

「ならば後を付いて行き隙を見て王子を攫う、という方向で引き続き・・・」

「お断りします!!」

挽回はしたい。だがもうあの少年には近づくのも御免だ。そんな気持ちが強く前面に出るとハルカはナルサスが言い切る前に拒絶する。

その必死さが顔にも出ていたのか4将を含めた全員がこちらに驚いていたが今度あれと対峙したら本当に何をされるかわからないのだから。

少し気まずい沈黙の後、ナルサスは短いため息をついて『ネ=ウィン』の最大武力に声を掛けた。

「わかった。では奴らの位置だけは調べておいてくれ。その少年はクンシェオルト、お前に任せよう。」

「・・・・・私は名もなき少年と剣を交えるつもりはありません。それでもよろしいでしょうか?」

見ればクンシェオルトは隠すことなく非常に嫌そうな顔をしている。どれだけ強いかはわからないが誇り高き4将筆頭が少年相手に行動を起こすというのが不服なのだろう。

「構わん。何か感じる事があればそれを報告するだけでいい。ハルカも一緒にな。依頼はともかくそのヴァッツという者を知っているのはお前だけだ。せめてその正体を確かめる協力くらいはしてもらうぞ?」

「ぇぇ~・・・は~ぃ。」

同じように嫌そうに表情を作ったハルカは落ち込んだ声で返事をした。

しかし今回は4将筆頭のクンシェオルトがついているしハルカ自身はもう敵対行動を取る事はないだろう。

そう考えると少しだけ心も軽くなり、ヴァッツの力について調べるだけ調べてみようと意気込みを新たにするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る