第五幕 21話 灰の美姫



 気圧された。ニーレだけでなく皆が。

 今までもっと多くの敵と対してきたのに。


 もっと絶望的な状況もあった。戦いの中で整列など精神をおかしくしたような部隊だと思えるのに、その存在感が不気味に重い。




「我らを相手に敗れることを誉れに――」

「愚物が、喜劇の役とも知らずによく囀りますね」


 存在感が、静かで不気味だということなら、負けてはいないか。


「首を揃えて討たれる為に海を渡るとは感心ですが」


 最近は凄みも増した。



「ほう」


 進み出た灰色の少女に、ベラスケスが声を漏らす。後ろの部下も似たようなもの。

 トワは美しい。先ほどの名乗りに対して進み出たトワの姿に、敵も即座に攻撃はしなかった。


「影陋族には見えんな。娘、貴様も氷乙女とやらか」

「氷乙女。絶防のオルガーラを従える私ですから、そうですね。そういうことでもいいでしょう」

「トワ」

「ルゥナ様」


 冷たい視線を、列を作る菫獅子騎士団に向けたまま軽く頷く。



「いずれ殺す敵です。それが今になっただけ」

「……その通りです、トワ」


 ルゥナの怯んだ心を結び直した。

 トワの考え方には色々と歪みはあるけれど、ルゥナのことを一番よく見ているのも間違いない。

 自分の見掛けを利用して敵の目を引く仕種も、見ている者の心理的影響も彼女なりに考えてやっている。




 悪い子だ。素直な善い子などとはニーレも思っていない。

 それも必要。

 正面から勝てない敵なのだから、当然。


「せめてこれを差し上げましょう」


 ふわりと投げた。トワの美しさに息を飲む敵の頭上に。


 とげとげの詰まった実。ちょうど秋口だからそこらにたくさん落ちている。

 少しの衝撃で爆ぜて返し棘のついた種を撒き散らす雑草。



「防げ!」


 一斉に盾を構えるが、本当に小さな棘の種だ。撒き散らされては盾で防げるようなものではない。

 風に乗り、弾けたごく小さな棘のついた種が降り注ぐ。舞い散る。


 上に注意が向いた次の瞬間。


膚醜ふにく瘢瘍はんようより――」

「やらせるか!」


 トワの詠唱に対して、最初に指揮を執っていた男が踏み込んだ。

 凄まじい速度で。



「トワさまにぃ」

「トワには」


 それと呼吸をずらして、ベラスケスも仕掛ける。

 どちらの踏み込みも凄まじい。詠唱の途中のトワに対応できるものではないが。


「触んな!」

「近づかせません!」

「っとに」


 ルゥナとオルガーラがそれぞれ防いだが、敵もわかっている。

 間隙を突こうとした別の騎士から投擲槍が投げられる前に、ニーレの矢がその腕を貫いた。



「人それ全て拒み拒まれるゆえにそこ見えざる壁の守護あれ」

「――蝕め屠膿とうみ蟲斂ちれん


 トワの放つ魔法に向けて、りんと音を立て見えない壁が立つ。


 人間の使う防護魔法。あれの理屈はよくわからない。

 かなりの攻撃でも防ぐことが出来るけれど、使える者が非常に少ないというくらいしか。



「全軍、突撃!」


 オルガーラの盾と押し合うベラスケスが号令を出した。


「蛮族共を打ち倒せ! その灰色の娘は出来れば団長に――」

「なるほど」


 指揮官の命令に従おうとした敵兵に向けて、トワが軽く首を上下する。



「攻撃的なものでなければ防げないのですね。それは」


 薄く色づいた唇から息を漏らした。


「愛や慈しみは拒めない」

「うあぁぁっ!?」」


 叫び声を上げたのはニーレに腕を貫かれた騎士だった。



 苦痛による悲鳴、ではない。

 氷の矢を抜き、近くにいた何者かが治癒魔法を使おうと駆け寄ったところで。

 黒い膿が広がった。


「な、なんだ!?」

「お前っ! お前の顔にも出てる! 出てる!」

「うをあぁぁっ!?」



 トワの使う特殊な治癒魔法だ。

 傷口に血を止め化膿を防ぐ虫を発生させて癒す。見た目が不気味過ぎる。


「呪いか!」

「馬鹿な、影陋族が呪術など」

「ちぃっ」


 先ほどの小さな棘で頬についた見えないほどのかすり傷にも、黒いものが浮き上がる。案外、あの種にも先に何か仕掛けていたか。


 腕を貫かれた男が狂乱する。他の者の黒ずみは少ないのだが、払い落とそうと自らの爪で肌を掻きさらに広がった。


「静まれ! 落ち着け!」


 ベラスケスが怒号を発しながら下がり、腕を掻きむしる騎士のそれを腰の剣で切り落とした。


「くだらんまやかしだ! 何事でもない!」




「オルガーラ、下がります」

「はぁ?」

「ルゥナ様に従いなさい、オルガーラ」


 敵の混乱に乗じて攻めることは選ばない。


「すぐ後続が来ます。橋まで戻って迎え撃ちます」

「ああ」


 ルゥナの指示に頷きながら矢を放った。

 細かい矢を無数に。


「くっ」

「目がぁ!」


 ニーレを睨んだベラスケスにオルガーラが牽制の視線を向け、そして下がる。



 敵の統率も練度も極めて高い。この少数で相手が出来るほど甘くなかった。

