第二幕 035話 悔いを託す



 リィラは悔しい。

 メメトハと共に戦う身でありながら、ほとんど助けになれていない。

 押し寄せる魔物をいくらか倒したものの、その数は余所者の方が多かった。


 他の住民の目も、あの余所者に希望を見出している。

 嫉妬した。

 目が曇り、レニャが気丈に振舞うその姿を見誤った。

 最愛のレニャを失った。


 怒りを彼女らにぶつけてみたが、逆に言い訳の出来ない現実を突きつけられてしまう。

 お前のせいだ、と。

 何も言い返せなかった。



 衆目の前でリィラの愚かさを言葉にされて、泣かされた。

 悔しい。

 自分の愚かさが、無力さが悔しい。


 その挙句に命を救われた。

 大きく跳びかかってきた巨大な魔物の爪。

 逃れられたのは余所者のお陰だ。でなければ死んでいた。

 レニャと同じように、死んでいた。



 町中で悲鳴が上がる。

 入り込んできた魔物に襲われた者の嘆き声。

 無力感と自己嫌悪に飲み込まれなかったのは、先に怒りに飲み込まれたから。


 薄汚い魔物が。

 レニャが守ろうとしたクジャの町に、力ない同胞たちに、その爪を立てている。

 何をしているのか、と。


 必死で追いかけた。

 余所者が戦っているのが見えたが、クジャを守るのはリィラの役目だ。メメトハとレニャと、リィラの誇りだ。


 魔物が落ちた家に飛び込むと、その目の前で――



「ふざけるなぁ!」


 レニャの愛用の武器は短剣だ。

 メメトハは魔法を得意とするので、その周囲を守る為に選んだ武器。

 それを使うには、敵と接近する必要がある。


 巨大なロックモールが、清廊族の幼い少年を貫こうとしているその爪を、全力で斬りつけた。

 ドア口から一足で飛び込み、全力で。


「らぁぁぁ!」


 残念ながらリィラよりも圧倒的に力強く、また重量もある魔物の腕。

 全身の力を込めたその一撃よりも、無造作に幼子を殺そうとしている腕の一振りの方が強かった。


 だが、わずかに軌道が逸れる。


「うああぁぁ」


 悲鳴を上げる少年。

 その横の壁が、魔物の爪で砕かれた。



「泣くな! 逃げろ!」

「まぁた邪魔をするぅぅ!」


 右の爪を壁に打ち付けた魔物が、言葉を喋った。

 リィラに向けて恨み言を。


 続けて左の腕を叩きつけてきた。

 黒い三本の爪と共に叩きつけられるその腕を、短剣で受け止めるが。



「くっぁぁっ」


 力に差があり過ぎた。

 入ってきたドアに向けて、先ほどの踏み込み以上の速度で吹き飛ばされた。


「く、まだぁ!」


 ドア口に肩をぶつけながら踏みとどまり、魔物を睨む。

 こんな魔物に、これ以上同胞を殺させてたまるものか。

 もう誰も、こんな……



「手伝います」

「あたしだって」


 魔物が砕いた壁から少年を引っ張り出したのは、余所者の女だった。

 片方はメメトハと腕試しをした女。続けて、その連れ合い。


「もう誰にも、悲しい思いはさせない!」



 同じだ。

 その言葉は、その気持ちは、リィラの心と同じだ。


 仲間たちの誰にも、こんな悲しみを味合わせたくない。

 魔物などに、守ってきた幸せを奪わせたくない。

 その敵が人間に置き換わっても、同じだったのだろう。


 余所者、ではない。

 同じ清廊族の仲間だった。

 リィラとは違い不遇な時を歩んできた。けれどそこを生き抜いてきた同胞だ。



「おらぁ、食いたいだけだぁ!」

「許すわけないだろ!」


 小柄な女を飲み込むように両腕を振り上げて襲い掛かる魔物。

 残っていた壁を砕きながら、その爪で切り裂きながら彼女を――


「なんで?」


 切り裂かれない。

 その爪を受け止めた手は鋼ででも出来ているのか、鋭い爪に裂かれない。

 小柄な体は屋外に押し出されるが、


「ぬあぁぁぁ!」


 そこで止まった。


 リィラがドアから外に飛び出して回り込むと、少女はまだ自分の三倍ほどある魔物と押し合っていた。


「まけ、るかぁ!」

「ぶえぇぇっ」


 正面から受けていた力を横に流して、前のめりになった魔物に蹴りを放つ。

 鋭い爪のような突起が付いた足甲が魔物の腹に突き刺さった。


「ミアデ!」

「うあぁぁつ!」


 腹に刺さった足を、魔物は痛みを感じないのか、掴んで投げ飛ばした。

 建物の壁に叩きつけられ、ミアデと呼ばれた少女は崩れた建材に飲み込まれる。



「天嶮より下れ、零銀なる垂氷!」


 鋭く尖った氷柱が数本、魔物に向かって打ち出される。

 セサーカは迷わなかった。


 メメトハに苦渋を舐めさせただけのことはあり、彼女は優秀な魔法使いだ。

 仲間の身を案ずることよりも、この脅威に対処しようと。

 後ろに幼子を庇いながら、迷わず氷柱の魔法を放った。



「うあぁぁ!」


