13

 佐藤一志は怒っていた。


少し前に一瞬、意識が飛びかけたが、腕にまた何かを注射されたのか、その痛みで自我を保った。



<ゾンビにならない?>


そう思えたのも束の間、医者の話に今度は理性が吹き飛ばされそうになっている。



 「佐藤さん、折角、"あの時"生き残ったのに、結局はこんな目に遭って、あなたはつくづく運のない男ですねぇ」


そう言って始まった医者の話に怒りが止まらない。


「あの事故、あれは偶然起こったのではないのですよ。あれは、私が仕掛けたものです。


お気の毒に、あなたの叔父と叔母だけが亡くなってしまいましたが。


惜しい二人を失くしました」


 一志は幼い頃に叔父が運転する車に乗り、叔母と静と共に事故に遭っていた。


当時、一志は助手席に座るのが好きで、お決まりだった。


幼かった静は、チャイルドシートで後部座席。


事故の直前、自分も前に乗りたい、と静が駄々をこね始めたため、結局、叔母が助手席に座った。


その結果、死んだのは前に座っていた二人となった。


事故そのものは大したことはないのだが、運悪く、エアバックの異常で金属片が直撃したから、のはずだった。


「あなたは、なぜ、あの時だけ、後ろに、座って、いたのでしょう」


一言ずつ区切る口調は、一志がいつもは前に座っていたのを知っていた、ということをひけらかしているようだ。


「それから、あなたはいい大学を出ながら、就職できませんでしたねぇ。


それもなぜなんでしょう?」


<何…?就職できなかったのにも、こいつが関わっている?>


池田に沸々と怒りが湧いてきた。


静の両親の死、就職活動の失敗からの今の自分…それを思うと、惑わされまいとしても、感情が抑えきれない。


「そうそう、そして、佐藤さん、あなたには"妹さん"がいましたねぇ」


医者の話は、さらに一志の妹に向いた。


「あなたの妹、静さんですか。今、高校三年生。


あなたのような情けない男とは違い、よくできた娘さんのようです」


医者はそう言って、静のことをゆっくりとねちっこい口調で話始めた。


誕生日、学歴、今通っている高校と塾の通学方法、オカルト好きという趣味、自分も知らなかったSNSの内容、大学の交友関係…。


<こいつは、静のストーカーでもあるのか。


俺だけでなく、静にも手を出すかもしれない。


静は俺の大事な妹だ。そんなことさせてたまるか!


そうなる前に、ぶっ殺してやる!>


一志には、これまでに感じたことがないほどの怒りが溢れ、医者を激しく攻撃したい欲望に駆られた。


「もうおわかりでしょうが、私は、たまたまあなたを拐った訳ではありません。


私はあなたの父親と知り合いでしたので。父親だけではない、母親の累さんともね。


よく、聴きなさい。


私の家族は、あなたの両親に裏切られ、死にました。


今度は、あなた"たち"が死ぬ番です、うっうっうっ」


「そんなこと知るか!親父たちがしたことは俺たちには関係ないだろう!


なんでそれで俺たちで恨みを晴らそうとするんだ!静には手を出すな!」


一志は、自分が拐われたことが偶然ではなかったことに驚いたものの、妹にまで魔の手を伸ばそうとする医者の口ぶりへの怒りが勝り、爆発した。


「ああ、なんと兄妹愛が深いことでしょう。たまらないですねえ。


私は、神の出現よりも、この日の方を待っていたのかもしれない」


医者はさもうれしそうに、演技がかった言い方を続ける。


「そうですねえ、妹さんもあなたのように拐った上で、なぶり殺しにしましょう。


手足を切り刻み、死ぬに死ねないように、少しずつねぇ」


そう言って、医者は一志の目の前に歩いて行き、その姿を晒した。


<こいつ!?>


初めて見た医者の姿に一志は驚き、戸惑いながら、怒りがさらに増した。


「やめろ、そんなこと許さない、絶対に!」


「どうやって、やるっていうんです、そんな状態で。


惨めですねえ。シスコンの末路と言うのは。


まあ、本当はシスコンとは…」


「誰がシスコンだ!くそー!畜生!殺してやる!


お前、絶対に許さないからな!


何が神だ!そんなものいるものか!


神なんて…かみ?」


<そうだ、俺は噛みたい、こいつを無性に噛みたいんだ、噛み殺してやる!>


「噛んでやる!お前を噛み殺してやる!!」


一志の頭の中は怒りと憎しみで充満し、理性が保てなくなった。


それが一志のオメガを発症する前の、最後の言葉となった。

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