 海を渡って来た敵という衝撃も小さくはない。


 トワが作ってくれた隙に、一度態勢を立て直す。

 わずかな時間で取り戻すには難しいかもしれない。


 なぜ、どうして。こうも世界は清廊族に優しくないのだろうか。

 ニーレの胸中にやりようのない思いが込み上げた。


 人間どもが崇める女神とやらに会えるのなら、唾を吐き文句を言ってやりたいところだと。



  ※   ※   ※ 



 不気味な少女だった。

 存在感が重い。思わず目を離せなくなるほど。


 最初からいたはずだが、その時はまるで気にならなかった。気配を消していたのか、喋らない時はひどく希薄な存在感。


 トワと呼ばれていた少女は、清廊族の中でも特殊な力を有しているらしい。

 指揮官ではなさそうだったが重要な役割。

 祭司の巫女のようなものなのか。



 攻撃であれば防げたはず。

 守護の魔法が反応せず防げなかったのだとすれば、攻撃ではない。


 とはいえ、肌に黒ずみが噴き出して蠢いたりすれば誰でも狼狽して当然だ。

 得体のしれない攻撃を受けたと取り乱した部下を責めるつもりはない。



「誰か、癒してやれ」


 切り落とした腕を指して剣を収める。

 しばらく戦えなくなってしまうが、全体の混乱を沈める為にあえて部下の腕を切り落とした。


「すみません、ベラスケス様」

「本隊ももう来るだろう。隊を整え追う。重傷者は後詰と合流しろ」


 先陣部隊を率いていた部下に頷き、影陋族が逃げて行った方向に目を向ける。



「……」

「将軍?」

「……なんだ?」

「いえ、笑っておられたので……何か」


 接敵し部下に死傷者が出た。そして混乱している間に逃げられたというのに。

 笑っていたかと口元に触れ、改めて笑う。



「見たか、あれを」


 どれのことかとは言わない。この先陣部隊の隊長も勇者級の使い手だが、彼も攻撃を防がれていた。


「まさか自分と将軍のどちらも防ぐとは、中々侮れないかと……」

「……」

「灰色の娘、ですか。トワとか」

「そうだ」


 戦力的なことではない。ここまで戦乱を起こしてきたのだから相応の実力者がいるのはわかっている。

 数は少ない。それは致命的に。


「美しい娘でした」

「まさに、影陋族の美姫といったところだな」


 数名には首に傷痕があった。呪枷の跡だろうが、トワにはそれもなかった。



「天然ものの、最高級の影陋族の美姫。ニコディオ様に良いみやげになる」

「……生かして捕えよ、と?」

「この一年、閣下の御心は決して満ち足りていなかった」


 傍に仕えていた六将や参謀長のクィンテーロはよく知っている。率直に言えば機嫌が悪かった。


 使いに出したニコディオの近習キフータスが戻らない。

 手元にある影陋族の奴隷に飽いて、新たに求めに行かせたニコディオの個人的な臣下がいつまで経っても。


 最後に届いた手紙には、珍しい見掛けの影陋族を見つけたが、襲撃を受けて逃げられたのだと。

 影陋族による反攻、襲撃。その異常事態について言い訳のような言葉もあったと言う。



 キフータスの手紙の他にもちらほら、今まで聞いたことのないような噂もあった。

 普段なら聞き流しただろう小さな出来事。与太話。

 だがキフータスの手紙の通り、何か異様なことが起きているのかもしれない。


 影陋族のことを別としても、新大陸に関しては興味も関心もある。

 直感も働いたのだろう。ニコディオは海を渡る準備を整え、そして時を得た。




「あの娘を捕らえ、閣下にお届けすれば」


 今は戦況がうまく運んでいて主人の機嫌は悪くない。

 しかし影陋族の奴隷については、ニコディオを満足させるだけのものがなかった。

 美術品を集める趣味のようなものだ。権威もあり贅にも不自由しない侯爵の数少ない愉しみなのに。


「あれだけの器量。さぞ喜んでいただけよう」

「間違いありません。第一功かと」


 主人ラドバーグ候ニコディオに追い風が吹くように、ホセ・ベラスケスにも同じ風が。



「他の連中もなかなかのものだった。出来れば生かして捕えたいところだな」

「さすがに……」

「わかっている。欲張れば足元を掬われよう」


 生かして捕えようとすればこちらとて危うい。

 部下に犠牲を強いてまで、ということもないだろう。


「あのトワという娘だけでよい。他は出来れば、だ」

「わかりました」


 案外、北部の影陋族にはまだ見ぬ美しい見掛けのものもいるのかもしれない。

 主君の強運を思えばそれも有り得るか。


「態勢が整い次第追うぞ。この先の川で待ち伏せているだろうが」

「はっ」


 奇襲部隊以外に本隊がいるとして、こちらと同数以上にいることはあるまい。

 ならば怖れることもない。


 敵の戦意は決して高くなかった。敗戦後の軍が力を存分に発揮できないことが多いのは、ベラスケスを始め菫獅子騎士団はよく知っていた。



  ※   ※   ※ 

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