 両腕で顔を覆う魔物。

 その様は無様で、とても戦いに臨むような気構えではない。


 ただ、その体の異常性はリィラの想像を超えている。

 鋭い氷柱をまともに体に受けながらの体当たり。

 魔法を放った姿勢のセサーカを襲う。


「っ!」


 普段なら躱せたはず。

 セサーカの動きを止めたのは、後ろの幼子だ。

 ミアデを援護する為に咄嗟に攻撃したが、その攻撃を受けた敵が構わず体当たりをしてくるとは思わなかった。


「くぅっ!」

「うわぁぁん」


 咄嗟に子供を庇い、魔物の体当たりを受けてセサーカが倒される。

 地面に倒れたセサーカと子供を見下ろし、氷柱が刺さったままの腕を振り上げる魔物。



「お、おらぁ……」

「やらせない!」


 リィラが間に立った。

 短剣を構えて、巨大な魔物に。


 セサーカが庇っているのはクジャの子供で、セサーカは清廊族の仲間だ。

 だとすればリィラが、メメトハと共に守らなければならないもの。

 レニャが守ろうとしたもの。


 この魔物は異常な個体で、リィラの力では到底かなわない。

 メメトハならきっと倒せる。

 なら、リィラのすべきことは、メメトハがくるまで少しでも時間を稼ぐこと。



「おらの邪魔を――」

「魔物などに好きにさせるか!」


 邪魔ならいくらでもする。

 命が尽きるまで。

 そうしなければレニャに顔向けできない。



「まも、の……」


 信じられないというように、魔物が呟いた。


 妙な魔物だ。

 ロックモールにしては大きすぎるし、男の顔がついていて喋る。

 こんな生き物は見たことがない。



「おらぁロドだ……おらぁ、人間だぁぁ!」

「!」


 雰囲気が変わった。


 人間、だと言う。

 リィラは人間を見るのは初めてだ。こんな化け物なのか。


 清廊族と同じ言葉を話すと聞いているが、このような姿で。

 南部の清廊族が瞬く間に滅ぼされたのも仕方がないかもしれない。


 震えるように人間だと宣言して、リィラに襲い掛かろうとするロドと名乗る魔物。

 その巨体が見せる圧力は暴力的に激しく、とても防げそうにない。

 なのに、なぜか。

 こんな時なのに、リィラはなぜか、どこかおかしかった。



「人間、なら……」


 清廊族は元々、自然と共存して生きて来た。

 魔物は味方ではない。だが魔物だから敵というわけでもない。

 生活の脅威ともなり、駆除することもあるけれど。


 魔物と人間では全く違う。



「人間だと言うなら、紛うことなく私の敵だ」


 明確な敵対者だった。


「滅びろ、人間!」

「うあぁぁぁ!」


 笑うリィラに脅威を感じたのか、ロドががむしゃらに襲い掛かる。

 敵わぬまでも、せめてその体にこの切っ先を突き刺して。



「同感ね」


 このような巨体を殴り飛ばすのは、どれほどの力なのだろう。

 屋根を突き破って落ちたロドと、リィラたちが戦っていた時間はわずかだった。

 短い時間でも力の差はよくわかった。死を覚悟して臨んでいたが。


 それでも助かったと思うと、憎々しかったその顔に安堵を覚えてしまう。

 これと言い争いをしていたのも、つい先ほどのことだった。言い争いの相手は彼女の連れ合いか。



「滅びなさい、人間」


 横から殴り飛ばされ、声もなく地面に擦りながら転がるロドに、冷たく言葉が投げられる。


「打撃は有効ではないと言っとるじゃろう!」

「他になかった」


 一呼吸遅れてメメトハも駆け付けてくれた。


「あ、アヴィ様……」

「セサーカ、下がっていて」


 リィラの前に立つアヴィと、その横に並ぶメメトハ。



「ええい、妾の話を……リィラ!」

「は、はいっ」

「剣をこの女に貸してやれ。其方も子供と共に下がれ」


 リィラの力では不足だと断じて、隣に立つアヴィを戦力と認める。


 悔しい。

 口惜しい。

 本来、リィラこそがメメトハの隣に並ぶべきなのに。



「……わかりました。これを」


 だが、わかっている。

 意地を張って、虚勢を張って、それで失われるのは大事な誰かの命だ。

 納得はいかないけれど、承服できる命令ではないけれど。


 だけど、託されたのだ。レニャに、メメトハを頼むと。


 その力がリィラに足りないのなら、誰だろうがメメトハを助けられる者を作らなければならない。

 愚かな自分が、これ以上愚かな選択をするのは、きっとレニャを悲しませるだろうから。



「メメトハ様を……皆を、お願いします」


 託した。

 剣と共に、リィラの想いを。


「わかったわ」


 異常で異様な魔物で人間のロドに立ち向かう。

 クジャで最強の二柱の背中に、リィラは自らの悔恨と共に希望を託した。



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