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狩尾李華は寛いでいた。
大学から一人暮らしを始めている自宅に帰り、風呂に入ったところだ。
親から離れて暮らしたくて、無理して実家から遠い大学を受け、借りたのがこの1Kのアパート。
体を洗い終えた李華は、狭い浴槽につかりながら、今日のことを振り返る。
<結局、男は声かけてこなかったけど、あの和花がファンの声優って、案外、かっこ良かったなあ…>
そんなことを考えていると、急に鼻水が出そうになる。
指で拭いてみると、それは鼻血だった。
<あれ、私、何気に興奮しちゃったかな?
そう言や、声優ライブて和花も出してたかな>
高校の頃から、何もしなくてもたまに鼻血が出ていた狩尾は、特に気にせずに、湯船から上がり、顔を洗う。
血はすぐに止まった。
風呂から上がると、テレビを付けた。
学園祭で最後に買った焼きそばと、帰りのコンビニで買った惣菜などで、簡単に夕食を済ませる。
スマートフォンをいじっているとすぐに時間が立ち、気付くともう十一時を回っていた。
ベッドに潜り込んで、リモコンで電気を消し、部屋に暗闇と静寂が訪れた時、ふいに映研の映画を思い出した。
「明日の朝、起きてみたら、皆さんほんとにゾンビになってるかもしれませんよ~」
最後に司会のナースが言った言葉が妙に引っかかっていた。
<まさかね>
そう思った時、枕元のスマートフォンが突然鳴り響く。
「もう~、こんな時間に誰よ~」
着信表示は和花の家からだ。
ただ、和花がスマートフォンを持ち始めて以来、家からかけたことがあっただろうか。
「もしもし?どうしたの?」
狩尾は怪訝そうに電話に出た。
「夜分遅くに、ごめんなさい。
李華ちゃん?私よ、わかる?」
「あ、お母さん、ごめんなさい、てっきり和花ちゃんだと…」
「それはいいんだけど、あの~、和花がまだ帰って来ないのよ。
いえ、一旦は帰ったんだけど、いつの間にかまた、出ていったみたいで。
今日、李華ちゃんと会ったって言ってたから、もしかしたら知ってるんじゃないかと思って」
「いえ、私、駅前で別れてから連絡とってないんで、わからないですね。
どこ行っちゃったんでしょう。
電話はしてみたんですか」
「ええ、もちろんしてみたんだけど、それがあの子、スマホを家に置いたまま出ていってるの。
李華ちゃんなら知ってるでしょうけど、あの子、気が弱いでしょ?
今まで怖がって、自分から夜遅く出かけるなんてことなかったから、ほんと心配で」
「それはほんと心配ですよね。
私もちょっと友達に当たってみます。
わかったらすぐに電話しますね」
「ごめんなさいね、夜遅くにほんと」
<和花、どこ行っちゃったんだろう?>
母親の言う通り、和花は昔から怖がりで、人が思う以上にあれこれ心配する癖があった。
<臆病過ぎるくらいなのに…よく言えば、想像力豊かだけど…>
狩尾は心配になって、高校の頃から和花も入っているコミュニケーションアプリ「リネ」の十人ほどのグループに、和花を知らないか書き込んでみた。
するとすぐに、和花と比較的仲の良い一人から
「知らない。どうしたの?」
と、心配する猫のスタンプと一緒に返事があった。
その後も既読が増え、三人ほどから返事があったが、知っている者はいなかった。
<この時間だものねえ>
友達に当たると言ってはみたものの、これしかできない。
「行きそうなところもわからないからなあ。
まさか、あの好きな男のところに行ったわけでもないだろうし」
狩尾は、和花が帰り際に漏らしていた、好きな男ができたという話を思い出す。
狩尾がしつこく、好きな男はいないかと訊いて、やっと話させたことではあった。
その男は大学の図書館で出会い、同じ読書好きで、しかも好きな小説まで一緒だったそうだ。
和花の家の近くに住んでいて、帰りの電車が一緒になることが多いらしい。
だが、和花の性格上、当然ながら、告白までには至っていない、と言っていたから、関係ないだろう。
狩尾は和花の実家に電話をかけて、その男のことは触れずに、現状を知らせておいた。
その後は仕方なく、ベッドに入り直し、落ち着かない思いをしながら、やがて眠りに着いた。
翌日の日曜日、狩尾はまたも響いたスマートフォンのバイブで、目を覚ました。
「うん…はい、もしもし…」
「あの、李華ちゃん?!
和花が、和花が…!」
和花の母親のただならぬ気配に一気に目が覚める。
「車、車に轢かれて、し、し死ん…あぁあああ!」
電話の向こうで泣き叫ぶ声に、狩尾は茫然自失となった。
我を失った母親と電話を代わった親戚と名乗る男の話によると、和花は家を出た後に車道に飛び出して、乗用車に跳ね飛ばされたらしい。
救急病院に担ぎ込まれたものの、助からなかったそうだ。
何も持っていなかったので、身元確認に時間がかかり、朝になってやっとわかった、という。
<どうして…>
電話を切ると、涙が溢れて止まらなくなった。
鼻水も出てくる。
いや、これは鼻水混じりの鼻血だ。
狩尾はティッシュを取って、鼻の周りを拭いた。
<また出やすくなっただけ。
今はそれどころではない。
幼稚園から近所で幼馴染、中学校まで同じだった。
苗字が一字違いで同じクラスになれば学番も近く、いつも一緒だった。
高校になってからも、事あるごとに連絡を取り合って遊んでいた。
性格は全然違うのに、なぜか気が合う友達だった。
死んだだなんて、信じられない。
車に轢かれてって、どうして止まれなかったのだろう。
あんなにいい子だったのに、優しい子だったのに。
許せない…どんな奴よ!>
狩尾の心には悲しみと共に、ふつふつと今まで思ったことのないほどの、悔しさと怒りが込み上げていった。
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